パパの木のレビュー・感想・評価
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ピケ張って、ストライキ!!要求を通す為の権利。
ポネット見たいな映画だと思ったが、母親が一番ポネットで、シモーンは既に反抗期。オーストラリアのこの辺りで、家族四人を抱えて、女手一つで生活出来る人ではなかったようだ。
シャルロット・ゲンズブールを初めて見たのは『なまいきシャルロット』受け口の美少女だった。一時ファンになった事もあるが、親の七光りで、しかも子役から。ヒット作に恵まれる事無く、僕の記憶から消えていた。こんな所で出会うとは。
ジェーン・バーキンさんが今年亡くなったので光も薄れゆく。
ピケ張って、ストライキ!!違法ではない。労働者の権利。国鉄のストは違法みたいに言われていた。だから、毎年の春は順法闘争。スト権を勝ち取る為のスト!懐かしいね。
追記
こう言った災害はオーストラリアは日本の比では無い。しかし、オーストラリアは原発が無いから、致命的にはならず。
『また会える?』
『たぶんね』
最後の決断だけでこの映画を評価する。
オーストラリアの壮大な美しい自然と、子供は可愛いが・・・
この映画の監督作品は「やさしい嘘」から日本では約10年振りの作品と言う事になる。
前回は、お年寄りを軸にその家族の問題を描いた確かに良い映画を撮った監督だ。
今回のこの作品は、一転して高齢者から、幼い子供へと変わった。
しかし、そこに描かれるのは、やはり、子供の目線からではあるが、家族への愛情を求めると言う人間の基本的欲求が、どの様なものなのかを静かに、描こうとチャレンジしている監督の優しい思いは伝わって来た。
物語は、主人公ドーンと彼女の最愛の夫ピーターとの仲の良い、お月見の中のシーンから始まる。
そして、或る日長女のシモーンの目前で、突然ピーターは心臓麻痺で亡くなってしまう。
シモーンはまだ、幼く、死別してしまった父親へ対する自分の気持ちの整理が出来ないままに、父が大切にしていた、庭の巨木に亡き父の魂が宿ったと考え、淋しい気持ちを
紛らわす為に、大半の時間を木の上で過ごす様になる。
そして、木の上では、シモーンは父と対話をしながら遊ぶ事で、突然断ち切られた父親との関係が続いているような錯覚の中で生活するようになっていく。
このシモーンを演じているモルガナ・デイビスが自然な芝居で巧く、観ていて切ないのだ。
そして、長男は、バイトを始めて、家計を助け、家族からは自立の道を選んで行こうと勉強にも励む立派な親孝行者だ。
しかし、私には、肝心要の主人公のドーンが何とも考えられないキャラクターで、感情移入出来ずにイライラさせられるのだった。
初めのシーンで、ドーンとピーターは如何に夫婦仲が良かったのかは、理解出来る。4人の子持ちの未亡人となり不安で、しかも未だ未だ女盛りで、淋しい彼女の想いも良く理解出来るのだが・・・
しかし、このドーンには母親と言うアイデンティティが有るのだろうかと神経を疑いたくなるのだ。10代の長男の方がよっぽど立派で、しっかり者で有る。
専業主婦であったドーンも、4人も子供がいれば、その子供のためにも頑張るだろうに、何か、そこのところが腑に落ちないのだ。
欧米社会では、先ず初めに夫婦の男女関係が有り、その次に子供との関係になるように、日本の一般的な家族感である子供中心主義ではない、家庭の有り用と言う事も理解出来ないわけではないのだが、しかし、どんな国の人でも、一家の稼ぎ手を失った家庭では、メソメソと泣いてばかりはいられない筈。しかも夫の忘れ形見の子供が4人もいれば、家族はもっと強い絆で結ばれ、協力していくものだと思う。その辺りの強い関係性が中々生れないと言うか、描かれないこの映画には感情移入が出来ずに最後まで、不快感の中で映画を観終えた。それに父親の回想シーンもゼロ。何故シモーンが、巨木に父の魂が宿ったと考えているのかが、父が死ぬ時に木に衝突しただけでは、不自然でお粗末だ。
そもそも家族の物語と、木を強引に繋ぎ合わせている事に違和感だけが残った。
家族にとって、想い出深い庭の巨木と言うのなら、その事を描かなくては、映画としてはバランスが悪すぎる作品であったと思う。
確かに、シモーンが聴いた父の声を幻聴ではなく、繊細な神経を持った子供なら、亡き父の魂の声をテレパシーによって感知出来るのかも知れないが、それならば映画として、そのプロセスを丁寧に描いて欲しかったのだ。
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