シン・エヴァンゲリオン劇場版のレビュー・感想・評価
全1014件中、621~640件目を表示
影の消滅と26年の記憶。
イギリスの偉大なロックバンドLed Zeppelinの最後のALBUMは「Coda」。Codaは音楽で楽章終結部を意味する。ドラムのジョン・ボーナムが急逝したその年にバンドは解散したが、通算9枚目となるこのスタジオアルバムが発売されたのは2年後であった。
産みの苦しみよりも終わらせる苦しみを非常に強く感じさせる作品のひとつだ。
「シン・エヴァンゲリオン劇場版:|」を観てLed Zeppelinの「Coda」を思い出した。物事の終わりは必ずしも美しいものでは無い。物事の終わりは必ずしも酷いものでも無い。終結が美しいものではあっても酷いものであっても、そこに至るまでの世界には満身創痍の傷だらけの痛みがあちこちに散らばっている。良いも悪いも好きも嫌いも超えて、そこには終わらざるを得ない事実が存在する。フィクションであれノンフィクションであれ、始まったものには何かしらの決着をつけなければならない。さようならエヴァンゲリオン。ありがとうエヴァンゲリオン。26年に渡り影のように私に付き纏ってきたエヴァンゲリオンは、さっき姿を消した。
バンザイ!としか言いようがない。以上。
エヴァではじめて楽しめました
タイトルの楽譜記号は 反復 なので‥ちょっとモヤッ
はっきりは分からない結末だけれど、完結して良かったです。カヲルくんが上官みたいなシーンは、未来なのかな。
最後はアニメから実物の映像に変わって、エヴァンゲリオンが存在していた世界から脱出したってことを表しているのかな。
タイトルの楽譜の記号としては反復だから、父が母を生き返らせるためだけに、何度も反復して世界を作り替えようとしたことが明らかになるって意味だったのかな。
何となくモヤモヤしますが、エンドロールで宇多田の歌を二曲聞けたのは良かったです。
やはり世界観を残したかあ、、、という点はさすが!!
この作品を観るにあたり、AMAZONで前3作品を観て、映画に望みました。
映画ではTV版の様にエヴァ独特の世界観、精神世界を盛り込んだ世界観がこれまでにない世界を出していましたが、今回の映画はやはりそこに終着点を持ってきたかという点はやはりエヴァですね。この少し現実的に割り切って、やれ誰が死んだ、壊れたといったすっきり感とは違う、いろいろ想像ができる世界観で終わらせたのは庵野さんのこだわりなのかなって感じました。
ストーリーも面白いですね。
Qがん??と思った部分はありましたが、今回の序編と考えると納得がいきます。
これまでの答え合わせが出来ます。そこは楽しかったですね。
いきなり観てもいいですが、出来れば新シリーズを観てから行っていただきたいですね。
これは鬼滅の刃もバイオレットエヴァーガーデンもそうですが、今までのを予習していくと
倍楽しめます(私は前記2本はそのまま行き、後でシリーズをみて後悔しました)。
これでいいのだ
何故か文系なエヴァ。さらば全ての、、、
僕は新劇版は好きになれなかった。TVシリーズのOPの映像に象徴されるような、世界の裏側や人の歴史を暴くかの様な神秘的なSF観が全くないからだ。それにリビルドであった序はともかく、その後新キャラを導入したりアスカの名前を変えたりして世界の輪廻を露骨にアピールして、全鑑賞者の悲劇とも言える旧劇を茶番化しようとしたため、新劇まで死後の世界の様な集中出来ない作品にしてしまった。レイだけが記憶を移植されなかったことで、かえって旧作の世界観を引き受けてくれた。ところが、そのレイを今作ではレイではなくしてしまう。かなり面食らった。これでは全然何の作品か分からない。だが長い尺のおかげか、後半はそれで良かったと思わされる。
マリは相変わらず出てくる。それもヒロインかの様に。このマリが今作品をフィナーレへと誘う。これはこれで良かった気がするから不思議だ。
アスカはまぁ。。。
庵野氏の特撮シフトがなんだか白白しいが、ゲンドウやシンジに彼の姿を重ねたことが彼の精一杯のサービスであったかも知れない。
カヲルはコロナ禍で大変な人へのサービス?
モヤモヤが止まらない
何度も考えてレビューを書き直している
書いては消してのこの思考地獄にハマるのもエヴァ的ではある。
プロフェッショナル仕事の流儀見てしまったので。
60歳の庵野監督が妻のサポート得ながら作った作品。
最初からマリはモヨコだし、綾波は母性の象徴だった。
その上で、このDパートが「分かって貰えているつもりだったけど全然わかって貰えてなかった」という絶望の中で、それでも全部終わらせることにしたので全部説明したということですね。
細かいギミック的な裏設定自体は旧で完成していて、あとは監督がどう作るかだけの状況で、監督はそもそも各キャラの辻褄よりは構図がどれぐらい格好良くなるかの方が主要な懸案事項。
ぶっちゃけ脚本は軽く流して構図を突き詰めたい。その中でアレが出来たと思うと納得がいきます。
自分は裏設定みたいなものはあまり興味なし、各キャラの心理描写は興味ありというタイプでしたが、監督自身はその辺どちらも枝葉で映像の格好良さが全て、脚本や辻褄はそこに追いついていれば大丈夫といった感じで作品作ってたっぽい感じですね。
多分、ガンプラを作っていく過程で、これは原作の大体あのシーン、あのシーンならこういうダメージ処理が入るはず…の前者より後者が強く出ているような感じと思われます。
この映画の構造に得心がいってきました。多分ストーリーより見せ方に興味がある、根っからの絵描き気質で作られているということなんでしょうね。
映像のスペクタクル感はこだわっただけ非常に高いので、是非映画館で見て頂きたいと思います。
あと、宇多田で感動します。本当に曲がいい。思い出して泣いちゃいそうになります。
鑑賞直後の走り書き
・テレビ版では女の愚かさを強調されがちだったのがずっと気になっていたけれど、距離感をこころえたミサトさんリツコさん、アスカマリのバディ感とかよかった。ゆるやかかもしれないけど、やはりこの25年で社会の、そして安野モヨコさんに出会った庵野さんのジェンダー観にもそれなりの変化があったのだとおもう。おもいたい。
・アスカがケンケンのところへいくのはちょう納得。14年のあいだに、ケンケンがアスカのシェルターとなり、頭をなでてくれる存在になっていった余白をすごく感じさせるつくりだったし、シンジくんは多少成長してもたぶん頭をなでてくれる存在にはなれないだろうし、アスカもプライドとかいろんなものが邪魔して、シンジくんに頭をなでられる自分を好きになれないとおもう。
・カヲルくんが意外とBLらしいエンドをむかえていたのは、たぶんもう一部のある種のユーザーむけのサービスだったとおもいます。シンジくんをしあわせにしたかったとかいっちゃったよ。
・てゆうか死んだ恋人で子どもの父親の名前を、息子に名付けるってかなり正気の沙汰ではないとおもいます。ミサトさんはほんとうにはなから親になることを放棄しちゃったんだなあとおもった。まあ中途半端で身勝手な放置親にくるしめられるチルドレンをみてきたから、まるっきり期待をもたせないというのは英断といえば英断だったのかもしれないが。
レビュー
終わらせてくれてありがとう
当時アニメを見てたのが高校の頃で現在アラフォーの自分ですが、アニメもその後の映画2作、何これっ?て終わり方だった。期待してた序破Qも、えっ?どうなんのこれ?っていつも裏切られてきてました。
そんなエヴァもこれで終わり。過去の映画のシーンもうまく入れてきてたり、今までのラストはいつもシンジ君が悲壮感漂う状態だったのに今回は違う。お父さんから逃げずにもっと話したい。お父さんも自分と同じだった。親の落とし前は自分がつける。最後にきてすごく落ち着いた大人に成長していくシンジ君だった。
すべての伏線が回収できたとは思わないけどこれはこれでちゃんと終わったと思います。
さらばエヴァンゲリオン。
監督お疲れ様でした。ありがとう。
タイトルなし(ネタバレ)
テレビの『新世紀エヴァンゲリオン』はオンエア終了後あたりに、エアチェックしたビデオで全話鑑賞しました。
劇場版はいくつかありますが、リビルドシリーズの「序」「破」「Q」は鑑賞していません。
なので、「わかるかしらん?」と心配しましたが・・・
ニアサードインパクトで、わずかに生き延びた人類は細々とした暮らしを営んでいた。
多くの犠牲の責任が自分にあると思い続けているシンジはほとんど人格崩壊のようなさまとなり、レイ、アスカとともに自給自足様生活をする「第三村」で生活を始めることになった。
そこには旧友・相田ケンスケの助けが大きかった。
そんな折、シンジの父ゲンドウは「人類補完計画」を最終段階に移すべく行動をとっていた・・・
というところからはじまる物語。
テレビ版しか観ていないので、前作からのつながりなどはわからないのですが、冒頭繰り広げられる戦闘シーンから、その画力に圧倒されます。
ですが、主人公シンジが登場してからは・・・
うーむ、やはり、ひとりで思い悩んでいるだけなのね。
というわけで、物語を進めていくのは周囲の人々。
ヒロイン(と思われた)レイは途中であえない最期を迎え、もうひとりのヒロイン、アスカも終盤の戦闘で最期を迎える。
(いや、どちらも最期ではないのだけれど)。
で、全貌が現れる「人類補完計画」。
当初計画者の葛城博士の思惑とは別に、ゲンドウは本当の目的があるようで・・・
「知識の実」「生命の実」のふたつのうちどちらかを選ばざるなかった人類にとって、「生命の実」を得、そしてすべてを構成する微粒子として存在することが究極の人類の姿・・・という壮大すぎるもともとの計画を、ゲンドウは「孤独な自分を救ってくれた妻ユイを甦らせ、永遠の存在にする・・・」という、恐るべきパーソナルなところに決着させる。
畏るべし、ゲンドウ。
そんな妻愛をゲンドウから最終的に引き出してしまうシンジが求めていたものは、父ではなく母だった・・・
って畏るべし古風な物語。
げげげ、そこかい!
いや、それだよ!
そうあるべき!
そうじゃなきゃ!
早大にみえてパーソナル、パーソナルにみえて壮大。
後半、物語はほとんど破綻している。
その破綻している物語をアニメで、どう表現するか。
たしかに、こう描くしか手はないように思われる。
「傑作」かもしれないが、「秀作」「良作」では決してない。
そういえば、庵野秀明監督はテレビ版『新世紀エヴァンゲリオン』以降は、エヴァ以外のアニメは監督していない。
そこから考えれば、やはり「エヴァンゲリオン」とは、庵野秀明そのものだろう。
さようなら、すべてのエヴァンゲリオン。
さようなら、アニメ監督・庵野秀明。
エヴァという呪いの終わり あースッキリした
全1014件中、621~640件目を表示