「ル・アーヴルに舞い降りた天使とは・・・」ル・アーヴルの靴みがき Chemyさんの映画レビュー(感想・評価)
ル・アーヴルに舞い降りた天使とは・・・
カウリスマキ待望の新作は、優しさと温かさにあふれている。ヨーロッパの難民問題という社会派のテーマを扱っていながら、ファンタジックなハートフル・ドラマにしてしまうカウリスマキ監督が好きだ。
ル・アーヴルという港町に流れ着くガボンからのコンテナ。扉を開くと予想以上の人数がいて驚く。新天地を求めてやってくる彼らだが、半分以上は強制送還かあるいは難民キャンプ行きだ。長年働きつめてようやく“買える”偽装の身分証明書。主人公(フランス人)と一緒に靴みがきで生計を立てているベトナム難民の青年は「名のっているのは本名ではないが、これが僕の名前だ」と言う。自分以外の名前にアイデンティティを見い出せる彼らの原動力は、少しでも幸せになりたいと願う気持ち。その幸せは日常の些細なものだ。元をただせばそんな些細な日常の幸福さえもつかめない貧しい故国での生活・・・。難民問題の深さを今更ながらに知る。
さて、前述のようにこのような深刻なテーマを扱っていながら、本作は一種のファンタジーとして描かれている。その要因の1つとして、主人公が助ける難民の少年のキャラクターにあると思う。港に漂着したコンテナからただ1人逃走した少年は、主人公の靴みがきに助けられる。まず彼の眼力がスゴイ。その真っ直ぐな眼差しは、相手が良い人なのか悪い人なのか見透かすようだ。だからこそ、自分にサンドイッチを恵んでくれた靴みがきを頼ったのだろう。若いころ芸術家を目指してパリで放浪していた彼は、今は街角に立つ靴みがき(忙しい現代人が足を止めて靴など磨くわけもない、第一革靴を履いている人などほとんどいない)として、わずかな日銭を稼ぐだけ。それでも献身的な妻と気のいい近所の人々との心温まる交流で、彼の人生は満ち足りていたはずだった、妻が不治の病で倒れるまでは。それでも本来無邪気な性格の彼は、妻が夫に心配させないためについた「すぐに良くなる」という嘘を信じて、難民の少年をロンドンにいるという母の元へ送り届けようと奔走する。妻の病はどんどん悪くなり、周囲を探る警察の存在や密告者の登場などで、物語はサスペンスフルな展開になって行くが、カウリスマキ特有のオフビートな笑い(中折帽にコートという一昔前のファッションのしかつめらしい警部が、パイナップルを持って歩く姿がキュート♪)に満ちている。
先ほどから再三本作はファンタジーと表現しているが、その最たる理由がラストシーンにある。余命いくばくもないと宣告されていた妻の病が突如として完治してしまうのである。医師も医学的に証明できないと驚きを隠せない。カウリスマキ監督は何故ここで唐突なハッピーエンドを持ってきたのか?可哀そうすぎる作品も苦手(嫌いなわけではない)な私だが、個人的に取って付けたような御都合主義のハッピーエンドは好きではない。だが本作におけるこのハッピーエンドには、私なりに1つの解決を得ているのだ。それは少年がロンドンに向けて無事に出港するクライマックス直前にある。少年が靴みがきの代わりに妻へ届け物をするシーンだ。妻は自分の死装束のために一張羅の黄色いワンピースを持ってくるよう夫に頼む(もちろん夫は死装束だとは思っていない。余談だが、クローゼットを開けると夫と妻の衣装が1~2着くらいしか入っていないことに胸が熱くなった)。そこで少年が初めて靴みがきの妻の病室を訪ね、「早く良くなってください」と握手をするのだ。そう、これこそが“奇跡”の瞬間なのではないか?少年との握手がヒーリング作用を起こしたのではないか?何故なら少年は天使だから(笑)。深読みなのは十分承知の上だが、私にはそう思えてならない。あまりにも少年の瞳が真っ直ぐだから、そう思わずにはいられない。ロンドン行きの船に乗り込んだ少年の元へ警部がやってくる。荷物置場の中から警部を見上げる少年。その真っ直ぐな眼差し。相手を良い人か悪い人か見極める瞳。警部は黙って蓋を閉める・・・。
ル・アーヴルの港町に舞い降りた黒い肌の天使。人々の心に春を呼び、去って行く(現実を考えるならば、無事に母の元へ行けるとはかぎらない。ロンドンの港で強制送還される可能性もありえる)。ラストシーン、黄色いワンピースを着た妻と2人で見る軒先のサクラ(日本の復興を願う監督からのメッセージ)。どんなに辛い状況下でも、思いやりをもってさえいれば希望があることを示している。