シン・エヴァンゲリオン劇場版のレビュー・感想・評価
全396件中、321~340件目を表示
終わってしまった
ここまで綺麗に風呂敷を畳めれるとは思いもしなかった。
エヴァは本当に終わってしまったんだなとしみじみ思う。スッキリしすぎて恐ろしいぐらい、今までのエヴァではあり得ない開放感。
やはり、アニメ版と新劇場版の違いは庵野監督の心の成長だったんだなと、安野モヨコさんとの出会いで変わったんでしょう。良いヒトと出会うとヒトはここまで変わるものかと。ヒトとのふれあいによる暖かみというものが改めて実感できる作品。
私はまだ20代、この終わりを観るにはまだ早過ぎた、そんな風に思える。エヴァは終わらないでほしいと心の何処かで思ってるのがその証拠なのだろう。
オンエア当時に10代だった人がとても羨ましい。その時代に生きた人が一番この作品を楽しめたのでないかな。
表現方法について。エヴァQであの津波シーンやりたかったんだろうな。ちょうど震災あったから延期になったのと予想。後、予告の初号機と第13号機が戦うシーンのCGが変に作り物臭かったのは、特撮の表現をしたかったのね。凄いニヤッとしてしまった。
話は変えますが、マジで庵野さんはもうアニメ作んないんですかね?見終わったら、そう思えてしまって、不安で不安でしょうがないんですけど!俺もっと庵野作品見たいよ。シン・ウルトラマンも楽しみだけど、もっとアニメも見たいよ!!!!
追記 2号機のあのビーストモードってやっぱもののけ姫リスペクトなんですかね?もしかして鈴木Pとのタッグもあり得るのか....??
追追記 2回目を見てきました。
やっと卒業できたかも、赤い海でのシンジのアスカへの告白シーンからずーっと泣いてしまいました。
みんな大人になっちゃったんだな。アスカ幸せになって。
卒業おめでとう。
アスカの相手がケンスケでよかった。シンジの相手がマリでよかった。過去を精算し、母からも自立して、マリと結ばれた。みんなリアルで幸せに暮らしている事だろう。よかった。
家に帰っても涙が溢れてくる。理由が明確にはわからない。
良くも悪くもエヴァ卒業。25年間楽しめました。
これは淡々と肯定したレビュー
前作Qから8年。遂にエヴァンゲリオン新劇場版が完結する。
広げに広げた風呂敷をどう畳むのかといった点において、若干の不安を抱いていたが、それは杞憂であった。
そもそも、細かい設定やギミックなどある意味どうでもいいのである。
最初のエヴァンゲリオンから一貫して描いているのは人と人との関わり、繋がりなのだから。
中盤に至るまで陰々滅々としたシンジと、終盤のメタ的演出、剥き出しの絵コンテなどにどこかテレビ版の狂気をリフレインさせつつ、描かれているのは当時とは全く違うポジティブなものである。
25年も経てば観る側も作る側もそりゃあ変化する。成長もする。
本作はエンターテイメントとして観て手放しで面白い!という作品ではないが、明確なメッセージが込められた「映画」であり、25年の歳月を経て庵野監督が得た到達点である。
ありがとう、そしてさようならエヴァンゲリオン。
素直にそう思う。
リリンの王、庵野秀明
20世紀末から始まり、常にアニメ、エンタメのトップを走り続けてきたエヴァが、ついにその長い物語に幕を引いた。「四半世紀ありがとう」この「シン・」を観てまず抱いた感想がそれだ。大作のラストに相応しい大団円、このとてつもなく巨大な作品のラストを、ここまで出来ればほぼ満点ではなかろうか。
長い間待たされたと感じた新劇も、振り返れば「エヴァが続いていた」と同義であり、私たちは終わらないエヴァと共に25年間、歩んで来れたのだ。
しかしいよいよ私たちは本作をもって、エヴァを捨て、エヴァから脱却しなければならなくなった。これは作中のシンジと同じであり庵野監督の回答である。
賛否両論だったQが、いかに計算され尽くした超大作であったか、本作を観てどれほどの人が気付けたであろうか。時間も金も掛けた序破Qが迷走する訳が無く、新劇版のみならず、TV版、旧劇、コミックス、全てを包括して決着をつけた庵野監督こそ天才であり、彼こそリリンの王であると言える。
自分はQを劇場、円盤合わせて30回以上は観たのだが、このシン・が公開される迄の長い間、Qをスルメイカの様に咀嚼して楽しむ事が出来た。Qはこのシン・に繋げるために必要かつ大変良くできた作品である。
今回のシン・も、同様に掘り下げ甲斐のある濃密な作りである事は、観た方ならご存知の通りである。
いったい何度観たら理解出来るのか?ノーランの大作「TENET」は、理解出来ない部分が脚本や物語の運びであった為、観客はストレスが溜まる一方であった。
一方で、起こった事象が理解できなくても見ていて十分面白いのがエヴァである。観客はシンジの目線で何も分からない所から始まるので、正にシンジとシンクロする。あとは、分れば分かる程面白さが加速する作りなのだ。
序破Q同様、日本の、いや世界のアニメのトップクラス映像と音楽を味わう事が出来るのは、今のところエヴァを置いて他にない。先般公開の某人気アニメ映画も物語として泣けたのは事実だが、そもそも立ち位置が、次元が違う。
線の一本、ドット一粒に至るまで、渾身の迫力が、庵野監督を始めとするスタッフ達の拘りと25年の魂が、宿っている。緻密な計算、妥協を許さないそのスタンスが、この極上アニメーションの完成度に現れている。エヴァが好きかどうかは別にして、時代の立会人として劇場は勿論、是非IMAXで鑑賞したいところ。
具体的な物語の内容は、ここに書いても何ら語れないので割愛するが、この物語の凄いところは、25年という歳月を経て我々の人生にも影響を与えてしまった問題作であるという所だ。既に我々の心の中にエヴァがあり、綾波が居て、我々の一部を形成し、我々の心を鏡写しにしてきた。そんな僕らに庵野監督は言う。「もうエヴァから旅立て」と。
終盤、レイやアスカとの会話によって決着をつけるシンジ。彼らの心の拠り所にエヴァは不要なのだ。エヴァのない世界…我々観客の生きるこの現実世界。
過去とも現在とも判断のつかない実写風景を走る、成人したシンジとマリで物語は終わる。まるで一般人の様にチルドレン達が会話している。このラストは、エヴァの存在しなかった我々の世界かも知れない。
すごくよかった
ずっと見てきてよかった
ネタバレってほどではないかもですが
察しがいい人は気づいてしまうので、、、
東京ラブストーリーを観た後の感じと似てる後味
大人になるお話
私見でしかないですが
一見、複雑な仕掛けや舞台装置、
伏線めいたものや暗喩的表現は
映画やアニメ、特撮が好きな人を喜ばせるものですが
そこに大きな意味はなく(演出的な意味はあるものの)
あくまで娯楽作品であり
ごくごく簡単なことを核に
素晴らしいスタッフが制作した
素敵な作品でした
現実であり、夢
夢であり、現実
ビューティフルドリーマー
マイナス宇宙やゴルゴダオブジェクト云々は
ウルトラマンAでしたね
松任谷由実さんのVoyager、
宮崎駿監督のひこうきぐもと同じように
心に沁みました
さよならジュピターの主題歌だったから使われたのかもですが、実にぴったりな選曲だと思います
ありがとうございました
追記:
新劇を全て見た後、
旧劇を見直すと色々と気付かされます
世界観設定もそうなのですが
メッセージ部分のところで特に
監督が伝えたいことは変わってない
そう思いました
男はガキ、過去に執着、考えが固定的になりがち、理由を求めがちなのかもですね
鑑賞2回目、、カップリングのところ
どうにでも解釈できるし
あの程度で、できてるできてないってのは
すごく幼い解釈で、そう思った自分が恥ずかしい
庵野監督、キャスト、スタッフ皆さん
25年間お疲れ様でした!
とまず言いたい。
リアルタイムでTV版見ていたおじさんの自分にとっては納得が行く内容でした。
ただコアなファンな方々から見たら納得いかない部分もあるだろうなと思います。
そこはネタバレになるからふせときますが。
ただ一つだけ言えるのはシンジの心の成長が見れたのは嬉しかった。
庵野秀明の星の王子様
テレビアニメシリーズから26年
エヴァの呪いにかけられた
我々チルドレンたちを現実へと還す作品。
庵野の最後のフィフスインパクトは
劇中劇であることを直接的に暗示する。
順を追ってキャラクターを弔うシンジ
あとは君だけだと告げるカット割は
明らかに我々に向けてのセリフではないか。
Qで観客とシンジを同じ状況に置き
感情移入の対象とさせたことから
今作の導入は非常にスムーズだった。
最初はシンジと同じ目線で感情移入していた我々も
最後は子を持つ親の気持ちでシンジを見ていたのではないだろうか?
自分だけじゃなく、他人の弱さをも受け入れることで
限りなく人を愛するということに気づいたシンジ。
ここで観客の体現としてエヴァの呪いを浄化される役目は
父親のゲンドウにスイッチする。
この辺りのヒッチコックよろしくばりの古典的な
映画手法を使って次第にアニメ的表現を逆手に取った
演出の数々で我々の呪いを浄化していった。
この作品の根底にあるのは庵野秀明自身の成長ではないだろうか
彼自身が心の闇を全て晒したテレビアニメシリーズから
エヴァの呪いを撒き散らし、それに縛られてきた人生の中で
もがき苦しみながらも支えてくれる人々(風立ちぬの宮崎駿や、安モヨコ)の出会いから温かみを知ったように思う。
その温かさを持って自分のケジメ、シンジが言うには落し前をつけたのだろう。
いい意味で今後エヴァが昔よりも語られることは
なくなるのではないだろうか
考察のようなブログも、書籍も時代とともに
なくなっていくだろう
エヴァの呪いの浄化、それが庵野秀明の望みだろう
しかし浄化とともに我々に新たな呪いをかけた
それは「君たちも今を生きよう」と言うこと
いつまでもアニメを見ていないで
現実の世界と言う最も劇的な世界で生きていけと
そして庵野秀明はエヴァから去る
でも大丈夫、これは悲しいことではない
いつまでもエヴァは心の中に残っている
冒頭とエンディングの真っ暗闇の中に光る星星は
星の王子様が最後に旅立つ前に主人公に告げる台詞の
再現ではないだろうか。
長々と書き連ねたが
私が今後エヴァを見返すことは無いだろう
現実をしっかりと生きていかねばならないから
それでも挫けそうな時、きっと日常の中に
シンジとマリの姿を思い浮かべてしまうだろう
それで良いと思っている
そうして時々思い出せるのならそれでいいのだから
最近見たものの意見
私は、エヴァの公開が決まってから(延期前)からエヴァを見ました。アニメでの伝説の最終回は知っていましたがロボット系の作品が苦手なので見ないできました。
しかし、今回ついに完結作品が出ると知り作品を全部見て足りない知識を動画などで補填しシンエヴァを見ました!個人的には、面白かったと感じました。まとめ方が特殊だと思いましたが、アニメの方の終わり方があったのである普通に受け入れられました。
個人的には子どもままで居るのではなく、一歩踏み出して大人になれよというメッセージにも思えました。エヴァっぽい終わり方だと思いました。サヨナラエヴァンゲリオン
(1回目)ちょっとガッカリ感はある。でも、これで良い。(2回目) 宇部新川に全員集合。ヤンキーでも良い。嬉しい。
宇部新川駅ですって。abホテルで宇部新川と確信ですって。映画帰りには、早速話題になってますもん。さすがローカル、あの画で分かるんかw
ネタバレ回避で、今日のところは詳細割愛。
エヴァの戦闘シーンは、物足りなさあり。壮大な物語りの「落とし前」、と言うか、広げ過ぎた感のある風呂敷の畳み方としてはですね。イヤ、劇場版としての幕の引き方としては、「これで良い」って思いました。「見たかったラストをやっと見れた」、と言っても、これまでのエヴァを全否定する訳じゃないと思いますし。
カラーヘアの2人をホームに残して、宇部新川駅から駆け出した2人。そう来るんかい?いや、年齢はどうなっとりますのん?えぇ?ま。良いかw
解釈大会の幕開け、って事で。
ーーーーーーーーーー
3/10 2回目IMAX
初回の「物足りなさ」を全く感じる事が無く。満足度は無茶高くて自分でも驚いてるでござるw
初回は通常、2回目はIMAXってのもあるかと思いますが。
思えばですよ。期待、と言うより予測とのGAPに戸惑ってしまったのが初回。1時間ほど続いた「村」と「イジケ」が完全に予測外。ここでダレた、気分的に。テザー動画から、アクションに次ぐアクションや、マリ&アスカのダブルエントリーを予測なんか勝手にしてたもんだから。イメージ世界での親子対決も、ちょっぴり肩透かし感ありましたもん。
それがそれがそれが。
2回目は全くダレない不思議。GAPが埋まった挙句だからでしょうね。村も、イメージ世界での1vs13対決も、巨大過ぎる&うじゃうじゃなアレも気にならない。
いずれにしても。初日から売り切れのパンフ、早く入荷して欲しいよー。
宇部新川駅ホームにアスカも居てくれたのが嬉しかったけど、宇部であの髪型&色じゃ、ただのグレたヤンキーやないですか!
ちょっと、違う登場の仕方にして欲しかったよねw
良かった。とっても。
---------------------
3/13 追記
ヘーゲルのトリアーデ(Triade)からの考察で遊んでみたいと思いますw
「テーゼ」→「アンチテーゼ」→「ジンテーゼ」はヘーゲルの弁証法。「テーゼ」はアニメ版の主題歌タイトルにもなっていたんで、こっち方面から考察してみたいと思います。
「テーゼ→アンチテーゼ→ジンテーゼ」「肯定・否定・否定の否定」「正・反・合」などなどなど。トリアーデの第三項は、「対立や矛盾を包括しながら、高い段階の状態にとどまること」を指す「Aufheben」と言う言葉で表されたりします。
トリアーデとは、カントによると「対立的なふたつの範疇のつぎに、第三の範疇をあげる」と言う三分法です。概ねは、第三項に、先行の相関的な二範疇の「総合された統一的全体」をおいています。以下、ヘーゲル自身による三分法の「言葉遊び」と、その解釈をシンエヴァに当てはめてみる試みです。
①まずはラストの解釈から。
綾波を送り出す時のシンジと綾波のやり取り
「時間は元に戻さない。エヴァを必要としない世界を作る」
「Neongenesisね」
Neongenesis=Re-Generation=(組織レベルからの)再創成
つまりは、時系列上の不可逆性は維持したまま、世界(人類)を再創成すると言うのがシンジの意図であり、ラストシーンは、それが具現化した世界。
この工程を「有→無→成」を当てはめて解釈。ここで、成のモメントは、有と無からなり、この有と無からその全体としての第三のもの、成へとすすむという事であり、厳密には「直接的成→有と無→媒介された具体的な成」のトリアーデになると解釈されます。
よって。
「有」=「直接的成」とは、ファーストインパクト前の世界と人類
「無」=「有と無」とは、その後、リリン・使徒・エヴァなどが混在する世界
「成」=「媒介された具体的な成」とは、裏世界の神の力とシンジの意図によって再創成されたリリン(何と呼べば良いか不明)が生きる世界。
②シンジ
「肯定→否定→否定の否定」と言うシンプルなトリアーデ。
「肯定」=誰かのためにエヴェに乗る
「否定」=自己喪失・自己疎外・自己外化
「否定の否定」=自己内化・自己帰還。自己否定・自己疎外において、その「他在化」したものの中にや投影された姿に自己そのものを見出して自己に帰る、もしくは自己を獲得する
序破急シンの各作品の中で、シンジはこれを繰り返してる訳ですね。
③ゲンドウ
「直接性→反省と媒介→自己還帰存在」と言うトリアーデ。「抽象的悟性→弁証法的否定的理性→思弁的肯定的理性」とも。
劇場版とアニメ版しか知らないワタクシ的には、ゲンドウの内面変化が、全然わからないんです。なんで、このシンエヴァの終盤のみを取り出してみると、こうなるんだろうね、って事で。
「直接性≒抽象的悟性」=人類補完計画を淡々と実行するプロセスにおける冷徹
「反省と媒介≒弁証法的否定的理性」=シンジとの対話の中における気づきと変化
「自己還帰存在≒思弁的肯定的理性」=1号機の中にユイを見出しユイの選択を受け容れること
④エヴァンゲリオン
「制約→非制約→被制約とそれの制約との合」
「制約」=リリンの乗るエヴァ
「非制約」=使徒になったアスカ等、解放されたパイロットが乗るエヴェ
「被制約とそれの制約との合」=ユイが同化した1号機
取りあえず、今日はここまで。
終劇 |❙
ヱヴァンゲリヲン新劇場版シリーズの続編にして最終話だけど、なぜか今回はシン・エヴァンゲリオンの表記と相変わらず意味深な作品。
上映前、これまでのエヴァンゲリオンとして、序・破・Qのあらすじをダイジェストでみせてくれるけれど、当然の如く、これだけ観てもチンプンカンプンだし、忘れていた人がこれを観てもへのツッパリにもならないでしょうねw
そしてお馴染み、ざっぱ~んの映像を背景に、お馴染み誰かさんの懐メロ鼻歌が聞こえて来て始まっていく…今回はチータ+佐良直美ですかw
前作からの繋がりをしっかりと描きながら様々な人物が登場し、シンジ君達と絡んでいく様子から、今回で終わりだからねぇ…という思いになっていく前半。
まあ、殻に籠もるシンジ、苛立つアスカ、そして今回はすっとぼけ感増し増しで賑やかし要因かよっ!とツッコミと絵面に笑いどころ満載な初期ロットw
なんかほのぼのチンタラしている様にも感じたけれど、ここまでで既に結構時間が経過していてあっと言う間だったし、中には設定を匂わせる、えっまさか?なセリフもチラホラと。
いよいよ話が本格的に動き出して、お馴染みの説明ゼリフの嵐だったり、聞いたことの無いワードが飛び交い捲りだったり、設定や理屈はチンプンカンプンな部分もあるしで、かなり脳内補完が必要ではあるけれど、何がしたいのか、どうなって行くのかは理解出来る。
又、前作でガキんちょで諸悪の根源的扱いのシンジや、冷静に振り返ると14年間の空白があるのを知っていて何も説明しないWILLEが悪いんだろというモヤモヤや、その他登場人物の設定等々を補完してくれるという、珍しく優しい展開w
トレーラーでも流れている紫の二体のバトルの後、ほんの少しだけダレ気味だったものの、それ以外は終始賑やかし要因がいるしテンポも良いし、何より、ちゃんと終わってくれてとても良かった。
???が沢山あるのに、話がわかって、終わりを迎えるというだけで☆を+したくなるっていう甘い補正は止む無しでw
3つの「まさか」でしたが、大筋では大団円ですね。
なにせ20数年、追いかけてきたものの「終劇」で、まだ冷静に評価できないのが本音。3つの「まさか」に驚きましたが、大筋では大団円ですよね。
最初のまさかは「高畑勲」展開ですね。農業を通して「そっくりさん」が人間性を獲得していく。確かにエヴァというのは、加持さんのスイカ、ぐらいで一次産業があまり取り上げられていませんでしたね。庵野秀明は宮崎駿をナウシカで、高畑勲を火垂るの墓で経験して、ようやく最後の劇場で、エヴァの世界の日常を観れた気がします。
もう一つの「まさか」は、アスカ&相田のカップリング!これは、どんな同人誌でも無かったんじゃないですか?これは結局、シンエヴァでは「全てを救う」というコンセプトだから、残ったもの同士なのかな?ラスシーンでのレイ&カヲルのカットもそうかな〜。シンジ&マリは、きっとマリは母親代わりですよね。マリ(マリア)と母親のユイは同世代ですしね。
最後の「まさか」は、ラストが貞本版漫画と同じ構成とは、、、。ちょっと正確に覚えていないので、違っていたらゴメンなさい、ですが。貞本エヴァのラストでは「転生」しなかった登場人物(ユイ、カヲル、マリ)が、新劇場版では救われるという設定。しかし、貞本エヴァと同じラストをやってしまうとは、、、。
こういう「まさか」はありますが、大筋では最大公約数的な終わり方ですかね。途中で「第7シンジ」とあったように、大方の予想通り「パラレルワールド」設定でしたし、初号機のユイと13号機にゲンドウが乗って心中。初めから初号機にユイがいるって設定だったので、当たり前の結論ですよね。
ただ、それはそれで良かった気がします。アニメのなかで「さよなら、全てのエヴァンゲリオン」とあったように、我々も全てのエヴァ作品に「さよなら」を言えるような作品。庵野秀明にもエヴァに「さよなら」をして新たな作品に向かって欲しいです。
とは言え、もう数回は観て、噛み締めたいと思います。
語りたくなる作品/雑談(ネタばれ有)
エヴァほど多くの人に「語りたい!」と思わせる作品はないのかもしれません。友人が少ない僕もそんな一人です。
一人で映画館へ向かい、鑑賞後から一日中「あー、エヴァが終わってしまった、面白かったなー。」とふつふつと沸き起こる様々な感情を語りたく初投稿します。
開始直後の戦時日本のような集落、『この世界の片隅で』を思わせるような共同体での生活。
ほっこりしたヒューマンドラマ的な物語に「俺は何を見せられてるんだ!?これからどうなってしまうんだ…」と思わされましたが、中盤からのドーパミンが脳内に溢れ出すような戦闘シーンと内面世界を混沌と描くエヴァ的展開に安心しました。
(超余談ですが、東京駅に「綾波レイのにんにくせんべい」という商品が売っており「綾波レイの無機質なイメージと最もかけ離れた商品じゃないか」と笑ってしまったのですが、今回、土仕事に勤しむ姿や赤ちゃんと触れ合う綾波はそんなに遠くもないなと思ってしまいました…笑)
アスカが戦闘前にシンジと話に行くシーンでは、いざこざがあって別れたカップルが10年ぶりに再会した、みたいな生々しさがありました。
「なんで私があなたを振ったか分かる?」「あのときは俺は君のことちゃんと理解できてなかった。ごめん。」「あなたのこと好きだったな。でも、もう昔の話だね…。」みたいな。
庵野監督の恋愛経験を反映してるのでしょうか?笑
最後の結末は驚きのマイナーカップリングでしたね。
ケンスケ×アスカ、シンジ×マリはたまに同人誌でも見かけることはありましたが、少数派だったのでは…。ちょっとアスカの扱いが軽いのではないか、と思わせられる気もしましたが、何はともあれ幸せなら良かった!
旧劇での全てを破壊するような結末、「全て壊れてしまえ」みたいな暗く陰鬱な衝動溢れるエヴァが好きだった僕には少し物足りなさも感じましたが、全ての登場人物を救う今回の展開はなんだか安堵も覚えました。
小説家の滝沢竜彦が旧劇のエヴァを見て絶望し、エヴァのエロアンソロジー『失楽園』に多くの人が魅了されていった、みたいなことを言っていましたが、同じように救いのないラストになっていたら日本にエヴァのエロアンソロが氾濫してしまったかも…笑)
宇部新川駅は庵野監督の地元だそうですが、そうなるとシンジ=庵野監督、マリ=安野モヨコなのか!?とか思ってしまいますね。
(そういえば、「シュガシュガルーン」とか、オチビサン?の絵本とか出てきてましたし。)
なんだかんだ、今までのほぼ全てのもやもやを回収し、爽快感・エンタメ感、内面世界の混沌的描写と、今までの総決算ともいえる最終回に安心と少しの寂しさと感じつつ、全体的には大満足で見てよかったと思える作品でした。
さようなら、全てのエヴァンゲリオン
平日の真昼間だというのに映画館には多くの人が集まっていて、しかも年齢層は同年代から中年まで多岐に渡り、改めて同作の歴史を痛感しました。エヴァンゲリオンを初めて観たのは10歳の頃で高々6年しかエヴァに触れてきませんでしたが、そんな自分でさえ上映後は胸にくるもの(?)があったので、25年間同作を追い続けた人々はきっと良い意味でも悪い意味でも文字では表現できないほど多くを感じることができたと思います。
Qでかなり物語を引っ掻き回しての今作だったわけですが、序盤では荒廃した世の中でも強かに生きる人々の暮らしの豊かさを、中盤では個々人の繋がりの中でシンジが見出したものを、成長を描き、終盤では主要な登場人物の物語を、そしてシンジのエヴァとの決別を旧劇のタッチで実にエヴァンゲリオンらしく上手くまとめ上げたなと感じます。それでいて、これまでのエヴァンゲリオンと比べて理解しやすくかなり前向きな作品となっていてシンジがやっと報われたような気がしましたw。また、エンディングには様々な意見があるとは思いますが、シンジとエヴァの決別、ひいては我々エヴァに魅せられた人々とエヴァンゲリオンというアニメ作品の決別であるようにも思います。ですから、最後の駅のシーンは別世界に飛んだとかそういうのではなく、シンジの旅立ちの暗喩ではないでしょうか。
ただ、どの解釈が正解だとか、エヴァンゲリオンはどういう作品であるかだとかは庵野監督から語られない限り結局のところ答えは藪の中ですから、さほど重要ではないでしょう。個人的には本作で25年に及ぶこれまでの物語は伏線も回収して終わったという認識ですが、自分の感想、自分の解釈が有ればそれで良い。視聴者が勝手に考察しまくる作品、それがエヴァンゲリオンだと思います(投げやりですが、、、)。
最後に、長くなりましたが庵野監督に、全てのチルドレンに、ありがとう。そして、さようなら
まあ、"さようなら"はまた会えるおまじないですからもう一度観に行きますがね(^ω^)
旧エヴァからのファンの視点
エヴァの結末としては満点でした。
時代が変わって、環境が変わって、思いが変わってしまう…そんな現実に寄せて作られた結末なんだろうなと、この評価はそんな結末を受け入れられない一個人の感情からの評価です。
時が結末を変えてしまったなら残念でなりません。シンジは前を見て生きているのに私はまだ後ろを見て生きているからです。
泣きました(ネタバレあります)
ネタバレあり
かつてリアルタイムで10代だった私達にシンジ達がようやく追いついてくれました。
まさかエヴァで泣く日が来るとは。
真っ赤に染まったパリから始まるシンエヴァ。いつもの通り空白の何年間から始まると思って居たのにきちんと続編として始まった事に驚き。この辺は普通にエヴァンゲリオンしてます。
そして3人が汚染された街を歩いていくシーンへと移ります。ここで珍しくOPとしてスタッフや監督の名前が出ます。これはエヴァンゲリオンシリーズとしてはかなり珍しい。が、いよいよラストなのだな、と思いました。
ただ歩いてる3人。特にセリフもありませんが仮称アヤナミレイの仕草がテレビシリーズとも序破ともやはり違い、そうだ。このアヤナミは綾波じゃないんだった、と思い出させてくれます。
そしてQで死んだと思わされていたトウジの登場。Qでは分かりづらかった空白の間をここできちんと視聴者側がついてこれるように間を取ってくれている。言葉で説明されるよりも分かりやすく、後の続くアスカのセリフやQでのアスカの態度も説明がつくようになっています。
これまではアスカは私、私、私!と自己主張が激しく表面上は自己中心的に見えるキャラですが、承認欲求が強いというキャラ。それが満たされたのが分かるのがアスカがここから相田ケンスケの家で過ごす数日間、自分の事ではなくケンケンはケンケンはと自分の事よりも彼を優先します。これはアスカの中での優先順位が異なったのでしょう。そして決定的なのが私は守るために居るのだというようなセリフ。
今までのアスカならば守るのではなく勝利もしくはエリートで居るため、つまり自己承認欲を満たすためでした。それが大事な人(存在)、自己を認めてくれる相手が出来た事で大きく成長したという事だと思いました。
そして物語は大きく完結へと進みます。アヤナミレイから綾波を超えて本当により人間に近づいた人造人間としての綾波レイ。そんなレイとユイが似ても似つかない存在になり孤独が増すゲンドウの心の内。
カヲルが何度も何度も同じ演者を繰り返しその内にシンジを自己のストーリーに加えたという事実。司令と呼ばれゲンドウと同じ服を着てあの机に座るカヲル。
親がしでかした事の後始末をしていったミサト。そして同じように後始末をしようとしたシンジ。
かつてミサトは自分とシンジを重ねて見ていたと吐露しますが、知らずの内に重ねていたのはむしろシンジだったのではないでしょうか。
セカンドインパクトではミサトは自身の父が代わりになり守られ、けれど守りきれずにその役目はかつて父の姿を見ていた加持へ。セカンドで父を失い、サードで加持、そしてフォースではミサトが。
劇中で大きく語られる事はありませんが、なぜミサトはミサトと加持の子供で加持リョウジとシンジがツーショット写る写真を見ていたのか。あれはケンスケが送った映像から切り抜いたかケンスケがミサトに送った物です。加持リョウジだけの写真ならばケンスケがシンジを加持リョウジに紹介する前に用意出来たはずです。
ミサトはシンジを自分の子供のように思っていたのでは無いか。かつての恋人であり子供も父である加持へ対する愛とは違う親に近い愛情であったのではないかと思いました。
そしてシンジはユイに守られ、海岸へ。ミサトというもう1人の親が用意した槍を使って世界を再構築するために。
そのシーン線画、絵コンテに変わる段階は文字通り槍で世界を描き直しているのを表しているのだと思います、シンジが。
それを破るように現れるマリ。あの屋上でぶつかって来た時と同じように空から。間に合ってよかったと、マリは言います。恐らくマリはアスカがしたように人を超えた存在なのでしょう。マリはかつて人を超えた使徒の力を見せると言ってビーストモードを使います。ですからマリの存在ならば置いてけぼりになる可能性もあったのかなと思いました。
一人一人が幸せになるその瞬間へ送られ、そして大人になったシンジ。今までの出来事がほんの数分のうたた寝の間に見た浅い夢の中のように感じますが、首にはまっているチョーカーとその後に現れるマリが夢ではなく、現実で、しかし使徒やエヴァの居ない世界を時間を巻き戻すことなく、むしろ、彼らが過ごすべきだった本来時間軸へシンジがきちんと作り直し描き直した事を示しています。
初日に2度観る機会を得ましたが2回目の方が号泣しました。今までのエヴァンゲリオンが遠回しにメッセージを送っていたのだとすれば、これはド直球です。ネタバレされたとしてもエヴァンゲリオンが好きならば観る価値があると思います。全ての謎が解明されるわけでも全てが説明されるわけでもありません。
けれどエヴァンゲリオンが好きならば嗚呼エヴァンゲリオンとしてきちんと終わってくれたと納得出来ると思います。
25年、待って本当によかった。
全てのエヴァンゲリオンに感謝を。
そしてさようなら。
庵野監督をはじめ関係者のみなさま、おめでとう。
綺麗に終わった
7月21日 11回目(最後)の観劇
ついにこの日を迎えてしまいました。
最後は豊洲のユナイテッドシネマで、
感無量の終演鑑賞。最後に拍手が起こり、
これまた胸が熱くなりました。有難う、
最後のエヴァンゲリオン。有難う、庵野監督。
ここまで夢中になれる芸術作品に出会えて
幸せでした。さようならは、また会うための
おまじない。さようなら。
=====
7月15日 10回目の観劇。
ついに7/21終演の知らせで、最終日にいつもの
劇場で観ようと思っていたら、なんとそこは
本日が最終上映との事。夕方の上映時間だったので
仕事を早めに切り上げ、ついに観劇回数10回目と
なりました。特典も今回はマリをゲットできて
前回のカヲルと両方揃いました。相変わらず
戦闘シーンの迫力とストーリーの奥深さに感動し
最後のOneLastKissのところで涙して、
本当の意味での終わりの近さを噛み締めました。
7/21、都内に出向いて最後を見届けます。
====
6月27日 9回目の観劇。
昨日から配布され始めた最後の特典と
薄い本も合わせてゲットできました。
これで上映特典は全てコンプリートしたはず。
結局エヴァの面白さを考察するに、私はやっぱり
戦闘シーンのカッコ良さと綾波レイ(黒波)や
マリ、ミサトさんらのキャラの生き様に共感する
ことなんかなぁと改めて思った。ストーリーの
奥深さももちろんあるんだけど、案外単純な理由
でここまでハマっているのかも。
ラストシーンはいつも、場面の切り替わり方が
2001年宇宙の旅のラストと重なる。少し哲学
っぽさがありますね。
さて目標の10回に、後1回となりました。
次は最終上映日に行こうと思います。
====
6月13日 8回目の観劇。
昨日から始まったラストランに向けた、
エヴァ3.0+1.01を観ました。少しカットの編集が
あったという事ですが、過去7回観ていた割には
どこが変わったのか気付けませんでした。
黒波がつばめと居るシーンと、マリがアスカの
髪を切るシーンが少し新しくなった気もしますが
全く自信がありません。ドルビーやAtomos対応の
会場では1.0のままとの事ですが、あまり気にする
事は無いと思います。
それより、Eva Extra Magazine特典が
超サービス・サービスぅです!
Qの2時間前の漫画も良いし、アニメカットが
とても素晴らしい!!これをもらいに行くだけでも
めっちゃ価値があります!
特に私は3歳になったつばめが、レイのぬいぐるみ
を抱いて笑っているカットがとても感動しました。
つばめは実はモデルが実在していて、その子も
レイのぬいぐるみを気に入っているとか。
もっとつばめを抱っこしていたかった、と
黒波が言葉を遺しますが、何だかとても素敵な
カットだと感動しました。
本当に最後の上映日にはもう一度駆け付けますが
もしかすると次がその回になっちゃうかなぁ。
=====
6月6日 7回目の鑑賞。
ついに禁断の、妻を巻き込んでの鑑賞でした。
せっかくならこの映画を妻に観せたいと
急遽 序・破・QをAmazonPrimeVideoで私の
解説付きで学習させ、やや強引にシン・エヴァを
観に行きました。意外にも良かったようで、
ミサトさんやアスカ、マリのファンになってくれた
みたい。私が推してる綾波レイは、クローンなのに
なぜあなたは好きなの?と理解されず、まぁ仕方
ありません。でもエヴァファンを一人増やせて
シナリオ達成です
=======
5月3日 6回目の鑑賞。
4機のNHGで槍を完成させるゲンドウの目的のため
ヴンダーがマーク9Aに乗っ取られると理解出来た。
6回目の鑑賞でようやくパンフレットをゲット。
アフレコ時の声優さんの気持ちなども丁寧に
紹介されており、また次回鑑賞時に気持ちが入り
そうです。公開最終日まで、あと何回観られる
かなぁ。
=======
4月24日 5回目の鑑賞。
今回は若干小さめのスクリーンを結構前方から
鑑賞してみた。やはり前から観ると視野角全体に
映像が広がる、これはこれで迫力あり グー👌
鑑賞の仕方もストーリーを解釈すると言うよりも
映像の、特に真ん中より周囲の絵を楽しむ感じ。
だんだん芸術鑑賞の域になってきました。
=======
4月10日 4回目の鑑賞。
いよいよ本命のIMAXで鑑賞。もうオマケは無し。
やはり映像と音響の迫力が1割増しに感じました。
さすがに4回目となるとストーリーはかなり理解
できるようになり、やっぱりエンディングの
宇多田ヒカルで涙が出て来ます。噛めば噛むほど
ストーリーの奥深さが身に沁みます。
トトロも見つけました!
=======
3/29 3回目の鑑賞。
考察動画のおかげでだいぶ内容理解できるように
なって来た。星0.5追加します。
今回のスクリーンは大画面だが音響が物足りない。
次回4回目はIMAXで観ようと決意しました。
入り口で頂く特典が変更されていましたね。
今回のは劇中セリフでかなり嬉しいプレゼントでした。
=======
3/13 2回目の鑑賞。
ゲンドウが頭を打たれたところで
トイレが我慢できず数分間席を離れてしまって
ちょっとショック。
ビールを注文したのがいけなかったと反省。
印象は変わらず、戦闘シーンの意味付けが前回より
良くわかって楽しめました。
最後の駅のシーンでカヲルくんとレイがいたけど、
彼らは人間になって生活しているという事?
まだ後半の意味付けは充分理解できていないところ
あるので、もう一回、3回目にまたチャレンジ
したいと思います。
宇多田ヒカルのOne Last Kissは、自然と
涙が出ますね🥲
=====
初日にぜひ観たいと思い、娘と行きました。
壮大なサーガの、一つの綺麗な終わり方でした。
ただし、13号機に到着した以降の展開はパラレル
ワールド的な世界が出てきて解釈が難しかった。
シンジとゲンドーの父子対決も、言っている事が
難解で一回では充分な理解は無理でした。
でも様々な懐かしキャラが惜しげなく投入されて
(この辺はスターウォーズ最終作にも通じる)
ファンには堪らない演出でした。そう言えばエヴァ
を劇場で観たのは初めてですが、迫力がテレビと
全く違ってこれも嬉しかったですね。
これまで序、破、Qをそれぞれ3回ずつは観て来た
ので、この最終話もあと1、2回は劇場で再鑑賞
したいと思います。
やっと終われました♪
大風呂敷をひろげてしまった「Q」からどうやって納めるのか?納められるのか?と心配していましたが・・・見事に納めました!
起「序」
承「破」
転「Q」
結「𝄇 」
TV版から続く今までのモヤモヤが、今回でかなりスッキリして気持ちよく終われたのではないでしょうか?
東宝特撮映画「惑星大戦争」のBGM、「さようならジュピター」の挿入歌まで流れてきた時の「シン・ゴジラ」を彷彿させる演出は「庵野さん特撮好きだね♪」ってニヤリ♪
また、「生きる」「仕事」「幸せ」「親子」「家族」「仲間」「愛」「成長」「大人」
普段あまり意識して考えないことを改めて考えさせられます
コロナ渦の今だからわかる様々なメッセージも多数あり、いろいろな意味でスッキリする映画でした
エヴァ物語の終焉
思い返せば20余り年前に始めてアニメでエヴァと出会ってから20年。本日ようやくエヴァンゲリオンが幕を下ろした。大学生の若かった自分は親子関係や恋愛、友人関係をシンジたちに投影して夜を明かした。そして今社会人になり結婚し子供も授かり、大人になったシンジや当時解らなかったゲンドウの胸の内に共感を覚えることになるとはあの頃は思いもしなかった。
図らずもリリスに遭遇してしまいファーストインパクトを被災した全人類、その力を権力として取り込んでリリスによる人類支配を目論むネルフ、その中で最愛の妻を事故で失い喪失のなかで救済を求めるゲンドウ。ゲンドウの苗床はエヴァの力を起点としたリリスとリリンの消滅と存在の同質化。そのために仕組まれた人造人間アスカ、アヤナミ。何も知らず育ったシンジ。ユイの力が宿るエヴァ初号機によって救済されるゲンドウ。結果的に救われる世界。リリス消失をもって消え去るエヴァ。人間でありながら自らを犠牲にしたカジ夫妻。全てを乗り越えて成長したシンジ。新世紀のはじまり。
洪水のような思い出や伏線の数々があり、書ききれない。最後まで残った謎は、リリスの始祖やネルフの経典の発祥だがいつか回収されるときが来るのだろうか。
シンジの成長は清々しいものであったが、ナギサとの死別、レイとの死別、父親との死別を乗り越えて果たして彼はどのような成長を遂げてしまったのだろうか。人間の逞しさだけでは説明しきれない矛盾を孕んでいると感じた。歳を取らない彼らをトウジたちはどのような思いで見守っていたのか。
映像作品としても3Gやポリゴン、手書きやデジタル、実写など挑戦的な表現が多くて飽きることがなかった。ラストのラフスケッチの件はよくわからなかったが。
よくある親子の葛藤や幸せとは、といったテーマを超えたスペクタクル。
初日に観てよかった。
製作者の皆さまに感謝。
マジかよ・・・
前半はQの答え合わせと、消化してなかった要素・話を描いてました
後半になるにつれ、冷や汗が・・・(笑)
真面目に観ると、旧劇を彷彿とする描写が多かったのですが
かつてほど難解な解釈に偏ってませんでした
しかしその、私はてっきりエヴァらしからぬ綺麗な風呂敷畳みを期待してたんですが・・・
まあ鬼才庵野秀明が我ら凡人の予想を裏切るのは承知済みではありました
話は変わり、素晴らしいと思ったのが物語の調和を破壊すべく生まれたマリ
いわば彼女が「旧劇になり得る未来」を『破壊した』言っても過言ではないでしょう
上手い扱いだな、と感心しました(胸の大きなイイ女・・・)
しかし映画的にあんまり上手くないような・・・発砲のくだりはどうも・・・
結論、この映画に積年の思いを抱えて突撃するのは良いでしょう、ある意味エヴァらしいです
※追記
あの後多くの感想を読ませていただいて、この映画は「新劇」を補完するものではなく
長々と続いた「エヴァシリーズ」そのものを終わらせる装置なんだな、と解釈を改めました
そうでなければあのキャッチコピーは燦燦と輝くことができませんからね
あの破天荒な終わらせ方も「エヴァンゲリオン」らしい終わらせ方でしょう
近いうちに2回目を観て、自分なりに再解釈してみます
※また追記
一部記述の修正を行いました
全396件中、321~340件目を表示