シン・エヴァンゲリオン劇場版のレビュー・感想・評価
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今は感謝しかないです。
アニメ版にハマっていた頃、自分自身もガラスの時代でした。
シンジがだめなやつだったから、自分も大丈夫と思えてた。
今は、あの頃の自分もこの映画も「美しい」と思えるように成長しました。
一緒に歩んでくれてありがとう!
アニメじゃない、アニメじゃない、最後はリアル
TV版の終わりあたりから見てきたのでエヴァンゲリオンが終わるのは感慨深い。
今から25年前の2月に第22話から見始めて、25話から最終話の衝撃を受けてはまった一人です。
当時のアニメサークル内の沸騰ぶりは外からも分かるくらいだった。
それが意外なことに外に飛び火しアニメを見ない大学生が「エヴァエヴァ」言い出して違和感を覚えたのが25年前。それからいつの間にか大学生がアニメを見るのは当たり前になり、社会人になっても見続けて、アニメ文化が一般化していき、また同時にコスプレなども当たり前になっていった。
そして、日本人の男女の未婚率はあがり、恋愛経験のない20代もどんどん増えていったのが2000年以降の流れ。
そんな25年間で、自分はエヴァとガンダムと甲殻機動隊とジブリ以外はすっかりとアニメから足を洗いってしまいました。
序、破と来て、Qはつまらなく30分で寝てしまい12年経って話もほとんど忘れて、
全く見る気持ちもなく、事前の期待していなかったが意外と評価が高いので見に来てしまった。
とりあえず、Qを知らないでも楽しめることはできた。
ただ、エヴァTV版、旧劇、新劇、いずれも全く見ていないならかなり辛い作品ではある。
だから☆4
庵野監督とスタッフはこの作品でエヴァ以降の25年のヲタク文化を総括して
「いつまでも子どもでいるな、働いて、自立した異性と出会い、結婚して、日常を生きろ」
と投げかけた。
それも旧劇みたいな投げ出す形ではなく相手を受け止めて理解しながら。
二次元萌え、セカイ系、東日本大震災、IT化社会などの25年間の社会の変化を受け止めて
そしてこうだよと提示した。
もうエヴァ制作陣は子どもじゃない、大人になったんだとしみじみと感じました。
そして自分も大人になったことを実感した。
ですが、もし、大人になりきれず恋愛もできないまま40を超えていたら
ラストは相当に堪えただろうけど。
エヴァという呪いからの解放
熱烈にハマった経験はないものの、TVシリーズ、旧劇、新劇と観続けてきた。
リアルタイムでこの作品に触れることができたのは、やはり幸せだと思う。
物語前半を見ながら、3.11にこの映画を見ていることに何か意味があるかもと
ふと思ったり、卓越した戦闘描写や難解キーワード連発のエヴァらしいお祭り騒ぎを
楽しんだり、キャラクターの成長に感動したり、エンタメとして大満足。
そして結末。
考察や謎解きは苦手なので、庵野秀明の私小説としてシリーズを観てきた身として
納得で、清々しい気持ちになる終わり方だったと思う。
キャラクターも我々観客も、何より庵野総監督自身がエヴァという呪いから
解放されていっている気がした。
もちろん終わり方に別の選択肢があっても良かったかもしれない。
でも自分にとっては20年以上エヴァを観てきて良かったと思えるラストだった。
俺は大人になったよ。お前らもエヴァを卒業して大人になれよ。
庵野総監督のそんなメッセージが伝わってくる作品でした。
ありがとう、エヴァンゲリオン!
すごく良かった!!
おっぱいがいっぱい!
ありがとう。さようなら!
小学生のときにTVシリーズに出会い、夢中になり、旧劇場版で大きなトラウマを負いって幾年…今は劇中の加持さんより年上になってしまいました。
旧劇場版の衝撃もあって、新劇場版にはそこまでハマらないようにしていましたが、笑
このネット時代、ネタバレを目にする前に観なければと…2021年3月11日に観賞しました。
「大人になってしまったなぁ…」
中盤以降、そんな感情でいっぱいになりました。
主人公の成長だけでなく、旧友たちの成長、主人公を取り巻く大人たちの成長、
それぞれが自分に向き合い、他人に向き合い、前を向くための決断をし…
その選択に、力強い意志があり、正直さがありました。
その姿が、もう本当に美しくて…。
これこそが、シン・エヴァの真骨頂なんだと感じました。
旧劇場版を彷彿とさせる映像演出もあり、「現実を向けよ」というメッセージは、旧劇場版のときと同じなのかもしれません。
しかし、その伝え方が、今回は心底刺さりました。
刺さりまくりました。
旧劇のときは、突き放された気持ちでいっぱいでしたが、
今回は、やさしさや愛情を感じるものでした。
「震災」「コロナ」という社会の構造が変わるような出来事が起きている背景があってなおさらでしょうか。
ラストの主人公の選択には、「大人の自分」としてはとても温かく感じ、しかし、「あの時(TV版に熱中していたとき)の自分」としては寂しさもあり…上映後は見事エヴァロス状態に(笑)。
エヴァンゲリオンという作品が自分にとって結構大きな存在だったんだなぁと気づかされました。
ああ、大人になってしまったなぁ…
大人として生きていくんだなぁ…
まるで、「あの時の自分」から卒業するかのような作品だと感じました。
監督をはじめとするスタッフのみなさん、見事に完結してくださって、本当にありがとうございました。マジでしびれました。幸せです。ありがとう。さようなら!
次の作品を、楽しみにしています。今までの全てのエヴァに、感謝します。
心優し科学の子の遺伝子
作品そのものとは関係のない内容の事を書きますので宜しくお願い致します。
関係がないとは言っても、この作品を観て想起した内容なので、何処かで関連しているのでしょう。
で、今回は書きたいテーマが沢山あり、今パッと頭に思い浮かぶワードだけでも「中二病」「時代性」「創作者にとっての完結とは」「創作者と鑑賞者」などなどが飛び交っていて、取り留めのない話になってしまう予感がします(爆)
まず、「創作者にとっての完結とは」「創作者と鑑賞者」ってことについて
こいう映画を観て訳分からんという感想がよくありますが、そういう類の発言は全く無視して良いと思っています。
それって単なる創作家に対する想像力の欠如であり、そういう類の人は全てに於いて経験不足・勉強不足であるだけで、全く意味のない感想だし、経験も知識もある人なら自分の嗜好は理解していて、恐らく最初から観ないか観ても別の表現になる筈です。
多くの映画・小説・漫画等々(芸術作品も含む)を読んできた人なら、1度や2度考えたことがあると思うのですが「作品に完成(完結)って本当にあるのか?」という事柄です。特にその作家のライフワーク的作品などは、その作家の人生そのものでしょうから、本当はその作家が死ぬまでは完成しないでしょう。
完成とか完結っていう言葉はあくまでも商業的・大人の事情的・技術的・規格的・便宜的な意味に於いてであって、読者・鑑賞者に対しての作り手のギリギリの妥協点であり、作り手にとっての完成・完結では決してないのだろうなという思いが、私には様々な作品体験からあります。
なので、この作品の様な大ヒットしムーブメントにまでなった作品で、何十年も経ちいまだに継続している作品に完結なんてあり得ないし、完結という言葉よりも“ケジメ”という意味で受け止める方が、この作品に対し今まで関心を示して来た受け手側の真っ当な対応だと思います。
それでも、話題作というだけでなぜ観たのか分からない様な一見さんが「1本の作品として世に出し意味不明では欠陥品」などと、勉強不足を棚に上げ偉そうに宣うのが情けないですね。
私の経験しただけでも、完結しなかった作品など数え切れないほどあり(例えば漫画だと『カムイ伝』などは代表例で、小説だと私の贔屓の夢枕獏なども何十年書き続けて未完の作品が多々あり)完結してくれただけでも本当に有難く、個人的にはその完結が望むものと違っていても、これだけ長い作品を完結させる労苦に対して「ご苦労様でした」としか言葉が見つかりません。
そして「中二病」「時代性」について
本作が“中二病”というワードを現した代表的な作品と捉えられている風潮ですが、確かに本作主人公の思春期真っ只中キャラはその後の、多くのアニメに多大な影響を与えていて、ちょっと調べてみると“中二病”という言葉が世間で使われ出したのが1999年で、本作のTVアニメは1995年からでこちらの方が少し早く、当時の社会現象的な風潮に敏感に捉えた作品であり、それらの影響から出来た言葉の様な気がします。
そういう作品群がブームとなる要素が社会自体にあり、個人というよりも社会そのものが“中二病”であったから発生したのかも知れません。だから他者に対して“中二病”と揶揄すること自体が的外れであり、世界全体が中二病化しているとして認識し取り扱うべき言葉なのでしょうね。
その予兆として、その一世代前の1980年代にブームとなった『機動戦士ガンダム』アムロ(ニュータイプ)のキャラは本作の『エヴァ』のシンジに通じ、本作を観ると結局はシンジの父親の碇ゲンドウからの流れが感じられ、『ガンダム』世代から社会が“中二病”になりつつあったのだと分かりましたよ。
で、碇ゲンドウ=シンジは庵野秀明自身の投影であり、だからこそ今まで完結出来なかったのだろうということが本作を観て納得出来ました。
で、庵野秀明(私より5歳下)というのは、我々の時代(科学の子)を生きて来た同胞であり代弁者あるからこそ、ずっと気になってしまう存在であったのでしょう。
終わりました。さようなら!
かんたん批評っ☆ サービス、サービスゥ!
これでもエヴァファンは考察するのか
一応テレビシリーズから一通り見てきたが、
破の歓喜からQから失望、待たされまくってあまり興味も無くなったはずなのに、やっぱり見ちゃうエヴァンゲリオン最終章。
久しぶりの大画面と迫力の音響に、映画館で観るのっていいなぁと思うところまで。
本編が始まると過度な期待なせずに観賞したエヴァはその期待を裏切らず、袋小路のように広げすぎた大風呂敷を
見た目派手で且つ必要性の無い戦闘シーンと、
やたらセリフで補完される場面展開と、
絵コンテやキャプチャCG、実写などツギハギだらけの絵作り(これまた必要性なし)と、
新シリーズとは言え荒唐無稽なストーリーで、
無理矢理終わらせてしまいました。
庵野監督、お疲れ様でした。
もうエヴァは作らなくていいんです。
北上ミドリが吐き捨てていたセリフが全てではないかと。
コアなエヴァファンの為のアンチテーゼ、私にはそう思えました。
これでもコアファンは両手をあげて拍手喝采し、全てのシーンにあーだこーだと考察をして楽しむんでしょうが。
さらばすべてのエヴァンゲリオン
アスカ、いっきまーす
庵野氏は8年間なにをやってたんでしょう
感想は誰のものでもなく
映画館と、Amazonプライムビデオでみた、それぞれの感想
――― 映画館視聴 2021.3.11 ———
ちゃんと終劇しててびっくり笑
(一部わざとだろうけどw)
庵野さん、頑張って結末まで作ってた!笑
――― 追加 アマプラ視聴 2021.8.14———
アマプラで、シンエヴァンゲリオン2回目みた(1回目は映画館)
何回見ても素晴らしい、特に後半どうしても泣いてしまう
キャラクターももちろんそうだけど、
ストーリーも
見てる方も
庵野監督も
制作も
関わった人たちも
みんなそれぞれの立場でで救われたんだなあって
「さよなら、すべてのエヴァンゲリオン」
みんな・すべての「エヴァの呪縛」からの解放であり、卒業なんだと思う
自分に透過してみると
ゲンドウとシンジに自分を重ねて、
助け上げてくれる誰かを待ってる自分がいるのを、
それだけじゃダメなのを分かっているのにできない自分を感じてる
心のどこかでマリを探してて、待ってるんだな
そして、そんな甘えたこと言ってんじゃねえ、って尻を叩いてくれる人、を待ってる ・・・ かな
できれば、旧テレビ、旧劇、新劇とみて、シンは エンドロール終劇がでるまで見てほしい、
本当に見続けてよかったと、万感迫るものを感じてほしいです
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