クロニクルのレビュー・感想・評価
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期待の新人達による新しいSF映画
「超能力を手にした高校生たちが...」とよくありがちなSF映画に見えるが、超能力を正義のために使うのではなく、高校生達がいたずらに悪用して堕落していく姿を描く新手のSF映画。アメリカンジョークを交えながら、超能力で遊ぶ高校生達を見て、とても羨ましく思いました。超能力を誤った方向へ悪用していくデインデハーン演じる主人公が街を破壊するシーンには迫力があるものの、新人の監督が作っただけにカメラの焦点が人物に合わなく、終盤の方はやや飽きてしまいました。しかし、今最も注目されている新人俳優デインデハーンの演技はとても素晴らしかったです!
強大な力とその代償
アンドリュー、マット、スティーブの3人の高校生。ある時、謎の物体に触れた事により、超能力を手に入れ…。
全米で公開された時から評判だった本作。実際見てみたら、噂に違わぬ快作だった!
前半は、超能力を手に入れ、浮かれまくる青春ドラマ風。
女子のスカートをめくったり、駐車場の車を動かしてオバサンを困らせたり、クマのぬいぐるみを使って女の子を驚かしたり、さらには飛行能力も手に入れ空中散歩を満喫したり…。
困ったちゃんたちだけど、若者が超能力を手に入れたらしそうな事が面白おかしく描かれ、思わず共感。
悪戯に使っていた分には良かった。
しかし、その強大な力が悩みを抱える青年を変えてしまう事になる…。
アル中で暴力的な父と病気で寝たきりの母を持ち、学校ではいじめられているアンドリュー。
孤独と悩み、思春期の繊細な心に、この力は麻薬。
いじめてきたヤツらに復讐、父にも力を使って反撃、思い通りにいかない世の中に不満が爆発。
やがて感情も力もコントロール出来なくなり…。
友も居た。
その友と超能力を使って遊んだ毎日は最高に楽しかった。
でも、何故自分だけ不幸を背負う?
案じてくれる友も鬱陶しいだけ。
若者の心の揺れが絶妙に描かれている。
後半はアンドリューが暴走し、止めようとするマットとサイキックバトル。
夜の街中、患者衣を着たアンドリューが街を破壊する様は、言うまでもなく「AKIRA」。そのオマージュもポイント高い。
前半の青春モノから後半のサイキックSFへ、作風のチェンジは自然で、監督のセンスを感じさせる。
また、強大な力を持つ事の恐ろしさ、それ故の悲劇も忘れずにきちんと描く。
終始、ビデオカメラや監視カメラなどの記録映像。こういうモキュメンタリー風の作品はあまり好きではないが、本作は、後半の緊迫感をより効果的にしている。
超能力が欲しい、超能力を使ってみたい…それは誰もが思う事。
もし、本当に超能力を手に入れたら、何事も無く力を操れるか…?
映画のラストの悲劇は見る者に問いかける。
手作り感満載!!
スケール感は損なわれてしまうけど、 このビデオカメラで自分たちで 撮影している作品は パラノーマルシリーズで有名ですね!! 見てませんけど(笑) でも映画の中に入り込みやすいと思います。 超能力を突然手にしたら 誰かに見せたくなるし その能力に溺れるのは間違いないです。 人は並外れた力を手にしたら 征服ではないけど 世の中を我が物にして 力を示したくなると思うし その力を欲しがる者や妬むもの 利用しようとするもので 生態系?が壊れるてしまう。 突然何かを手にすると 人は不幸になるのかも知れませんね。 宝くじで不幸になる人も 沢山いますから。 リアルでちょっと斬新で わたしは好きな作品です。
荒唐無稽
超能力をオモチャにして、とんでもないことになった話。つまらない。 飛んでいる姿が、宙吊りみたいで、不自然だし、すぐに破壊し尽くすところまでエスカレートして行くのも、わけわからない。 なんか見たような映画でした。
でいんではーん
彼のための映画。
彼は「プレイス〜」の演技もよかった。
何もやらないと思って侮ってると痛い目にあうぞ童貞なめんなよこんちくしょう映画。
実際の生活ではこれほど酷い目にはあうこともないけど、刺されるくらいは覚悟しとこうね。人にはやさしくね♡っていうことです。
最後は少し小物感が強調されちゃって少し残念ではある。
ビデオに映る父親が哀しい
観て良かったです。なんとなくあらすじは知っていたのだけど、時代に添った見せ方で、すっかり見入ってしまいました。 突然、特殊能力を持った高校生たち。その中の一人、アンドリュー愛用のビデオカメラ映像を中心にストーリーが展開します。幼ささえ感じるほど若くて視野の限定された心情をダイレクトに伝え、とても効果的だったと思います。 特にビデオに映る酒浸りの父親が、親子の関係を露わにしていて哀しかったです。演じるマイケル・ケリーの濃い顔をもっても表情が判らない、理解することもされることも拒絶した視点。 アンドリューを演じたデイン・デハーン、写真で見るよりずっとレオナルド・ディカプリオ似でした。痛いような孤独を演じてとても良かったです。
いいなぁ〜超能力!
昔、「超能力学園」だっけ? あれ、うらやましかったなぁ〜(^^) 学生が超能力手に入れてイタズラするやつ! 今回の「クロニクル」は、ちょっとシリアス。 いじめられっ子が超能力でイタズラしたり、いじめてた奴に仕返ししたり、毎日一緒にいる友達ができたり、超能力の芸で一躍有名になったり… そこまではよかったが、次第に感情をコントロールできなくなり暴走する。 育った環境や、その内気な性格のせいで周りに溶け込めず孤立していた少年が、いきなりチカラを手に入れた、あまりにも大きすぎるチカラ。 おもしろかったです。
共感できるリアリティ
口コミでの評判が高い作品だったので劇場にて観賞。
監督が公言しているように、AKIRAからの影響を感じさせる作品。
最初は超能力を使ったちょっとしたいたずらがエスカレートしていき、最後は自分でも止められないほどの脅威となってしまう。
その過程は共感しやすく、リアリティがありました。
続編の制作も決まったようなので期待しています。
物語<発想
タイトルを意識した、視点=ワークが新しい。この発想は現代だからこそ生まれたものだろう。 ストーリーよりもワークの斬新さに目を奪われた。 正直、結果的に全てハンディなので少し酔いそうになったが笑 若者の葛藤やワガママさや日常を捉えた人物像で、 人としての印象に残りにくいのもまたリアルだった。 展開はほどほどに唐突笑
もう一つの視点
YouTubeの動画の前に入る宣伝動画。いつもはイライラさせられるだけなのに、この映画の予告編は違った。一発で魅せられ、前情報は入れず早速映画館に向かい鑑賞。『パシフィック・リム』に匹敵する衝撃度の体験をしました。
他の方も書かれていますが、この作品は「ファウンド・フッテージ」「男子高校生」「超能力」などそれぞれの要素がガッチリ組み合わさっているのが素晴らしいです。
序盤は手持ちカメラ視点で男子高校生の日常を描き、超能力を得るまでに3人のキャラクターは容易く把握できます。手持ちカメラが日常を映すのに相性抜群なのは言うまでもないけど、それだけで終わらないところに作り手のセンスや作り込みが伺えました。まさか手持ちカメラというありがちなツールと超能力を組み合せるとは。
そこから超能力が強くなる過程、それに伴って変化していくアンドリューの心理を丁寧に描いているからこそ、終盤の展開の恐怖感や悲壮感、衝撃度、感情移入度が格段に増してると思います。
終盤では手持ちカメラだけでなくテレビカメラ、監視カメラ、一般人の携帯カメラなどから様々な視点から主人公達を映しますが、特にテレビカメラ視点から映された主人公達は本当に現実の世界で浮遊しているようでしたね。乗っている人物が乗っている車が浮いてそのまま飛ばされるシーンなども臨場感がたまらないです。
ここまではありがちなレビューだけど、僕がこの映画で最も好きなシーンはマットがアンドリューが落とした父親を助けに行くシーン。
完全にたがが外れ暴走するアンドリューに恐怖感や悲しみを感じているところに、あの対象的なヒロイックな行動!最初は能力がもっとも下手くそだったこと、自らが作った「人前で能力を使わない」というルールをあのやり方で破ること、彼女(?)のカメラの隣から一気にビルの高いところまで飛んでいくあの構図(アングルは地上の彼女のカメラのまま)も合間って最高に高揚しました。この映画は一人のヒーロー誕生の物語でもあると思います。マットのその後が気になるな…。
アンドリューの話なので基本的に重たいけど、その後に広がる青空や救いのあるラストシーンで不思議な余韻が残ります。最高の青春SF映画!映画館での公開はもうすぐ終わってしまうので是非!!
いじめられっ子の怒りの記録(クロニクル)
実は今年の2月頃に米国へ出張していた自分なのだが、ホテルのテレビをテキトーに切り換えてたら報道カメラみたいな視点で少年2人が空中バトルを繰り広げている映像が目に入った。
あ、え、これひょっとして……と考えている間に、少年の1人が銅像の槍に刺されて死亡。
……ええ、『クロニクル』をもうテレビで演ってたんすよね。
この頃にはもう「アメリカで低予算の超能力アクションがスマッシュヒットを飛ばした」というニュースが日本にも伝わってきていたので、僕も日本での上映を心待ちにしてたんですが……
オチ観ちゃったよ。いきなりオチの30秒観ちゃったよ。最悪だよ。
観たかった映画のオチをホテルのちっちゃいテレビでいきなり明かされた時のガッカリ度合いときたらハンパないよマジで。いやマジで。
はい、長い前置きで申し訳ない。
今回はそんなダラ下がりテンションの中で鑑賞した訳だが(爆)、やっぱり映画はオチだけじゃなくてそこに至る過程が大事よね。
ものすごく楽しんで観られましたよぃ。
『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』から続くいわゆるファウンドフッテージ方式に近い作りではあるが、物語にリアリティを持たせる目的でこの方式を用いたというよりは、主人公アンドリューへのシンパシーを感じさせる為の表現としての意味合いが強いのだろう。
アンドリューの手持ちカメラは彼にとって、惨めな現実を受け入れる為のクッションだ。
映画秘宝に掲載されていたてらさわホーク氏の評論を読んで思わず唸ったのだが、氏によるとこの映画、アンドリューの暴走に合わせてカメラがアンドリューから距離を置いていくように見えるのだそうだ。
詳しくは誌面を読んでいただきたいが(別に出版社の回し者じゃないっすよ)、初めはアンドリューの主観だったカメラが第三者視点へと移行し、最後には監視カメラなどの完全に他者からの冷徹な視点へ。
なんて悲しい視点移動か。
他人様の意見を書くだけなのもシャクなので(笑)、ここからは自分の意見を。
見終わった後に思い浮かんだのは「男子高校生版の『キャリー』のようだった」という考え。
映画で描かれるテレキネシスは勿論フィクションだが、アンドリューの抱えた怒りの巨大さは本物だ。
腹の底で煮えたぎっていたその怒りが爆発する様に、最後はただただ戦慄するばかり。
彼の暴走の理由。
悲惨な現実から抜け出すチケットを遂に手に入れたと思ったのに、待っていたのは何も変わらない腐った毎日。
クラスメイトは自分をコケにし続け、女の子に振り向いてもらう事はなく、家の周りにはクズのような連中しか居らず、自宅でも父の罵詈雑言は止まない。味方だった優しい母は病床で少しずつ死に近付いている。
『何をやってもこれから俺はこの惨めな人生を歩むしかないんだ』という絶望しか、彼はもう感じなかったのだろう。
それを支えてくれる友人はいた筈なのに、今まで他人から虐げられてきた時間があまりに長過ぎて、『自分が人に好かれるなんて事は所詮無理』という諦念にあまりに慣れすぎていて、親友たちが自分を案じる気持ちを信じることができなかった。
“頂点捕食者”などという馬鹿げた考えにすがらなければ、彼は自分の生きる価値を見出だせなかったのかもしれない。
ラストシーン。
親友マットはアンドリューの形見のカメラを、彼の憧れの地に残していった。
降って湧いたような力が発端だったとは言え、何かに夢中になれた日々を共有した3人はやっぱり親友だったのだと思いたい。
アンドリューが怪物となるにつれてカメラが距離を置いていくと前半で書いたが、映画の中盤ではむしろその逆であった事を思い出す。
それまで孤独だったアンドリューが、力を手にしてからは友人達と一緒のフレームに収まっている画が多くなる。
初めて空を飛んだ日の夜のシーン。「今日は人生最高の日だった」と呟くマットの言葉に聞き入るアンドリューとスティーブ。
カメラが、アンドリューの目が、ゆっくり浮き上がり、3人をひとつのフレームに捉えていく。
その時の気持ちを信じても良かったのに。
もっと人を信じても良かったのに。
どうにも切ない。
〈2013.10.18鑑賞〉
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