希望の国のレビュー・感想・評価
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失望
園子温監督の「冷たい熱帯魚」に衝撃を受け、注目していたのですが、今作は本当にガッカリな作品でした。ガッカリ度合いは、映画レビューサイトでこの作品について低い評価をされている方々のコメントを読んでいただければ、私の気持ちはほとんど代弁されているので割愛しますが、そんな低評価群の中でも、この点に突っ込まれているコメントを発見できなかったので、自分で書いてみることにしました。
映画の中で、こんなセリフがでてきます。
「一歩二歩三歩なんて今の日本人にはおこがましいですよ、これからは一歩一歩一歩一歩一歩ですよ。」
このセリフに感銘を受けている方も多く見られたのですが、私には、まったくもって謎なセリフでした。
なぜ「おこがましい」のか?さっぱりわかりません。
災害に見舞われたのに「おこがましい」とは?さっぱりわかりません。
まるで、何か悪いことをした結果、現在の惨状(地震・津波)が起きたかのような物言いに激しく違和感を感じました。
しかも、「日本人」という他人事な物言いにも違和感を感じました。
「このセリフが印象的だった」と好意的なコメントをされている方達の中には、「一歩二歩三歩なんて今の『私たち』にはおこがましいですよ、…」と、セリフを間違って記憶されている方も散見されました。
それほど、このセリフにハマるのは、『日本人』という言葉ではありません。
なぜわざわざ『日本人』と特定的な表現を選んだのか?
激しく違和感を感じるセリフでした。
それまでも感情移入などしていませんでしたが、このセリフが出てきてからは、穿った見方しかできず、尚のこと、この映画から感情が遊離していきました。
映画もメディアの一種と考えれば擁護するのも仕方ないのかもしれませんが、
「テレビは嘘をついていない。医者が嘘をついているんです。
(だから悪いのは、メディアではなく医者)」
といった意味合いのセリフにも激しく違和感を感じました。
そんな詭弁をよくも堂々と言って退けたものだと。
iPS細胞虚偽の森口氏の事件もホヤホヤなだけに、頭の中が疑念でいっぱいになりました。
こうなってくると、やたら「杭」に何かの象徴を求めようとする演出まで、穿った見方が湧き上がってきます。
「メディアの責任」はあると思います。
園子温監督も、自分の作品に責任をもつべきだと今回は感じました。
注目していた監督だけに、本当にガッカリです。
正直、「希望の国」は、園子温監督の作品だから見ました。
何の下調べもせず、文字通り「園子温監督の作品だから」見たのです。
今後は「園子温監督の作品だから」見ないかもしれません。
それぐらいガッカリました。
現代の神話
この映画は「脱原発」の映画ではない。
目に見えない、得体の知れないもの。
それでいて、巨大で、邪悪な力。
そんなものが現実に現れたら、そんな現代の恐怖とどう対峙するのか?
初老夫婦やその息子夫婦、若い恋人たちと3つの形を描き出す。
最後まで、ぶれなかった初老夫婦が素晴らしい。
静かなる愛情と、弾けるような熱い愛情が二人を包む。
夫役の夏八木勲が見事に、真のパターナリズムを演じきった。
最後の場面などは、クリント・イーストウッドと2重写しになった。
認知症の妻役の大谷直子も素敵だった。
「とうちゃん、帰ろうよ」が口ぐせ。
そして、帰っていった場所でのだんなと二人きりの盆踊り。
なんて幸せな場面なんだろう。
身ごもった若い妻は、放射能恐怖症に。
でも、二人の赤ちゃんのためならなんだってするという彼女を、
誰が非難できる?
そんな確信の前では頼りない夫は、迷いながらも従っていく。
若い恋人たちも、普通だったらこんなにカッコよくはなれないはずだ。
彼女の両親を探していく過程で、感極まって言う。
「戻るんじゃなくて作り上げていこう。俺と結婚しよう」と。
共通の敵が存在すると、二人の関係・愛情は強まる。
逆説的だけどそれは本当だろう。
それが永遠に続くことはないだろうが・・・
(永遠にしてのが老夫婦かもしれない)
現代の神話といった評論家がいたが、いま、それを超える言葉を知らない。
園子温監督は、この「希望の国」で、
原発の是非を超えた現代の神話を描き出したと言えるだろう。
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