「すべての男は消耗品である」アンダー・ザ・スキン 種の捕食 小二郎さんの映画レビュー(感想・評価)
すべての男は消耗品である
ヒッチハイカーを狩る女の話。
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まるで消耗品のように、次々と狩られていくヒッチハイカーの男達。
居なくなっても誰からも探されない。代替可能な労働者。
搾り取られた後の用済みの姿、哀れで可笑しい。
そういった可哀想な立場なのだが、あまり気付いておらず、最後まで呑気。
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狩る側の、女も消耗品である。
男を釣り上げる餌は、女の美しき外見・外側。
それが綻びたら、それこそ用済みで、焼却される。
女は、あることがきっかけで自我に目覚め、「私の外側ではなく中身も愛して」となるわけだが、外側で勝負してきた女の中身(under the skin)は、空洞で真っ黒だ。外皮があってこそである。
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消耗品な労働者。消耗品な女性性。
そういった社会的というかジェンダーな問題提起。
原作にもその要素はあったが、映画の方がより鮮明に付け足されている。
映画冒頭、ハイウェイ沿いに打ち捨てられた無名の女が出てくる。
彼女は、狩る女(S.ヨハンソン)の前任者なのか、普通の地球の女なのか。
どちらにしても、他にいくらでも代わりが居て捨てられた消耗品の無惨な姿。
映画の途中にも「地球の女たちも、お化粧して外側を磨くことにかまけているけど、それで良いの?」的な、わかりやすいフッテージが差し込まれている。
(個人的には、もっと色んな事をぼやかしても良かったのでは?と思う。)
「ジェンダーなSF」。
面白くなさそうな、観る気を削ぐような、まとめ方になってしまって申し訳ないが。こういった主旨の映画で、S.ヨハンソンが全裸になって美しいけれど、全くエロくないのは、当然っちゃ当然であるなあ。
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ミッシェル・フェイバーの原作は、男を食用として狩る、何ともスプラッターな印象だった。
その雰囲気を一変させた映画の作り方が面白い。
特にサウンドエフェクト(街の音とか)がイイ。
本質的にはスプラッターな話を、殆ど血を流さずに成立させていて、なおかつ不穏な所がイイ。
枝葉末節を刈り込んだシンプルな構成ながら、アドリブを多用した映像のディテールが生々しい。
自然の雄大さは、原作を引き継いでいる。
消耗品な人々に相反するような自然の力強さは、美しくも残酷に感じた。