希望の国のレビュー・感想・評価
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絶望の国
園子温が描く、震災後の日本。
監督の現状に対する訴えたい事は分かる。原発問題への怒りも分かる。タブーに挑んだ意欲は素晴らしい。
が、何もかも過剰にしか思えなかった。
僕は福島県内の原発から数十キロも遠く離れた街に住んでおり、放射能値も極めて低い。生活に何の支障も無い。
しかし、映画では、放射能は目に見えないだけで身に迫っており、若夫婦は生まれてくる子供を案ずる為とは言え、防護服を着て、比較的放射能値が低い所でもガイガーカウンターを持ち歩く。
震災後、原発区域からは避難しても県内に留まり生活を続けている人は多くいる。中には、子供を抱えた若夫婦もいる。
映画では子供の事や身を案じない者はおかしいとも言っていたが、防護服を着て、常にガイガーカウンターを持ち歩く方こそ異常だ。
今も住み続けている人たちに対する侮辱だ。
また、避難しなかった老夫婦の末路。
ああでなければいけなかったのだろうか。
これじゃあ「希望の国」ではなく、「絶望の国」だ。
悲劇を忘れてはいけない事実への戸惑い
大地震による原発事故が原因で離散してしまった一家の絆を問う物語。
邦画界屈指の鬼才の最新作ゆえに期待したのだが、戸惑いばかりで評価に困ったのが本音だ。
舞台は架空の地・長島県。
大地震・大津波・そして、原発事故という災害3重苦は、誰もが福島県の悲劇を基盤にしているのは明白である。
しかし、冒頭から東日本大震災での福島パニックがニュースで引用されており、長島県が何処に在り、現在の何年後に起きた地震なのか??
漠然とした疑問の波が降り注ぐ。
主人公一家の言動も解せない。
非難した息子夫婦は待望の妊娠を迎えるのだが、放射能に怯え、ナーバスになる。
心配するのは解るのだが、奥さんが満面の笑みで防護服を着て買い物や定期検診に出掛ける表現は、どう考えてもやり過ぎ甚だしい。
放射能に過剰反応する夫婦の滑稽振りを笑えって事なのか?
ギャグとしても社会風刺としても温度差が酷い。
違和感が喉につかえて仕方がなかった。
福島でのトラブルが未だに現在進行している今だからこそ、フィクションとして割り切って受け止めるのは不可能である。
マスコミ報道を信用してはいけないというメッセージやとは頷く一方で、あまりにも露骨過ぎではなかろうか?と憤慨している自分にも気付く。
故に、町に留まる老夫婦に興味のベクトルを向けざるを得ないのだが、夏八木勲演ずる主が頑なに退避拒否を貫く理由が解らず、いきなりつまずいてしまう。
痴呆症の進む妻の身を案じているのなら、非難するべきに越したことは無い。
妻を単なる持ち駒の一部としか考えてないのか?と苛立ちすら覚えた。
では最後に短歌を一首
『霧の杭 打たれて想う 故郷の 揺らぐ絆を さざ波に問う』
by全竜
2時間の俳句
暑さも喉元を過ぎれば忘れ去るのは人の世の常、しかし当事者には永遠の出来事
「ヒミズ」では、園子温監督はDVを親から受け、愛される事を知らずに育つ人生の苦境の中でしか生きる事を知らない主人公の青年が、思い余ってその親の暴力に報復し、殺害するも、最後は罪を償う決心をして、再生する青年の姿を描き、そしてその青年を信じて待つ高校生の純愛を描いていて、素晴らしい作品だと感動したのに!一体今回のこの作品では、何処が、「希望の国」と言うタイトルを付けるに相応しい作品だと言えるのだろうか?彼らの生活の中の何処に、希望が描かれていると言うのだろうか?特にラストは最悪、悪夢そのものである!
子供の出産を控えた息子夫婦には、未来の象徴である子供の命を授かると言う事、それのみが、妊娠したと言う事のみが、希望と言う事なのだろうか?
この若夫婦を愛して止まない初老夫妻は、最後に自分達の愛の殻に入り込む様に共に数十年を暮して来た家の庭で心中するこのラストの何処に希望をみる事が出来ると言うのだろうか?
自分の命より何より息子夫婦の将来とこれから生れて来る孫を愛おしく思う初老の父が認知症を患う妻との愛を貫く為に自死の道を選択する事には大きな矛盾が有り、作者である園子温監督の意図する事が理解出来なくなる作品だ!
被爆恐怖症に陥っても尚懸命に出産を待ちわびる若夫婦には、被爆汚染の心配の少ない、親の住む家から遠く離れて、安全と信じる事が出来る遠くの地域へと移り住む選択を最終的に決意する事は、他に選択する余地すら無い彼らの苦渋の決心だ。その決意を固めた夫婦の親が、故郷で自殺した事を後にこの息子夫妻が知らされたなら、この若夫婦はその後の人生で、被爆以上の重荷を背負わされる事になるのだ。
現実に震災で被災された方々の中には残念だが、自らの命を絶ってしまう方がおられるのも現実だろうし、それもその方の個人的な事情や生れ育った環境や、その人を取り巻く生活に状態に寄り、生きる選択をするか、死の道を選択するか、どちらの未来を選ぶ事をされるかは、その方の個人的な判断によるもので、他人がどうこう言えるものではないし、言う資格も権利も無いのだが、ドキュメンタリー作品では無く、フィクションであるドラマなら、このラストを映画として描く意味があるのだろうか?
私の親戚に広島の原爆で夫である一家の大黒柱を亡くし未亡人となり、乳飲み子を抱え戦後の混乱期を必死で生き延び、立派に亡き夫の子供を育て上げた女性がいる。
時には、人生死んでしまった方が楽な事も現実には有る、しかし、どんなにか辛い事が有っても生き延び無くてはならないと思う。それこそ、自分が生かされた大切な自分の命を守り抜く事こそが、亡くなった人への供養で有り、遺された者は、亡くなった方の人生の分も精一杯幸せに生きる選択をせねばならないのだろう。
日々生き延びていく事は、これ以上懸命には頑張りようの無い艱難辛苦だろう。でも生きていれば何時の日か、希望は巡ってくる事が有るかも知れない。その事を信じて生かされていなくてはならない。必ず死ぬ時は巡って来る。その時まで希望を信じて生かされる道を選ぶのだ!人間の生命も自然の一部である。人間の自由意志だけでは、決して自由には成らないのだからだ!映画ではそれを伝えて欲しかった!誠に残念な作品であった。
意義深い
園監督作品では「自分が不幸なのは親のせい」というメッセージが色濃く描かれていて、とても苦手だった。それが『ヒミズ』では、被害者意識から踏み出し自ら手を汚す事を選択する表現がなされていてとてもよかった。しかし今回の映画は、今まで親に責任をなすりつけていたのが、国や東電に代わり、また被害者意識や被害者の立場がテーマに戻ってしまい残念だった。
園監督には、もっともっと怒りを燃やしていただいて、国や東電にテロを仕掛けるような映画を作っていただきたいと切に思った。
震災と向き合った映画というから期待していたのだが、放射線被爆から避難する人が中心で、見たいテーマとは違っていた。
役者さんの演技は素晴らしく、震災の景色が映画として残る事は非常に意義深い。
園監督作品みるの2本目…
‘自殺サークル’以来に観た園作品。
どの作品も話題になり、評価も高いのですがイマイチとっつきにくい雰囲気があり…結構スルーしていました。
震災後、誰もが考えさせられている原発問題。
こんな事故になることは一切考えもしなかったから原発を導き、共に過ごしてきた人たち。おそらく、こんな事故は微塵も考えなかった人の方が多かっただろうな…。
自分は何もしていないのに、ある日突然住む場所を奪われ、近しい人と離れ離れになることや、原発を恐るあまり過剰に防御してしまう人、どれもこれも、どこで間違えてこうなったのか、追求のしようのない問題ばかり描かれていました。
泣けるというよりは深く考えさせられる物語でした。
それに加えて、大谷直子さん、久々に見たのですがうまいですね〜。
感動した。・゚・(ノД`)・゚・。
単純な脱原発映画じゃない。
これは園監督流のメロドラマであり、そして震災以後の日本を描くに当たって園監督が辿り着いた結論。
『愛のむき出し』『冷たい熱帯魚』『恋の罪』『ヒミズ』と、一貫して親との確執、親子の殺し合い、そして家族崩壊を描いてきたけど、今回はそれに反比例するかのような家族愛、親子愛、夫婦愛をこれでもかと前面に出してる(・∀・)イイ!!
またその愛情描写が、これまでの映画で描いてきた憎しみの裏返しと言ってもいいくらいの過剰な親子愛、夫婦愛∑(゚ω゚ノ)ノ
やっぱり震災、そして原発事故というのっぴきならない大災害を目の前にすると、普段は反目しあってても寄り添いたくなるもんなのか。
また立ち入り禁止区域を定めた看板と境界に設置した塀の何とも冷たくて無機的なこと(;´∀`)
それまで自由に出入りできてたのが、政府は情報をひた隠しにして無理やり境界を作ってその無機的な塀で住民を断絶する。
田んぼと畦道が広がってる場所に無機的な冷たい塀が横断してる風景は、それだけで何とも言えない不穏な空気が漂う。
夏八木勲も、退避命令が出たにも関わらず頑として家を出て行こうとしないのも、郷土愛なんかじゃない。ここにじいさんと親父、そして俺たち夫婦が植えた木がここにあるからだ。これを見捨てることは家族を見捨てることだと言う。
しかし息子夫婦にはここを出ていくよう促す。
俺たちは老い先短い。だがお前ら夫婦はこれから子供を産んで育てなければならない。だからここにいると危険だと。
そして大谷直子は認知症を患っていて、急に外に出たらどうなるか分からないという危惧もある。
神楽坂恵は妊娠してから放射能汚染を必要以上に気にして、宇宙服と見まがうばかりの重装備で日常生活を過ごす。
確かにギャグ描写ではあるけど、最初あれだけ放射能汚染を気にしてた住人も喉元過ぎれば熱さを忘れる。
ここに福島第一原発のメルトダウンで放射能被ばくを最初気にしてたのに今となっては誰もそんなこと気にしてないという今の日本人に対する皮肉が利いてる(・∀・)ウン!!
「たった1ヶ月でもう忘れたのかよ!!」
何でもそうだけど日本人は特にこの傾向が強い。
一方実家ではとうとう牛の殺処分命令が出て、もう行くところもやることもなくなった老夫婦は、最後猟銃で死ぬ。
ガイガーカウンターを出す時に棚を開けたら一緒に猟銃も入ってるのを見せるあたり、この映画の終わりをさりげなく上手く予告してるな~(・∀・)イイ!!
最後死ぬとき、恐らく大谷直子は一時的に正気に戻ってる。
認知症はたまに正気に戻ることがあるらしいから、前半でもラストでも土いじりをしてる時は正気に戻ってるのかも知れない。
清水優と梶原ひかりのカップルは、実家が津波に流された後も両親を探し続けて、その時ビートルズのレコードを探してるという子供の兄弟に会って「1歩、2歩、3歩なんておこがましいですよ。」「これからは日本人は1歩1歩1歩ですよ。」と言ってるのを聞く。
かつて津波に流されて死んだ子供の零なのか、それとも座敷童みたいな守り神なのか・・・
河原崎健三の医者が言う「テレビが嘘をついてるんじゃありません。医者が嘘をついてるんです。」の台詞はほんと~~~~~に感慨深い。
テレビ自体は嘘をつくと言うより、嘘をついてる人間をそのまま映してるだけだから、映像自体は嘘はつかない。
医者もそうだけど政治家も学者も評論家もテレビのコメンテーターもキャスターも嘘をつく。
テレビはそれを流してるだけ。
杭が打たれたという象徴的な台詞と描写、そして杭を打つ音を延々としつこく流すあたり、杭をいまだに撃たれ続けてるんだということを言いたいんでしょう。
原発事故を題材に取りながらも、今の日本社会、日本人に対する痛烈な皮肉が込められてると思う。
認知症のお母さんに、あたかも『リア王』の道化師のごとくシニカルな指摘をさせる辺りもΣd(゚∀゚d)イカス!
そして遠く離れた場所に行った村上淳夫婦も、実は高濃度の放射能に汚染されているという意地悪な設定も園監督っぽくていいじゃないか(*´・д・)*´。_。)ゥミュ
ラスト「愛があれば大丈夫」という台詞も、かなり使古された言葉ではあるけどかなり心に沁み渡る。゚(゚´ω`゚)゚。ピー
清水優も梶原ひかりの両親は見つからないし、気が済むまで探させたけどもう駄目だとあきらめがついた時にプロポーズをする。
とにかく愛、愛、愛、愛で映画を席巻してる。
悪人は1人も出てこない。
特殊な能力を持った人も出てこない。
そしてこういうことは東日本大震災の時にもあったんだろうな~と想像に難くない。
今の日本人ならば絶対観ておかなくてはならない傑作です(・∀・)イイ!!
2012年、今観なければならない作品。
「2012年、絶対に観ないといけない作品」という評を、どこかで見かけたが、僕の印象としては「2012年、今観ておかないといけない作品」である。
劇中に「たった1ヶ月経っただけで、もう忘れたのかよ!」という原発のある地域から、ほんの少ししか離れていない地域に住む人達に向けられたセリフがある。
彼らは、ほんの1ヶ月前まで、洗濯物を外に干さず、外出時はマスクをしていたのである。
理由は、もちろん原発から漏れている放射能である。
あの震災から1年半以上が経とうとしている。
この映画を観ることで多くの人は「たった1年半経っただけで、もう忘れたのかよ!」と思いっきり下あごにフックをキメられるだろう。
園子音監督は、この映画を作る時に多くの取材をしたはずだ。
この物語はフィクションだが、実際にこんな物語が存在していたはずだ。
もしくは、これ以上に悲しい物語が存在していたはずだ。
今までは震災について語られた映画はドキュメンタリーがほとんどだった。
それはそれで生々しく感じることが多い。
ただ、フィクションは時としてドキュメンタリーを超える生々しさをぶつけてくる。
我々はもう一度考えなければならない。
フクシマに次いで原発が破壊されたナガシマを、作り出さないために。
もし、作り出してしまったなら、今度こそ日本はおしまいだ。
生きる希望を捨てるな。
今頃になってよく思うのは、
もしあの大震災がこなかったとして、原発もあのまま稼働していたら、
きっと未だに「オール電化♪オール電化♪」というCMが全国に流れ、
すべての家庭がオール電化になる日もそう遠くなかったかもしれない。
電気は安全でクリーンなエネルギーだと誰もが信じていたことだろう。
省エネだecoだと叫んだところで、湯水のように使う人は使うものだ。
私は関東圏に住んでいて、その電力を利用して生活してきたけれど、
ここに送られる電力が福島県からだとは知らなかったほどの愚か者だ。
そして震災後、復興のニュースと共に原発の情報が次々と流され始め、
それが日増しに強くなっていることを知った。最近では私の住む地域も
ホットスポットだと(原発からはかなり離れているが)よくNHKなどで放送
されている。相次ぐ除染作業に市では多額の資金を導入している。
地域住民の、とりわけ子供達の、身の安全が何より大切はごもっともだ。
これからを生きる子供達が見えない汚染物質に汚されることは痛々しい。
でも。じゃあどうすればいい?どこか遠くへ逃げるべきなのか?
遠くってどこだろう?九州か?沖縄か?災害のない場所ってどこなんだ。
そもそも、そんなところが存在するんだろうか。
震災以後、常に危機感を抱える人間の心理を鋭く掬いとった作品だが、
それゆえにブラックで毒に満ちた部分が多く、オーバーアクトではないが
そう見せる表現で、観る者を翻弄していく作品。
確かに震災復興が目覚ましい進展を遂げているのは一部地域だけである。
あの恐怖を忘れてはいけないが、かといって希望を捨てる訳にもいかない。
原発によって住む家を失い二度と帰れない人々の想いは計り知れないが
悔しさをパワーに着々と新転地で生活を再開させた人々のニュースには
大変勇気づけられる。結局なにがあろうと、生きていかなければならない。
人生で、まさかこんなことが!?起きても、だ。
テーマがとにかく一貫してあの調子なので、
観てよかったと思う人もいれば、気持ち悪くて毛嫌いする人も多いと思う。
後味の悪さも秀逸で、あの家族各々の性格を考えれば極端ではないのかも
しれないが、如何せん、どうしてああなるのかという不満も無くなりはしない。
人生がどこかで終わるのなら、せめて愛する者と一緒にいたいのは当然だ。
自分や家族など大切な人々を守るために人間がとる行動は一様ではない。
その人が生きてきた環境や信念に依るところも大きいだろうし、正しいも
間違ってるも、その時がきたらそんなことを考えている余裕すらないだろう。
ただ生きていて欲しいと願う。絶望の中でも、混沌の中でも、貧困の中でも、
命があるなら生き抜いて欲しい。生かされたことには必ず意味があるのだ。
大丈夫。という言葉は常に気休めだ。でも気休めがなければ生きていけない。
安全な国なんてどこにもないし、そもそも地球自体がいま危ないのだから。
震災から一年以上が経ち、記憶が薄れ始めた頃に渡される挑戦的作品。
(どう考えどう行動しどう生きるのかは其々。一歩前へ。一歩ずつ前へ。)
「面白かった」ではなく「観てよかった」
福島のあとに起こったもうひとつの原発事故という想定です。長崎と広島をミックスした意図でしょうか、「長島県」が舞台となっています。
原発事故が起きた後、いかにして生きていけばいいのか、不安と恐怖の中での生活が現実的に日常的に描かれています。そして原発ができること、できたことによる様々な影響の中で、それぞれの人々のそれぞれの立場による思惑が描かれます。
観ていることが本当に苦しい映画ですが、苦しくても目が離せず観続けてしまう映画です。悲しいというのでも同情というのでもないのに、なぜか涙が出てしまいます。
映画が終わったとき、観客は誰一人として口をきかず押し黙ったまま映画館を出ていきました。そしてそれぞれの生活に戻っていくのです。
「面白かった」とは決して言えない映画ですが、誰もが「観てよかった」と思う映画だと思います。
失望
園子温監督の「冷たい熱帯魚」に衝撃を受け、注目していたのですが、今作は本当にガッカリな作品でした。ガッカリ度合いは、映画レビューサイトでこの作品について低い評価をされている方々のコメントを読んでいただければ、私の気持ちはほとんど代弁されているので割愛しますが、そんな低評価群の中でも、この点に突っ込まれているコメントを発見できなかったので、自分で書いてみることにしました。
映画の中で、こんなセリフがでてきます。
「一歩二歩三歩なんて今の日本人にはおこがましいですよ、これからは一歩一歩一歩一歩一歩ですよ。」
このセリフに感銘を受けている方も多く見られたのですが、私には、まったくもって謎なセリフでした。
なぜ「おこがましい」のか?さっぱりわかりません。
災害に見舞われたのに「おこがましい」とは?さっぱりわかりません。
まるで、何か悪いことをした結果、現在の惨状(地震・津波)が起きたかのような物言いに激しく違和感を感じました。
しかも、「日本人」という他人事な物言いにも違和感を感じました。
「このセリフが印象的だった」と好意的なコメントをされている方達の中には、「一歩二歩三歩なんて今の『私たち』にはおこがましいですよ、…」と、セリフを間違って記憶されている方も散見されました。
それほど、このセリフにハマるのは、『日本人』という言葉ではありません。
なぜわざわざ『日本人』と特定的な表現を選んだのか?
激しく違和感を感じるセリフでした。
それまでも感情移入などしていませんでしたが、このセリフが出てきてからは、穿った見方しかできず、尚のこと、この映画から感情が遊離していきました。
映画もメディアの一種と考えれば擁護するのも仕方ないのかもしれませんが、
「テレビは嘘をついていない。医者が嘘をついているんです。
(だから悪いのは、メディアではなく医者)」
といった意味合いのセリフにも激しく違和感を感じました。
そんな詭弁をよくも堂々と言って退けたものだと。
iPS細胞虚偽の森口氏の事件もホヤホヤなだけに、頭の中が疑念でいっぱいになりました。
こうなってくると、やたら「杭」に何かの象徴を求めようとする演出まで、穿った見方が湧き上がってきます。
「メディアの責任」はあると思います。
園子温監督も、自分の作品に責任をもつべきだと今回は感じました。
注目していた監督だけに、本当にガッカリです。
正直、「希望の国」は、園子温監督の作品だから見ました。
何の下調べもせず、文字通り「園子温監督の作品だから」見たのです。
今後は「園子温監督の作品だから」見ないかもしれません。
それぐらいガッカリました。
現代の神話
この映画は「脱原発」の映画ではない。
目に見えない、得体の知れないもの。
それでいて、巨大で、邪悪な力。
そんなものが現実に現れたら、そんな現代の恐怖とどう対峙するのか?
初老夫婦やその息子夫婦、若い恋人たちと3つの形を描き出す。
最後まで、ぶれなかった初老夫婦が素晴らしい。
静かなる愛情と、弾けるような熱い愛情が二人を包む。
夫役の夏八木勲が見事に、真のパターナリズムを演じきった。
最後の場面などは、クリント・イーストウッドと2重写しになった。
認知症の妻役の大谷直子も素敵だった。
「とうちゃん、帰ろうよ」が口ぐせ。
そして、帰っていった場所でのだんなと二人きりの盆踊り。
なんて幸せな場面なんだろう。
身ごもった若い妻は、放射能恐怖症に。
でも、二人の赤ちゃんのためならなんだってするという彼女を、
誰が非難できる?
そんな確信の前では頼りない夫は、迷いながらも従っていく。
若い恋人たちも、普通だったらこんなにカッコよくはなれないはずだ。
彼女の両親を探していく過程で、感極まって言う。
「戻るんじゃなくて作り上げていこう。俺と結婚しよう」と。
共通の敵が存在すると、二人の関係・愛情は強まる。
逆説的だけどそれは本当だろう。
それが永遠に続くことはないだろうが・・・
(永遠にしてのが老夫婦かもしれない)
現代の神話といった評論家がいたが、いま、それを超える言葉を知らない。
園子温監督は、この「希望の国」で、
原発の是非を超えた現代の神話を描き出したと言えるだろう。
あーあーってかんじ
横ですすり泣く女をみて 日本終わったなとおもいました
何人かの役者さんは映画の中で原発にむきあってても どうせ普段の生活じゃマスク一つもしてないんだろな こいつらって感じでした
全部ひっくるめて ただお金を選んだ結果ですが 本当 あーあーって感じです
でもふざけた公務員役の人の演技がよっかったので一点
あと個人的に染谷くんかふみちゃん をワンカットでいいから映してもらいたかった 通行人でも病院の待合室にいるひとりでもいい
物語りの続きがほしかったです
住田 がんばれ
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