希望の国 : インタビュー
園子温が描く3・11後の日本で生きることの覚悟
鬼才・園子温が、今の日本の最大のタブーとされる原発問題に向き合った新作「希望の国」が公開された。東日本大震災から数年後の架空の土地を舞台に、新たな地震と原発事故に翻ろうされながらも希望を見いだしていく家族の姿を通し、3・11後の日本で生きることの哀しみと覚悟を描いた本作は、ワールドプレミアとなった9月のトロント映画祭で最優秀アジア映画賞を受賞。日本公開前から注目を浴びた本作への思い入れを聞いた。(取材・文・写真/藤井竜太朗)
昨年のベネチア国際映画祭で喝采を浴びた「ヒミズ」に続き、再び2011年3月11日に起きた東日本大震災の被災地を撮影した園監督。やはり「1本撮って終わりというわけにはいかなかった」という。
「これまでの作品の題材は自分から積極的に採りあげようというものはなかったんですけど、今回の場合、これまでと違うのは過去に起こっていることではなく、現在進行形のことなんですよね。だから、態勢が整うのを待たずして、『この映画は撮らないといけない』という思いがすごい強かったんです。だから、自主映画でもいいやという気持ちで資金が集まる以前から動き出してました」
シナリオ執筆のため、原発事故と津波の関連本を片っ端から読みあさったが、現地へ取材に行くと心境に大きな変化が訪れた。
「最初は書物から得た知識をたくさん盛り込もうと思っていたんですが、現地で取材していると、そういった原発の仕組み等々の上部構造のことはどうでも良くなっていったんです。寒かったとか、暗いとか、下部構造の話ばっかりなので、本で得た知識を映画に詰め込むくらいだったら、映画にしないで本を読んで貰ったほうがいいと思うようになったんですよ。だから、途中で一回知識を全部捨てて、福島の地元で、直接会った人の話と、自分が感じたこと、経験したこと以外は入れないようにしました」
その取材の中で、自宅の庭を境界線で分断された家族と偶然出会う。ここで、目に見えない放射能を可視化する本作の舞台設定が出来上がった。
「実際にその家族が住んでいた場所に行くと、立入禁止の立て札のこちら側は綺麗に花が咲いてて、向こう側は枯れているんです。家屋の中が境界線になっている家もあるそうですが、そういう実態は、報道でも聞いてなかったので、ここが舞台なら不条理を描けると思い、この家を起点にシナリオを書き始めました」
3・11と福島第一原発事故後の原発をテーマに、実際に被災地で撮影した日本の劇映画は本作が初めて。これまでの作品でもタブーに挑戦してきたが、今回は現在進行形でなおかつ現在の日本の最大の関心事である。
「今回の映画も、また目立とう精神で撮ってるよとか、福島を食い物にしているとか、そういう貧しい発想で文句を言う人が出てきてますが、一番寂しかったのは、映画以外のアートの分野、たとえば文学界も音楽界も3・11をどうとらえるかということを、課題にしていたのに、日本の映画界はそういった動きがほとんど無かったことです。やっぱりアートではなく芸能なんだなって思いましたよ。僕が映画監督を志したときに、うちの親父は堅い人だったので『そんな芸能の世界、止めろ』と怒られたんですけど(笑)、親父の言ったとおりだと思わせられましたね」
現在の日本社会全体に対しても同様の厳しい目を向ける。
「先日テレビで対談させてもらった社会学者の大澤真幸(おおさわ・まさち)さんの著書『夢よりも深い覚醒へ 3・11後の哲学』(岩波新書)に、“悪夢からはすぐに目を覚まさずに、その悪夢としっかり対峙して、なぜそのような夢を見ているのかを考え抜かなければならない”というようなことが書いてあったんですが、今の日本はまさにそれに反して、悪夢から覚めて、その悪夢をすぐに忘れたがっているんです。悪夢っていうのは、普通の人間心理からいって、すぐに目を覚ましたくなるのは分かるのですが、何故この悪夢を見ることになったのかを知り尽くさないといけないはずなんです。そういう意味で、日本人は対処をきちんとしてなく、第2次世界大戦後も、歴史をしっかりと検証しないまま現在まで来ていて、そこに原発事故が起きたんです。同じ敗戦国のドイツは逆で、なせヒトラーに滅茶苦茶にされたのかということをしっかり検証して、なおかつ原発についても処理していたんです」
本作で、3・11後の日本で生きることの哀しみと覚悟を描いた園監督。ガラッとテーマが変わる次回作「地獄でなぜ悪い WhyDon'tyouplayinhell?」と並行してハリウッドで撮る準備もしているという。
「次回作はマキノ雅弘監督や深作欣二監督へのオマージュ満載のコメディですが、これは『希望の国』からシフトチェンジするのが難しかったですね。『地獄で〜』の現場では当然のように原発の話は一切関係ないので、ちょっと違和感がありました。そういった意味で日本は居心地が悪いんですが、ハリウッドでデビューするのも最初の1作が生命線を問われた映画になるし、慎重になりますよ。僕が撮っている映画って、日本だとほかの監督たちの作品がどれも似た色だから、たまたま目立ってしまうというだけであって、海外では個性的なのが当たり前なので違和感ないんですよね。だから、そういう普通の映画になってしまったときに、自分の色をどれだけ際立たせることができるのか、つまりはどういう勝負が出来るのかが凄く楽しみなんで、早めに撮りたいとは思っているんですけどね」