311のレビュー・感想・評価
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震災の実相が分かる映画
この映画は震災によって実際にどのような被害を受けたのかということが良く分かる映画です。
特に石巻市の大川小学校で子供が流され、その子を探している親との会話が胸を打ちました。この映画には狩野愛さんを探すお父さんが出てきますが、4/28に愛さんの遺体が見つかりました。子供たちが、小学校の裏山に避難して、無事に生きていて欲しかったです。ありがとうございました。
「311」をあらためて考える
東日本大震災15日後に4人が現地入りして制作したドキュメンタリー作品。
某国営放送のようにきれいに編集されていない分、むき出しの生々しい映像がよけいに目の前に突きつけられる。(コロナ一辺倒で)世間ではもう震災のことは解決したかのような雰囲気になっているが、まだ9年しか経っておらず何も改善されていない。
石巻赤十字病院の医師が、「(目の前に処置できない患者がいることに)無力感は感じていない。(人間は自然に対して)初めから無力なのだから」という言葉が強く耳に残る。
制作者が被災者や遺族に対してカメラを向けることに、「配慮が欠けている」、「非常識だ」と厳しい意見が多かったと思う。
しかし、罵倒されても、石を投げつけられても伝えなくてはならないものがある。ジャーナリズムは決して「正義」ではなく、社会における「(ポジティブな意味での)必要悪」だ。
福島と宮城・岩手沿岸部を訪れ、津波の見たままを映像化したもの。 福...
福島と宮城・岩手沿岸部を訪れ、津波の見たままを映像化したもの。
福島での撮影を断念したのは残念だが、震災後の早い時期に被災地に入り、家族を亡くした生の声を聞けたのはありがたかった。
ただ、遺体搬送を撮影に関してはいかがなものかと思った。
あのような場面は、あらゆるマスコミの映像の中でも今回くらいだと思うが、許可を取って撮影していないのはいただけない。
震災関連でも一番デリケートな部分だけに、慎重さが求められる。
遺体安置所に行ったが、確かに不特定多数の方に見せる場所ではないなと思った。
内側に入る視点
本人たちも冒頭で話している通り、当初は映画公開の予定はなかったらしい。
そのため、特に前半は伝えたいこと、撮りたいことが曖昧だったが、恐らくは取材の途中から、
「遺体を探す」という被災者の行動をひとつのメタファーに据え、
某かを表現しようと、遺体を映像に収めることに腐心しているように感じた。
勢いで現地に行ったところで何もできやしない。
だけど、行かずにはおられないし、撮らずにはおられない。
伝えるという大義名分を振りかざしながらも、
甚大な被害を前に圧倒的な無力感、ただ茫然とするだけの大の大人4人。
大多数の非・被災者が抱えていた、震災発生当時のふわふわとした、
落ち着かない心情、
更に言えば、恐らくは1年経ち、ふわふわはかなり薄まっている現在において、
本作のもつ警句や提案性は鑑賞に十分に値する。
が、それにしても、本作はやはり、いささか拙速であり、自己満足の域を出ない。
森達也の得意とする、「表現しづらい煩悶」の過程を映像として残すことで、
結果的に某かを表現する、というクオリティには残念ながら至っていない。
その要因として、「A」や「A2」で見せた、
内側に入るという視点の欠落が挙げられる。
内側に入るということは、何かを肯定したり否定したりすることではない。
言うなれば、彼自身のスタンスの表明である。表現者としての立ち位置の表明。
俺はどこから撮るか。その意思表明である。
本作ではそれが圧倒的に足りない。
議論のきっかけとなることも含め、
茫然自失する自分たちの様を克明に記録している点が、
本作品の存在意義だというのならば、それは詭弁だ。
大多数の人が陥る思考停止への警句こそ、森達也の真骨頂。
合作とはいえ、作中中盤から終盤にかけてはほとんど森達作品と言っていいと思うが、
論点軸が定まっていない、どっちつかずの表現作品に、投げかけの力は無い。
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