シン・エヴァンゲリオン劇場版のレビュー・感想・評価
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庵野の独り善がり、漸く終了
小難しい設定と小難しい単語が織り成す、意味不明の庵野の独り善がり。
私、トンデモ設定とご都合主義は宮崎駿で卒業しましたので。
あー、苦痛だった。
アマプラで観たけど、何回か寝落ちしちゃいました。
この人の最高傑作は「トップをねらえ!」でした。以降、下降の一途。
シンゴジラも酷かったが、シンエバはさらにその下。
なんでこんなものが流行るの?意味分からん。名前だけで金儲けできて良いなぁ。
時間のムダでした。
…てことで、はい信者の方お待たせしました。
誹謗中傷はコメント欄に宜しくお願いいたしますにゃ。
ドシドシ書いてね!
↓
取り敢えずの完結という感じ
やっと終わってくれました
旧作からのファンです。新劇場版が始まって、死体に電気を流して無理やり動かしているような、ロックスターがせっかく自決したのに周りが救命してしまって生活のために懐メロ歌手に堕してしまったような、そういうファンとして見たくない姿をさんざん見せられてつらい思いをしてきましたが、やっと終わってくれました。二度と観たくありません。ありませんが、岡田斗司夫さんの解説によるとオタク文化的にはとても優れた作品であり映画手法としても新しいらしいです。岡田さんの解説を楽しむためにこの映画をまた観ないといけません。憂鬱です。
正直な感想です。酷い映画でしかなかった。
映画を見終わって解説を読んでも腑に落ちない。
全く理解不能の映画でした。
ストーリーも映像も回を追うごとに酷い、、、
何の感動も意味もない、ただ最後まで見終わるのが苦痛でしかない映画でした🥲
特に主人公にイライラしっぱなしでした。
どうして人気が一定の人にはあるのか、全くわかりません。。
どこが良いの??
エヴァは謎を多くして、分かりづらくしてちょっと刺激的なシーンをふんだんに入れたり興味を沸かせる商法の映画なのかな?としか。。
何となく大人的に誤魔化してまとめてる。
宇多田ヒカルの歌が唯一の救いかな。
日本のアニメ映画って、昔はもっと深い意味や難しさがあって大人になっても観られる映画だったけど、昨今のアニメは良いものもあれば酷いものもある。
特に刺激を求めたシーンの連発だとか、性欲だとか、アニメだからと観るに耐えない血が噴き出るようなイメージの惨殺シーンとか、人間であっても機械や物であっても酷すぎる。
エヴァだけに言えないけど、ちょっとエグすぎる刺激を利用した漫画やアニメは子供や未成年や若年層のうちからこういった描写を目にして育つと必然と犯罪にも繋がる気がするし、昔に比べて身近に増えた気がする。
もうちょっと考えほしい。
こういった部類のアニメに一定数人気があるって事が個人的には怖いと思う。
誰かのイエスとマリア
最後もまたえぐり取っていった、心の中の何か。
もう無理だった。きっとTV放送から。当初エヴァの内容が予定通りだったか否かは分からないが、一定ライン超えて壊して、破壊し尽くしてしまったらもう戻らない。文明も退化してしまう。人も道具も知識も知恵も環境もぜーんぶ失ってしまう。最悪元には戻れない。
キャラクターたちにも人並みの将来を未来を味合わせてあげたかったのかな。大人たちの欲望さえなければこんなことにはならなかった。あれだけテレビシリーズと映画二本でやり尽くしてたらもう還れない。ガチの覆水盆返らず。
それでも夢を見せてあげたかったのか、監督の夢を形にしたのか?やっぱりキャラクターも普通に日常生活送りたかった、キャラクターに普通の幸せを与えたかったのか?エヴァシリーズとの関わりが長くなるにつれてそんな気持ちが湧いてきたとも取れた。
数多の選択肢があって、タイムラインがあって、その中に最悪や最高な結果もあって、こんな選択の結果を夢見たっていいじゃないかって、映画の最後にもう無理やりにでも入れ込んででも表現したかった。本当は未来はたくさんあったんだよ、って。監督が捧げた愛なのか?エヴァンゲリオンに対して。
壊れてからじゃないとやっぱり分からないことも多い、人間ってやつは。始まりの終わり。終わりの始まり。ああ何回も観ないとわからないアニメだった。その感が今でも無くならないw
磔になったエヴァンゲリオン、使徒たち、キャラクターたち、降り注ぐ普通の人達や生き物たち。
誰かのイエスになった。誰かのマリアになった。
たとえばシンジはイエス?マリは聖母マリア?
誰かのイエスだった。誰かのマリアだった。
誰かを支えて、誰かを救った。
誰かを愛して、誰かを守った。
誰かを想って、誰かと共に生きた。
あなたを支えたい、あなたを救いたい。
あなたを愛してる、あなたを守るから。
あなたをいつも想ってる、共に生きよう。
誰かのイエスになった。誰かのマリアになった。
誰かのイエスだった。誰かのマリアだった。
面白かったか、これ。
エヴァンゲリオンに関わる全ての人にお疲れ様
エヴァンゲリオンのさいごを見届け、
なんと感想を述べよう。
率直に感じたことは、
超大作が無事完結したことへの感動。
庵野監督はじめ制作陣のみなさま
シンジにアスカ、レイやミサトさんキャラクターのみんな
そして、ずっと待ち続けたファンであるわたしたち
みんなみんな、お疲れ様でした。
よくやったよ。おめでとう。
ただただシンプルにみんなで労いたい。
ざんねんながら賢くないわたしには、
半分も理解できていないとおもうし、
壮大な置いてけぼりをくらっています。
それでもなんか面白い、
なんかよくわからないのに面白い、
それがエヴァのすごさだとおもう。
偶然にもエヴァアニメ放送年に生まれ、
シンエヴァまで26年。
エヴァと共に始まり、エヴァは終わったけれど、
わたしの人生はまだ終わらない。
さらば、全てのエヴァンゲリオン。
さよならは、また会うためのおまじない。
このふたつの言葉はすごく腑に落ちた。
憎らしい程に愛おしい僕らのエヴァンゲリオン。
全否定はしないけど全肯定もしない。
それで良い。
エヴァはシンエヴァをもってようやく血の通った作品になったと思う。
まるで同窓会で再会した親友のような映画だった。
荒波モドキの目線から見た"日常"の悲喜交交が愛おしい。ゲンドウの過去は、自分の子供時代から大人になった現在までを重ねずにはいられなかった。
作り手も視聴者も、テレビ版から歳を重ねて大人になった。だからゲンドウに目がいってしまうのはどちらにとっても同じだろう。
この時点でもはや本作は他人事ではなく自分ごとだった。ゲンドウの捻くれっぷりを痛々しく感じるのは自分を重ねてしまうからだ。登場人物達はアニメキャラではなく、1人の人間として歳を重ね生きていく。
それはスクリーンを見る我々も同じだ。
庵野監督の魂は奥様によって救済されたのだろう。じゃなきゃこのような作品は作れないし、作らない。人を愛し愛された事が無ければ作品と人間をここまで信頼して描く事はできない。
魂が浄化されたようなこの感覚は、富野由悠季監督のターンエーにも近い物だ。
親から子へ、作り手から作品へ、妻から夫へ。
これまで脈々と受け継がれてきた魂の連鎖を感じた。
巨大化した作品を原作者が締め括る事は中々ない。
ユニバース化が多用される今の時代では尚更そうだ。
ガンダムもスターウォーズも、きっと俺が死ぬまでに完結する事はないだろう。
その点、きっちりと締めくったシンエヴァはファンにとって最高の贈り物だったのではないだろうか。
永遠に終わらない事は嬉しい反面、生涯のうちに作品の終わりに立ち会えない寂しさもあるのだから。
オカエリナサイ。
そして、ありがとう。
技術の進歩に、「中身」がついて行ってない。
何はともあれ、庵野監督お疲れ様でした。という感想しか出ません(苦笑)。
前半、「そっくりさん」が自分の名前を見つけるまでは名作でした。後半は「ああ、やっぱりね」で終わります。
話が一応決着つくので、「Q」よりは(長尺ですが)ちゃんと見られました。
今回劇場にいけなかったのですが、早くも配信で事実上無料で観れる、とのことで早速鑑賞。
すごい時代になったものです。
TVシリーズが話題になった1990年代末はスマホどころかDVDすらなかったのを考えると、この20年あまりの時代の変化には驚くものがあります。CG技術もすさまじい進歩です。
いずれ近いうちに板などの媒体も無くなってしまうのでしょうけど、映画の「中身」は全く進歩していない気がするのは、私だけでしょうか?
おとしまえ
見に行かなくてよかった◎
最高の最後ではなく、BESTな最期
自分はエヴァの全てを追っている熱心なファンではないけど、新劇場版は劇場にも足を運んだくらいには観てきました。
賛否両論はあるようだけど、とても良い締め括りだったのではないでしょうか。
序盤に物語りが深く掘り下げられ、そこからまた葛藤、エヴァの真実とシンジの成長へとうまくつながっています。
確かに、すごく感動した!と言える作品ではないけども、エヴァンゲリオンシリーズを締め括るには良い終着点だったと思います。
これまでのいろいろな疑問に納得がいって、清々しい気持ちで見終えることができました。
自宅のホームシアターでの視聴ですが、見た後には思わず拍手してしまいました。
庵野さん、そしてエヴァンゲリオンに関わった皆様、本当にお疲れ様でした。
エヴァオタでもアニオタでもないが
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