シン・エヴァンゲリオン劇場版のレビュー・感想・評価
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考察は、出来ない!(笑)
アニメは、好きなので(ガンダム世代)で良く見ます。
社会現象時代は実家(田舎)でTV放送すらさせず、(雑誌でよく取り上げられてて、「ふーん」くらい。)上京してからパチンコの映像で興味を持ち、TV版をDVDで鑑賞。で、新劇場版4作を観るに至った訳ですが
まあ、欠片も理解出来ん!
という前提の話を(苦笑)
まあ、何となくはね?思春期の複雑な感情からのすれ違いや葛藤。また、大人であっても上手く行かない人間模様。複雑に絡み合ったストーリーにロボット?アクション、人類滅亡(補完?)まで振り切った壮大な話な訳で、謎が謎を読んで色々と考えたくなるし、キャラも魅力的。人気があるのも分かります。嫌いではないです。が!
先ず、作品として掴みのアクションから前作「Q」の続きからスタート、被害から逃れた第三村にたどり着き、ヴンダーから迎えを待つ3人(一人はウジウジ)。
避難民との生活に人間らしさが出てきた綾波と思ってたら爆死!シンジ君何やら決心。このあたりまでは良かったんですよ。
ヴンダーに戻ったらいきなり決戦で、その後がひたすら戦闘が続いて、裏宇宙?に入ってカオスな状態に突入。親子の会話から
なんか皆が救われて。少し成長したシンジ君とマリでラスト。
映像とアクションは凄いです。
しかし、やはりと言うか、エヴァンゲリオン特有の断片的な映像(心理描写)の切り替えの中での会話劇が馴染めないかなと。
ゆっくりならまだ良いのですが今回は展開が速い気がして。
また、シンジ君もウジウジから立ち直ってからが、全てを悟ったかと言うような振る舞いで拳銃向けられてもピクリともしない。(笑)ゲンドウとの親子の会話?と言うかゲンドウが勝手に喋って勝手に悟ったように感じしました。
新劇場版は、序、破、Q迄はしっかりアニメしてて良かったんですよ。で、今回の「シン」でやっぱり現実とのクロスオーバーみたいな実写シーン入れてきて、で、ガクンと。
ファンは、それでも良いのでしょうが。
ひと言「アニメ観に来てんだから実写入れんな!」
映画館で見ておかなと後悔するよ!
残念
ギュッと縮めてシンプルに言うと、旧劇場版に多少の説明を付け足して、エンド内容を変えましました…。
という印象。
世界が作り変えられる過程(難解でほぼ強引)は焼き直しされたけど、「またか」という印象でした。
初期(エヴァ乗りたて)のころの心理描写がほぼなくなってしまっているせいで、キャラに感情移入ができず…。
終わったというより、「終わらせた」印象。
新劇場版…なんのために作ったのか?
Qのときから嫌な予感はしてましたが、ある意味予想通りの展開でした。
何度も考えてレビューを書き直している
書いては消してのこの思考地獄にハマるのもエヴァ的ではある。
プロフェッショナル仕事の流儀見てしまったので。
60歳の庵野監督が妻のサポート得ながら作った作品。
最初からマリはモヨコだし、綾波は母性の象徴だった。
その上で、このDパートが「分かって貰えているつもりだったけど全然わかって貰えてなかった」という絶望の中で、それでも全部終わらせることにしたので全部説明したということですね。
細かいギミック的な裏設定自体は旧で完成していて、あとは監督がどう作るかだけの状況で、監督はそもそも各キャラの辻褄よりは構図がどれぐらい格好良くなるかの方が主要な懸案事項。
ぶっちゃけ脚本は軽く流して構図を突き詰めたい。その中でアレが出来たと思うと納得がいきます。
自分は裏設定みたいなものはあまり興味なし、各キャラの心理描写は興味ありというタイプでしたが、監督自身はその辺どちらも枝葉で映像の格好良さが全て、脚本や辻褄はそこに追いついていれば大丈夫といった感じで作品作ってたっぽい感じですね。
多分、ガンプラを作っていく過程で、これは原作の大体あのシーン、あのシーンならこういうダメージ処理が入るはず…の前者より後者が強く出ているような感じと思われます。
この映画の構造に得心がいってきました。多分ストーリーより見せ方に興味がある、根っからの絵描き気質で作られているということなんでしょうね。
映像のスペクタクル感はこだわっただけ非常に高いので、是非映画館で見て頂きたいと思います。
あと、宇多田で感動します。本当に曲がいい。思い出して泣いちゃいそうになります。
エヴァファンでない私にも理解できるほど浅かった
若い頃にテレビでリアルタイムにエヴァを見ていましたが、当時は何を言いたいのかがよくわかりませんでした。熱くなっている人たちが羨ましかったです。私はファンではなかったですが、あのエヴァが完結すると聞いて、映画館に行きました。
劇場版シリーズを見てこなかったので、最初の方はわかりませんでしたが、途中でシンジが過去に蹴りをつけたことがわかり、その後の展開も理解できました。
ただ、最後はあっけなくて、そんなに簡単に蹴りをつけられるならとっくにつけているだろうに、と思いました。
過去のシンジのように、過去に自分を縛り付けてしまって身動きが取れない人は、シンジの苦悩に共感していたのだと思います。エヴァファンというのはそういう人たちなのかもしれません。過去に区切りをつけて自分の殻を破れというのはわかります。ですが、シンジにしてもゲンドウにしてもあまりにも簡単に行きすぎてはいませんか。せめてそこが丁寧に描かれていたら…と思いました。
もし自分がファンだったら、肩透かしを喰らったような、そんな感じになったんじゃないかと思います。
可もなく不可もなく、といった作品でした。
作品ではなく作者が一人歩きした映画
私は大きな思い違いを2つもしていた。
●思い違いその1。
エヴァンゲリオンはシンジやレイ、アスカ、ミサトの物語だと思っていた。
だが違った。
「私、庵野秀明をご覧ください」という映画だった。
解釈、ではない。オーラスのシーンははっきりそう宣言しているに等しい。
庵野秀明の出身地・山口県宇部市の宇部新川駅が舞台となり、成長し声変わりまでした主人公が恋人と駆け出して映画が終わるのだ。
「シンジはわたしです。本作品はわたしの世界観がすべてです」ということだ。
創作の世界では「作品が一人歩きを始める」ことがよくあるというが、この映画は真逆だ。
作品ではなく「作者」が一人歩きしてしまった。
エヴァとは何だ。エヴァとは私自身ではないか。そう開き直れば何をしても許される。
綾波が輪島の千枚田で田植えをしようが、2台のエヴァが中学校の教室内で格闘しようが、碇ゲンドウが精神世界の電車にワープして来ようが、死んだカヲル君がまたぞろ語り始めようが、何でもありだ。
なぜならすべてが庵野秀明の世界観だからである。
庵野秀明の“わたしを見て”を是とするファンには、本作は素晴らしい映画となる。
が、私のように“あんたの頭の中は興味ない。シンジやレイ、アスカが何処に行き着くのかが見たいんだ”という者にとって、この結末は“何じゃそりゃ”なのだ。
●私の思い違いその2。
新劇場版 序・破・Q・:||は、テレビアニメ版・旧劇場版で物語を終わらせることができなかったことに対する贖罪の映画だと思っていた。
「前作は失敗しました。でも今度はちゃんとやり直します」ということだ。
だが違った。
これは贖罪の映画ではなく、25年間のエヴァ全史を肯定し、まとめて終結・卒業するための映画だ。キャッチコピーにある「さらば、すべてのエヴァンゲリオン」とはそういう意味だ。
テレビ版の「おめでとうパチパチパチ」も旧劇場版の「気持ち悪い」もすべてあるべくしてあったシーンであり、渚カヲルとはそのパラレルワールドを渡り歩いて世界を繋ぐ存在で、繰り返される円環の物語の目撃者だというのだ。
…なんといさぎ悪いことか。
(「いさぎ良い」の反対語は「未練がましい」だが、ちょっとニュアンスが違うのでこの変な言葉を使うw)
テレビアニメ版は放送スケジュールに追われ、終盤は作品の体をなしていなかったし、旧劇場版はストーリー的に破綻し、なんとも胸糞悪い「Bad End」になっている。
学生劇団であるまいし、広げた風呂敷を回収できないのはプロの仕事ではない。
私は庵野秀明の天才的感性に大きな敬意を払いつつも、エヴァの過去作品は明確に失敗品であったと思っている。
だから、過去作は明確に否定して決別し、新にやり直した作品を観たかった。
だが、製作者の思いは過去作も全肯定ということのようだ。
これは私にとっては大きな思い違いと言わざるを得ない。
●以下は上の2つの思い違いを踏まえた上での感想である。
・この映画が良かった点
完結したこと自体は本当に良かった。もやもやを引っ張るのが一番よくない。
製作者サイドから「これで終わり」というメッセージを強く感じ取った。
「鬼滅の刃」の原作同様、作品をちゃんと終わらせることは極めて重要なことである。
ラストの駅のシーンでは、まさかまさか、すべてはシンジ(=庵野秀明)の夢だったというオチかと一瞬怖れおののいたが、杞憂だったようだ。
・この映画が良くなかった点
あくまで個人的な思い入れだが、エヴァンゲリオンの肝はシンジとレイである。
綾波がどこに行き着き、シンジがどう変化するのか。それが腑に落ちる結末ならば私にとって「Good End」である。だが本作の綾波はあまりにもはかない。「黒波」が白くなってチュルンと消えるなんてあんまりだ。
また、アスカがクローンであることが明かされるが、このような悲しい存在は、綾波一人で十分ではなかったか。
最後、シンジが救世主と言える存在に成長し、ポッと出のマリがスーパーガールを演じるのに対し、25年にわたってメインキャストを務めてきた二人のヒロインに、このつれない仕打ちはどうなのだ。
結果的にマリがいたから本作は幕を引くことができた。レイ、アスカではなくマリに頼らざるを得なかったのは残念な顛末だ。
そして本作のラスボス・碇ゲンドウがあまりにちょろい。彼が目論む「人類補完計画」の真の目的は妻ユイと再会するという極めて個人的な願望だった。この歪んだ動機のアイディアは素晴らしい。それを支える冬月コウゾウのいかれ具合もいい味だ。
しかしその戦いざま、死にざまのなんと情けないことか。人類滅亡を招いてまでやるつもりのくせに、息子が怖いだの初めて孤独を味わっただの、ヘタレにもほどがある。
余談ながら一緒に映画を観た妻(エヴァの知識は乏しい)は、2時間30分の上映時間の半分はスヤスヤモードだったが、観終わって開口一番「ゲンドウがダメすぎて話にならん」と切って捨てた。おお、意外とちゃんと観てるやないけ、と見直した。
・この映画を理解できたか
裏側に精緻な世界観が構築されているようで感心させられる。
複雑で自力では理解できないので、YOUTUBERによる解説動画などを観て参考にした。
結論としては理解できてもできなくても、作品に対する評価に影響はしないと思った。
アダムスがどうでリリスがどうで、カシウスの槍だ、ニアサードだフォースだ…
ふ~ん、そういうことなんだぁ…。
………で?
理屈がわかったところで話が面白くなり、感情が揺さぶられるわけではない。
・庵野秀明ワールドについて
基本設定は近未来SFアニメである。なのに若き日の庵野秀明の目に焼き付いた原風景をそのまま映像化する手法はいかがなものか。思い切り昭和チックな光景を多用し、精神世界の表現もかなりレトロである。これではエヴァンゲリオンでなく庵野秀明の頭の中を覗いているに過ぎない。“一体これは何を見せられているのだ?”という気分に何度かさせられた。
仮に同じテーマは描くにしても、作品設定上のオブラートで包むのが創作の“作法”ではないのか。ダイレクトに自己投影したいのなら、はじめからSFアニメの衣をかぶるなよと言いたい。
庵野秀明は天才だ。尊敬する。だが、エヴァになると正気を失ってしまうように見える。
よほどエヴァは彼にとって特別なものなのだろう。
だから次作「シン・ウルトラマン」はいい意味で力が抜け、「シン・ゴジラ」に続く傑作になるのではないかと勝手に期待している。
鑑賞直後の走り書き
・テレビ版では女の愚かさを強調されがちだったのがずっと気になっていたけれど、距離感をこころえたミサトさんリツコさん、アスカマリのバディ感とかよかった。ゆるやかかもしれないけど、やはりこの25年で社会の、そして安野モヨコさんに出会った庵野さんのジェンダー観にもそれなりの変化があったのだとおもう。おもいたい。
・アスカがケンケンのところへいくのはちょう納得。14年のあいだに、ケンケンがアスカのシェルターとなり、頭をなでてくれる存在になっていった余白をすごく感じさせるつくりだったし、シンジくんは多少成長してもたぶん頭をなでてくれる存在にはなれないだろうし、アスカもプライドとかいろんなものが邪魔して、シンジくんに頭をなでられる自分を好きになれないとおもう。
・カヲルくんが意外とBLらしいエンドをむかえていたのは、たぶんもう一部のある種のユーザーむけのサービスだったとおもいます。シンジくんをしあわせにしたかったとかいっちゃったよ。
・てゆうか死んだ恋人で子どもの父親の名前を、息子に名付けるってかなり正気の沙汰ではないとおもいます。ミサトさんはほんとうにはなから親になることを放棄しちゃったんだなあとおもった。まあ中途半端で身勝手な放置親にくるしめられるチルドレンをみてきたから、まるっきり期待をもたせないというのは英断といえば英断だったのかもしれないが。
みんなが美味しいと言う料理を不味いと言う人がいてもいい
人ってこんなことできるんだ
なんか、、、啞然としました。
人って、こんなの、作ること、可能なんですか。なんですね。もう、びっくりした。まだ頭が啞然とし過ぎてて、うまく映画の内容とか、反芻できません。想像を超え過ぎてて、思い出としてまだ直視できない感じ、、、
エヴァは、中学の頃にアニメシリーズの再放送で少しはまったけど、その後ずっと遠のいてて、劇場版も観たことなくて、でもラジオで完結したのが今映画館でやってるって耳にして、ふと思い立って、Amazonプライムで序破Qって観たら、Qが何かもう凄すぎて、ええ何これって思って、翌々日、有給とって観に行って来た。
私はずっと小説が好きで、特にSFが好きで、ここ数年のSF、『天冥の標』シリーズとか、『三体』シリーズとか、アイディアも構成もストーリーも突き抜け過ぎてて、そういうので頭が痺れてるから、もうそんじょそこらのSF設定じゃ満足できない体になってるんだろうなってどっかで思ってて、今日も、期待はしてたけど、Qのあのカオス、どんな感じで決着されても、へー、エヴァはこっち系で落としたんだなーとか思っちゃいそうって、頭のどこかで思ってたけど、なんかもう、全然そういうんじゃなかった。私、まだまだ全然、衝撃で震えられるんだってビビりました。アニメーションってモノの持つ可能性?そういうのに、芯まで震えました。
SF小説とはまた全然別の、アニメーションのSFって、こんな、最高なんですか。ああもうびっくり。最高じゃないですか。撮影してるとかでさえなくて、ゼロからあれを作ってるんですよ?ですか?ちょっと、もう信じられなくて、そのこと考えただけでも、こみ上げる。
とにかく、冒頭のシーンから、最後のシーンまでずっと、ずーっと、喉の奥が熱かった。私の知らないうちに、アニメーションってこんな域に達してるのかって、衝撃でした。
人類が関わっている全領域で、いま一番高水準なのって、アニメーションではとか思いました。とにかく、凄かった。
個人的は納得のいくラスト。
綺麗な終わり方。
正にその通りの結末の付け方だと思った。
いくつかの謎や伏線は回収されてはいないもののストーリーとしては気にならなかった。それだけ流れの組み立てが上手かったのか見せ方が良かったのかは分からなかったが個人的に腑に落ちたというのが感想です。
...ネタバレなしで感想書こうと思いましたがこれだけは書いておこうかと。賛否の分かれるマリのヒロインもよくよく考えるとアリなのかと思います。彼女の存在は特異点そのものです。その彼女の登場により用意されたシナリオの外側へと展開していく。そんな役回りの様に感じますね。映画の冒頭のセリフもラストへの伏線も兼ねているのも良いと思いました。
マリの存在はチートという批判もあったけどそもそもチーターと意識されたキャラだから仕方ない。Qとシンでマリが冒頭で歌っていたのは水前寺清子さんの楽曲。水前寺清子さんがデビュー前に使おうとしていた芸名は東京マリ。そしてその愛称はチータ(チートキャラの事をチーターとも呼ぶ)。製作側がこの辺りを意識してない筈がないですもん。
色々と語ると終わらない感じなのでこの辺にしておきますが、個人的にはよい結末だったと思います。
ウテナだった
厨二病に陥り、エヴァの考察に振り回された時期もあるオタクですが、こういう結末を迎えてくれて本当に良かったという感想です。
安野モヨコさんもですが宮崎駿さんと幾原邦彦さん両名からの激励が庵野さんを導いたと強く感じました。
鬱になった庵野さんを「風立ちぬ」で救った宮崎駿さんの面影を農作業シーンで感じました
そしてうまくいえないんですがマリはモヨコさんという人が多いですが少女革命ウテナが1番好きな私としてはマリは完全にウテナでした。
シンエヴァを観ているのにウテナを観ている気分になり少し不思議でした。そして庵野監督はテレビ版のウテナを救ってくれた感じがしました。そこにオマージュを超えた感動があり、本当に自分でも不思議でした。
因みに幾原邦彦さんはカヲルのモデルといわれています。セーラームーンの監督で、エヴァに演劇の演出が多いのも幾原さんからの影響です。
もちろん他にも様々なオマージュシーンがあり、後半ちょっと笑っちゃうほどでしたが日本のアニメの歴史、総力戦という感じがしてカタルシスがありました。
とはいえ深く考えず演出と会話と戦闘シーンを見ているだけでも面白いのがエヴァ。
今回の、アニメとリアルの対比、オマージュと爽快感てんこ盛りの戦闘シーンは海外ウケもよさそうな気がします。
続き物ですがなにか海外で受賞しそうだなと思います。
とにかく、庵野監督卒業おめでとう、ウテナを連れて行ってくれてありがとう。
それが1番の感想です。
レビュー
終わらせてくれてありがとう
当時アニメを見てたのが高校の頃で現在アラフォーの自分ですが、アニメもその後の映画2作、何これっ?て終わり方だった。期待してた序破Qも、えっ?どうなんのこれ?っていつも裏切られてきてました。
そんなエヴァもこれで終わり。過去の映画のシーンもうまく入れてきてたり、今までのラストはいつもシンジ君が悲壮感漂う状態だったのに今回は違う。お父さんから逃げずにもっと話したい。お父さんも自分と同じだった。親の落とし前は自分がつける。最後にきてすごく落ち着いた大人に成長していくシンジ君だった。
すべての伏線が回収できたとは思わないけどこれはこれでちゃんと終わったと思います。
さらばエヴァンゲリオン。
監督お疲れ様でした。ありがとう。
私の青春にさよならを
全てが面倒くさい。 話の内容も映像も複雑化しすぎ。 最終的には単純...
美しくもあり残酷でもある。
昔の良い頃のジブリぽいなぁ…と感じるシーンもあった。
あと、この映画スタッフの良いところ、キャストよりもスタッフのネームの方が先にロールされてる。
これだけの作品を作るのは本当に大変だっただろう。
涙は自分のために流すもので…
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