アンダー・ザ・スキン 種の捕食のレビュー・感想・評価
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人間って。。。(はあ、ため息)
はっきり言って、地球外生命体とか、侵略者とか、いきなりポスターでネタバレしているが、そこでまず興はそがれる。
おそらくは、映像表現やセリフが極端にないからの、観客への配慮なんだろうけど、申し訳ないが、そこまでしてもらう必要は全くない。
一切の情報を得ずしてみても、ほぼ理解できるはずだ。
「アンダー・ザ・スキン」
タイトルから感じられることは、
「中身」
ということだが、まさしくそういう映画だった。
最初の神秘的な映像から、「2001年宇宙の旅」という人がいるようだが、不穏な音の使い方と、その色遣いはむしろ、70年代のイタリアのオカルトムービーの雰囲気に近い。(「サスペリア」とかではない方)
実際、全編にわたって、映像は美しい風景を美しい画像ではなく、70年代風の粗い画像で展開する。また、劇中現在が舞台、と説明があるが、登場人物並びに、衣装、髪型は、スコットランドの田舎風景というより、意図的に70年代風に統一しているようにも見える。
スカーレット・ヨハンソン演じる主人公は、バイタな格好で、プルンプルンの唇を強調し、夜な夜な男漁りにバンに乗って出かける。ひっかけるのは、一人でいる男だ。複数は相手できない、というシーンもあり、そこは笑える。
ひっかかった男は文字通り、底なし沼に取り込まれる。このシーンの男の表情がとってもよく、ああ、まあいいか、みたいな朦朧とした顔をして沈んでいく。
ここから皮をプルンと剥かれる。
直接的な絵は、剥かれた後の皮だけだが、ぐちゃぐちゃなミンチ状態のものが、加工工場へ送り込まれる、というシーンがある。
単発で見るとそうでもないが、想像力を働かせると、とってもグロテスクな行為が行われていることがわかり、かなり怖い。
そんな仕事を繰り返す主人公だが、あるとき、顔面病気のブッサイク青年を図らずともひっかける。しかし、当然のように、主人公は顔面病気青年に対し、全く普通の青年のように扱う。
そりゃそうだ。グチグチのミンチにすれば、「中身」がほしいだけなんだから。
ところが、同情心か、それとも「やっぱブサイク劣性遺伝子じゃん、こんなの食えねえよ」と思ったのか、こいつを逃がしてしまう。
まあ、ヤツにしてみれば、同情するなら、ミンチにして、っていうのが現実だろうが、さすがエイリアン、人間の気持ちが分かっていないのが素晴らしい。
それを境に主人公は「人間の女性」ばかり見るようになるのだ。自分は男をひっかけるための外見として、最高の外見の女性として活動しているが、その本質は何なのか、と。
人間の女性の、男をひっかける以外の行為として、ケーキを食うこと。そして、ひっかけて、ミンチにするのではなく、実際に男と「愛し合うこと」。
しかし、いずれも主人公の「中身」はそれに適応できる存在ではなかった。主人公の股には、それを受け入れる機能もない。
ところが、最終盤、股に対する自尊心、恥じらいが生まれていることが分かる。
ラスト、皮を脱いだ主人公は、あっけなく死んでいく。
まあ、正直、ありふれた内容で、地球外生命体が、人間になりたかったわけでも、セックスを知りたかったでもなく、
「人間って中身を見ずに、外見ばっかり観るするのねえ」
からの
「人間ってセックスしか興味がないのねえ、さっさと工場に送ればよかった」
とエイリアンががっかりしながら死んでいく映画。
これをセリフなし、映像のみで語っているだけなので、ほとんど深みはない。ただ、さっき言ったが、直接的な表現はないが、捕食の目的が相当怖い。70年代風イタリアオカルトの雰囲気と重なり、世界観はかなりSF。そこがとても面白い。
追記
一応触れなければならないのか?、ヨハンソンの裸について。
「キャプテン・アメリカ」が騙されたのか、「ルーシー」の時もそうだったが、モデル体型ではなかった。あるいは、子作り期だったのか、役作りだったのか。
まあ、どうでもよいけど。
人ならぬモノを追い続けた前代未聞のアプローチ
ジョナサン・グレイザー監督は紛うことなき天才だと思っているが、それにしてもよくこんなアプローチを思いつき、よく最後までやりきったものだと衝撃を受けた一本。
というのも、この映画の視点は第三者的な神の視点に近いとはいえ、その「神の視点」が見つめている対象は人間ではなく、完全に「宇宙から来たと思しき捕食者」の側なのだ。つまりこの映画は、スカーレット・ヨハンソン演じる宇宙人(というか宇宙人らしき何者かから地球に派遣された生命体の模造品のようなもの)を主人公にしたドキュメンタリーみたいなもので、しかも作り手が「人間とはまったく生理も感覚も異なる宇宙人だったらどうなる?」というシミュレーションといっていい。
ややこしく書いてしまったけれど、要するに「宇宙人が映画を作ったらどんなだろう?」というチャレンジであり、人間を逆なでするような作りでありながらも、どこか共感してしまう切ない普遍性すら宿っているという、ほんととんでもない作品だと思う。
ジョナサン・グレイザー恐るべしと、どの作品を観ても思うけれど、エッジさにかけてはこれが一番だし、これを超える作品はなかなか生まれないのではないだろうか。
冒頭、『2001年宇宙の旅』のオープニングを思わせるような宇宙空間...
冒頭、『2001年宇宙の旅』のオープニングを思わせるような宇宙空間らしき映像。
大きな中空の球体が瞳につながる・・・
スコットランドの田舎町。
郊外で若い女性が殺害され、身ぐるみを剥がれる。
死んだ女性の衣服を身にまとったのは、これまた若くて美しい女性(スカーレット・ヨハンソン)。
「彼女」は大型車を運転し、男たちに声をかける。
外国からの移民、貧しい若者など、社会的に打ち棄てられた感のある男たちだ。
自宅に誘うが、自宅と称する空間は漆黒の闇。
全裸の「彼女」に誘われた男たちは別の空間に吸い込まれていく・・・
といった物語で、低予算なロケとシンプルなセットで構成された、アーティスティックなSFスリラー。
スカーレット・ヨハンソン演じる女は外宇宙から来たエイリアンらしく、男を捕食しているのだ。
途中、病気によって「エレファント・マン」のような顔になってしまった青年を捕まえるが、それまでのように捕食しない。
「彼女」がなにかに絆されたのか、そこのところはよくわからない。
次々と男を捕食していたが、その美貌が徒(あだ)となり、冬の森林で、森林警備員に襲われてしまう。
衣服をはぎ取ろうとした警備員は、「彼女」の皮膚まではぎ取ってしまい、皮膚の下に隠された「彼女」の正体がむき出しとなり、恐怖に駆られた警備員に燃やされてしまう「彼女」・・・
捕食する側が捕食される側へと転換するのだが、その原因が「女性の美貌」というあたりに、この映画(原作も含めて)の意図があるように感じられる。
が、うまく伝わってこないのが残念。
ジョナサン・グレイザーは元々、音楽プロモーション映像畑のひとだったらしく、アーティスティックな映像を撮りたいのだろうなぁ、と思う。
作品の見た目は、本作も『関心領域』もそれほど変わらないが、後者は見た目を徹底した分、題材と相まって世間的な関心が寄せられたんだろうなぁと感じた次第。
不穏な音楽のつけ方とかも『関心領域』に似ています。
本作、観終わってすぐに脳裏を過(よぎ)ったのは、ニコラス・ローグ監督『地球に落ちて来た男』。
どちらも美貌の異星人、最後は地球人にスポイルされてしまう・・・
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自宅にて鑑賞。英・米・スイスの合作。オープニングから何度となく登場する意味ありげな瞳のアップ。起伏の少ない単調な展開が延々と続く。全篇を通し、長回しと云う程では無いものの各ショットが長い上、科白が極端に少なく、カット割や編集のリズムが合わなければ最後迄辛い。殆ど説明を排除しているので、感じる映画で観客の読解力が試されるのであろうが、単調で不協和音を繰り返すBGMと云い、作為に満ちたミスリードを誘う描写が見え隠れする。傑作?──いえ、いえ、通ぶって褒める気にもなれませんし、退屈なだけでした。40/100点。
・本作を評する際、引き合いに出される二人の巨匠──S.キューブリックの神経に障る様な精緻さや、A.タルコフスキーの余韻を残す間延び感は感じられず、ピンッと来ない。ドチラかと云えば、森が出て来る為か風刺や毒の無いマイルドなL.v.トリアーみたいだと思った。更にグロテスクで孤独な異星人はN.ローグ監督、D.ボウイの『地球に落ちて来た男('76)』を髣髴した。
・開始十分以上科白やナレーションが全く無い。右ハンドル、左側通行と我が国と同じ交通スタイル。ライダースーツを着た男が霧中の谷を見下ろすシーンは、C.D.フリードリヒの『雲海の上の旅人(1818)』の構図とポーズを真似たらしい。
・街頭で変装させたS.ヨハンソンを置き、目立たぬ様に周囲にスタッフを配し、撮影したと云う。亦、A.ピアソンは、本作のオーデションに行く途中、タクシーによる交通事故に遭い、脚を骨折した。翌日、病室にJ.グレイザー監督が訪問し、出演が実現した。
・鑑賞日:2015年5月6日(水・振替休日)
Alone? 実験的過ぎて・・・
1人で勝手に「スカヨハ強化月間」の第六回は「アンダー・ザ・スキン」です。いやー、実験的というか、前衛的というか、「考えるな。感じろ。」というか、何が何だか良く分かりませんでした。第一何故にスコットランド?何て喋ってるか微妙にわからんし!もし、本作を映画館で観てたら辛かっただろうなぁ。
黒髪のスカヨハは良かったです。恐らくアベンジャーズのようなブロックバスター映画に疲れたスカヨハが前衛的な映画に出てみようと思って選んだのではないでしょうか?もしスカヨハの魅力で無かったら最後まで観るのがツライ、そんな作品でした。
ヌードはおまけと割り切り、ガチで観るべし。
冒頭『2001年宇宙の旅』みたいな惑星描写から黒いのがブァーって出て眼になってそれで黒テカテカがヘルメットで(うまく書けんw)ってところからイイなぁとは思ってましたが、台詞を限界レベルまで削ぎ落として観客に考えさせる余地を残しつつ情緒的かつスタイリッシュな映像で作り上げた快作でした。
スコットランドの寒々しい感じとめちゃくちゃ引いた固定アングルが劇的にマッチしていたし、車での徘徊(男ハント=仕事)も同じ構図をひたすら見せる事で延々と繰り返される作業の虚しさと、それに気付かない迄も不安げなスカヨハ(役名ないんだな)の心情が浮き彫りにされている気がして一気に引き込まれたし、終始ドキドキしながら観れた。
ラストのカットではかなりしんみりしたし、sexシーンでの「確認」には笑いました。
残念、、無かったんだね 笑
基本的に良作の部類に入る映画だと思うけど、スカヨハのヌード推しとセンスの無い邦題(副題)のせいで全く違う層のターゲットに訴求してしまった感があり、そりゃ「意味不明」って言われますわ。「ちょっとマニアックなオタク向けのSFですよ!」って言ってりゃ良かったのに。
そりゃスピーシーズみたいなエロティックSF求めて観た人がいきなりこんなヘンテコ激渋SF見せられたら、評価下げるわ。自分がその立場なら冒頭で「?」が脳内侵略し尽くすと思う。
「捕食」って言葉を副題に入れちゃってるけど、冒頭のシーンと中身吸われた後の描写も鑑みれば、男達の中身を何処か(母星?)に「送ってる」んだと思うし副題がミスリードし過ぎです。
この映画の評価が日本でイマイチなのは完全に配給会社のミスです。悔い改めてほしい。
あと蛇足だけど、これは語らないとって事で、スカヨハのヌード。
僕は好きです。あの締めきれていない感じの、ちょっとだらし無い身体、良いなぁ、、、。
むー
映像と音楽はいい。
不安にさせる、何かが起きるんじゃないか、という感じが凄くする。
ただし、映画の中で説明はいっさいなし。
たんたんと進んでいき、終わります。
解説とか見て、なんとなーく分かる感じ。
これははまれる人はどっぷりな作品なんでしょうね。
僕は微妙でしたw
劇場で観てたら激怒していたかもしれません
不安を誘う音楽や、黒い液体に沈む映像、吸われて?皮一枚になる映像、スコットランドの森の映像など一部分を切り取ってみれば「いいな」「斬新だな」と思えるところはあるのですが・・・
話はさっぱり分かりません。バイクの男の人は仲間(地球外生命体)だったんでしょうか?別にいなくても物語は成立しているような気がしますが。思わせぶりに何度も出てくる割に絡みがないので消化不良でした。
あと、最後のスキンを脱ぐところが安っぽい(ここはお金使うとこでしょ!)。
そしてスカーレット・ヨハンソンの裸が予想外にイケてなかった・・・
重く厚い雲に覆われ
重苦しい空気と不気味なBGMの中、淡々と目的を達成していく主人公。
表面的な繋がりだけに終始すれば良かったのに、相手の心に深く入る事を知ったばかりに…。
人の心まではそう簡単に奪えないのです。
こんなふうに解釈してみました。
スカーレット・ヨハンソンがヌードに!ということで話題になった映画でしたが、映画.comの平均評価は2.7、レビュー欄を見ると「抽象的」とか「意味がわからない」とかいった感想が批判的に書かれているのが多いようです。
僕も序盤は思わせぶりな音楽(?)や、「どや!オシャレやろ!」と言いたげな映像が鼻についたりしましたが、トータルではなかなか良かったなと思いました。
ちなみに僕はこんなふうに解釈してみましたよ。
まず、この映画の主人公を、例えば「援交をする女子高生」に置き換えてみたらどうでしょう。するとけっこう最後まで違和感なく展開が受け入れられるかと思います。
スカヨハ演じる主人公は、エイリアン。人間の営みが、まだよくわかってません。
教えられたか学んだかは不明ですが、「女の肌」をエサとして、男を食い物にしていきます。
男たちは滑稽なくらいにホイホイ寄ってきて、彼女はそいつらを骨抜きにしたり、頭を痛くさせたり、時には子供(家族?)を泣かしてしまったりもします。
そんななか、いつものやつとは違う種類の男と出会い、初めての戸惑いを覚えます。
また別の男に優しさを与えられ、それに応えようともしてみますが、そのためには「異物」を自分の中に受入れなければいけないことに驚き、逃げ出してしまいます。
その次に出会った男も親切そうではありましたが、やはり気づけば「女の肌」が目当てのゲス野郎でした。
そんなのヤダ!と本当の自分があらわになってしまった途端、男は豹変して自分を攻撃してきます。
「女の肌」によって人を傷つけてきましたが、その「女の肌」のために自分も傷つけられてしまいます。
その悲しさを知るのと同時に、燃え尽きてしまいます。
その煙は誰に見られるでもなくひっそりと空にのぼっていきますが、
降ってくるたくさんの雪に混じってまた、地面に落ちていきます。
その雪の粒の数くらい、同じようなことが、世の中には積もっているのかもしれませんね。
…というお話のように、僕は解釈しました。悲しいお話ですね。
冒頭で涙がポロリとこぼれた女性の屍体が、人間であれエイリアンであれ、きっと同じようなよくある境遇の女だったと考えると、より「繰り返し感」が増して切ないです。
その解釈が「読解として正解かどうか」は映画評論を仕事とする人達にお任せするとして、
その解釈が「自分にとって知恵や元気をくれるメッセージ」となれば、その映画を観るのに使ったお金や時間は、充分にモトを取ったんじゃないかと思います。
意味の理解が正解かどうかをゲーム的に楽しむのも、ひとつの映画の観方ですが、
映画の意味なんて、自分のいいように「付けてしまう」くらいでもいいんじゃないかと思いました。
すべての男は消耗品である
ヒッチハイカーを狩る女の話。
—
まるで消耗品のように、次々と狩られていくヒッチハイカーの男達。
居なくなっても誰からも探されない。代替可能な労働者。
搾り取られた後の用済みの姿、哀れで可笑しい。
そういった可哀想な立場なのだが、あまり気付いておらず、最後まで呑気。
—
狩る側の、女も消耗品である。
男を釣り上げる餌は、女の美しき外見・外側。
それが綻びたら、それこそ用済みで、焼却される。
女は、あることがきっかけで自我に目覚め、「私の外側ではなく中身も愛して」となるわけだが、外側で勝負してきた女の中身(under the skin)は、空洞で真っ黒だ。外皮があってこそである。
—
消耗品な労働者。消耗品な女性性。
そういった社会的というかジェンダーな問題提起。
原作にもその要素はあったが、映画の方がより鮮明に付け足されている。
映画冒頭、ハイウェイ沿いに打ち捨てられた無名の女が出てくる。
彼女は、狩る女(S.ヨハンソン)の前任者なのか、普通の地球の女なのか。
どちらにしても、他にいくらでも代わりが居て捨てられた消耗品の無惨な姿。
映画の途中にも「地球の女たちも、お化粧して外側を磨くことにかまけているけど、それで良いの?」的な、わかりやすいフッテージが差し込まれている。
(個人的には、もっと色んな事をぼやかしても良かったのでは?と思う。)
「ジェンダーなSF」。
面白くなさそうな、観る気を削ぐような、まとめ方になってしまって申し訳ないが。こういった主旨の映画で、S.ヨハンソンが全裸になって美しいけれど、全くエロくないのは、当然っちゃ当然であるなあ。
—
ミッシェル・フェイバーの原作は、男を食用として狩る、何ともスプラッターな印象だった。
その雰囲気を一変させた映画の作り方が面白い。
特にサウンドエフェクト(街の音とか)がイイ。
本質的にはスプラッターな話を、殆ど血を流さずに成立させていて、なおかつ不穏な所がイイ。
枝葉末節を刈り込んだシンプルな構成ながら、アドリブを多用した映像のディテールが生々しい。
自然の雄大さは、原作を引き継いでいる。
消耗品な人々に相反するような自然の力強さは、美しくも残酷に感じた。
雰囲気はよかった
ボディスナッチャーみたいな映画かと思ったらそういうわけでもないようで、ヘンテコな映画だった。
男が水のなかに入っていくところや水中で身動きとれなくなるような映像は面白かった。
意味は全体的にぼやかされており、さあ読んでみろと挑戦状を差し出しているような作りではあるのだが、全体的な魅力に乏しく、読み取る意欲が湧かないし、読み取れたところでそれほど面白さに加算されるところも無さそうだ。
そういう意味で偉そうにすんな、と思わされ、イライラする。読み取らせたいならもっと面白くしろよ。宇宙人かなんかなんでしょ。
スカーレット・ヨハンソンの裸は肉付きがリアルで生々しさがあって、健康的だった。あと、雰囲気はよかった。
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