シン・エヴァンゲリオン劇場版のレビュー・感想・評価
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皆が良いと言っていたので見ました。
<前提>
・知り合いで良い感想を言っている人が多かった(見終わって燃え尽き症候群のようになった、綺麗すぎて目を背けたく成った等)ので、エヴァは自分にとって特別な思いれのあるシリーズでは無いのだが見るにいたった。
・私はそもそもTVアニメ版からあまりシンジや周りの登場人物に共感できていなかったのだから、その分今回の映画作品も共感はあまり望めないのは想定できていた。共感できない理由としては、シンジと自分はそんなに変わらない根暗な人間であって、彼の行動が自分の鏡を見ているみたいであまり見れたものでないからかもしれない。
<結論>
・ラストはまあ、そうなるわなという感じ。登場人物への深い共感やラストへの衝撃や視聴後の興奮は無い(私がこれについて対比したくなるのは、まどマギ叛逆の物語を見た時の童話の世界に入ったみたいな遊園地感、登場人物への深い共感、ラストへの衝撃が全てあった)。
・子が親に、親が子にそれぞれ面と向かって相対し、親が子を守り子が親を超克するというテーマは良いものであった。
・メタ的描写を使い視聴者から物語への没入感を剥ぎ取り、最後に視聴者を置き去りにして懸けていくシンジ達を使って視聴者にリアルに帰れと強いメッセージを送っているように感じた。物語に依存せず物語を糧として生きよという思いは至極良いメッセージだとは思うが、そのようなメッセージを送る創作物は私は他に知らない。そこに思うのは取材なしでの妄想ではあるが、監督自身エヴァの呪縛から逃れたいという思いが作品からシンジとしての自分もリアルに帰りたいという思いが表出したのかもしれないというのと、もう一つはメタ的表現はここまでエヴァを作れと自分に強いてきた「ニーズ」を批判しているのかもしれないともおもった。
・自分にとって、今回のこの作品のテーマと回答は、「逃げて」来た問題を直視し、その介錯をし、問題を終わらせ、自分の人生を歩め!という事となった。
<良かった点>
・アスカが13号機の胸に停止信号プラグを突き刺そうとしてできず、自分のリミッターを外すシーン。中二病心と言いたくないのだが、見ててとてもかっこよく爽快で興奮するシーンだった。
・町並みや海の背景描写が美しい。
・ゲンドウが初めて自分の内の問題点を語った所。聞いていると、監督が自分を語っているようで、ここに一番共感を持てた。
・エヴァを完膚なきまでに終わらせた点。25年お疲れ様。
<悪かった点>
・登場人物の発する言葉に「紋切り型の口上」、つまる処「言わされている感」をところどころ感じた点。例としては、「だから若い男は~」という言葉。劇中の最終局面でこの言葉はおそらく同一人物によって「若い男はいいね」的な言葉に変化して若い男への見識が変わったということで悪くないことではある。が、「だから若い男は」で、若い男である視聴者としての私は内心イラッときて、その後見識が変わった後の言葉を聞いて「?」となり、その変化に対して創作の意志を感じることとなった。他にも委員長がレイの疑問に対して定型的に答えた呪文のような言葉を聞いて私は委員長の自由意志を疑問視した。
・ラスト、シンジがマリと一緒に居た理由が不明な点。マリとシンジの心が通っていく描写が無かったのでラストで?となった。
・説明スピードが早すぎて物語の中の計画や設定を深く把握することができなかった点。
<その他>
・エヴァという作品が他の社会現象を起こしたアニメと比較して唯一ではないが固有に持っている特徴として、男性おたく向けを意図された軽い性的描写があることだと今回の作品を見ながら気づいた(タイトで胸やヒップが強調された衣装、そのようなヒップを意識したカメラアングル、アスカの上半身ハダカ+パンツ)。意図した性的描写がありがなら社会現象となったアニメとしてはうる星やつら、涼宮ハルヒぐらいだと思う(知らないだけかもしれない)。今後もそういう伝統を引き継いで社会現象となるアニメが作られることを願う。
戸惑い
リアルタイム視聴世代だけどものすごいファンでもなく。
一応なんとなくみてたシリーズ?だから、この波に乗っておこくらいの気持ちでみました。
エヴァのうり?である小難しい設定や考察は得意じゃないので雑感ですが。
とにかく画がよい。
リアルさだけなら君の名はに軍配あがるが、抽象的、心理描写的、エヴァのATフィールドに代表する精神世界を具現化する手法は真似できません。
たとえ映像技術がもっと発展しようと、Lシステム?(ごめんなさい設定詳しくない)に汚染された赤い世界、裏宇宙?でのシンジの記憶をたどり?ゲンドウと戦うハリボテ世界観、自作へのオマージュもふんだんにペンペンもでてきたり、戦闘後マリに回収される浜辺では絵コンテそのまま載せてたり
こういう遊びは完全無欠ファンタジーのジブリやディズニーにはできないし、初号機VS初号機の美麗さもアクションも、他の国のアニメではたどり着けない領域だと思います。
庵野監督とチーム、ジャパニメーションは世界に誇れます。
個人的には、いや綾波とアスカの扱い!
マリぽっとでで全部もってくやん!
いやアスカわい?
んで、最後の最後、緒方さんじゃないんかーい!涙
緒方さんなら大人なシンジくんも演じれたのでは。。
神木くんじゃなかったら許せませんよ。
かじさんの子供でてきてのはよかった。
ぶっちゃけラス前寝ちゃってミサトさんどうなったかわからん。
ストーリーはさておき、映像技術、効果編集、そしてやっと新劇場版の終劇を迎えられたことに星4つです。
やっぱQが戦犯ですね。
終劇
泣けた
テレビシリーズしか観てない状態でいそいそと行ってきた。
始終訳わかんない展開だったが、作画があまりにも綺麗でさすがアニメ大国ニッポン!と叫びたくなる美しさだった。
キャラクターのセリフ一つ一つを理解しようとすればするほど意味わからん感じになるので途中で諦めた。
親子モノにめっぽう弱い私はミサトさんの特攻シーンに号泣した。
そりゃないぜ。フラグは立ってたけども。テレビシリーズであんなケラケラしてる感じのミサトさんが親としてこれくらいしかできないと言いながら突っ込むなんて…という衝撃と戦争映画で観たカミカゼと被り号泣。
多分庵野の意図は違うと思うけど
最後の方でシンジくんをお母さんが抱きしめるようなシーンでまた号泣
静岡のリアルな風景が遠のいたところで宇多田ヒカル
これはね、スタンディングオベーションしたくなりますよ。
ファンじゃないけど
ファンじゃ無くても感動したもん
日本人だからしなかったけど
外されてしまったアンビリカルケーブルと、断ち切れないアスカへの思い
●映画を観てよかった
リアルタイムでアニメを視聴し、第1話を観た時の「新しい何かすごいのが来た!」という感覚は、今でも忘れられません。そして旧劇を劇場で観て、どえらいインパクトをたたきつけられたのが小学生の5、6年の時でした。そんな自分はエヴァと言えばアニメと旧劇で完結している人間でした。
なので新劇は、細かい設定が変わっているし、新キャラクターもいるしなんだかなと思って今まで避けてきました。しかしこの度、シンエヴァンゲリオンでついに完結するとのことで、「そういえばエヴァ好きだったし、完結は見届けなくちゃ」と思い直し、一連の作品を視聴しついに新たな完結に追いつくことができました。
結論から書くとシンエヴァンゲリオンは、一連のキャラクター達の救済と新たな門出を祝う良い作品だったと思います。そういう意味でも全体的に優しく前向きな印象を受けて観て良かったなと感じます。なによりこうして感想や考察を書きたくなるという点で、エヴァの世界観のすごさを改めて感じさせられます。
●新劇の世界観について
新劇の最高潮は「破」でした。アスカを3号機に乗せたところで、そうくるか~と思い、トウジは悲劇から救われ、アスカは旧劇での悲劇が前倒しにされました。そして最強の使徒はレイを取り込み巨大なレイになり、シンジはレイを救うために初号機を覚醒させる。旧劇のラストが再現されたことにより、旧劇のさらにその先をこの後描いてくれるのかと自分の気持ちは最高に盛り上がりました。
ところが「Q」で14年もの月日が経ち、ヴンダーが飛行しているのを観て、世界観が大きく変わってしまったとわかりショックでした。自分が好きだったリアリティが失われてしまったのです。人知を越えた力を持つエヴァを運用するためには巨大な施設や人員が必要です。なによりアンビリカルケーブルというへその緒、または足かせなしには3分しか動けない。といった弱点や制約がアニメにリアリティを与えるのだと思います。旧劇で2号機がアンビリカルケーブルを切断された後に、量産機と死闘を繰り広げる緊張感は凄まじいものでした。
それがQ以降のエヴァたちは、パイロットがみな使徒化していることもあるからなのか、アンビリカルケーブルなしに自由に動き回ります。それはまさしくアンビリカルケーブルという名の緊張の糸が切れてしまったようにも感じました。エヴァを動力とするヴンダーや、L結界を除去するシステムなどは、日本中の電力を使ったヤシマ作戦のリアリティからはほど遠く、ヴィレのメンバーもどこか別のアニメから連れてきたような人たちで、いわゆるアニメ的になってしまったのが残念な点でした。
サードインパクトが世界規模で起きたなら、旧劇のネルフ本部壊滅以上の悲劇があったと思いますし、第三村でもシンジのことを知っている、あるいは恨んでいる人がいて襲撃にあうぐらいがリアルな展開だと思います。しかし一貫して旧劇のような悲惨なシーンを出さないのは時代に合わせた演出なのかもしれません。むしろ今の年齢になって旧劇のような演出をされたら辛さに耐えられなかったと思います。事実、レイがLCLになるシーンでかなりドキッとした自分がいました。
●アスカについて
そんな自分は特にレイ派、アスカ派、マリ派でもなかったのですが、アスカ派の人が嘆いているのを知って、いやいやそんなことはないよと考察しているうちに、自分はこんなにもアスカ派だったのかと新たな発見があり驚かされました。そもそもシンエヴァンゲリオンはアスカへの思いをより一層強くする映画と言ってよいでしょう。以下はアスカ、シンジ、マリに対する考察です。
映画内でアスカがあたかもケンスケと親密そうに振る舞うのは、全てシンジへのあてつけで、やきもち妬かせたいからです。アスカは14年間も眠っていない。つまり14歳の少女のまま、シンジのことが好きである気持ちをそのまま持ち続けています。ケンスケはアスカが求めた父親の投影で、シンジにはレイ(母)が必要だったのと同じ構造。第三村を去るアスカの姿を撮影するケンスケは、娘をカメラで撮る父、ちびまる子ちゃんでいう、たまちゃんのお父さんそのものです。
マリは冬月先生以外にはアスカやシンジとの絡みばかりで、常に浮いた存在に感じました。それは新劇を終わらせるための進行役で、映画ポスターでマリだけが靴を脱いでいるのは、逸脱したトリックスターである暗示だと思います。同時にマリはシンジとアスカの間に立っているのが意味ありげです。そんなマリが「姫」と呼ぶのはアスカ。アスカは最後の出撃の時、「昔は好きだった、私が先に大人になった」と言います。素直ではないアスカの真意は「今でもかわらず好き」です。不器用ながらも気持ちを伝えたことで、最後の戦で命を賭けることができました。
アスカは思いを伝えますが、バカシンジはそれを言葉通りとって「僕もアスカが好きだった。ケンケンによろしく」といって送りだしてしまいます。その瞬間、マリが「姫、お達者で」と言うのはあきらかに皮肉。素直に気持ちを伝えないからだと言っているわけです。結果、アスカのプラグは第三村に到着しますが、そこには誰の姿も描かれていません。
●ラストシーン
正直自分は見逃していましたが、ホームにはアスカが一人でゲームをしていたといいます。つまり孤独を抱えたアスカのままです。素直じゃない「姫」の気持ちを見透かしているマリは、わざとシンジにくっつき「私がとっちゃうぞ」とアスカにけしかけます。これは最初に書いたシンジにヤキモチを妬かせたかったアスカと同じ行動です。家出したシンジを尾行していたアスカなら、記憶があるかないかは定かではありませんが、衝動的に後を追いかけるのは想像に難くありません。その意味でマリは二人の仲をとりもつ恋のキューピッドあるいは、仲をこじらせる小悪魔なのかもしれません。
旧劇ではあまりに不器用に気持ちを伝えたシンジですが、新劇ではレイのおかげで素直に気持ちを伝えることの大切さを学んだと思います。この先、二人の関係が進展するのか、ずっとお互いヤキモキしていくことが幸せであるのかは、我々にゆだねられたのだと思います。
テレビ版のラストで、エヴァの世界には想像の余地が最大限に提示されました。その意味では新劇も一つの可能性に過ぎないのかもしれません。しかし長年にわたり楽しめるエヴァシリーズの制作に尽力してこられた監督、スタッフ、全ての方々に感謝しかありません。
長文失礼いたしました。
「卒業であり、新たなる門出」
◎我々一人ひとりがエヴァンゲリオン
さようなら、全てのエヴァンゲリオン。
14歳の少年が放ったその言葉は、どこまでも清々しかった。
TVアニメが始まって25年。
新劇場版が公開されて14年。
そんな長い年月、社会現象を巻き起こしたエヴァンゲリオンというひとつのコンテンツに遂に終止符が打たれた。
このご時世、2度の公開延期を経て公開された今作は、、
そう、言うなれば
「パターン青、傑作です!」
全てのエヴァファン、そして大人になりきれない人達、そして、生命ある生きとし生けるものへの、アンサー映画であり、庵野監督がエヴァの呪縛からようやっと解放される特別な一本。
この映画を観終わって、凄く感じたのは
“我々人間一人ひとりが、エヴァンゲリオンだ”
ということ。
何を訳分からんことを仰って、と思うだろうが
要は、自己理解・自己確立といったところか。
私というエヴァンゲリオンには、私しか乗れない。
私の身体を動かせるのは、他の誰でもない、私だけ。
だからこそ、自分の道は自分で決めるべきだし、そのリスク・責任は当然自分で負うもの。
じゃないと、みんなエヴァでいう所のインフィニティのなり損ないになってしまう。
あなたは、何者でもないあなた。
流されるだけの自我無きモブ人間になってくれるな。
そんなことを言われてる気がした。
◎終焉で解放で。
庵野秀明が生み出したエヴァンゲリオンという作品は、瞬く間に人気を博し、そしてそれはのちに一つのビッグアイコンと化し、庵野秀明と言えば、誰もが口をそろえてエヴァンゲリオンというのが当たり前であり、絶対になっていた。しかしそれは、人気と同時に彼自身を苦しめる”呪縛”という形に変わっていった。
そんな自身の命を削りながら作り上げられた今作は、言うなれば全ての終焉と解放。
シリーズ通して感じるのは、14歳の主人公・碇シンジは庵野監督自身なんだろうということ。大人になり損ねた人庵野秀明と大人になることを拒む碇シンジは、まさにシンクロ率100%
だからこそ、シンジの父親であるゲンドウとも自然とシンクロする。
そんな碇シンジが、今作でようやっとH2Oの思い出がいっぱいのように、大人の階段に足を踏み出す。
彼が色んなことにピリオドを打つ姿は、庵野自身が呪縛という名の絡まった糸を一つ一つほどいていくようにも感じた。
そして鑑賞後には、絡まるものなど一切無く、清々しさまで覚えるほどだった。
どのシーンで止めてもWindowsの壁紙のように絵になるくらい、一瞬一瞬一コマ一コマにまでこだわってるビジュアルもさすがスタジオカラーだし、シンクロ率無限の宇多田ヒカルの主題歌も最高だし、いやーー、庵野監督、本当にお疲れ様でした。そして、また頑張ってください。
キャラクターは期待通りでした
ストーリーを軸としてみるか、キャラクターを描き切る作品としてみるかで見方や評価は分かれる。
視聴後ストーリーが物足りなく感じるのは、少なくとも本作はキャラクターを丁寧になぞった作品だからかな。それだけ見る側もキャラクターの理解が深まっているのだろう。
サードインパクト後の村の世界と、シンジの長い塞ぎ込みは、各キャラクターを描く為の単なる舞台装置に感じてしまった。
綾波が人の生活や人間の暖かさにに触れていくシーンは良かった。何もない部屋で無感情に暮らす綾波も、人の優しさに触れ自然に微笑む綾波も、周りの環境が違うと、きっとこういう子になるだろうと。紛れもなく綾波として受け入れられた。少しの間だけど、人間の暖かさに触れ、心としては報われて良かった。
アスカは、ウンダーに乗ってた時とは打って変わり、正面きっての過激なツンデレぶりが復活。シンジの反応の悪さや、良いところを綾波に持ってかれる報われなさも久しぶりだなぁ。イライラ暴力的だが、やってる事はやさしい。ゆっくりそう言ったシーンが見れて良かった。一歩進んでアスカとシンジの関係性やお互いの気持ちも、すれ違わずにちゃんと話ができた。精神的には少しだけど報われたのかな。(アスカのストーリー上の扱いは酷いけど)
ゲンドウの妻と会うため世界を変えてしまう考えを、前からエヴァを見てる人は知っているし驚きがないのは、ずいぶんエヴァに染まってるなぁって思った。ゲンドウの心情が丁寧になぞられていた。
シンジに対してATフィールドが発動したのにはちょっとドキッとしたかな。自分も父親なので。
唯一最後まで深堀りされないキャラ(名前すら思い出せない)と一緒になるのは、必然性は感じないが、困ったことに全く悪い気がしない。
付き合ってるって言う1つの事実で、シンジが幸せになったという説得力を持たせ、物語を心地よく帰着させている。(この手法は反則かも)
全体として作品に一切の悪意は感じられず、視聴者を縛り付け引っ張り回す意図もなく。気持ち良く解放してくれる作品でした。
良かったです
みごとな完結でした。
評価しないという人もいるが、それは違うと思う。
エヴァの終わらせ方は幾つかパターンがあると思うが、変化球に逃げたりぜずきちんと終わらせている。そうすると展開というか結末は想像の範囲内という事になる。
評価をしない人はこういった点を指摘している事が多いが、この映画はエヴァ全体としての起承転結の結であり、その指摘はズレていると思う。
庵野秀明補完計画
終わった後膨大な数の関わった人たちの名前が流れるエンドロールを目の当たりにし、最後「終劇」の文字が現れたら、しばし茫然としてしまいどんな感想を言っていいか分からなくなった。それほど25年間のエヴァに幕が閉じたことを実感し感慨深い思いだった。
「さらば、全てのエヴァンゲリオン。」というコピーの通り、すべてにケジメをつけたラスト。
これまでのエヴァンゲリオンシリーズをどういう思いでつくってきたかの総まとめであり集大成。登場人物たちの存在の真実が語られる。まさに完結編。これまでのテレビ版、旧劇場版も回収した内容になっている。
庵野秀明がなにを思いどう苦悩して創り上げてきたかを絞り出し代弁しているようだった。まさに庵野秀明監督の思考や感情や人柄…人生すべてが滲み出ている作品。
一言で言い表すのは難しすぎるが、人間の弱さに手を差し伸べたレクイエムだったように感じる。
前半これまでのエヴァンゲリオンらしからぬのどかな日常が描かれる。コロナ禍でも浮き彫りとなった、生きていくうえで本当に大切なことを伝えてくれている。
「おやすみ」「おはよう」「さようなら」「ありがとう」ってなに?の答えには心掴まれる。
分かりやすくストレートに伝えてくれている部分もあったが、やはり難解なメッセージも多く一度では理解できなかったためまたじっくり観返したい。
それと、タイトルの最後に付けられている楽譜記号が終止線ではなく反復記号なのは、人類補完計画の通り歪になってきてしまっている世の中を再構築して、本当に必要なものを復興させる意味があるのか。(ループ説もあるようだが…)
とにかく、日本のアニメ界どころか、世界の映画界、エンタメ界の伝説に残り続ける作品であることは間違いない。
母の愛を見た
私は、序が話題になった頃、エバのテレビ版をレンタルで見ました。そして、序、破、Qを観て、最近この最終章を観るために、再度、序、破、Qを観ました。
エバは、昔からですが良く意味のわからない、理解が出来ない部分があり、そう言う所は深く考えないようにしています。
でも、一つだけ私が信じていた事、エバンゲリオンを好きで見続けた理由は、シンジの母ユイが、科学者として、死を克服し神に近づく為エバンゲリオン初号機を作り、自ら初号機と融合してコアとなった。
だから、初号機は、シンジとしかシンクロしない。
初号機には母の想いがある!と言う点です。
なので、映画Q、そして今回の映画を観ていて疑問が湧いてきました。
ユイは、ゲンドウと同じくイカレタ人だったのか?
ゲンドウのねじ曲がった愛と解釈がこんな事にしてしまったのではないのか?
でも最後に、シンジと入れ替わり自らエバに刃を貫いた。もうここで涙が溢れ出しました。
やっぱりユイには、母としての心があった!
途中少しだらける所はありましたが(シンジが落ち込んでいる所)総集編として、皆んなのそれぞれの生き様を見られて、ロボットの切なさも見られて、大人になったシンジ君も見られて良かったです。
監督さんの鬱病が治ったみたいで、ホッとしました。
失礼m(_ _)m
(鬱病と言うのは、特にTV放送された内容を見て、原作者は鬱病なのではないか?と思ったからです。)
無事終わって良かった
胸の大きな良い女
序盤からいきなりの超展開でまた観客置いてけぼりかー?と思ってたらペースダウン、途中から、あれ?俺エヴァ見に来たんだよな?と勘違いしてしまう、Qとは全く違う意味でw
そしてミサトさんの登場とともに大きくストーリーが進み怒涛の展開へ。
完結作になってようやくゲンドウの本当にやりたかったことがわかった、アスカの眼帯の秘密やマリがゲンドウ君、冬月先生と呼ぶ理由も。
でも本当に全部の布石を回収できたんかな?
深く見てないのでわからんけど、、
まさかの結末は今までのエヴァっぽくないような、、新海誠作品かと思った!
シンジ君も庵野さんもエヴァの呪縛から解き放たれてよかった、、エヴァに乗らなくてもいい世界からエヴァのいない世界へ(^_^;)
四半世紀に渡る「エヴァの時代」の終焉たる作品
私事ですが、現職に就いたのがちょうど25年前。当時、TVシリーズが放映中で、同じ組織の若い男性達が熱心に話していました。私もその影響でこの作品を見始めました。
この物語は、ゲンドウの心情「孤独に耐えられないので、失った妻を取り戻す」がテーマとして最初のTVシリーズから続いています。
しかし、アスカが看過したように「男が求めているのは母親」です。その点から見ると「大いなるマザコン物語」であり、その為に殆どの人類を壊滅に追い込んだゲンドウという人物の「身勝手さ」「わがままさ」をどう解釈するのかで、評価が分かれるだろうと感じます。
個人的には「それだけ妻を愛していた」という解釈も可能だが「その妻の忘れ形見である息子を蔑ろにして、都合の良い時に利用する」「他者に対しても同様」という点に、ゲンドウの「業の深さ」「原罪」という言葉を想起させられました。欲を言えば、それがシンジとの「話し合い」で解消されてしまうパートはもう少し詳細な描写が欲しいと思いました。
尚、他の方々が書かれているように、NHK特番で見せた監督の個人的の経験が、作品に強く反映されています。この辺りは時代劇作家の池波正太郎氏が「自分の体験が作品に反映している」という旨をエッセイで書いている通りです。「クリエイターとはいえ無から有を生み出す事は不可能」ということを改めて認識出来ました。
また、四半世紀に渡るアニメの技術的進歩も改めて認識出来ました。今回は4DXでの鑑賞でしたが、冒頭の戦闘シーンから迫力満載の鑑賞が出来ました。過去の体験からもNo.1といえるものでした。可能であれば4DXでの鑑賞をオススメします。
いずれにせよこれまでの伏線が、この作品によってほとんど回収されています。エンディングが「日常生活の断片の描写」になった事からも「疾風怒濤のエヴァの時代の終焉」を強く感じさせるものとなりました。
クリエイターの方々の四半世紀に渡る創作活動に心からの敬意を示したいと思います。お疲れ様でした。
すごく優しい物語でした
観れば想い出になると!
大切な人と観に行き、その人が「最高だった」「最高」と繰り返し繰り返し微笑んだので、私も幸せな気持ちになりました。レクチャーを受けてもなお、知ったかぶりであれこれ書く気にはならない、重み。スケールの巨大さ。美術面が音楽を従えて圧巻でしたし、爽やかな終わらせ方もたぶんこれでよかったのだと。
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