311のレビュー・感想・評価
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三春の枝垂れ桜が10倍か。残念ですね。行きたかった。
「災害」は明るい未来に繋がるイデオロギーを示して、「芸術」に昇華するものと思いますが、あの揺れを思い出しますと、福島だけは進行形の被害地であります。
従って、
被害に合われて、亡くなられた方のご冥福をお祈りしなければならないと思います。
そして、具体的には
被害に合われた方は出来るだけ離れた方が良いと思います。
勿論、我が国は全体主義な管理国家ではありませんから、主権在民を主張する権利は認めますが、
残念ながら、
プルトニウム 239 の半減期は約 2.4 万年であります。
13年経ちましたが、今も、そして、100年経っても状況は変わらないと思います。
「映像芸術」として受け入れるには
2.4万年後になろうかとおもいます。半減期ですから、正確には4.8万年後です。その頃は『猿の惑星』になってるかもしれませんね。
他人事ではないですが、僕は日本にいる限り、もう少し頑張るつもりです。そうすれば、他人事になると思います。
地震国家ではありますが、大変に住みやすい国であります。しかし、そうであっても次の被害を未然に防ぐ努力をしなければ駄目だと思います。もう一度、同じ事が起きれば、本当に大和民族は滅ぶんじゃないかと危惧します。明るい未来を作りましょう。勿論、ご自分と子孫の為にです。では。
内側に入る視点
本人たちも冒頭で話している通り、当初は映画公開の予定はなかったらしい。
そのため、特に前半は伝えたいこと、撮りたいことが曖昧だったが、恐らくは取材の途中から、
「遺体を探す」という被災者の行動をひとつのメタファーに据え、
某かを表現しようと、遺体を映像に収めることに腐心しているように感じた。
勢いで現地に行ったところで何もできやしない。
だけど、行かずにはおられないし、撮らずにはおられない。
伝えるという大義名分を振りかざしながらも、
甚大な被害を前に圧倒的な無力感、ただ茫然とするだけの大の大人4人。
大多数の非・被災者が抱えていた、震災発生当時のふわふわとした、
落ち着かない心情、
更に言えば、恐らくは1年経ち、ふわふわはかなり薄まっている現在において、
本作のもつ警句や提案性は鑑賞に十分に値する。
が、それにしても、本作はやはり、いささか拙速であり、自己満足の域を出ない。
森達也の得意とする、「表現しづらい煩悶」の過程を映像として残すことで、
結果的に某かを表現する、というクオリティには残念ながら至っていない。
その要因として、「A」や「A2」で見せた、
内側に入るという視点の欠落が挙げられる。
内側に入るということは、何かを肯定したり否定したりすることではない。
言うなれば、彼自身のスタンスの表明である。表現者としての立ち位置の表明。
俺はどこから撮るか。その意思表明である。
本作ではそれが圧倒的に足りない。
議論のきっかけとなることも含め、
茫然自失する自分たちの様を克明に記録している点が、
本作品の存在意義だというのならば、それは詭弁だ。
大多数の人が陥る思考停止への警句こそ、森達也の真骨頂。
合作とはいえ、作中中盤から終盤にかけてはほとんど森達作品と言っていいと思うが、
論点軸が定まっていない、どっちつかずの表現作品に、投げかけの力は無い。
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