シン・エヴァンゲリオン劇場版のレビュー・感想・評価
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ありがとう
新劇をきっかけにはまってから、たまたまですがはや、14年。
シンジくんじゃないけど、自分も大人になったな。と思いながら見た2時間半でした。
ここまでの映像美、ストーリー展開。伏線回収。
待たされたなという気持ちと、描ききるの大変だったろうなという思いと。
とにかく、最後に言えるのはやっぱり。
ありがとうすべてのエヴァンゲリオン。
難しかった
ヲタクという病 への最終結論がコレ
現実の中で幸せを見いだす事でしか、人が幸せになる方法はない。
これはヲタク先進国だった日本の最終結論だと感じる。
25年前にシンジくんと同世代だった人は今や40代~30代後半だ。
エヴァに何かしらのシンパシーを感じてシリーズを追っかけていた かつての子供も
それぞれの岐路をかいくぐり、大きな失敗だったり誰かとの決別だったり、精神の羽陽曲折を経て この最終話にたどり着いている。
背景を思い返してみれば
80~90年代に社会問題になった【ヲタク】という【現象】は2020年代現在、当たり前の存在であり概念となり
アニメや漫画やゲーム、アイドルや映画や小説、音楽等、全ての娯楽創作物は、つまらない現実の逃避先として認められている。
そう。
結局はヲタクかどうか 子供か大人かに関わらず現実は誰にとってもつまらないし、満たされない物だったという事だ。
それでも、
現実を受け止める勇気を持てた人達は既婚未婚 男女 年齢問わず、この現実世界の中で希望を見いだし 希望を持って生きる事が出来ている。
だが、現実から逃げて現実をボヤかし
切り離し過ぎてしまった人達はどうなっただろうか。
逃避先の世界の中の自分は幸せだが
【現実の自分】だけはいつも置き去りで
現実の自分と 理想の自分がドンドン剥離していき、自分(現実)が邪魔に感じる所まで来てしまっている。
簡単に言えば、楽しい娯楽に触れた時
「あー楽しかった。明日も頑張ろう。」
というのが正常な状態で
「あー楽しかった。明日なんて来てほしくないな」
というのが娯楽との距離感が狂いだしている状態、ということだ。
いくら想像の中で自分が幸せを感じたとしても、それを眺めている現実の自分が
現実との折り合いをしっかり保てていなければ、何を感じようが何を得ようが無意味なのだが
そのバランスを失った人が爆発的に増えたのがエヴァ世代だった。
この最終話でゲンドウは
現実を切り捨てひたすら想像の理想世界を追い求めていた自分の弱さを打ち明け、精神的な欠如に気付き、それを受け入れることで救われた。
シンジやアスカやカヲル、その他の登場人物全員、自分は幸せになりたかった事に気づき、認めて、打ち明け、その自分を受け入れる事で次の段階に進んだり救済されている。
終盤とラストを見れば分かるが
初期映画にも見られた
【これはアニメだ。作り物だ。】という演出がふんだんに盛り込まれ、現実の世界を映して物語は終るが
初期映画にあった怨念や憂鬱さは消えて、現実に帰る人達の背中を押すような演出だった。
これは庵野監督の師匠筋にあたる今は亡きジブリの高畑監督が提唱し続けて来た
「こんな世界に行きたいなーと思わせてしまうようなアニメは人を救うようで結果的には救わない。見た者が現実はつまらないんだと感じさせてしまうような作品は創作物として邪道だ。」というポリシーに通じるものがあり、蛍の墓やポンポコも同様の終わり方をしている。
話は反れたが
エヴァンゲリオンという現象は
80~90年代に人類が直面した 【娯楽作品への逃避行為】という死に至る病に対する
実録の取り扱い説明書であり、結論だと感じる。
おわったね~
長かったシリーズも終劇となりましたね。
庵野監督が作りたかったモノなので、これで我々は納得するしかないのでしょう笑
文句はないです。
ゲンドウが途中から・・・ガンバスターに見えて・・・集中できなかった笑
最高に“エヴァ”でした
大学生の頃、夕方にやってたエヴァからもう26年…
あの頃の“世紀末感”から時代は移り変わり、26年におよぶエヴァのループを抜けて、“今を生きる”地点に着地しましたね。
自分も出産や子育てがあったので、あの頃からずいぶん変わりました。
昔のミサトさんの生き方や散り方もあの頃は好きだったし共感できたけれど、今のミサトさんが子供を産んでて、子供を想いながら突撃していくところに、「あぁ、やっぱりミサトさんだな…」と長年の友人の姿を見ているような気持ちになりました。
平塚の大学に通っていたから箱根は近く、わりとよく行くところでした。
そんなところからもこの作品は近しく感じていたのですが、今、山口県に住んで16年になります。
たまたま宇部に用事があったので、宇部の映画館で初日に鑑賞しました。
初日の2回目で、映画に関して誰も何も知らない状態。
ラスト、宇部新川駅が映し出されて、観客みんな「えっ?宇部新川じゃん…」という声にならないどよめき、このライブ感…
26年(つかず離れずですが)見続けてきたこの作品の最後に宇部新川が登場して、その宇部の町でこの映画を観ている今の自分の縁に感謝しました。
映画にも映し出された宇部興産本社前を通って帰り「いつも通ってたのに、この角を曲がったら宇部新川駅だとは知らなかったなぁ」などと思いつつ。
後日、地元下関で子供と一緒に観に行きましたが、宇部新川が出ることは知れ渡っているせいか、そして宇部ではなくて下関だからか、あの初日のライブ感は本当にあの時だけのもので、自分の中で宝物のような経験になりました。
映画は最高に“エヴァ”でした。もう、これ以上はないってくらいに“エヴァ”でした。
そして予想を良い意味で裏切られ、最高の着地点に着地したと思います。
26年間、どうもありがとう。
アニメってわかってるからせめてエンタメとして成立させてくれ。
庵野さんの言いたい事はわかるよ、うん。でも現実ではファンは20年必死に日々を生きていたわけで…メッセージじゃなくて説教かよ。あのオチも物語の否定みたいで拡散しきった世界観をまとめたというよりまとめられないから無かった事にしてぶん投げて逃げただけだ。逃げちゃダメ(笑)
上映時間も長かったけどシンジの最初の引きこもり、ゲンドウの説明はいらないだろ、あれ。意味ありげなキーワードを言わせて考察させるならキャラの心情こそ考察させるべきなんで全部説明させるな、テンプレのラスボスかよ。そもそも親は子供に本音言わねーから、カッコつけて意地張って親をやってんだよ!まぁ死ぬ間際だからアリなのか?
でもさ、エヴァは凄かったんだよ〜昔は(笑)リアルタイム世代じゃなきゃわかんないだろうけど。なんだかんだ言っても完結しただけで感謝です、無事子供が成長してくれた親の気分だよ、ありがとう。ほっとした。
終劇
四半世紀に亘ったEVAの世界が、今回で本当に終劇となった。
賛否が出なければEVAでは無いので、今回も当然賛否は喧しいでしょう。
しかし、「EVAは庵野監督の私小説である」という意見に賛成なので、
この終わらせ方については、監督の意向を完全に受け入れたいと思い
肯定的にとらえています。
少なくともこんなにも長い間、気になり続けた作品は他にはない。
率直に感謝と称賛をささげます。さらばすべてのエヴァンゲリオン。
ここからネタバレ含みます。
採点はもちろん盲目的に5点でも良かったのですが、EVAを完全履修
していないと100%楽しめないので、マイナス0.5してしまいました。
TV版、旧劇場版、新劇場版、貞本EVA(公式のコミック版)これら
すべてを知らないと、理解できないシーンが多いと思います。
そしてこの決着は、貞本版EVAが一番近い感覚なのかな。
コミックはまだ見ていないという人がいたら、一読をお勧めします。
肝心の映画の中身ですが、長丁場も苦しくならない見事な出来でした。
映像、音楽、声優、すべてが最上質なものだったので満足。
序盤はサービス過剰なぐらい同窓会感が出ていて、観ていてとても
楽しかった。(トウジ、ヒカリ、ケンケン、ペンペン、加地クン)
中盤の怒涛の展開と迫力ある画づくりには圧倒されました。
そして終盤、庵野監督のオトシマエのつけ方に完全にやられました。
これほどのカオスに満ちた物語のラストメッセージの、なんと凡庸な
ことか。けれど四半世紀の苦悩の結論が凡庸であったことは、自分に
とってはかえって納得感がありました。
サブタイトルのTHRICE UPON A TIMEは3回目の世界? という意味ですかね。
もしかして世界がループしているのではなく、書き換えられているという
ことなのかと考えさせられる終盤でした。
観終わった後、元々のタイトルである新世紀(ネオンジェネシス)という
題名そのものを伏線回収するという大団円であったのだと好意的に解釈し、
納得して帰途しました。これで終劇なのですね。
長い永い青春が終わった感じがします。
ただ、「さようならは、またねのおまじない」と言ってたから、本当に
終劇なのかは、神(庵野)のみぞ知るって感じかな。笑
PS.個人的には、挿入歌にVOYAGERが使われたことが嬉しかった。
そしてイスカリオテのマリアには驚愕した 笑
Qで脱落した私が完結編という事で観てみた!
旧作からずっと観続けて『まごころを君に』で一回絶望。再構築した『序』『破』で再び希望を見いだして『Q』でまた絶望の私が完結編ということでケリをつけるため鑑賞!
今回1番鳥肌が立ったのは艦隊の戦闘シーン!!
だって!!だって!!!!!!!
子供の頃に夢中で観た特撮映画『惑星大戦争』の轟天のテーマが流れるんですもの!!!!
Σこのチョイス!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
例によってミサトさんとリツコさんの会話は何言ってるかよく分からないけど、そこはスルー!理解できる訳がない!
しかし、Qでぶっ飛ばした設定をよくぞ継続して終わりに持っていたと感心しました。
ゲンドウのダラダラシーンとか、やる気無しシンジくんのシーン、綾波の平和な日常シーンをコンパクトにすればもう少し短く出来たんじゃないかと思う。とにかく長い!!!!
でもまぁ、個人的には全然Qよりは良かったです。
エンドロールで今回は宇多田ヒカルのいつものあの歌じゃないのかぁ・・・とちょっと残念に思っていたら
it's Only Love〜
it's Only Love〜
からの!あのBGMが!!!!!!
これには嬉しかったので+0.5
なんとも綺麗な最終回
ファン向けです。劇場版以外にもテレビシリーズを見ておかないと話を理解するのは難しいかも。でもただ楽しみたいのなら見る必要はないでしょう。アクションは派手でかっこいいですし。
個人的にはマリが推しなので活躍していたのはうれしかったですね。それに彼女の魅力である相手を舐めきっている態度は変わりませんのでここも最高でした。
友達と見に行けば後でワイワイこれはこういうことだったんじゃないかと話せるでしょう。友人と見に行くことをお勧めします。
ちなみにパンフレットは1,500円と高いですがそれだけの価値はありますよ。
2回目見ました。
テレビで力を抜いて先の展開を考えながら見るとめちゃくちゃ分かりやすかったですね。大体理解できましたら。
今までエヴァは失礼ながら庵野監督が自己陶酔したような作品だと思っていましたが考えを改めました。
もう一度テレビシリーズ見ようかな。
155分
2021/03/10
数年前に友達がアニメ版のDVDをくれたのをきっかけに、アニメ全話、旧劇場版、新劇場版と一応すべて見てきているけれど、それなりに成熟したオトナになってから観たのもあって、そこまでファンってわけではないです。
単純に、巨大なものが戦うのを見るのが好きなの。
観終わって、あー終わったんだなって感じ。
観客を振り回した挙句、アニメ版も旧も新もそれを見守ってきたファンも全部ひっくるめて抱きしめて、終わりを付けた庵野秀明に拍手。
とは言え、相変わらず意味分からん部分は意味わかんなかったです。笑
でも説明してくれてる部分はいつになく説明してくれて、それがちょっと意外だったり。
(ゲンドウ、しょーもなww)
カオスな映像や戦いにもわくわくした。
あと推しのマリが大活躍でうはうは。
あとシンジくん、成長おめでと。
最高!
エヴァの呪縛が終わり、そして救われた…
この物語は救われた…
というのが見終わった最初の感想
単体の作品としての細かいクオリティはこの際どうでもいいでしょう
今思えば エヴァンゲリオン というシリーズは、始まったその時からずっと 救われること を必要としていたような気がする。
それは シンジやミサト、ゲンドウ、レイ、アスカなどの、登場人物達の物語についてに止まらず、 エヴァンゲリオン という創作物そのものが 救われる ことを必要としていたんだ ということがこの映画を見るとよくわかる。
庵野秀明は恐らく エヴァ と言う物語を生み出してしまった事を後悔していた時期もあったんじゃなかろうか。この巨大な物語を制御できず、心を病み、それでも立ち向かい続け今日までやって来た。そして今作でようやく、エヴァが始まった事、そして終わることを受け入れて、ケリをつけることが出来たんだと思う。
(実際のところは知らんが自分は ようやく綺麗に折り合いをつけたんだな と感じた)
というか庵野秀明がエヴァンゲリオンという物語を通して抱えていたこの葛藤、これそのまんま 他者との関わりの中で傷つきながらそれでも全てを受け入れていく という シンジくんが歩む道そのまんまと言っても良いんじゃなかろうか。
だからこそシンジくん、つまり作り手が最後に下した結末はこう言う形だったんだと思うと納得がいく。
話の次元が急速にメタ領域に移行していくクライマックスは旧劇の作風の踏襲とも言えるが、最後は物語上の領域に話が戻ったのに対して今作は完全に こちら側 つまり エヴァンゲリオン という物語を外から見守る我々側の領域で着地する。
エヴァンゲリオンという物語もエヴァンゲリオンという物語を現実で見守って来た我々の物語も、ようやく今作で救われる。
というか、本当の意味で全てを救えるのはもはや観客だけなのかも…
とにかく、エヴァンゲリオン という巨大な物語そのものに お疲れ様でした… と声をかけたくなる一本なのは間違いない。
もしこれでもまだ またエヴァやりましょうよ! みたいな企画を立ち上げる奴がいたら俺が説教してやる笑
やれば儲かるかもしれないけど、もう勘弁してあげましょう
あとは、ニアサードインパクトを ニアサー って略すのはなんか面白かった。
お疲れ様でした!
難しいけど、最高だった
25年も重みを背負って見てきた訳では無いが、旧劇場版と新劇場版が繋がっていた考察があっていたことに感動した。カヲルくんが旧劇場版からずっと記憶をただ1人失っておらず、何回も何回もループしてシンジに出会うために生きてきた、もう1人の主人公だという考察を見て納得出来た。この作品のテーマは「愛」なのだなと感じた。相手に記憶がなくても何回ループしてもシンジの幸せを願い、それが自分の生きている存在意義と勘違いしてしまっている。ミサトさんと加持さんの関係の中で、ミサトさんが加持さんのことを父親と見置き、1回別れ、再開した後一人の人間として対等に、また交際を続ける、という関係性をシンジとカヲルくんでもあるのかなと思った。
物語のキーマンはアスカでもレイでもなく、マリとカヲルくん、という考察を見て、たしかに旧劇場版では登場しなかったマリがカセットテープの番号を進めていたことにも納得出来た。
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