シン・エヴァンゲリオン劇場版のレビュー・感想・評価
全1014件中、781~800件目を表示
さらば全てのエヴァンゲリオン。
この言葉に集約された作品でした。
もう続編はないだろうなと思うと、
不思議とエンドロールで涙が溢れてきました。
これが涙、泣いているのはワタシ??
綾波の気持ちがわかった気がします。
青春1ページが完結した、
終わってしまったという寂しさと共に、
○○ロスという言葉を初めて痛感した瞬間でした。
ありがとうエヴァ。
学生時代、
碇や惣流と同い年だったあの頃、
何度も行き来した踏切や駅前の光景が、
40代を目前にして、
過ぎ去った青春時代を
思い起こさせてくれました。
もう戻る事のない、
エヴァンゲリオンと過ごした日々、
ありがとう。
さようなら。
おやすみなさい。。
待ち望んだエヴァの最終回ムービー
公開、初日に行けなかったのが残念。
エヴァの呪縛から、私も解き放たれた感じがしました。
今までのラストに比べるとわかりやすく。
これまでの登場人物がほぼ出演した事が嬉しかった。
エヴァファン向けの最終回だと感じました。
私も35歳
エヴァを見た当時からすると大人になったもので、
アスカとシンジのお互いが好きだった。私の方が先に大人になった。
中学生のころ、好きだったものどおしが、大人になり、
恋愛感情がなくなった時に似ている。
「破」のアクション大作としてのエヴァもすごい楽しかった。
今回のエヴァは、ヒューマンドラマを見ているような気分だった。
これまでも、人間ドラマは、いろんな部分で描かれてきたが
いろんな人やこれまで触れられなかった部分にも触れていて満足
ミサトと加地さん、そしてのその子供
ゲンドウの過去もより深く
アスカとケンスケ。シンジとマリ。カオル君とレイ
おのおのが別々の道に進みだしたラストの駅は、見てても泣けた。
過去最終回のラストシーンや、カオル君とシンジ君が話す海辺?
旧劇場で、アスカとシンジが最後にいた海辺。数々のシーンが登場
きになっていた加地さんのラストも描かれていてこれまでの謎に触れてくれた。
エヴァに乗らない事を選んだシンジ君の未来がよいものになると本当にいいな。
ミサトさんが、最後に帽子をとり、今までのエヴァスタイルとなり決戦に挑み
シンジ君が制服をきて、エントリープラグ姿で現れるシーンは、
本当、ファンサービスだと感じました。
これまで、エヴァのテレビ版、旧劇場、新劇場とシリーズとともに成長してきた人こそ、
楽しめるそんなエヴァ映画だった。
最高の到着地点(6月15日追記)
エヴァだけに変な終わり方やったらどうしよとか思ってたけど
最高の終わり方やったんちゃうかな?
今までの伏線とかほとんど回収できたと思う
難しさはなくそのまま受け入れるのが大切で正解です
エヴァ熱がまた来たので序から見直してもう一度映画館に行きます
追記(6月15日)
3回観ました
2回目は4DXです
ネオンジェネシス
インフレーションによって作られた別の宇宙
エヴァの存在しない現実の世界(だから実写)
最後に行ったマイナス宇宙は量子力学の世界でイベントホライゾンにも似た場所
空間は移動できないが時間は移動できる
宇宙が誕生した場所にゴルゴダオブジェクトがあるんやろう
ガフの扉はそこへ通じる
全てのエヴァを消したのは別の宇宙にもエヴァが存在する可能性があるから
イベントホライゾンで過去からエヴァを消し去ったって感じ
繰り返しではなく(ループ物ではなく)最初から宇宙を作り直した感じかな
シンジとマリに記憶があるのはゴルゴダオブジェクトにマリがシンジを助けに行った時に2人の記憶だけが過去に飛ばされネオンジェネシスの世界の2人に上書き?されたから
チョーカーに関しては分かりませんw
物質が過去に送られるとは思えないし
でもあれは物質ではなく形を成す記憶なのかも
最後にマリがチョーカーをポケットに入れたけどポケットはふくらんでなかったしね
3回目を観てこんな感じに思いました
1回目は感情だけが残り
2回目は4DXだったのでアトラクションとして楽しみ
3回目でしっかり内容を観た
次見るのはBlu-ray買ってからかなぁ
また劇場行くタイミングあればいいけど
追記
4回目観に行きました❗️
アスカってそういう事やったんや…
ありがとう
急に現実を叩きつけられた気がする
リアルタイム中学生からみてました。
同年代のシンジ君に感情移入できてたからすごい共感できた作品。難しい設定は置いといてアニメーションや音響、BGM昔から作品をみてなくても楽しめる作品。
第三村のシーンの綾波がかわいすぎるし、好きだった事を伝えるアスカもかわいいと思ったが最終ただのオッパイ好きかと思ってしまった。
急に大人になるシンジ君。大人になった今でも14歳のシンジくんの心情に共感していたが急にリアルを叩きつけられる。
正直現実と向き合わずにもう少し夢を見ていたかった。シンジ君も成長してるんだまわりに置いていかれるという不安な気持ちになった反面、前に進もうという気持ちにもなれた。
ただラストはしっくりこない。
これは一つのパラレルワールドの話にしても。
ありがとう全てのエヴァンゲリオン
ああいう終わり方もair まごころを君にがあったからこその 庵野監督なりの1つの裏切りだったのかな
エヴァンゲリオンに出会えて本当に良かったと心の底から思える作品でした
裏切り!
最もエヴァらしくないエヴァ作品
新劇場版の最終作である本編。
映像については今まで通り2D+3Dをうまく組み合わされており、書き込みやエフェクトなどもかなり多用されていてワンシーンごとでかなりリッチな映像になっています。おそらく現行のアニメ作品ではトップクラスの出来かと。
シナリオについては、タイトル通り「最もエヴァらしくないエヴァ」だと感じました。というのも、”オチなしで次回作に続く、下手したら最初からループ”が今までのエヴァ作品の前提なのでオチがちゃんとあることにどうしても違和感を感じてしまいました。ただ各キャラごとで有耶無耶だった”それぞれの行動の動機”についてもちゃんと焦点が当たっていたので、オチとしては無難と言われればそれまでですが、十分ありな結末だったのかと思います。
音楽については、やはり宇多田ヒカル氏の楽曲がEDで流れるだけで作品が締まります。また若干のネタバレになりますが)新曲+あの曲がアレンジで流れたときに、「ああ両曲とも歌詞は碇ゲンドウの人類補完計画を進めようと思った動機のこと書いてるんだな」と腑に落ちました。(憶測かもしれませんが・・・)
総評して、区切りがつくまで長いこと時間が作品ではありましたが、ちゃんと完結されて最後が見れたのは良かったと思います。やはり各キャラクターも空想の世界の中とはいえ、ずっと同じ場所をループしてるより、前に進まなきゃね。
よかった
粗はあります。「このCGはちょっとどうなんだ」とか「これでもまだ尺足りてないんじゃないか」とか言いたいこともあります。だから一応-0.5。
それでもエヴァシリーズのラストとして、見たいものを見せてくれた映画だと思います。
派手な戦闘シーンと考察しがいのある(悪く言えば意味不明な)設定群、人間関係の機微という「エヴァらしさ」、長年のファンが見たかったであろう結末、そして随所に散りばめられたセルフオマージュによるファンサービス。
ファンサービスですよ!?あの庵野監督が!エヴァオタクを皮肉るでもバカにするでもなく!
それを見た今なら、度々庵野監督が言おうとしているらしい「お前らオタク共はいい加減エヴァを卒業しろ」という呼びかけに対して素直に「はい」と言えます。
いや寂しいんですよ。もう二度と(少なくとも庵野監督作品としての)エヴァが作られないと思うと。でも「もっと作ってくれ!」とは口が裂けても言えない。「はい終わり」って放り投げられたわけでもなく、優しく「これでおしまいだよ」と着地させてくれたし、これ以上続きやら外伝やらを作ると確実に蛇足になるとわかるくらい良い結末だったから。
カップリングを気にする人が怒るのもわかるけれど、シンジくんもアスカも皆大人になったんだから、きっと視聴者には見えないところで自分なりの未来を掴んだんですよ。
だからこれでおしまいでいいんだと思います。
喪失感と幸福感の詰まった、最高の卒業式でした。
タイトルなし(ネタバレ)
確かに今までのTVシリーズ 劇場版の内容は全部補完しましたが、結果は正直納得できないですね。まるでセーラームーン昔のTVシリーズの終わりみたいに。シンジ君ガ新たの世界作ったことで、すべでの人生き返せました、ただ各キャラクター1カード程度で、幻が現実がも曖昧な感じ。シンジとマリが確かに過去の記憶が残ってますが、一瞬出たの綾波とカヲルはどうだろう。ただの似でるの他人なら残念ですね。
まぁいいところと考えると、新作った世界のことで綾波とカヲル存在でも話し的に通れるから、綾波派の俺として、少なくでも、綾波まで生きでる。旧劇場版よりましですね。
ファンだけに向いた作品と言われるかもしれませんが…
長文、駄文になりますm(_ _)m
放送当時シンジ達と同じ14才でした。そりゃもう、ドップリはまりました。殆どの作品を初日に観ていまして、今回もレイトショーにて初日に観ることができました。
さて今回の作品ですが、エヴァ信者の様な僕からすれば最初から100点なのです。加点方式でそこから増えていくことはあってもエヴァを観られたらそれだけで満足なんです。減点はありません。
やはり、今までのエヴァと同じように心が踊りました、震えました。
しかし、作品自体のクオリティやセンスで言うとどうなのかなぁと思っちゃいました。庵野監督のわざと外した演出は今回も健在でしたが、それが客観的に見て高く評価されるものなのかは疑問です…
しかし僕にとってリアルタイムで映画館で初日に、エヴァを観る時間は青春の続きです、熱病のフラッシュバックなのですわ。
今回、作品のクオリティとしては評価されないかもしれません、しかし映像体験としてのエヴァはやっぱりエヴァでした、唯一無二です。
数多くある名作とは違うかもしれませんが、1人でも多くの人にこの唯一無二の映像体験に溺れて欲しいと切に願います。
なんだかよく分かんね
エヴァファンではない一映画ファンとしての評価 (長文注意)
タイトルにも書きましたが、以下の感想はエヴァンゲリオンのファンではなく、エヴァファンの友人に連れられて観に行った一映画ファンとしての評価になります。
そのため、作品に対する理解や考察が至らない点が多々あるかと思いますが、あくまで大衆向けに配給されているこの映画を見た一観客、一映画ファンの意見としてお読みいただければ幸いです。
前述のとおり今回は熱心なエヴァファンの友人に誘われ、公開初日に観に行くことになったのですが、デートムービーでもないアニメ作品に、大してそれに思い入れもない友人(私)を連れて行く時点で、友人としても鑑賞後に内容を一人で消化できるかどうか不安だったのかなぁと。
私自身はあまり舞台挨拶とかに興味が無いタイプなので、映画を公開日初日に観に行った経験がほとんどなく、少なからずテンションが上がってしまい、「納得できない内容だったらどーする!?」などと軽口を叩いてみたりしながら開演を待っていました。
今回観に行くあたってTVシリーズから旧劇場版、序・破・Qと何度か復習して臨みましたが、前作が「急」もといQuestionの「Q」かのような物議を醸す内容だったということで、友人も私も、そして恐らくほかの観客の方々も最終作である今作でアンサーが得られるのか、それに納得できるのか不安だったと思います。
と、ドキドキしたりワクワクしたり楽しかったというか、心が動いていたのは作品を鑑賞するまでの時間だったような気が今となってはします。
内容についてコメントすると、ファンとして納得できるとかできないとか、その部分は私には分かりませんが、単純にアニメーション作品としてつまらない、出来が悪いと感じてしまいました。
まず、一応書いておくと、ファンの間で喧々囂々の議論となっているカップリング問題(?)については、綾波も式波もしょせんはクローンですし、「レイかアスカか」と考えても新劇場版以前まで人気を二分していたキャラクターのため、そのどちらかを選ぶということはもう一方を選ばないということになるので、制作側としてもシンジくん個人の選択としてもマリになるのは個人的には現実的ですっと理解できる結果でした。
もともと実の母親の幻影としての綾波や、思春期の男の子のグロースファクターとしての異性であったアスカ(惣流・式波)は、成長し殻を破り自ら戦うことに決めたシンジくんにはもう必要がない存在ですし、
式波とケンスケのカップリング(というより関係を持っているだけの気がしますが)についても、戦争未亡人ではないですが、いくら好きな相手でも帰りを待つ年月は待つ者の心を変えてしまううえ、現実世界と同様に、働かざる者食うべからずの第三村で日々生きて行くためには有力者に取り入るという生存戦略を取るのも当然のことだと思います。
(勝手に推察すると、式波も最初はケンスケをたぶらかして上手いこと庇護の下に入ろう(で、畑仕事をせずに楽して暮らそう)というアスカらしい、可愛らしい計略でケンスケに近付いたら、ケンスケの心の広さや優しさにほだされて、次第に本気で惹かれてしまったのではないかなと・・・。言動を額面通りに受け取るとめっちゃ良い奴ですからね、ケンスケ。)
じゃあ序からQまでの式波との熱いやりとりや、命懸けで綾波を守ろうとしたシンジくんはなんだったんだー!とは思いますし、オリジナルの惣流も戦死したから新劇場版ではクローンの式波しか出てこないんでしょうが、その成仏というかシンジくんのなかの消化の場面を作ってあげても良かったのではないかなぁと(今作劇中の赤い海辺のアスカは呪いが解けて年齢相応の姿になった式波ですよね?)
そもそもあくまでエンタメ作品なので、旧来からのどちらかのファンの期待を裏切ったとしても、もう一方のファンの期待にはきっちり応えるような結果にして終わらせても良かったのでは?とも思います。(商業主義的には)
が、そこらへんは監督自身が作りたいものがあってこうなったんだろう。としかエヴァファンではない私は感じないので、正直言うとどうでもいいです。
誰と誰がくっつくかとか、そんなことより、一つの作品として、四半世紀以上にわたるエヴァンゲリオンというアニメコンテンツの最後として、これで良かったのか??と、シナリオそのものの出来に疑問しか感じないのが、一映画ファンとして☆2つしか付けられなかった理由です。
新劇場版から本シリーズがループ物であること、時間軸や世界線が前後して描かれていることが示唆されており、そうしたループ物やパラレルワールド物の作品って昔からありますが、何故か時期を同じくして同時多発的に出てくるものなので、巷で言われているように他の作品とオチが被ってしまうというのは避けられないことだと思います。
そもそも、ループやパラレルワールドに翻弄される世界から逃れるにはその輪廻を断ち切るという解決策しか方法が無いわけで、大事なのはオチではなく、ここまで続いてきた作品のゴールとして、そのオチも含めてファンが納得する描き方をしてエヴァンゲリオンという世界を完結させることではないでしょうか。
それにあたっては何度も世界をやり直し、作り変え、それを望まない人間まで"補完"していった人類補完計画の理由や意味、そしてそれを断ち切るシンジくんの成長こそ丁寧かつ重厚に紡いでいかなければいけないポイントだと個人的に思い、今回そのアンサーが得られるものと期待していました。
結果、それがどう果たされたのかとネタバレを恐れない他人に説明するとして「なんやかんやあって解決した」としか表現できない内容で、それは(この作品の世界観をよく理解しているであろう)熱心なエヴァファンの友人も同じであったということ、それがとてもとても残念でした。
物語として成立していないというか、普通に考えて、大量に(おそらく地球規模で)人々を勝手に"補完"し、世界を再構築するって、ものすごく壮大な話で、そうまでしなければいけない必然性、例えば観客も自分がその立場でも同じ行動を取るであろうというような説得力が無いと話がとても薄っぺらくなってしまうと思うのですが、
つまるところゲンドウは亡き妻である「ユイに会いたい」、という極めて個人的な一部の理由で世界全部を補完したい、そして妻に会いたいという理由以外の、「人間とは」みたいな講釈は枝葉末節の部分であるというのが明らかな感じで、ものの見事に薄っぺらい内容でした。
大量の人間を"補完"し、息子を依代として、ゲンドウ自身も人であることを辞めてまで実現させたかったことがそれって・・・。
結局この20数年全く物語に進歩も着色も無かったんだなぁと、ファンでもない私でも悲しくなりました。
しかもそこまでして実現させたかったことを阻止するのが息子との対話って・・・。
いや、ここに来るまで交わることが出来なかった親子をようやく向き合わせ、お互いに逃げることなく(父親であるゲンドウのほうは逃げていましたが)全てが氷解したあの場面は、長年の宿題をようやく終わらせたという意味でとても良いシーンでした。
しかし、TVシリーズ放映開始から26年、前作のQ上映から8年も経った集大成として肩透かしを食らった感は否めません。
スターウォーズシリーズでもアナキンは愛する妻であるパドメを失ったことをきっかけに、死すら超越する力を得るため(得られると皇帝に騙され)シスの暗黒卿ダース・ベイダーに成り下がってしまいますが、息子の命が潰えそうとする瞬間の「助けて、父さん」の一言でアナキン・スカイウォーカーに還り、悲しい運命から息子も自らも解き放つことが出来ました。
それをゲンドウに置き換えると、正気に戻るタイミングは今回ではなくニアサードインパクトのときで良かったのではないかとすごくモヤモヤします。(あれがあくまで準備段階だとしても)
シンジくんが本当にゲンドウの息子だとして、愛する妻が産んだ自分の息子を生贄に捧げるような状況になって(結果失敗したけど廃人同然になって)も辞められなかった、世界を犠牲にしても成し遂げたかったことを最後の最後でたった一度の対話で翻すというのは、駆け足で風呂敷を畳むためのご都合主義が過ぎる気がしました。
「終わらせよう」という意気込みを感じるのは良かったと思います。ただ、そこはかとなくそこに義務感ばかりチラつくと言うか、「気乗りしないけど次の仕事のために終わらせる」という印象を(個人的な思い込みかもしれませんが)すごく感じました。
自分の殻に閉じこもりがちなシンジくんの成長過程をもっと丁寧に描いてほしいとも思いましたし、それは今作だけでどうこうできる問題ではないとしても、だからこそ4作も作るお金と時間を貰ったそのありがたいチャンスをもっと活かして、今作でそれをさらに昇華させるべきだったと思います。
素敵なシナリオやプロットを温めながらもそれを発表する機会に恵まれない映画監督が大勢いるなかで、一映画ファンとして、庵野監督はこれで本当に良かったのかなぁ、と疑問です。
たぶん、カップリングについてのネタバレや議論ばかり目立つのは、それ以外の部分について消化不良ではないけれどエヴァとしての満腹感が足りないというファンが多いからではないかなと個人的には思います。
一緒に観た友人もカップリングや結末そのものに不満は無いようでしたが、「庵野(監督)はエヴァファンが嫌いだからね…」と悲しそうに呟いていて、一部の過激な"ヲタク"・"フリーク"とは違う、純粋に作品を愛して楽しみにしていた"ファン"としての悲哀が伝わってきて私も悲しかったです。
途中から、そういう場面ではないのに笑わせにきてるのかなと思うような表現があったり、CGのクオリティや編集技法に"逃げ"と思えるような作りがあったり、新劇場版第一作目から13年待った観客に見せるものなのかな?と疑問に感じるシーンもあって、
「とにかく庵野監督はもうエヴァなんて作りたくないんだな」という印象が嫌と言うほど伝わって来ました。
自分も卒業したい、だからファンも卒業してくれ。という感じでしょうか。
ファンならその意を汲んでお疲れ様となるのかもしれませんが、一つの作品を観に来た者としては自分からまた始めたことなのにすごく投げやりだなぁと思いましたし、
失礼を承知で言うと、深く踏み込まれると底が浅いことがバレるから、それを恐れてファンを拒絶しているだけで、旧劇場版からほとんど成長していない監督だなと感じました。
最後の唐突に出てくる宇部地方も庵野監督の出身地ということで、この作品は監督自身の人生や心情を一部投影したものなんだなというのは分かりましたが、
それはそれとして発表しているものでないのなら、最後まで隠して、作品やビジネスとは切り離して、エヴァンゲリオンというコンテンツをもう少ししっかり完成させてほしかったと思います。
公私混同も甚だしいですし、作品を愛してくれたファンやそれを評価してくれた社会に失礼でしょう。
字数制限でもう書けませんが、基本、映画は「楽しかった」と手放しで褒めるタイプの私が、正直「今までエヴァシリーズを追いかけてこなくて良かった」と思うような作品でした。
希望と成長の物語
<個人的メモで書いてます>
劇中でカオルくんが言ったイマジナリーからリアリティーへのセリフで個人的にはすごく納得が出来たと言うか内容がスルッと入れられた。
もちろん全然着いていけないとこもある!!
希望と絶望、虚構と現実、創造と破壊、理想と幻色々なシーンが入り乱れるなか、最終的には同乗者全員が「現実」に居たったことはそのまんまの意味なのかな?
イマジナリーからリアリティーへ
マリとシンジが二人で駅から出てきたってのが、リアルの世界でも「帰ってきた」とかの意味に繋がるのかなと
固有名詞はほとんどうっすらとしかわからないけど、
全1014件中、781~800件目を表示