その夜の侍のレビュー・感想・評価
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何もかも分かる必要はない
一筋縄ではいかないが、思い返す度に不思議と味わいのある映画だった。スッキリしない、だがそれが良い、そんな映画だと思う。
「その夜の侍」の主人公は勿論中村なのだが、裏主人公は加害者である木島である。
妻・久子を亡くし「平凡な日常」から締め出された中村が「平凡」を取り戻す物語であると同時に、全力で「平凡」を築き上げて来なかった木島の孤独の物語だ。
久子の事故を焦点として陰と陽のように向かい合う二人。この構図の妙が「その夜の侍」の醍醐味だと思う。
中村の話は色んな人がしてくれているので、私は木島の話をしよう。
木島は元々最低なサイコパスクソヤローなのか?
それはノーだとハッキリ言い切れる。
事故直前、しょーもない話をしている木島に対して小林は漫画を読みつつ適当に相槌を打っている。しかし、事故後出所してきた木島から小林が視線を外すことはない。
「注視していなくても問題ない」言い替えれば「ヤバくない」存在だった木島が、明らかに「目の離せない・ヤバイ」存在になったからだ。
日常から滑り落ち、平凡とは程遠い人生を歩まざるを得なくなった。事故を起こした後、「全力で平凡に」救急車を呼んだりしていれば木島はああはならなかった。それを小林の目線1つで演出仕切ったのも素晴らしい。
刑務所に入り、色眼鏡で見られ、支えてくれる人もいない。中村が「平凡」な世間話を出来ないように、木島もまた「平凡」な人間関係を築けない。恐れられていることを利用して粗野に振る舞い、遠巻きにされていることを目の当たりにして孤独に傷つく。
星が口走るように、「独りは嫌だから」。誰かと一緒にいるための手段が、平凡でない木島には「恐怖による支配」しかなかった、ということなのだ。
中村と木島が対峙した時、木島は何を思っただろう。全力で「平凡」を取り戻そうとする男に何を見ただろう。泥だらけで電話する木島は中村を見たとき、少し淋しそうに見えた。
多分中村だけが木島を恐れていなかった。中村だけが木島と普通の話が出来る男だった。きっとこれから中村は全力で生きていく。では、自分は?
木島が「平凡」を取り戻せるかどうかは木島次第だ。何となく生きていたのでは、「平凡」にはなれない。
中村の、渾身の助言を木島が活かしてくれたら良いな、と個人的にはそう思っている。
お前を殺して、俺も死ぬ
山田孝之演じる木島はある日、堺雅人演じる中村の妻をひき逃げして殺してしまう。
堺雅人が奥さんの服や下着をずっと抱いてたり気持ち悪かった。
山田孝之は徹底的なクズ役になってた
中村の妻以外にも田口トモロヲや新井浩文を殺しかけてた
綾野剛も新井浩文もいい役だった
特に綾野剛がいい人でかっこよかった
全体的に重たい話だったのだが、ラストは2人とも死なずにそれぞれの道を歩いていった
どうせならどちらかが殺されるというラストの方が似合っていたし、そっちの方が面白かった
とても悲しい映画だ。
全体通して惜しいところが数点あって、それはこの作品の元が舞台作品であるということ。
これを舞台で見ていたら本当に満点の大傑作だったはず。
舞台で見ていないのがとても残念。
つまり華美な台詞、美しい言い回しなどが全く映画では活きない。
台詞の言い方などもその中に入るようで、そういった言葉の使い方が少し鼻についた。
そして役者。堺雅人は堺雅人にしかならない。
それはやはり抑揚や話し方である。
もっと気持ち悪くていい。見たことのないくらいの堺雅人が見たかった。
それ以外は概ね完璧だと思う。
終盤の長いシーンは七人の侍のオマージュかなとか色んな想像を挟む余地がある。
ラストシーンの切り方もとてもいい。
ラストシーンについては監督の意見に納得する。
全くそのとおりだ。人間は割り切れない。
そんなに単純な人間がいるはずがない。
山田孝之の役もとてもよかった。
その夜の侍
最後まで見たら「なるほど。そうきたか。」という感じで感心しました。
映画のあらすじは、以下のとおりです。
主人公の中村は、交通事故で妻を失った喪失感と怒りからひき逃げした木島を殺すことだけを目標に生きているだけの日々を過ごしていた。
木島を付け回し「お前を殺して、俺も死ぬ」と毎日手紙を送りつけ、妻の残した最後の留守電を何度も繰り返し聞きながら、糖尿病気味で妻に留守電でも止められていたプリンを食べ続けている。
一方の木島はひき逃げで捕まり、5年服役して出所後、ひき逃げ時に助手席にいた小林の家に転がり込み、思うがままに暮らしていた。職場の同僚に自分の犯罪をバラされたと思えば、灯油を頭からかけて自白させる。SEXがしたいと思えば、道すがら交通整理の女を脅して犯す。
中村の脅迫の手紙に対しては、義弟の青木を呼び出して慰謝料や詫び状を要求し、中村の殺害決行日が近づいても手紙がおさまらないと仲間と山中で殺害を試みる。しかし、青木が恐怖のあまり失禁した尿が自分のズボンにかかるとやる気を無くし、小林に任せて帰ってしまう。
殺害決行の夜、木島は中村の影におびえることが面倒になり、雨の中を家から飛び出し、中村に出て来いという。中村は包丁を手に現れ、真正面から木島に向かい対決する。木島も包丁を持っていて中村を殺そうとするが中村に「殺せ。2人目を殺せば死刑になる」といわれて逃げ腰になる。中村は殺させようとするが、木島は殴りながら逃げ続け、互いにそのまま疲れ果てる。
翌日、中村は留守電を消去する。
あらすじは以上です。
中村は木島に対し、「おまえは本当にただ何となく生きている。」「おまえは何の関係もない。」といっています。
中村は、木島を観察しながら決行日前日に気晴らしホテトル嬢と一夜を過ごします。勃起できない中村を無視してカラオケをしたり、キスをしても何の感情も示さないホテトル嬢にこの仕事を「暇だから」やっていると言われて、泣いているのか笑っているのか、頭を抱えるシーンがありました。
最愛の妻をなくした喪失感と怒りで狂った自分を抑えられず苦しんできた。それに比べて、その犯人やホテトル嬢は何も考えずに何となく生きている。何でこんなに自分は苦しんでいるんだと虚しくなったように感じました。
狂気の種類が違いますが、佐世保女子高生殺害の事件や先日の名古屋大学女子大生の事件の犯人とダブってしまいました。
あと、こんな中身のない木島に寄り添う人々がいました。
先日まで私の近くにも、中身のないペラッペラの人間を信奉する人々がいました。
危険が日常に潜んでいると感じた映画です。
役者たちが軒並み良い
主人公の健一(堺雅人)は、妻を殺されたという思いからひき逃げ犯である木島(山田孝之)に復讐をしようとする。刀を包丁に見たて、クライマックスの夜まで毎日のように復讐宣言を木島に送りつける。妻の仇討ちを決意する侍ということだろうか。
しかし、健一は侍のように、ストイックでもなければ、それを成し遂げることもない。
健一が心の中で求めているのは、復讐よりも「何気ない会話」「他愛もない話し相手」である。
ひき逃げ犯である木島は、とんでもないクズである。健一の妻も、木島がすぐに救急車を呼べば助かったのかもしれないが、友人の小林(綾野剛)が通報しようとするのを止め逃げる。結局、ひき逃げ事件で5年間、刑務所ぐらしを送るが、出所後も反省の色はない。「自分の過去を周囲に言いふらした」と」言いがかりをつけて、知人(田口トモロヲ)を焼き殺そうとする。警備員として出会った由美子(谷村美月)に対しては、半ば強引に肉体関係を迫り、彼女の家に転がり込む。
ところが、こんなクズな人間にもかかわらず、なぜか周囲の人間には魅力を感じさせる。木島に魅力を感じる人間達は、健一と同じく孤独な人間であり、木島のようなアクの強い人間に振り回されながらも、その事で生きている実感を得るようだ。
健一もまた、妻をなくす前は、何処か魅力がある人物なのだろう。
亡くなった妻の兄・青木(新井浩文)は、健一が立ち直るように世話をし続ける。健一の経営する工場では、佐藤(でんでん)や久保(高橋努)が、仕事をサボってばかりの健一に文句も言わず、黙々と働く。木島の周囲にいる人間と違って、健一の周囲にいるのは、「他愛のない話」をすることの出来る人達だ。それは、後輩を居酒屋に連れて行き6時間説教する久保に代表されている。
そんな健一の周囲が心配するのをよそに、健一は復讐にだけ執着する。しかし、前述したとおり、健一の喪失感を埋めるのは、復讐ではなく「他愛もない話し相手」だ。妻の「最後の留守番電話のメッセージ」を毎日聞いて過ごすのは、妻の他愛のない話が、その留守番電話に残されているからだ。また、ホテトル嬢(安藤サクラ)を相手に、セックスが出来なくても延長料金まで払って一緒に居たかったのも、他愛もない話がしたかったからだろう。
だから、クライマックスで木島との「決闘」でも、健一は結局、復讐を遂げることなく他愛もない会話を木島に求める。
木島との決闘の末、健一は、妻の留守番電話のメッセージを消去する。もちろん、そんな簡単に健一が立ち直るはずもない。きっと、物語が終わった後も、健一は悶々とした日々を送るだろう。監督はそんな安易な結論を提示するつもりはない。決闘の後に健一は、偶然、青木が紹介した女性(山田キヌヲ)と出くわす。しかし、その女性は健一が雨の中でびしょ濡れになっているのに、車に乗せるわけでもなく、傘を差し出してラーメンを食べに行ってしまう。安易なハッピーエンドを用意するつもりなら、そこで車に乗せて、その女性との未来を感じさせるだろう。つまり、監督はそんな安易なストーリーを作るつもりはないのだ。
しかし、木島と向き合い、妻のメッセージを消去したことで、何か変化があるのだろう。それは、糖尿が悪化するからと妻に止められていたプリンを食べるのをやめる事かもしれない。ごく小さな変化かもしれないが、何か変わる。
そんな小さな日常の違いを敏感に感じさせる作品だ。
本作に出てくる役者陣達がみんな良い。正直いって、ストーリーとしては好きなものではなかったが、役者たちが良いので救われた。
主人公の堺雅人も熱演しているが、特にいいのが、クズである木島を演じた山田孝之だ。どうしようもないほどクズなのに、何処か魅力ある。クズっぷりが凄いだけじゃなく、周囲を振り回しても離れさせない男を見事に演じている。木島をしっかりと演じられなければ、成立しない作品だ。
綾野剛、新井浩文、高橋努、山田キヌヲなど、脇の役者達もとても良い。カラオケで「三日月」を悦に入って熱唱するホテトル嬢として登場した安藤サクラが、ちょっとした役どころだが、強烈な印象を残した。
役者たちの良さを引き出した監督の腕なのだろう。
余韻が・・・
見て、ああ。こんな終わり方なんだ。とストンと入ってくる方とピンとこなかった方といるみたいです。私は結末から、しばらく悶々と考えさせられました。
人の露骨な悪意に不快になった方もいらっしゃるみたいですが、私はあまり気にならなかったです・・・。むしろ悪意や汚い部分が作中でほんの少し垣間見ることができる平凡で他愛ない会話とか、思いやりとか、そういうもの引き立てていたように感じます。
復讐劇ですから殺意や悪意が中心にあるように見えて、実は何気ない思いやりや日常が大事なんだということを教えてくれる映画だったような気が私はしました。
中村は理不尽に妻を奪われて、なんとなく虚無感とぽっかり何かが無くなったような気持ちを埋めるために妻の生活の痕跡を消し去ることができなくて。このぽっかり胸に空いたなにかっていうのが何気ないけど幸せな中村の日常だったんじゃないかなあ。と。
それは木島を殺そうと決意をしてからもやっぱり心にいつもあったことなんだと思うんですよね。木島はなんとなく生きてる、と言われますが、なんとなく生きるっていうのと何気ない日常ってそれなりの努力をして手に入れる平和な生活と、なにもしないでただ過ぎて行く生活で似て非なるもので、ある意味で中村は木島に近い生活を妻を無くしてから続けてるとおもうんです。
でも、色々な人からの思いや言葉を受けてその中で少しずつ前を向こうともがき始めて、中村の目指すところは新しい、他愛ない平凡な生活なんだろうな、と思いました。
うまくまとまりませんでしたが、中村の心の動きだけでなく、特に山田孝之さん演じる木島も暴力的で熱しやすく冷めやすくまた空虚な良いキャラクターとして描かれています。
どんな方でも一度見てみてそれで気に食わなければ二度と見ない。もしそれで少しでも私のように心に響く方がいればなあと思います。
対決
この作品を観終わった後、あんまりスッキリしなかった人はいると思う。
確かに、復讐劇なのに、結局殺せなかったのはちょっと腑に落ちない所はありました。全編を通して、最愛の妻を奪われた男が、「あなたを殺して私も死ぬ」と復讐だけを心に誓って生きてきたことを現していたのでそう思うのも無理はありません。しかし決行日が近付くにつれ、復讐はしたい、でも、平凡な生活を送りたい、と思うようになり、決行日では木島に「他愛のない話をしたい」と包丁を持ちながら言ったのは、まさに中村の心の状態を現していると感じた。
木島は、人に暴力を振るいながらも、内心は中村に怯えていた。彼もまた平凡な生活を望んでいたのかもしれない。
そんな男2人の対決シーンは、己の矛盾との対決であるようにも思えた。
その夜の二人
ひき逃げ事件で、被害者と加害者になった二人の主人公の物語。加害者 山田孝之への被害者 堺雅人の復讐劇かと思いきや、そうではなかった。
堺雅人演じる健一は、亡くした妻の下着を持ち歩き、彼女の最後の伝言を消せずに、事件を引きずっている。一方、加害者木嶋は、釈放後、ダラダラと日々を送り、悪辣の限りを尽くす。二人の人間模様が、対比されながら、徐々にクライマックスを迎える。
しかし、タイトル「その夜の侍」に反して、復讐の夜にはならなかった。復讐は、本気ではなかったのかもしれない? 健一は、過去から決別し、新しい人生を歩みはじめた。妻の死から5年経っていた。一方、木嶋も復讐の夜を終えて、何かが変わった。クタクタになりながらも、夜の闇に消えて行く姿は、印象に残る。
果たし状のカウントダウンを軸に、主人公二人が、相対的な関係でストーリーを展開していく、戯曲的で非常に面白かった
狂気と狂気の狭間で翻弄される人間たちの業
『南極料理人』『クヒオ大佐』『鍵泥棒のメソッド』etc.飄々とした2枚目役でお馴染みだった堺雅人は今作では一転、妻の死をいつまでも引きずる冴えない中年男の心の闇をディープを表現し、新境地を開拓。
一方、反省のカケラどころか手当たり次第に友人・知人に暴力を振るい、巻き込みながら自暴自棄に転がる山田孝之も理性を超えた闇の血生臭さを投げつけてくる。
お互いの狂気に触れた孤独が対峙した時、タイトルの名に相応しい壮絶な一騎打ちを想像し、固唾を呑んでいたが、思いがけない決着に肩透かしを喰らう。
問題点に何一つ解決していないサゲに首を傾げる後味の悪さに戸惑うが、弱味にもがく人間の醜さ、愛おしさを受け入れる世界観は、悲惨でも笑ってしまうシーンが数多い。
ラブホテルやパブ、キャッチボールetc.での何気ない会話のギクシャクしたやり取りが妙に心の琴線をくすぐる。
鬱の狂気が堺雅人、
対する山田孝之は躁の狂気。
双方の狂気に挟まれ、右往左往する一般人が常軌を逸していく過程を嘲笑う視点は、立川談志師匠の落語に通ずるイリュージョンを体感したような見応えだった。
新井浩文しかり田口トモロヲしかり谷村美月しかり
そして、綾野剛しかり
いわゆる《人間の業の肯定》ってぇいう哲学である。
雨が効果的に盛り込まれており、『らくだ』のウマさんが現世に産まれていたら、こんな残酷な騒動になってまうんやろな〜と感慨深く見守ると哀しみの涙よりも笑いが凌駕し、無性にプリンが食べたくてたまらなくなった。
バレンタインは義理チョコより義理プリンをリクエストしたい心境で、最後に短歌を一首
『拭う汗 プリンかき込み 殴り雨 向かう刃は チンケな平凡』by全竜
最高傑作!!私の人生観を変えました!!
私は、最初この映画を見ようか、とても怖いもののようで迷っていました。しかし、見たら、もう夜も眠れないくらい、感動して、もうたまらずレビューを書いています。これは、人生観そのものを深く考えさせられるドラマであり、ぜひ、みんなに見ることをお勧めしたいです。
主人公は、最愛の妻をひき逃げされ、ずっとトラウマから抜け出せず、ただ復讐だけ考える脱け殻のような人生に見えます。しかしながら、復讐相手をずっと観察してゆくなかで、その犯人の生きざまを記録していくなかで、復讐心から哀れみの心に変わったのである。犯人に人生そのものの生きざまを提起してゆくのである。殺したい相手を哀れみ愛していくなかで、解かれて行く復讐の思い。
私たちは、愛せざるものに、ひたすら愛したくない思いを抱きます。しかし、愛して、哀れむ心の素晴らしさ!を教えてくれました!最高傑作です!!
なんとなくをしっかり演ずる俳優。
もとが舞台劇、その舞台作品で主演を兼務していたのが監督で、
今回主演に堺雅人・山田孝之を迎えて映画化したということだ。
舞台劇…ということで、あまり映画らしさは期待していなかった。
さすがに練られた脚本と台詞の数々、エッ?と思うような描写が
長回しで入ったりと確かに舞台らしさはあるが、私には思うほど
台詞充満の舞台感がなかった。むしろ、それだけの台詞を吐かせ、
思わせぶりな行動を延々ととらせながらも、しっかりと余韻を残す。
俳優各々の力量の成果もあれど、映画らしさは損なわれていない。
徹底的して悲哀と虚無感に固執した演出だったそうだ。
その虚無感は、主演二人のインタビューからも感じられるように、
これでもかこれでもかと俳優を追い詰め、絞った雑巾になるまで
山田君を雁字搦めにしたそうだ。でも、ちゃんとそれに応えている。
堺雅人はもともと舞台で活きたい人だったそうだ。
それを断念した(そんなことないのにねぇ)自分にとって、舞台作の
主演を演らせてもらえることがこの上なく嬉しいと語っていた。
私もよく言っているが、舞台と映画はのり代から違うものだと思う。
なので例えば舞台出身の俳優さんが、また舞台へと立ち戻るのは
やはりあの世界が恋しくて恋しくて(爆)堪らないのだろうな~と思う。
山田孝之は初めての演出にかなり戸惑ったそうで、
監督のいうことが全く分からなかった、理解できなかった、もっと
どう演じれば納得するのか自分を追い込み、ヘトヘトになったらしい。
でもその成果は…しっかりと出ているぞ!さすが山田くん。
彼の演じる木島という冷血な人間性が、彼にしか出来ないだろうと
思えるほどの迫力で観る者を圧倒する。堺演じる中村の妻(坂井)を
轢き殺して、平然とサバの味噌煮と渋滞の話をするのにゾッとした。
(なんとなく生きている)彼には、もう人の死すらなんでもない。
妻を失って以来(なんとなく生きてきた)中村も同様、もう死んでいる。
人間は、大切なものを失って初めて自分の本来の姿に気付くのか。
今までの自分は平凡で他愛のない会話や生活を、こんなに幸せだと
感じることがあっただろうか。自分の身を案じてくれる人の助言を
無視して愚行を続ける自分を支えてくれる人の大切さ、今作では
残念なことに中村と妻の日常はほとんど描かれない。しかしそれは
5年もの間、骨壷と共に卓袱台に置かれた留守番電話の録音テープが
(坂井の声で)繰り返し繰り返し反芻する。他愛なく幸せだったのだと。
中村の生き方にも木島の生き方にも、広く言えば出演人物誰にとて、
共感物質を抱けない、そんな映画である。
何なんだこいつは、どうしてこいつと離れないんだ、なぜ頭を下げる、
あんな奴サイテーじゃないか、早く殺してしまえ、何をモタモタしてる、
頭の中・心の中で悪魔の声が聞こえてくる…(爆)
その夜の侍。と銘打ったタイトル通り、決行日の夜、土砂降りの中で
包丁を抱える中村がとった言動とその意味とは…。
ラストの描き方の賛否が分かれるようだが、私にはスッと入ってきた。
妻のテープを消したこと。この復讐は、あくまで中村の話だったのだ。
プリンぐちゃぐちゃはまぁ…^^;異論あるだろうけど、
あの中村の決断、分かる(身に沁みた)人もいるんじゃないだろうか…。
孤独すぎて、もう何も感じなくなっている人が多いらしい。
平凡ってのは全力で築き上げるもの?…確かにそうかもしれない。
しかしこのご時世、頑張っても頑張っても報われない毎日を生きるのが
当たり前になり過ぎて、それで参ってしまってる人も多いんだろうな。
恐怖に支配される(木島にくっ付く)人間たちもそんな一片かもしれない。
でも中村にしても木島にしても周囲には恵まれているじゃないか。
虚無感でごまかしているのはむしろ自分の方で、誰かのために尽くす
(大きなことはできなくてもいいのだ)ことで関わりが生まれ、信頼感が
根付くという嬉しい始まりだってある。まずは自分から歩みださないと。
おそらく木島はこのままだろう…(汗)
そんな彼を演じ切った山田くんに拍手を贈りたい。
堺雅人が巧かったのは言うまでもないが、圧倒的に好敵手の力が大きい。
ブスを演じさせたらもはや右に出るものはいない安藤サクラにも拍手を。
(観ている間は映画だったけど、観終わると舞台の達成感が伝わってくる)
整理できない気持ち。
まずは、タイトル「その夜の侍」。
「侍」って・・・ 一体いつ出てくるんだろう??と疑問に思いながらの鑑賞だった。
ひき逃げで殺された妻の復讐劇と解説にはあった。
一応そうなんだけど、監督が言いたかったことは、もっと違うことだったと思う。
鉄工所を経営する中村は、5年前に妻をひき逃げで殺された。
未だに、気持ちの整理ができず、留守電に残された妻の最後の言葉を、繰り返し繰り返し聞き、毎日をなんとかやり過ごしている。
一方、ひき逃げ犯の木島は、反省どころか、同僚に対する暴力、中村の義兄に対する暴力、始めて会った人にも難癖をつけ、イイ思いをする男。
理由なんてない。
暴力の衝動を抑えられないのだ。
自分さえ良ければイイのだ。
分厚い眼鏡の底から、何を見ているのかわからないような中村を演じた堺雅人さん。
無気力で無責任で、動物のような暴力男を演じた山田孝之さん。
二人の比較、存在感が秀逸であった。
そんな二人の対決が、激しい雨の夜に迫る。
この豪雨の中の対決シーンは、見事だ。
「侍」は、ここにいた。
劇中、この人は、こんな人だよという説明は一切ない。
人間って、その時の状況や関係で、変わる生き物なのだ。
常に変化しているのだ。
何時まで経っても、整理できない気持ちも、いつかは・・・ 何かのきっかけで・・・。
暴力と復讐だけの物語ではない。
そこかしこに、妙にバカバカしくて笑ってしまったり、脱力感もあったりする。
俳優さん達の力を実感した作品だった。
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