シン・エヴァンゲリオン劇場版のレビュー・感想・評価
全396件中、281~300件目を表示
(u_u)終わりましたョ。
なんて上品で大人しい終わり方だったんでしょうか、、、。
綾波を救おうとする後先考えないシンジくんの愛情を描いた破!
後先考えないシンジくんがまたやらかしてしまうQ!
コレは面白かったし、共感も持てたし、すぐに手を差し伸べる人間でありたいと常に思っている小生にとっては前作は納得いくものでした。
人類が作ったビレの槍とシンジくんの活躍でなんとか人類はパラレルワールド的なシンジくんの世界で救われます。
ネルフは人類補完計画を前提とするリセットで人類を完璧な世界に導こうとしますがビレは人類をコンティニューの形で正しい方に導こうとします。結末はどうであったか?人類補完計画に行かないまでも何となくリセットに近いような形のような?小生としては傷ついた人類がクローン人間を含め少しづつでも再生するのを期待してましたが。
どのアニメもそうですがリセット物って、死んでも次があると言った甘えのようなものを感じてしまい、あまりいい感じはしません。
しかしながら伏線回収と落とし所はこの辺しかなかったんでしょうね。
アスカ 綾波 マリ 登場人物の描写は良かった、特にマリがキーマンで何かをしでかします。彼女ら推しのファンにはたまらないでしょうね!お色気シーン含めて、、。
突然ですが国会議員の方にお願いしたいのですが〝日本映画法〟の発布お願いします。〝次回作は2年以内〟と!!
レビュー見ているとエバ最終回でずいぶん救われた人がいるようです。
全ては宇部から始まった
仕事で3年半宇部に住んでいた。
同僚がやたらとエヴァが凄い観てほしい!と云うので付いていった。
宇部の寂れたアーケード街の片隅にこれまた昭和レトロの小さな映画館で『シト新生』を観賞。
TV版も観ていなかったけれどカットアップの斬新な編集や明朝体のタイポグラフィでたちまち虜になった。
次の週末地元福岡に帰り、全て録画しているという友人宅に押し掛け24話ほぼノンストップで観賞。
そして宇部へとんぼ返り。
それからずっとエヴァを追い続けてきた。
その間、躁鬱病にかかり、自死も考えるほど酷い状態に陥ってきたがエヴァを観ることで精神の安定を何とか保つことができた。
エヴァを知る前はアニメをどこか馬鹿にしていたからアニメ好きになって良かった。
安野モヨコの絵本を幼児が綾波に差し出したあたりから涙が止まらず大変だった。マスクしているから眼鏡が曇って見ずらいし。
しかしマスクがあって良かったのはほぼ嗚咽していたから表情を見られずに済んだ。
洞木ひかりが安野モヨコで綾波は庵野監督との子どもを意味していると思う。
大人になっていくシンジは今の庵野監督でゲンドウは過去の庵野監督を感じる。
おそらくそうした私生活があからさまな点が鼻につく人は厳しい評価になるのだろう。
私はこの作品&庵野監督との内面とシンクロ率が高いので一アニメ好きとして評価できているのか自分でも怪しい。
どんなラストでも受け入れたかもしれない。
ただ観た人なら気づいたと思うが「おとしまえをつける」という台詞が4、5回出てきて、見事に綺麗な形で終劇の白コマまで見せて(魅せて)くれてとても感謝している。
久しぶりに宇部を訪れてみるか。
面白いけど、確実に退屈
ちゃんと本当にエヴァンゲリオンが終わっていて
そこは、よかった。
ただ、エンタメ映画としては全然だった。
そういうアニメじゃないからといえばそれまでだけど
でも、退屈するのは間違いない。
シンジの立ち直りの遅さからの
一瞬での気持ちの切り替え、それに伴う田舎映像がめちゃくちゃ長い。
中盤の碇登場からのバトルがとにかく長い
後半、インパクトからの流れはまあ、エヴァっぽくて良いが
専門用語の応酬であれで会話が成立してるとすれば
登場人物全員、イキり過ぎだと思う。
意識の高いIT関係者の会議風景かと思った。
リリスやアダム、なんちゃらインパクトなど、もっと分かりやすい言葉に言い換えて
会話してほしい。自分たちが特別な人間だと勘違いしないでほしかった。
そして、ラスト。
大変エモく作られていて、全てのエヴァンゲリオンを終わらしにかかっていたが
最後は、恥ずかしがらずに残酷な天使のテーゼを流すべきだと思った。
あれさえ流れれば、、、本当に納得のいくラストになったのに。
そこを避けていることが、逆にカッコ悪かった。
という、良い映画は間違いないが
それは、エヴァンゲリオンなだけであって
あれを新人の新作で作った作品だと、誰も見ないと思う。
希望が叶った
シンジくんのおかげで現在は使徒もエヴァも無く平和な世の中になったと思います。
やっぱり逃げちゃダメ
もう最後だしループさせたらダメなんだなと思うと最後のカップリングもアリかと
ポスターのキャラの配置に納得しました
ありがとう
そして、おめでとう
シンジの願いは庵野の悲鳴
この映画で庵野監督はエヴァンゲリオンに決着をつけたが、TV版最終回やAir/まごころを君で描いた世界に決着をつけたわけではない。本当に、ただ単に、エヴァンゲリオンを終わらせただけである。
「ネルフの面々は子供に責任を押し付けてばかり」と批判されたからQで責任を引き受ける大人を描いた。今作では、「結局〇〇ってなんだったの?どういうこと?」と聞かれたからアイデアをふんだんにぶちまけて過剰に説明を行い、TV版で「え?終わり?」と皆を戸惑わせたからハッピーエンド感の強いラストを作った。それだけ。
人類補完計画を進めるNERV、それを止めるWILLE。決戦の舞台ははセカンドインパクトのあった忌まわしき地、南極…にあるよくわからない空間…の向こうにあるさらによくわからない空間。シンジとゲンドウは力ではなく言葉で語り合い、補完を望んだゲンドウをシンジが救済し解放し、責任を引き継いで自分の願いを果たした。その願いとは、エヴァンゲリオンのいない世界。チルドレンが幸せになれる世界だった。
というシンジの願いは、庵野監督の願いだったんでしょう?TV版をハッピーエンドで〆た、Air/まごころを君にで丁寧に人類補完計画を描いた。これでもみんな文句ばかり言うものだから、邦画でよく見る『何も解決してないけど解決した雰囲気を出した見てくれだけのハッピーエンド』を作って、エヴァンゲリオンもすべて消去して終えた。
シンジとゲンドウの戦いで書き割りが出てきたのはこの映画がただの虚構であることを示すため。ゲンドウにアスカ、カヲルがこれまでにないほど客観的に自身の心情を饒舌に語るのも、外側の視点を作中に導入した結果。エヴァンゲリオンはフィクションであり、それを構成しているのは私の趣味か意識である、と庵野監督は主張しているのだ。
とにかくエヴァンゲリオンにけりをつけたくて、エヴァンゲリオンを終わらせたくて、申し訳程度に人類補完計画やらなんとかインパクトを盛り盛りに描いて、最後はよくある展開を模倣しつつ物語を着陸させた。「なんやかんやあってみんな幸せになって暮らしましたとさ。おしまい」を地で行った作品。
ただ二人だけ、シンジとマリだけはエヴァンゲリオンの外に飛び出した。シンジがアスカともレイでもなく、破で突然登場したポッと出の女と結ばれたのは、庵野監督がエヴァンゲリオンの外側から来たる救いを求めていたから。アスカとレイがシンジに抱く偽りの愛(=fanaticの愛)ではなく真実の愛がほしかったから。
エヴァンゲリオンの中にいたのでは幸せになれない。外にいる誰かが助けてくれない限りは。庵野監督は誰かに助けてもらったことにしてエヴァンゲリオンから抜け出した。抜け出す際に大人を大人として描き、悲劇のチルドレンに幸せを与えたのは、シンジと同様に庵野監督も責任を果たしたかったのだろう。終わらせなければ終わらないのだから。
つまるところ、庵野監督はこの映画を通して「私は好きにした。君らはもう大人になれよ」とファンに伝えているのである。シン・エヴァンゲリオン・ユアストーリー。
正直、今ほど熱心なエヴァファンでなくてよかったと思ったことはない。神話ベースのSFは物語の本筋にはなく、マクガフィンどころかすべてノイズ。青春映画でいったら海に向かって石を投げるレベルの閑話。なくてもよいがあるとキリっとする程度の要素。TV版や旧劇場版を批判してSFの完結を待ち望んだファンはこれからもエヴァの呪縛に苦しむことになるだろう。
そして、シンジたちチルドレンに自己を投影していたファンは一人エヴァンゲリオンから脱出した庵野監督を見てどう思うのか。彼らに運よくマリが現れることがあるのだろうか。もしかしたら補完されたかったのではないだろうか。ならばエヴァの最終回としてふさわしいのはAir/まごころを君になのだが…。
さよならというおまじない
涙が止まらなかった。
帰りにスーパーで平然と買い物をしたが、ほんとは今すぐうずくまって泣き叫びたかった。
最初にエヴァンゲリオンを見たのは中学生の時だった。
私の地域では夕方6時頃に放送されていて、自分の部屋にテレビは無かったのであんなシーンもこんなシーンも食事の支度をしている茶の間のテレビで夢中で見た。
最初の映画は高校生の頃。
読む用と保存用にパンフを2部買ったのに、帰り道にチャリで転けてどっちもボロボロになってしまった。
新劇場版:Qを見て、もう私のエヴァじゃなくなったと思った。
私も大人になり、長い時間が経ち、もうエヴァへの思い入れもほとんどないと思っていた。
それでも涙が止まらなかった。
シンジ君が大人になったことに、こんなにショックを受けるなんて。
「こんなアニメに、これ以上人生を費やすな」
「人類補完計画より大事なことがあるだろう」
「真面目に生きろ」
「大人になれ」
「働け」
「目の前にいる人を大切にして、真っ当な人生を歩め」
「できる限り、ちゃんと全部終わらせるから」
庵野秀明が、そう言ってるように感じた。
優しいな。
帰り道で「One Last Kiss」を聴いたら、こらえ切れず泣いてしまった。
もう一度見たい気持ちもあるけど、もう見ないことにする。
HDDの序も破もQもぜんぶ消す。
パンフは買ったけど。
退化している
シンジに必要なのは母親なのだから、母親みたいな年齢の包容力のある巨乳女を見付けましょ~
アスカに必要なのも父親なのだから、加持やケンスケみたいな父性を持った男を見付けましょ~
くそくらえですね
なんですか?
この理想論は?
シンジとアスカが安っぽい理想ではなく、現実を見据えて傷つけ合いながらも生きていく選択をした旧劇の方が遥かに崇高でした
新劇はまとめて茶番でしたね
終劇:Ⅱ
まず第一印象は、綺麗に終わりましたね。
まだ整理しきれてないところもありますが、印象としては大団円。過去作からすると、作り手の物語を見る眼差しの優しいことが、なんといってもホッとさせられます。逆に見れば尖った所が少なくなったとも言えるので、少し複雑なところもあるのだけど、トータルとしては良かった。
映像は美麗で凄いだけでなく、作り手側の楽しんでる感が出てて、観ている側も楽しくなって来る。特にラストは、実写? どこまでアニメなのかよくわからない景色で、非常に印象的だった。
人類を巻き込んだ、はた迷惑なある家族の問題って要約すると身も蓋もないの。だけど、スターウォーズと同じ父親への葛藤がベースライン。息子が父を超えていくというのが王道だけど、本作はそれだけではなく、父親側の視点もあって、少し捻ったところが面白い。それにしても、シンジくんの急成長は、地味ながら過去からのモヤモヤを一気に吹き飛ばす破壊力があった。人類補完計画なんかの壮大な謎なんか、もうどうでもいいや、というくらいの爽快感。今までウジウジした彼をイライラしながら見てきたのは、このためだったのか!? (なんてね)
マニアでは無いので、過去作の伏線回収がどこまで出来ているのか定かではないが、兎にも角にも終劇に満足できた。また最初から観てみよう。
ワケわからなくていい
今一度、エヴァを描いてみよう
ということなら、
描きたい主題は何ら変わらないはずで、
どう描いたか、、、、、
長い年月、エヴァには振り回されてきましたが、
やはり着地点はそこですか、、、、
別にシンジがマリと駅から駆け出すのは
個人的には誰とでもよかったのでそうショッキングでもなく
黒波レイが諸々学習していったのにも関わらず
カヲル君バシャーッ!よろしく力尽きたのがビックリしましたね、、、
ケンスケとアスカが出来上がってるようには見えなかったなあ
アタシが鈍いんかな
アスカの中に使徒の要素があるのを知っているから
別に裸で過ごされても動じないように見えちゃったんだけど🤣
「Air / まごころを、君に」のようにまとまっていくのは想像していましたが、
だからこそ自分は
そうだよね、そうだよね、うん、いいよラストはマリでも
なぜマリかは何回も観て考えるよ
と着地したのでした
😌
土の匂い、というのが割とショックなポイントでした。
機械的なイメージが強そうなストーリーに、
これまたインパクトでかい、そこを大きく描きますか
というショック
ネブカドネザルの鍵の効用(?)がわかってスッキリ。
そうかあヒトを捨てられるのかあ〜
🤣
ヴィレにスタッフが沢山いるのはわかるけど、
ネルフにスタッフなんていなくないですか?
ゲンドウと冬月の2人だけでヴンダーの同型機なんて建造できないよなあ
🤣
まあ、楽しみました
😺
アレはどうなんだ、どうなったからどうなんだ
そんなの辻褄合わせるのが困難なのは
ずーっとエヴァを追いかけてきた皆さんお分かりではないですか
さらば、全てのエヴァンゲリオン
そこに立ち会えて良かったですよ
満点にしていないのは、
まだまだ考察の余地ありだから
🤣
気持ち悪いです
全部人の気持ちを悪くするための作品です。
二十年前の古い劇場版もそうでした。
現在は庵野秀明も聖人となり、現在の若者を教育しています。
しかし、この監督は分かりません。
当時の若者はすでに成長し、社会から不満を受けていました。
架空の幸福を求めながらも、容赦なく取り除かれた。
なぜ明日香はシンジと一緒にいないですか?なぜですか?完璧な劇場版をください。
武器として使われるだけです。もう若者ではない中年の人の思想を壊しました。
自分が求めている男女の主人公と一緒にいるのは間違いですか?
この劇場版は最初から最後まで使われるギャグです。周辺のシンジと明日香をこの輪から退出してください。
キャラクターを利用しないでください。
あなたの庵野秀明は役の後ろに隠れて彼らを楽しんでいます幸福。
この野郎
あの時の僕を迎えに行く
何年前か正確に思い出せない位の昔、小学生だった自分は映画館で流れるアニメの総集編みたいな前半が終わり休憩時間が開けた後半のその音楽と映像がトラウマになった、いや囚われたという表現のが近いのかもしれない。あの時のあの時点にエヴァが好きだった自分を置いてきたのだと思う。
学校で見た子なんて学年に片手もいなかったし、なによりお互いにあの作品を言語化が出来なかったから見終わった後の整理も出来なかった。
それから数年後、中学生になるとあのエヴァが流行りだした、やれ哲学だとかなんだとこねくりまわす友達やあれはこうだと考察する同級生をみて、彼らはあれを言語化出来るほどに分かったのかという衝撃と共に、ふと自分は碇シンジの年齢になったんだな~と痛感した。
高校の時か大学の時か、エヴァがリメイクされるらしいなんて話が出た、沸き立つ友人達とは対照的に醒めきった自分がいた。今さら何をするんだろうと、自分の中でのエヴァンゲリオンはあの時のあの映画館のあのスクリーンで終わっていたのだから。
始まった新劇場版シリーズ
見に行く気にもならず行かなかったが、見に行った友達から良かったという話を聞き、彼らの中では終わっていないエヴァが終わりに向かい走り出したという期待感や高揚感を感じた、ならば上映が終わる前にと足を運んだ。
始まりから終わりまで絶え間無い後悔しかなかった。これはエヴァじゃない、こんなのはエヴァじゃない。こんな大衆化した作品じゃない、自分が映画館で『気持ち悪い』とすら思ったエヴァンゲリオンはこんなロボットアニメでもない、庵野秀明はこんな作品が作りたかったのか。
序、破、Qの終わらない連鎖に、これは一体なんなんだとすら思った、映像は綺麗だし、ロボットアニメとしては面白くても、これが求められているエヴァンゲリオンなのかという疑問と裏切られたという一方的な悲しみだけが残った。
そして最後のエヴァンゲリオンが訪れた。
冒頭から1時間強、自分の中でのエヴァは別の意味で終わったんだなと思った。思い出の中のあの10歳にも満たない自分、あの時に全てを置いてこようと思った。
このままこんな感じで終わりに近づいていくんだろうなと思ったその時、アスカの口からシンジへのあの時の想いが語られた…その瞬間、自分の中で何かがはまった感覚があった、そこから最後まで自分が何を理解し何を受けとったのか全く解らないが、気づいたらあの時のあの映画館のあの思い出の中の自分と歳をとり青年ですらなくなった自分が重なっていた。
あぁ、これだったんだ。
あの時のあの自分を美化して、大人になれないまま無駄なプライドやエゴだけで新劇場版と向き合っていたんだ。作品とその歴史と向き合ってこなかったのは自分だったんだと。
あの時、あの映画館の自分をようやく迎えにいけた気がした。
ありがとうエヴァンゲリオン、ありがとう庵野秀明
待ち望んだエヴァの最終回ムービー
公開、初日に行けなかったのが残念。
エヴァの呪縛から、私も解き放たれた感じがしました。
今までのラストに比べるとわかりやすく。
これまでの登場人物がほぼ出演した事が嬉しかった。
エヴァファン向けの最終回だと感じました。
私も35歳
エヴァを見た当時からすると大人になったもので、
アスカとシンジのお互いが好きだった。私の方が先に大人になった。
中学生のころ、好きだったものどおしが、大人になり、
恋愛感情がなくなった時に似ている。
「破」のアクション大作としてのエヴァもすごい楽しかった。
今回のエヴァは、ヒューマンドラマを見ているような気分だった。
これまでも、人間ドラマは、いろんな部分で描かれてきたが
いろんな人やこれまで触れられなかった部分にも触れていて満足
ミサトと加地さん、そしてのその子供
ゲンドウの過去もより深く
アスカとケンスケ。シンジとマリ。カオル君とレイ
おのおのが別々の道に進みだしたラストの駅は、見てても泣けた。
過去最終回のラストシーンや、カオル君とシンジ君が話す海辺?
旧劇場で、アスカとシンジが最後にいた海辺。数々のシーンが登場
きになっていた加地さんのラストも描かれていてこれまでの謎に触れてくれた。
エヴァに乗らない事を選んだシンジ君の未来がよいものになると本当にいいな。
ミサトさんが、最後に帽子をとり、今までのエヴァスタイルとなり決戦に挑み
シンジ君が制服をきて、エントリープラグ姿で現れるシーンは、
本当、ファンサービスだと感じました。
これまで、エヴァのテレビ版、旧劇場、新劇場とシリーズとともに成長してきた人こそ、
楽しめるそんなエヴァ映画だった。
最高の到着地点(6月15日追記)
エヴァだけに変な終わり方やったらどうしよとか思ってたけど
最高の終わり方やったんちゃうかな?
今までの伏線とかほとんど回収できたと思う
難しさはなくそのまま受け入れるのが大切で正解です
エヴァ熱がまた来たので序から見直してもう一度映画館に行きます
追記(6月15日)
3回観ました
2回目は4DXです
ネオンジェネシス
インフレーションによって作られた別の宇宙
エヴァの存在しない現実の世界(だから実写)
最後に行ったマイナス宇宙は量子力学の世界でイベントホライゾンにも似た場所
空間は移動できないが時間は移動できる
宇宙が誕生した場所にゴルゴダオブジェクトがあるんやろう
ガフの扉はそこへ通じる
全てのエヴァを消したのは別の宇宙にもエヴァが存在する可能性があるから
イベントホライゾンで過去からエヴァを消し去ったって感じ
繰り返しではなく(ループ物ではなく)最初から宇宙を作り直した感じかな
シンジとマリに記憶があるのはゴルゴダオブジェクトにマリがシンジを助けに行った時に2人の記憶だけが過去に飛ばされネオンジェネシスの世界の2人に上書き?されたから
チョーカーに関しては分かりませんw
物質が過去に送られるとは思えないし
でもあれは物質ではなく形を成す記憶なのかも
最後にマリがチョーカーをポケットに入れたけどポケットはふくらんでなかったしね
3回目を観てこんな感じに思いました
1回目は感情だけが残り
2回目は4DXだったのでアトラクションとして楽しみ
3回目でしっかり内容を観た
次見るのはBlu-ray買ってからかなぁ
また劇場行くタイミングあればいいけど
追記
4回目観に行きました❗️
アスカってそういう事やったんや…
急に現実を叩きつけられた気がする
リアルタイム中学生からみてました。
同年代のシンジ君に感情移入できてたからすごい共感できた作品。難しい設定は置いといてアニメーションや音響、BGM昔から作品をみてなくても楽しめる作品。
第三村のシーンの綾波がかわいすぎるし、好きだった事を伝えるアスカもかわいいと思ったが最終ただのオッパイ好きかと思ってしまった。
急に大人になるシンジ君。大人になった今でも14歳のシンジくんの心情に共感していたが急にリアルを叩きつけられる。
正直現実と向き合わずにもう少し夢を見ていたかった。シンジ君も成長してるんだまわりに置いていかれるという不安な気持ちになった反面、前に進もうという気持ちにもなれた。
ただラストはしっくりこない。
これは一つのパラレルワールドの話にしても。
ありがとう全てのエヴァンゲリオン
ああいう終わり方もair まごころを君にがあったからこその 庵野監督なりの1つの裏切りだったのかな
エヴァンゲリオンに出会えて本当に良かったと心の底から思える作品でした
確かに今までのTVシリーズ 劇場版の内容は全部補完しましたが、結果...
確かに今までのTVシリーズ 劇場版の内容は全部補完しましたが、結果は正直納得できないですね。まるでセーラームーン昔のTVシリーズの終わりみたいに。シンジ君ガ新たの世界作ったことで、すべでの人生き返せました、ただ各キャラクター1カード程度で、幻が現実がも曖昧な感じ。シンジとマリが確かに過去の記憶が残ってますが、一瞬出たの綾波とカヲルはどうだろう。ただの似でるの他人なら残念ですね。
まぁいいところと考えると、新作った世界のことで綾波とカヲル存在でも話し的に通れるから、綾波派の俺として、少なくでも、綾波まで生きでる。旧劇場版よりましですね。
エヴァファンではない一映画ファンとしての評価 (長文注意)
タイトルにも書きましたが、以下の感想はエヴァンゲリオンのファンではなく、エヴァファンの友人に連れられて観に行った一映画ファンとしての評価になります。
そのため、作品に対する理解や考察が至らない点が多々あるかと思いますが、あくまで大衆向けに配給されているこの映画を見た一観客、一映画ファンの意見としてお読みいただければ幸いです。
前述のとおり今回は熱心なエヴァファンの友人に誘われ、公開初日に観に行くことになったのですが、デートムービーでもないアニメ作品に、大してそれに思い入れもない友人(私)を連れて行く時点で、友人としても鑑賞後に内容を一人で消化できるかどうか不安だったのかなぁと。
私自身はあまり舞台挨拶とかに興味が無いタイプなので、映画を公開日初日に観に行った経験がほとんどなく、少なからずテンションが上がってしまい、「納得できない内容だったらどーする!?」などと軽口を叩いてみたりしながら開演を待っていました。
今回観に行くあたってTVシリーズから旧劇場版、序・破・Qと何度か復習して臨みましたが、前作が「急」もといQuestionの「Q」かのような物議を醸す内容だったということで、友人も私も、そして恐らくほかの観客の方々も最終作である今作でアンサーが得られるのか、それに納得できるのか不安だったと思います。
と、ドキドキしたりワクワクしたり楽しかったというか、心が動いていたのは作品を鑑賞するまでの時間だったような気が今となってはします。
内容についてコメントすると、ファンとして納得できるとかできないとか、その部分は私には分かりませんが、単純にアニメーション作品としてつまらない、出来が悪いと感じてしまいました。
まず、一応書いておくと、ファンの間で喧々囂々の議論となっているカップリング問題(?)については、綾波も式波もしょせんはクローンですし、「レイかアスカか」と考えても新劇場版以前まで人気を二分していたキャラクターのため、そのどちらかを選ぶということはもう一方を選ばないということになるので、制作側としてもシンジくん個人の選択としてもマリになるのは個人的には現実的ですっと理解できる結果でした。
もともと実の母親の幻影としての綾波や、思春期の男の子のグロースファクターとしての異性であったアスカ(惣流・式波)は、成長し殻を破り自ら戦うことに決めたシンジくんにはもう必要がない存在ですし、
式波とケンスケのカップリング(というより関係を持っているだけの気がしますが)についても、戦争未亡人ではないですが、いくら好きな相手でも帰りを待つ年月は待つ者の心を変えてしまううえ、現実世界と同様に、働かざる者食うべからずの第三村で日々生きて行くためには有力者に取り入るという生存戦略を取るのも当然のことだと思います。
(勝手に推察すると、式波も最初はケンスケをたぶらかして上手いこと庇護の下に入ろう(で、畑仕事をせずに楽して暮らそう)というアスカらしい、可愛らしい計略でケンスケに近付いたら、ケンスケの心の広さや優しさにほだされて、次第に本気で惹かれてしまったのではないかなと・・・。言動を額面通りに受け取るとめっちゃ良い奴ですからね、ケンスケ。)
じゃあ序からQまでの式波との熱いやりとりや、命懸けで綾波を守ろうとしたシンジくんはなんだったんだー!とは思いますし、オリジナルの惣流も戦死したから新劇場版ではクローンの式波しか出てこないんでしょうが、その成仏というかシンジくんのなかの消化の場面を作ってあげても良かったのではないかなぁと(今作劇中の赤い海辺のアスカは呪いが解けて年齢相応の姿になった式波ですよね?)
そもそもあくまでエンタメ作品なので、旧来からのどちらかのファンの期待を裏切ったとしても、もう一方のファンの期待にはきっちり応えるような結果にして終わらせても良かったのでは?とも思います。(商業主義的には)
が、そこらへんは監督自身が作りたいものがあってこうなったんだろう。としかエヴァファンではない私は感じないので、正直言うとどうでもいいです。
誰と誰がくっつくかとか、そんなことより、一つの作品として、四半世紀以上にわたるエヴァンゲリオンというアニメコンテンツの最後として、これで良かったのか??と、シナリオそのものの出来に疑問しか感じないのが、一映画ファンとして☆2つしか付けられなかった理由です。
新劇場版から本シリーズがループ物であること、時間軸や世界線が前後して描かれていることが示唆されており、そうしたループ物やパラレルワールド物の作品って昔からありますが、何故か時期を同じくして同時多発的に出てくるものなので、巷で言われているように他の作品とオチが被ってしまうというのは避けられないことだと思います。
そもそも、ループやパラレルワールドに翻弄される世界から逃れるにはその輪廻を断ち切るという解決策しか方法が無いわけで、大事なのはオチではなく、ここまで続いてきた作品のゴールとして、そのオチも含めてファンが納得する描き方をしてエヴァンゲリオンという世界を完結させることではないでしょうか。
それにあたっては何度も世界をやり直し、作り変え、それを望まない人間まで"補完"していった人類補完計画の理由や意味、そしてそれを断ち切るシンジくんの成長こそ丁寧かつ重厚に紡いでいかなければいけないポイントだと個人的に思い、今回そのアンサーが得られるものと期待していました。
結果、それがどう果たされたのかとネタバレを恐れない他人に説明するとして「なんやかんやあって解決した」としか表現できない内容で、それは(この作品の世界観をよく理解しているであろう)熱心なエヴァファンの友人も同じであったということ、それがとてもとても残念でした。
物語として成立していないというか、普通に考えて、大量に(おそらく地球規模で)人々を勝手に"補完"し、世界を再構築するって、ものすごく壮大な話で、そうまでしなければいけない必然性、例えば観客も自分がその立場でも同じ行動を取るであろうというような説得力が無いと話がとても薄っぺらくなってしまうと思うのですが、
つまるところゲンドウは亡き妻である「ユイに会いたい」、という極めて個人的な一部の理由で世界全部を補完したい、そして妻に会いたいという理由以外の、「人間とは」みたいな講釈は枝葉末節の部分であるというのが明らかな感じで、ものの見事に薄っぺらい内容でした。
大量の人間を"補完"し、息子を依代として、ゲンドウ自身も人であることを辞めてまで実現させたかったことがそれって・・・。
結局この20数年全く物語に進歩も着色も無かったんだなぁと、ファンでもない私でも悲しくなりました。
しかもそこまでして実現させたかったことを阻止するのが息子との対話って・・・。
いや、ここに来るまで交わることが出来なかった親子をようやく向き合わせ、お互いに逃げることなく(父親であるゲンドウのほうは逃げていましたが)全てが氷解したあの場面は、長年の宿題をようやく終わらせたという意味でとても良いシーンでした。
しかし、TVシリーズ放映開始から26年、前作のQ上映から8年も経った集大成として肩透かしを食らった感は否めません。
スターウォーズシリーズでもアナキンは愛する妻であるパドメを失ったことをきっかけに、死すら超越する力を得るため(得られると皇帝に騙され)シスの暗黒卿ダース・ベイダーに成り下がってしまいますが、息子の命が潰えそうとする瞬間の「助けて、父さん」の一言でアナキン・スカイウォーカーに還り、悲しい運命から息子も自らも解き放つことが出来ました。
それをゲンドウに置き換えると、正気に戻るタイミングは今回ではなくニアサードインパクトのときで良かったのではないかとすごくモヤモヤします。(あれがあくまで準備段階だとしても)
シンジくんが本当にゲンドウの息子だとして、愛する妻が産んだ自分の息子を生贄に捧げるような状況になって(結果失敗したけど廃人同然になって)も辞められなかった、世界を犠牲にしても成し遂げたかったことを最後の最後でたった一度の対話で翻すというのは、駆け足で風呂敷を畳むためのご都合主義が過ぎる気がしました。
「終わらせよう」という意気込みを感じるのは良かったと思います。ただ、そこはかとなくそこに義務感ばかりチラつくと言うか、「気乗りしないけど次の仕事のために終わらせる」という印象を(個人的な思い込みかもしれませんが)すごく感じました。
自分の殻に閉じこもりがちなシンジくんの成長過程をもっと丁寧に描いてほしいとも思いましたし、それは今作だけでどうこうできる問題ではないとしても、だからこそ4作も作るお金と時間を貰ったそのありがたいチャンスをもっと活かして、今作でそれをさらに昇華させるべきだったと思います。
素敵なシナリオやプロットを温めながらもそれを発表する機会に恵まれない映画監督が大勢いるなかで、一映画ファンとして、庵野監督はこれで本当に良かったのかなぁ、と疑問です。
たぶん、カップリングについてのネタバレや議論ばかり目立つのは、それ以外の部分について消化不良ではないけれどエヴァとしての満腹感が足りないというファンが多いからではないかなと個人的には思います。
一緒に観た友人もカップリングや結末そのものに不満は無いようでしたが、「庵野(監督)はエヴァファンが嫌いだからね…」と悲しそうに呟いていて、一部の過激な"ヲタク"・"フリーク"とは違う、純粋に作品を愛して楽しみにしていた"ファン"としての悲哀が伝わってきて私も悲しかったです。
途中から、そういう場面ではないのに笑わせにきてるのかなと思うような表現があったり、CGのクオリティや編集技法に"逃げ"と思えるような作りがあったり、新劇場版第一作目から13年待った観客に見せるものなのかな?と疑問に感じるシーンもあって、
「とにかく庵野監督はもうエヴァなんて作りたくないんだな」という印象が嫌と言うほど伝わって来ました。
自分も卒業したい、だからファンも卒業してくれ。という感じでしょうか。
ファンならその意を汲んでお疲れ様となるのかもしれませんが、一つの作品を観に来た者としては自分からまた始めたことなのにすごく投げやりだなぁと思いましたし、
失礼を承知で言うと、深く踏み込まれると底が浅いことがバレるから、それを恐れてファンを拒絶しているだけで、旧劇場版からほとんど成長していない監督だなと感じました。
最後の唐突に出てくる宇部地方も庵野監督の出身地ということで、この作品は監督自身の人生や心情を一部投影したものなんだなというのは分かりましたが、
それはそれとして発表しているものでないのなら、最後まで隠して、作品やビジネスとは切り離して、エヴァンゲリオンというコンテンツをもう少ししっかり完成させてほしかったと思います。
公私混同も甚だしいですし、作品を愛してくれたファンやそれを評価してくれた社会に失礼でしょう。
字数制限でもう書けませんが、基本、映画は「楽しかった」と手放しで褒めるタイプの私が、正直「今までエヴァシリーズを追いかけてこなくて良かった」と思うような作品でした。
全396件中、281~300件目を表示