「こんなふうに解釈してみました。」アンダー・ザ・スキン 種の捕食 ウシダトモユキさんの映画レビュー(感想・評価)
こんなふうに解釈してみました。
スカーレット・ヨハンソンがヌードに!ということで話題になった映画でしたが、映画.comの平均評価は2.7、レビュー欄を見ると「抽象的」とか「意味がわからない」とかいった感想が批判的に書かれているのが多いようです。
僕も序盤は思わせぶりな音楽(?)や、「どや!オシャレやろ!」と言いたげな映像が鼻についたりしましたが、トータルではなかなか良かったなと思いました。
ちなみに僕はこんなふうに解釈してみましたよ。
まず、この映画の主人公を、例えば「援交をする女子高生」に置き換えてみたらどうでしょう。するとけっこう最後まで違和感なく展開が受け入れられるかと思います。
スカヨハ演じる主人公は、エイリアン。人間の営みが、まだよくわかってません。
教えられたか学んだかは不明ですが、「女の肌」をエサとして、男を食い物にしていきます。
男たちは滑稽なくらいにホイホイ寄ってきて、彼女はそいつらを骨抜きにしたり、頭を痛くさせたり、時には子供(家族?)を泣かしてしまったりもします。
そんななか、いつものやつとは違う種類の男と出会い、初めての戸惑いを覚えます。
また別の男に優しさを与えられ、それに応えようともしてみますが、そのためには「異物」を自分の中に受入れなければいけないことに驚き、逃げ出してしまいます。
その次に出会った男も親切そうではありましたが、やはり気づけば「女の肌」が目当てのゲス野郎でした。
そんなのヤダ!と本当の自分があらわになってしまった途端、男は豹変して自分を攻撃してきます。
「女の肌」によって人を傷つけてきましたが、その「女の肌」のために自分も傷つけられてしまいます。
その悲しさを知るのと同時に、燃え尽きてしまいます。
その煙は誰に見られるでもなくひっそりと空にのぼっていきますが、
降ってくるたくさんの雪に混じってまた、地面に落ちていきます。
その雪の粒の数くらい、同じようなことが、世の中には積もっているのかもしれませんね。
…というお話のように、僕は解釈しました。悲しいお話ですね。
冒頭で涙がポロリとこぼれた女性の屍体が、人間であれエイリアンであれ、きっと同じようなよくある境遇の女だったと考えると、より「繰り返し感」が増して切ないです。
その解釈が「読解として正解かどうか」は映画評論を仕事とする人達にお任せするとして、
その解釈が「自分にとって知恵や元気をくれるメッセージ」となれば、その映画を観るのに使ったお金や時間は、充分にモトを取ったんじゃないかと思います。
意味の理解が正解かどうかをゲーム的に楽しむのも、ひとつの映画の観方ですが、
映画の意味なんて、自分のいいように「付けてしまう」くらいでもいいんじゃないかと思いました。