シン・エヴァンゲリオン劇場版のレビュー・感想・評価
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良かった、、、(の意味は本文で)
良かった、、、本当に良かった。
緊張感ある吊り下げ戦闘シーン(このアイデア、面白い!)から一転して、ジブリ回帰のような牧歌的な暮らしの中でのシンジ回復という分かりやすい演出を見せてくれた後、無双と化したエヴァバトルを経ての、父VS息子。
物語への好き嫌いは二分されるだろうけど、随所に伏線回収のやさしさと丁寧さが垣間見えて、「なるほどね」と「やっぱりそうだったのか」がはっきり分かる説明過多が意外だった。個人的には槍の理屈が知識が無いのでそのままの展開を受け入れたけど、わかりすぎるのはエヴァらしくないのかも、とちょっと辛口(わがまま?)にも思ってしまった。
TVシリーズ最終回2話の放送後、「僕たちが作りたかったのはこれなんです」というインタビューを読んだことがあり「いや、絶対言い訳してるって」と思った記憶があったけど、それは本当だったんだとこれも納得できた。素直にこんな演出が好きなんですね、庵野さん。
「Q」まで、どうしてマリさんを新しく創作したのか謎だったけど、そうか、アスカもレイもシンジの恋人にはなれないんだ、と言う人間関係と、戦いの構図にどうしても後一人必要だったんだ、という理由で納得できた。
最初から大人で知的で、強くて優しい。
勝手な想像だけど、マリさんを登場させることでシン・エヴァンゲリオンを作れる(完成させられる)と庵野さんは走り出せたんじゃないだろうか。
だから、マリさんが好き。
ラストシーンに向けて、派手な見どころがないのは残念だったけど(ちょっと最後に大きなバトルを期待していたのでそこは物足りない)みんなが幸せに、満足な表情で終わっていく流れの中で、「ああ、終わったなぁ。完結したなぁ。こんな物語だったんだぁ」と余韻に浸っている自分がいた。
エヴァンゲリオンでそんな風に終わりを迎えられるなんて、なんだかんだで見続けてきて良かった、、、。本当に良かった!
もう一回、観に行こう。
MX4Dで鑑賞 期待し過ぎたかな
観終わってTV版の最終回と同じ感じがした。
なんていうか、無理矢理終わらせた感じ?
新劇3部作で終わるって言って1本増えちゃって、さすがに今回で終わらせるしかなかったのか、もういい加減終わらせたかったのか。
とりあえずまず良くなかったところから。
CGの戦闘シーンがチャチかった。
PS3のゲームみたい。
動きが機械的?机上の放物線的な動きなのでリアリティない+ダイナミクスが足りなかった。
アスカがずっと半裸で歩き回ってるのが違和感満載。
回収できてない伏線多数。
ゼーレって結局何の団体? メンバーは何者?
なんで毎回ゼーレのシナリオ通りなん?
ガフの扉って結局何?
マリはなんでエヴァに乗ってんの?乗れてるの?
「イスカリオテ(裏切者)のマリア」って大層な呼び名付けて、ただ冬月のとこに一緒にいただけやん。そんな大仰なことをする機会はなかったはず。全部シンジ君がやっちゃったし。
あとは、賛否分かれる碇ゲンドウの動機。
自分的には、そんな子供の我儘みたいなことで人類を全滅させようとすんのん?!
と、ツッこんどいて良かった点は、
MX4Dだったんで最初の戦闘シーンはかなり楽しかった。ガコガコ!ピカピカ!
中盤ののんびり田舎シーン。
レイがかわいい!
無理矢理作ったサブキャラのその後だけど、平和な感じで良かった。
そのまま終わっても良かった 笑
前回同様映像はとても綺麗だけど、今回音楽が良かった。各シーンに期待通りの曲を流してくれた。
総評としては、
無理に終わらせないで、もう一本作っても良かったんちゃう?
とは思うけど、
25年引っかかってたのがパラドックスやら夢落ちじゃなく、綺麗に終わらせてくれたのはスッキリしたかな。
CGが凄かった
ずっと楽しみにしていました。
初見で見た感想は、CGが凄くてみんなかっこいい!やはりエヴァの工場風景や送電線やら、退廃的な風景はとても素敵でした。
映像も音も素敵でした。
みんな割と生きてるじゃんと思いました。Qみたいに意味分からん気持ちで終わらなくて良かったです。ハッピーエンドでよかった。
殆ど伏線回収もされていた感じでした。マリのことはもっと知りたかったです。
神木隆之介が大人シンジやっていたのも、私は大人になったシンジを表現出来ていて悪くなかったと思います。
ミサトさん、シンジくんと目を合わせないように、加地さんのこともあって、目を背けたかったのかな、辛かったです。泣きました。艦長ミサトさんめちゃくちゃかっこよかった!
初日は、長年続きを心待ちにしていた方が多かったのか、拍手が沸き起こっていました。
話の流れは上手くできていると思いました。
やはり長すぎて、1回じゃ見逃していたこともあったので、2回以上見た方がいいと思いました。
2回見ましたが、また見に行きます。
観客に黙ってゲテモノ食わせるのやめなさい、気持ち悪い。
旧劇、新劇通して最も駄作。
後半は私小説的なプライベートフィルムに成り果てる。
「air/まごころをきみに」でも使われた手法、表現がより稚拙で醜悪な形で
映像として展開される。
糞便をたっぷり食わせて育てた養殖輸入鰻を国産天然物と偽って
とびきり旨いタレにつけて客に食わせるような映像表現に辟易する。
エヴァンゲリオンシリーズは元々庵野秀明が↓以下引用
「自分の気分というものをフィルムに定着させてみたい」というきっかけで
作られることになった。「庵野ほかスタッフ自身がアニメほか映像作品を観て育った世代であり、無数のアニメや実写作品のパロディーによってしか作品を作ることができない」と「自らの人生だけはオリジナルである。そのオリジナルを作品に注入することで、作品をオリジナルたらしめる」という方法論に基づいて創作されている【引用】庵野秀明と終わらない90年代。『シン・ゴジラ』を経てたどり着いた『旧エヴァ』という爆心地 照沼健太 より
>「自らの人生だけはオリジナルである。そのオリジナルを作品に注入することで、作品をオリジナルたらしめる」
確かにその通りであるが、それさえも所詮「よくある話だな」で済むのである。
小便をするときに右手で持つのか左手で持つのか、両手なのか、はたまた
手放しなのかとかそんな事でオリジナリティーを主張されても失笑しかない。
劇中ある女性キャラクターは日常を半裸で過ごしている。
しかし乳首を見せることは絶対にない、カメラワークや
羽織っているジャケットで乳首部分だけギリギリ見えないようにされている。
これは作劇的にまったく意味は無く、ただただ視聴制限を下げる為にある。
もし視聴制限がないなら躊躇無く露出することだろう。
で、あるから乳首だけ見えなければいいというポイントを逆手に取った
露悪的な作画が恥ずかしげもなく続くのである。
物語は続くが最終決戦に出発する前にある男性キャラクターが
件の女性キャラクターにふいに撮影カメラを向ける。
ファインダー越しに女性は「捕らないでよ」と嫌がるが
男性は「今日という日は特別だから~」的な事を言い女性キャラクターは
渋々承知する。
私は目眩がした。
このシーンの意図することは
「これで世界が終わるかもしれないから・・せめて」という
撮影してる風を装った観客に対する犯行宣言なのである。
「これからお前の身に起こる出来事は決定的に不可逆的な物になる。
だから失われるこの瞬間のお前をファインダーに納めておこうニヤニヤ」
どうしてこの女性キャラクターがここまで加虐されるのか。
それは現実に起こった出来事に由来するからだ。
その事情を知らぬものは当たりさわりのない表現に見え、
事情を知るものにはとてもまともな人間とは思えない表現になる。
エヴァンゲリオンシリーズには常にこういった二重構造的な
演出意図が明確にある。「所謂分かる人には分かる」的なものだ。
表現者としてやりたい表現があるのは理解できる。
それが「ろくでなしこ」的なものならば社会も事前に認識して
回避しやすい。しかし確信犯的にこういった映像表現をステルスで
仕込むことを私はあまり歓迎しない。
そういった表現がやりたければ適切なアンダーグラウンドでやればいい。
社会的責任が付きまとうメジャーコンテンツでやるべきではない。
こういった不適切な映像演出も低評価の理由にあるが
もっとも大きい理由は単純に映像的に退屈で詰まらないからである。
劇伴もシーンも何一つ心に響かず空虚な芝居が転がるだけの作品。
文字通りエヴァンゲリオンはここに終わったのである。
なんのゆかりもない神木隆之介が最後にシンジをとして出てきたとこだけ...
なんのゆかりもない神木隆之介が最後にシンジをとして出てきたとこだけ疑問だった。緒方恵美さんの声を低く編集してやってはダメだったのか。
でもきっと俳優を起用していることにも意味があったんだろうなぁとおもう。
気持ち悪い
なんかレビューの点数が高いですね。まぁ、公開直後、しかも直近発表月曜日からのスタートだから濃いファンが多いのもあるでしょうけども。
自分もテレビシリーズ、旧劇場版、新劇場版と見てきましたが・・・・この終わり方はどうなん?としか思えない。多分、当初の序・破、とQ、そして本作で作りながら監督は迷ったんだと思う。
序ラストで、旧から繰り返しの世界なのは分かっていた。綾波の扱いに関しては、まぁ分かる。旧からクローンだから。が、アスカは何故、この世界ではクローンにされたんだ?必要性も前振りも無い。どう考えても旧のアスカがクローンでは無いだろう。
そして、最後にマリとシンジがカップル?マリはコミック版ラストで出て来たキャラ。飛び級しているとは言え、シンジ両親の後輩ポジションなのに?
アスカもクローンであるのに、どうもこの世界では相田とくっつく?綾波はネルフから離れては生きて行けないのに?いや、そもそも、それなら、Q序盤でのアスカの苛立ちって不自然。
旧ラストよりシンジが大人になったから、アスカも綾波もクローンで切り捨て?
渚司令って何?
破でサードインパクトを起こしたが、加持の活躍で完全なサードインパクトとはならなかった様だけど、加持が何をしたのか分からないまま。ネルフと、ミサトたちが袂を分かつ前ってどうしてた?サードインパクト~加持の行動~ミサトたちの行動で凄い時間がおかれていないと無理だが、それが放置。
結局、テレビシリーズラスト2話と旧劇場版の焼き直しにかならなかった。むしろ、旧作の方が納得出来た位の内容。
ラストシーン、本当にアレで良いのか?
私小説であることを諦めなかった素晴らしい大団円
自分はテレビ版、旧劇場版から見てきた世代で、新劇場版も、楽しんでずっと見てきた。
ただ、エヴァが社会現象となった当時と今ではアニメの技術面とかそういう表層的な部分だけではなく、どこかエヴァが変質しているようにも感じていた。ファンの方もインターネットの時代になりネットやYoutube等でいわゆるストーリー、作品情報の「謎解き」を楽しむという側面がどんどんエスカレートし、エヴァの鑑賞の仕方が時代とともに変わってきたように思う。
で、今作を見て、エヴァとはそういった謎解きの部分だけでなく、アニメを通して語られる庵野秀明という一人の人間の私小説でもあったという側面を改めて思い出したのだ。その感覚がすごく懐かしかった。今までの新シリーズは旧版と異なり、「エンターテイメント」の枠組みに徹していたと思う。それをこのシンエヴァでは、庵野監督が再度自分の私小説的な部分を更新し、それをちゃんと物語の中に落とし込んでケリをつけてみせた。そして、それによりシンジをはじめ、アスカ、綾波、そしてゲンドウ(明らかに今回は庵野監督の分身としての役割が大きい)といった各キャラクターの中に他者への共感、自己を肯定する新たな視点、成長が生まれた。この変化は結婚し、自分の会社を経営するといった様々な人間関係を経験する中で、庵野監督自身が人として成長することによって可能になったのは明らかだ。なるほど、庵野監督はすっかりエヴァを終わらせ、過去の自分の分身であるキャラクターたちに丁寧な別れを言うために、新劇場版を作ってきたのだとよくわかった。
ただのエンターテイメントとして完結させても多くの人は十分エヴァというコンテンツを楽しみ満足できていたと思う。それを何度も過去に自分を追い込んだ、エヴァが私小説だという面倒な作業から逃げずに向かい合い、作品として最後の最後に完結させてみせた。なんという力量、そしてなんという律儀な人なんだろうか。旧シリーズも新シリーズも全部引き受けた(よって各時代のファンが皆納得できる)、物凄く満足感のある、感動的なエンディングだった。
エヴァという体験をありがとう
当方、夕方のTV放送から見ていたリアルタイム世代です。こみあげる涙はそのままに観賞後は四半世紀に渡る強烈なエヴァ体験に、関係者やファンの方に感謝したい気持ちでいっぱいになりました。
エヴァというフィルターを通さなければ、物語は至極シンプルで、コミニティでの作法や、人間関係が拗れてしまってコミニティから逸脱してしまった者の復帰や関係修復のひとつの方法を特に前半〜中盤にかけて丁寧に描いているなと感じました。
後半は特に関係が拗れやすい親子間の和解の一例を描いたように受け取りました。和解までに至る道のりはめちゃくちゃですが、解決策はとてもシンプルで清々しさすら感じました。
エヴァという視点から見ればよくもまあこんなにも沢山のしこりを2時間半で鮮やかに回収かつスカッと終わらせたなと一種の爽快感を伴ってエンドロールを迎えられました。
そして涙の後に大爆笑と、過剰すぎるマニアックなサービスの連続に鑑賞中は庵野、やりやがった!の連続でした笑
四半世紀に渡るエヴァというコンテンツは一旦終わりを迎えますが、同時にエヴァという土壌であれば何をしても良いというアップデートを施したようにも感じられました。それは別監督でも実写でも良いし、最先端技術の投入、実験の場でも問題ない強度まで高められた気がします。
ただ、ひとつの映画としては後追いでは追いつけないような体験、場面も散見されるのでその点の評価がどうなるのか気になるところです。
実際、周りの古参は絶賛していますが、新劇場版からのファンはさっぱりと評価が分かれています。
ともあれ長きに渡ってエヴァという体験ができたことは個人的には大変貴重な経験であり、感謝を述べたいと思います。
エヴァ、今までありがとう!
心に残る映画
前回までのストーリーや設定をかなり忘れていたので所々理解出来ない箇所もあったが、丁寧かつ温かいタッチで物語が展開されており、満足した。終劇として終わり方が良く、作者なりの総括も視聴者の満足のいくものになりそうな気がした。そして、その感覚が作者と共有されていて温かい気持ちになれた。そのせいか、驚くような展開は少なかったが、皆が共有できるハッピーエンドにするというのがエヴァ史上最大の難問であり最も求めている事でもあった。これが達成されただけでも観た甲斐があった。
映画で特に印象に残ったのは碇ゲンドウというキャラクターの存在についてだ。彼を通じて完璧な存在は否定される。自らの弱みに向かい合わず、知恵や戦略によって弱さを克服しようとしても弱さは決して浄化されない。それどころか、自分の弱さを認められない弱さにより、完璧で永遠なる存在を渇望し始める。しかし、その願いも結局叶わない。不可能を可能にしようとする事は否定される。現実と同じだ。彼が自分の弱さを認めた瞬間、渇望は消えて、物語は逆転し始める。弱い事実はなくならないが、弱さを認め回避を止める事で、彼の精神を蝕むものはなくなり、弱さは浄化されるのだ。
彼の行動は精神医学的には神経症の表れだと思うが、現実世界を観ても、このような病(もはや病ではなく現代的気質と呼ぶに相応しい気がするが)に侵されている人は非常に多い。彼の気質には現代の精神的傾向が如実に反映されている。そして、彼のとった行動はまさに神経療法的側面からしてみても病を克服する上で正しいものだ。しかし、やはりこのような乗り越え方は感動を伴うものだと感じた。
主人公達が大人になったラストシーンも同じように乗り越えた結果なのだろう。素晴らしい表現シーンだ。
まずは、この映画が放つメッセージを大切にしていきたいと感じた。
観て何を思うのか?
テレビシリーズから最後のエヴァとして見た時に
何を思うかは十人十色な気がします
私が受けた印象はスターウォーズで
これでスカイウォーカー家の話が終わりました!
みたいな印象でした
で! なに? 見たいな…
テレビシリーズの最期を見た時と同じとも
言える感じかも知れません…
監督のエゴを見続けた感じとも言えます
最後も何となくしっくりと来ないし
観ないままラストはどうなるのだろう?
と期待したままの方が良かったのかも
知れません
延期に延期で期待が大きくなってしまったから?
もありえると思うのです
早く観たい人は観に行っても良いとは
思うのですが、コロナ禍でキュウキュウの
劇場で観なくても良い気はします
たまたま、比較的空いてタイミングだったので
足を運んだのですが…
いずれにしても長い時間を掛けたが
壮大に人を巻き込んだ家族の話
まるでスターウォーズなのかもしれません
個人的に思えば評価は2くらいですが
評価は分かれる気がします
思い返してもスッキリしない映画な気がする
すげー時間掛けて作った割に
大した事は無かった
ジブリっぽい何かを織り交ぜてたけど結局庵野は駿にはなりたいんか?って思った
テレビ版と旧劇を小難しい言葉で武装させていかに厨二的な信者をしがみつかせるか っていう魂胆見え見え
その魂胆は入場した時に渡されたチラシにもよく現れてる
後でググッてね ってくらいに羅列された言葉
あれ先に見たからって??? ってなるし鑑賞した後で見ても????ってなったわ
心底エヴァが好きな人には面白いと思えたのかもしれんけど惰性見てきて自分の中で完結させたいから とりあえず見とくか 的な人にはTSUTAYA GEOか土曜ロードショーまで待つことをお勧めします
とりあえず終わったのはエヴァじゃなくて庵野のオナニーだな って思った
しかも さようなら すべてのエヴァンゲリオン とか言いつつ実写化しますけどね(笑)
衒学として考える考察。そして今の思いはお疲れ様でした。改めて今まで有難うございました。の気持ちです。
前作から早7年。まだかまだかと楽しみに思いながらも“この時が来なければ良いのになぁ…”と思っていた「シン・エヴァンゲリオン劇場版」を鑑賞しました。
で、感想はと言うと…どう解釈して良いのか?と上手く言葉に出来ない所が多数と言うのが正直な所ですが、一言で言うと「良かった。面白かった。今まで有難う。」と言う気持ちです♪
旧作から「リビルド」された新劇場版シリーズを含めた全てのエヴァンゲリオンの集大成で完結編。
前作の「Q」が?を幾つ付けたら良いのかと言うくらいに謎と言うか、置いてけぼり感があり過ぎてフラストレーションが溜まりまくりでしたが、今作でそのフラストレーションを払拭しながらも様々な伏線を回収出来たのか?と言うと、個人的には限りなく伏線は回収出来たのではないかなと言うのが感想。
また、今作の為にQを半ば捨て石の様にしたとするならば…庵野監督、恐ろしい子…w
面白いと面白くないで言えば、面白かったし、ベタ的な展開もかなりサービスされていて、集大成で締めに相応しい感じ。
長く観ていると、“こうであって欲しい”“こうでなければいけない”的な理想や願望、考察がそれぞれにあるんですが、それを上手くスカしたり、敢えて飛び込んだりとワクワクポイントが沢山w
セリフのチョイスが今回は色々と面白いんですよね。ニヤニヤしましたw
それでも話はかなり難しいので、過去作を知らない人には付いていけないのはいつもの通りですがw、何処か閉店赤字覚悟の出血大サービス的なのも入れつつ、媚びない姿勢は逆に嬉しかった♪
いろんな思いがあってもなんかスッと洗い流された感じでスッと納得出来た感じ。いろんな事があったけど終わったら激闘の末のノーサイドみたいと言うか。
まぁ振り返ればこの作品って始まりから終わりまで激闘の日々でしたねw
※ここからはネタバレ多数です。
今までの新劇場版を振り返るダイジェストから、2019年7月6日に公開された「0706作戦」と称されたイベントでの「シン・エヴァンゲリオン劇場版 AVANT1 0706版」でスタート。
もう、これだけでテンション上がりまくりw
その後Qの続きとエヴァの世界観の外界的な日常を描かれていて、そこにシンジやアヤナミレイ、アスカが溶け込もうとする姿が微笑ましくもなんか嬉しかった。
中盤からはNERV=碇ゲンドウ、エヴァ第13号機と移行していくが、最終決戦なんて本筋としての王道な展開ながら超難解で観る側の斜め上どころの騒ぎではないぐらいのブッ飛んだ展開と構成はこうなんだろうなあと思いながらも、理解が難しい。
この辺りが「エヴァ」の所以たる所以。
キャラクターもまさかこうなるとはと思うのもあれば、結局この人は何だったの?どうだったの?と言うのもあります。
その辺りは全てを明瞭にしなくても良いし、それをどう解釈してどう理解するがかこの作品の面白い所と解釈。
何よりも圧倒的なスケール感と独創的な世界観に美術的なセンス。もはや宗教と言っても過言では無いぐらいの構築は映画館のスクリーンで観る為の作品かと思います。
話は説明するには難しいのでまさしく「百聞は一見に如かず」なので観てちょうだい!としか言えないし、要所要所での説明は出来ても「では完結編の説明を」と言われても上手く説明出来ない。
過去にブログで書いた引用ではありますが、2004年にNHKの「トップランナー」と言う番組に出演した庵野監督が「エヴァンゲリオンは哲学的と言われるが、実際はそうではなく「衒学的」(げんがくてき)である。衒学とは知識がある事を自慢する事であり、知ったかぶりという言葉が一番近い。エヴァの一見謎に満ちたストーリーも、何か裏がありそうな雰囲気を出すための演出であり、実際に裏は存在しない。」と言うコメントを発していますが、まさしくそうなんですよね。
ネットなんかでは“あそこのシーンはこうだった”“あれはこうだったから、こうなるんだ”とかいろんな議論が展開されているが、当の本人に“そんな裏は無い!”なんて言われたら、ミもフタもないけど、本人が言っているのならそうだろうw
でも、当人の庵野監督も多分自身の掌では収まりきれない程大きくなった作品の落とし所は「正直どうしたら良いのか解らない」と言う時期があったのではないかと思うんですよね。
以前、お仕事で一緒になったエヴァのTV版の演出を担当された方からも“もしかしたら、もうまとめられないかも知れないよ。それぐらい製作者の手を離れすぎてエヴァと言う作品は膨らみ過ぎている”と言う話を聞いたことがあります。
「哲学」ではなく「衒学」。
なんとなくその言葉を思い出し、この衒学と言う言葉がキーワードなのだと感じたりします。
TV版の放送からエヴァは、その難解な展開からか制作スケジュールが押していた事もあり、庵野監督も第拾八話・第拾九話の時点でスケジュールが“行き詰るのが目に見えていた”と語っている。また「あれ(このような物語の終わらせ方)が僕のサービスなんです」とも語っていた。
また2006年6月の雑誌インタビューで、最終2話について、大月俊倫プロデューサーは「エヴァが現在あるのは、あの衝撃的な展開によって皆さんに『なにか違う』『俺ならこうする』とそれぞれ”補完”してもらえたおかげ。僕らにとってあの結末は肩透かしでも消化不良でもなく、長い時間をかけて”永遠に終わらない最終話”になれた唯一無二のクライマックスだと考えています。これが僕たちからの回答ですね」と答えている。
だからこそ、それぞれの答えがあって、納得出来ない部分も多数あるとしても、それはそれで良し。
『:||』の部分は、リピート記号が正式表記でありますがそれですら衒学の遊びにも思えるんですよね。
伏線や余白を残す事で哲学的な要素も含んでいるが、実は衒学で有ったり無かったり…それでも自身のライフワーク的な作品でありながら、何処か他人の手に委ねたいぐらいのワガママに育った作品でそろそろ嫁に出したいのに誰ももらってくれる人がいないみたいなw
でも、立派に送り出せたのではないかなと思います。
ちょっと難点と言うか、気になった点はエンドロールに制作スタッフにガイナックスの文字が見当たらなかった事…(一応チェックしたけど確認出来なかった)
ここ数年のガイナックスの没落と安野監督との関係を知ると仕方無しではありますが、ちょっと気になりました。
これだけ長く付き合った作品になるとは思わなかったし、それでもいろんな思い出が有り過ぎて、それぞれのキャラクターには思い入れが沢山。
今までが不幸な結末が多いので出てくるキャラクターには“出来るだけ幸せな結末であって欲しいなぁ”と思うんですよね。
テレビシリーズから約四半世紀。旧劇場版から23年。
新劇場版の「序」から14年。
最初は住んでいた地域でテレビシリーズの放送がやってなくて、ビデオで後追いで追いかけて見てましたがそれでも解んない所が多数。
全てを理解も出来ないままに旧劇場版を鑑賞しても更にちんぷんかんぷん。正直一時期は嫌いな作品でしたw
その後パチンコでエヴァが出てくるとも思わなかったし、そのエヴァパチが大ヒットして、今も続くシリーズになると思わなかったw
そんなエヴァが再構成で新劇場版で上映させるのなんて青天の霹靂状態。でも正直嬉しかった。
自分の中で長い時間を掛けて咀嚼出来、その栄養素の有り難さが分かった時点でまたエヴァを咀嚼する。この工程がこの作品の意図でもあると解釈し、あえてその流れに乗っかる。それで良いのではないかなと思います。
ラストに近づくにつれ、物語のクライマックスの感動を噛み締めながら、この作品との長い長い付き合いが終わる事に万感の思いが込み上げてきて、涙が込み上げてきました。
今はこの作品をリアルタイムで観れたことが嬉しくて感謝。こんなに作品の余韻に浸れると思わなかったし、それが嬉しい。
また、新しいエヴァが生まれるかもしれないし、そうじゃないのかも知れない。
それならそれで良い。そうなったらそうなったで素直に受け入れようと思う。
そんな感じがするんですよね。
アニメーション映画作品に想いを寄せ過ぎる事は無いんですが、その思いに沿えた事も嬉しい。
今は登場した全てのキャラクターに、作品に関わった全ての人に「お疲れ様でした」「改めて今まで有難うございました」と言う思いで一杯です。
IMAXなんかで再度観てみたい気持ちもありますが、今はゆっくりと余韻に浸りたいと思います。
補足
3月22日の午後7時30分からNHK総合で放送された「プロフェッショナル 仕事の流儀 庵野秀明スペシャル」を見ました。
「シン・エヴァンゲリオン劇場版」の制作の舞台裏を4年間にわたって独占密着した内容で宮崎駿さんが仰られてた「庵野は血を流して映画を作る」の意味が十二分に理解でき、この番組を見て府に落ちたところが多数。
映画を観て理解がしずらかった点や難しかった点が補足や補填されたと言うかなり見応えのある番組でしたが、良く考えると監督の考えや人となりが取材番組で分かると言うのはよくありますが映画作品の理解の補足をされる取材番組ってかなり稀有ですよねw
でも、庵野監督のこの作品にかける執念の様な思いが少しでも知れた事で、やっぱりこの作品と同じ時を過ごせた事が改めて嬉しくなりました♪
追記!
1度の鑑賞で分からなかった部分もいろんな情報が入った上で2回目の鑑賞でなら理解出来る部分も増えるかな?と思い、IMAXでの再上映の情報を聞き、IMAXで再鑑賞しました。
前作では映像の情報を読み取る事にいっぱいいっぱいだったので、今回は割りと理解と把握を出来ました。
やっぱり2回観ないと分かんない事が沢山で、それ以上に再発見やうろ覚えだった事も再認識出来て満足♪
それでもマリの存在と立ち位置は現実とのリンクでの説明はついても、物語の中ではやっぱり説明が難しいw
でも、儀式の様に始まる前の緊張感と万感の想いがこみ上げる感動はやっぱり観て良かった!
でも、何度も観て、その感動を薄れさせたくないなぁ~と言う思いも改めて認識。
この思いだけでお腹一杯なので、当分は観たくないかとw
いろんな意味で「さよなら!そして有難う!!エヴァンゲリオン」な思いを堪能出来ました。
スッキリして終われました
思えばエヴァを初めて観たのは小6の夏休み再放送だったのを覚えています。田舎だったのでアニメが放送される事が少なく、思春期入口年代の男子には色々な意味で面白く、話題の中心でした。ちょうど旧劇場版も公開されていた時期だったので友達とドキドキしながら観に行った事を覚えています。しかし、観終わった時の混乱と虚無感といったらQなんて可愛いもんでしたよ…
当時はオタクの風当たりがキツく、学校で話題にして良いのは週刊漫画系アニメ作品だけでした。しかもネットも無かったので考察を共有化する場も無く自身で受け止める事しか出来ませんでした。だけどその体験のおかげでこの歳まで興味を持ち続けたんだと思います。
全体的な感想は他の方が書かれているので、自分が1番胸を打った所を書かせてもらうと、ゲンドウの葛藤シーンです。TV版・旧劇をリアルタイムで観ていた世代は確かに大人や他人への不満や怖さがあったと思いますが、その人達は月日が経ち、他人を完全に理解は出来ないけど、それなりの落とし所を見つけ、結婚をし、親となっている人がほとんどです。逆に今はゲンドウのように自分の子供が何を考えているか分からなくて悩んでいる人がほとんどでは無いでしょうか。だから、TV版・旧劇で多用されていたシンジの葛藤シーンは無く、逆にゲンドウ=視聴者として描かれ、完璧の象徴だったゲンドウが人間くさく現されています。結局は大人=完璧は幻想で死ぬまで葛藤の連続だということを自覚しろというメッセージだと思いました。
若者が望むキャッチーで衝撃的な展開はありませんが、観た人は必ず納得する事が出来る作品だと思います。
何と言うか、雑
前作のQの出来から、あんまり期待せずに観に行ったが、何と言う雑な作品
良かった所は完結した事。悪かった所は前作の後処理と終わらせる為に、雑に風呂敷を畳んだ所
破までは楽しめたしQは面白く無かったけど、完結作だからと観に行ったら
面白くは無かったと言うのが率直な感想
まあ、良かったと言ってる人達も居るので合う人には良いのかな?
正直、何が面白いのか俺には理解出来ませんでした
エヴァという名の隙間が埋まって,ここから新しい人生が始まる.
とりあえず,一番感じたのは喪失感.
自身の中にあったエヴァという名の隙間が埋まってしまう喪失感
何を見せられているんだ?という感覚が終始つきまとう.
TV版のようなものを望んでいるわけでも,
旧劇のようなものを望んでいるわけでもないけど,
自分は何を望んでいるのかわからない.
今,見せられているものが,EVAなのか?自分が望んだものなのか?
終劇に向けて進んでいるのか?離れているのか?わからないまま進む.
そう来たか.とか思う気もしない中,20数年前の学生時代がフラッシュバックする.
もしも,学生時代のまま,孤独なオタクのまま,この日を迎えていたら,自分は立ち直れなかったかもしれない.
ゲンドウの独白など聞きたくもないし,それを温かく見守るシンジは全く理解できなかったと思う.そんなクソみたいな理由で世界を巻き込むなと…俺たちを巻き込むなと…
今,一人の父親として,愛する妻がいる夫として,自分が存在しているからこそ,今作ではゲンドウに最も思いを重ねてしまった.強く強くユイを求めるゲンドウが本心を独白することで,これまでやらかしたことが全てしっくりと納得出来てさえしまう.
これまででもゲンドウの行動原理は基本的には追うことができるが,そこから測り知るものと,独白による吐露とは次元が異なる.孤独なオタクが得た一筋の光を修復しようとするのは,あたりまえであり,それが世界の全てだと同じように思える.
昔は,うまく立ち回れない人間性をシンジに投影して,TV版でここにいてもいいんだと納得して,旧劇でそれでも他者との境界を望んで不器用なりに生きていくんだと思った.
シンエヴァの最後では,シンジ君は,すべてのキャラを達観して見送る位置に昇華している.ゲンドウやユイ,カオル君までも,全てを抱擁するまでに達してしまった.アルティメットまどかならぬアルティメットシンジだ.
あの時のように,そのままシンジが自分の投影ではないけれども,すべてを達観してみることができてエヴァの無い世界を再構築する様は,ある意味,成長した自分自身の目線なのかもしれない.
もう世界がどうとか,自分はどう生きるとかではない年頃になった今.エヴァの無い世界でこれから生きていくすべを考える必要がある.
そう考えると,これまでで一番オタクに厳しい終わり方のようにも感じる.
シンエヴァを見て,オタクの世界から振り落とされてしまいそうな感覚が芽生えるかもしれない.おそらく,そこにアイデンティティーを強く持っていると,拒否反応を起こす.オイオイ俺らが知ってる庵野じゃないぞと.小さくまとまってんじゃねーよと.俺たちのエヴァを取り上げないでくれと…
旧劇の時に,シンをやってればよかったのに…という感想もちらほらあるが,そうじゃない.
旧劇を見て,納得して前に進もうと思った心があって,そこから20年の見る側の成長があったからこそ,シンエヴァを受け取ることができたんだと思う.
正直,エヴァは子供に薦められない.ジェネレーションギャップがどうしても付きまとう.受け取り手の費やした人生の有無はとても重い.エンタメとして,一つのアニメとしては十分推薦に値するかもしれないが,自分とは受け取るものは全く異なると思う.
少なくとも,シンエヴァが用意されてしまった今からエヴァに触れる人間と,シンエヴァまでの時間を費やした人間とでは,同じエヴァの文脈を共有できないと思える.
旧劇で納得していた自分は,序を見ていなかったし,新劇場版を見るつもりはなかった.
破に坂本真綾がマリ役で出ることを知って,序を見直して,破を初日に見に行ってここに至る.
まさかマリが,最後まで関わる重要キャラとなるとは思ってもみなかったけど,坂本真綾がいなかったら,ここまでエヴァを追いかけることはなかったかもしれないし,自分の中に,エヴァという名の隙間が存在することを自覚することはなかったかもしれないので,ファンで良かった.
やっぱり坂本真綾は尊いと思える作品に,エヴァがなったことは素直に良かったと思う.
それでもやっぱり伊吹マヤが至高キャラと思えたのは,自分はまだまだ成長していない証なのかもしれない.
エヴァという名の隙間が埋まって,ここから新しい人生が始まる.
さらば、全てのエヴァンゲリオン。
難しい
エヴァシリーズの最後の物語となる映画。
エヴァシリーズは、新しい映画がでしかしっかりと見た事が無く、それでも内容が分かるかなと思ったけど、
やっぱり難しいかなと感じました。
内容としては、今まで登場してきたキャラクターの総決算のような感じで全体として明るいシーンもあったりして良かったです。
綾波の畑で働く所や子どもを抱く所、些細な事に疑問を持つ所、改めて自分も色々と考えさせられました。
孤独が人を苦しめてしまう。
それを変えたくて何か抗おうしてぶつかり、傷つき、傷つけてしまう。
それでも少し良い人でありたいと思う気持ちがあるから何か分からなくても前に進みたいと思える。
普遍的に伝わるものではないような気がした。
それでも、どこか救わられるようなそんなお話だった思いました!
呪縛からの解放
エヴァと出会ったのは中学生。シンジたちとほぼ
同い年の頃だった。難解な世界観や表現の考察にはまり、
以来、熱量にムラはありつつもアニメや漫画から
離れられないまま30代半ば。
前作、エヴァQで語られた「エヴァの呪縛」とは、
自分のような大人になりきれない人間を表していて、
シンジをはじめとするチルドレンたちはその投影
なのだと考えていた。
しかし、今作を見てその考えを改めた。
「エヴァの呪縛」とは、庵野監督をはじめとする
エヴァ制作陣にかけられた「エヴァという作品から
逃れられず、先へ進めない」という呪いであり、
エヴァに乗る使命を持ったチルドレンは、
彼ら自身の投影なのだ。
庵野監督自身の投影であるシンジは、自分の本当の
望みに蓋をしてエヴァに乗り続けてきたチルドレン
達をエヴァから解放し、自分もまたエヴァのない
新しい世界へマリと共に駆け出していく。
マリは庵野監督の妻である安野モヨコ氏の
投影だったのだろう。
思えば、繰り返されるように見えたエヴァの物語は、
新劇場版で新たに加わったマリの登場から少しずつ
軌道を変え、「シン」の結末へと繋がっていった。
劇中でカヲルの語る「縁が君を導くだろう」という
言葉が思い出される。
おそらく、庵野監督にとってモヨコ氏の存在が
エヴァを終わらせる原動力となり、物語をあるべき
終わりへと導くミューズになったのだろう。
映画パンフのコメントからも、妻への感謝が伺える。
メタ的な側面についてのみ長々と書いてしまったが、
今作の素晴らしいところは、こういったメタ的な
部分を含みながらも物語として全く破綻なく、
美しく仕上がっているところにある。
込み入った考察を抜きにして、スピード感のある
ロボットアクションとして見ても、碇親子を中心と
する人間ドラマとして見ても、個人的には文句の
つけようのない最終作だった。
二十余年にわたり追い続けてきて、本当に良かった。
ありがとう。さようなら。エヴァンゲリオン。
ありがとう
思いがジンジン来ました。
理解して考察してってのがもう無粋なような気がして、小5の時にTVアニメのミサトさんのシーンに赤面してテレビ切った事や、まだアニメ=オタクだったので友達誘えなくて1人で見に行ってシンジ君のシーンでうぇってなったり途中でまさかの2部構成に気づいたりして
ヤマトの沖ミサ艦長もかっこよすぎて号泣
まさかのおチビさん!サービス良すぎです。
振り返らず、前へ進むために。
庵野監督以下、エヴァを生み出し、完結してくださった皆様、本当にありがとうございました!
ここに生きる彼ら、彼女らにも(TV版、旧劇場版、新劇場版含めてすべてのエヴァ)苦しくて、辛くて、どうにもできなくて足掻くしかなかったり、何もできなかったり、といった様々な「思い」がありました。
彼ら、彼女らは、彼ら、彼女らなりに精一杯そこで生きていたんです。愛着が生まれないわけがありません。
彼ら、彼女らとの別れは、正直、寂しくて切ない気持ちです。
「さよなら」は、すべてを受け入れて、次へと進む言葉だと、何かの歌に聞いたことがあります。
この世界は広くて面白いです。新しい出会いを求めて、ワクワクしながらあの二人のように飛び出して行こうと思います。失敗したり、辛いことや悲しいことがあるかもしれないけれど、甘んじてお受けするつもりで!笑
と、思いながら、正座をして、そっと心の中で言いました。「今までありがとうございました。さよなら」と。
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