シン・エヴァンゲリオン劇場版のレビュー・感想・評価
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庵野秀明の星の王子様
テレビアニメシリーズから26年
エヴァの呪いにかけられた
我々チルドレンたちを現実へと還す作品。
庵野の最後のフィフスインパクトは
劇中劇であることを直接的に暗示する。
順を追ってキャラクターを弔うシンジ
あとは君だけだと告げるカット割は
明らかに我々に向けてのセリフではないか。
Qで観客とシンジを同じ状況に置き
感情移入の対象とさせたことから
今作の導入は非常にスムーズだった。
最初はシンジと同じ目線で感情移入していた我々も
最後は子を持つ親の気持ちでシンジを見ていたのではないだろうか?
自分だけじゃなく、他人の弱さをも受け入れることで
限りなく人を愛するということに気づいたシンジ。
ここで観客の体現としてエヴァの呪いを浄化される役目は
父親のゲンドウにスイッチする。
この辺りのヒッチコックよろしくばりの古典的な
映画手法を使って次第にアニメ的表現を逆手に取った
演出の数々で我々の呪いを浄化していった。
この作品の根底にあるのは庵野秀明自身の成長ではないだろうか
彼自身が心の闇を全て晒したテレビアニメシリーズから
エヴァの呪いを撒き散らし、それに縛られてきた人生の中で
もがき苦しみながらも支えてくれる人々(風立ちぬの宮崎駿や、安モヨコ)の出会いから温かみを知ったように思う。
その温かさを持って自分のケジメ、シンジが言うには落し前をつけたのだろう。
いい意味で今後エヴァが昔よりも語られることは
なくなるのではないだろうか
考察のようなブログも、書籍も時代とともに
なくなっていくだろう
エヴァの呪いの浄化、それが庵野秀明の望みだろう
しかし浄化とともに我々に新たな呪いをかけた
それは「君たちも今を生きよう」と言うこと
いつまでもアニメを見ていないで
現実の世界と言う最も劇的な世界で生きていけと
そして庵野秀明はエヴァから去る
でも大丈夫、これは悲しいことではない
いつまでもエヴァは心の中に残っている
冒頭とエンディングの真っ暗闇の中に光る星星は
星の王子様が最後に旅立つ前に主人公に告げる台詞の
再現ではないだろうか。
長々と書き連ねたが
私が今後エヴァを見返すことは無いだろう
現実をしっかりと生きていかねばならないから
それでも挫けそうな時、きっと日常の中に
シンジとマリの姿を思い浮かべてしまうだろう
それで良いと思っている
そうして時々思い出せるのならそれでいいのだから
サヨナラ、エヴァンゲリオン
自分はこの劇場版が始まった時はリメイクなのかな?っと思っていました、ですが見ていくうちにテレビ版とは細かく違うところがあることに気づき渚カヲルが出てきた棺を見てあ、コレはループしてるんだっと思いました。そしてQに入り話が変わってきた事で思ったのが碇シンジは庵野監督自身なのかな?っと思うようになりました監督自身、作品の終わり方についてはテレビ版、旧劇場版まごころを君にでは散々叩かれていたのを記憶にあったしその後のインタビューやシンゴジラの時にも述べていたので今回の劇場版は庵野監督のリベンジなのでは?と思いました。
昔のシンジは父親からも周りからも逃げていた自分の殻に篭っていてそれによって何度も何度もひどい世界を見て、カヲルが今度こそ君を幸せにっと言うほどそしてあの開け放たれた棺の数ループしていたなか、今まで流されるだけだったシンジが己が罪を認め逃げずに、そして苦手だった父とも向き合う事で過去に無かったエンディングにエヴァンゲリオンの無い世界へと旅立つ事が出来た。
それによりシンジもレイもアスカも、そしてトウジ、ケンスケ、委員長も生存する世界を見つけられたのだと思いました。
まだまだ、分からないところが幾つかあるのでもう一度、見に行こうかなっとおもっています。
見る前にエヴァってググるのも禁止!
よくやり遂げた、庵野監督。お疲れさまでした。 これから見る人へのアドバイスもあるよ!
まず最初にこれから見る人(主にエヴァ初見)へのアドバイス。
エヴァの最新作?途中から見て面白い?って思ってる人は見るのはやめたほうが良いでしょう。
そのような人は新劇の「序」から見て、ナニコレ面白い!続きが気になる!って人だけ「破」「Q」を見ましょう。
戸惑いながらも「Q」まで見れた人は、「シン」を見ても楽しめます!
●では、私の評価。
「新劇」の終わらせ方としては大満足でした。 エヴァファンなんで評価は星5でしょ。
しかし「シン」の映画単体としてはエンタメとして正直厳しい。続き物だからね。わけわからん世界は健在。
野球で例えるなら、今までの評価がひっくり返るような「一発逆転の大ホームラン」ではなかったが、
「スクイズで逆転サヨナラ勝ち」みたいな感じです。渋いですが勝ってます。(肯定の評価が優った)そんな感じ。
作品としては、極上A5肉のステーキに「納豆ペーストといちごジャムのソース」がかかってる感じ。
しかし、わけわからん世界=「納豆といちごジャムのソース」が平気で食べられる人いれば、むしろそれが好きな人もいるかもしれない。
私はちょっと苦手だが、まぁ食べられんこともない。そんな感じ。
●リアルタイムのTV放映1995年から見てきた古参ファンとしての感想。
TVシリーズはA5肉をずーっと食べ続けられた。最後胸焼けして、幸福から一転して胃もたれ腹痛に悩まされることとなる。
旧劇では、なにやら新しいソースが追加されたが、胃もたれは解消されることがなかった。
新劇がはじまり最初からわけわからん「納豆ペーストといちごジャムのソース」がかかってた。が、肉は流石のA5肉。極上。ソースの味には我慢しつつ、A5肉が食える喜びも味わった。
んで、25年四半世紀経って、胃もたれも何もかも忘れて、「納豆ペーストといちごジャムのソース」もありかな?と思ったところで食事は終了。
ごちそうさまでした。
なんかわけわからんこと書いてるのは自分になってしまったが、今の気持ちをネタバレなしで例えるとこんなところかと。どのくらいの人に共感してもらえるかは疑問だけど(笑)
庵野監督の何を知っているわけでもないが、やっぱ庵野監督のアニメーターとしての才能はTV版に有ると思う。だから大ヒットしたし社会現象にまでなった。多くの人を虜にした。
広げた風呂敷をたためなくなってたけど、やっぱりTV版のテンションは凄かった。
これからはエヴァの呪縛から解き放たれて、新しいシリーズ、アニメーターとしての庵野監督の才能を見たい。というか見れるチャンスができて嬉しい!
やっぱね、戦闘シーンのあれこれはズバ抜けて、文句なしに、楽しい!面白い!凄すぎる!!!!
これができるのは庵野監督だけだもんな。
最後に有言実行、終わらせてくれてよかった。ありがとう。
広げた風呂敷の畳み方、難しかった。次はストッパーになる「誰か」を横に置いてたのむぜ!
とりあえずシンウルトラマン、楽しみです。
新世紀碇ゲンドウだった
これ以上あえて書きませんが、そういえばこれはこういう作品だったな、それぞれ、そう思ってたんだね、という事がよく分かる、いい終劇だったと思う。終わりらしい、ヲワリ。
当時は何もかもが斬新で鋭く色んな心情をえぐっていたと感じたけど、時が経ちすぎて観る方も作る方もキャラも歳を取り、なんだか懐かしくも感じた。
きっと沢山の大切なメッセージも散りばめられていたはず。言いたいことが多すぎて、でも時間が足りなくて、それでも納得いく終わりを見せたくて。それぞれのキャラに全ての納得と完全なる終わりを詰め込んだ2時間35分。
もう一度、落ち着いて観に行こう。
涙が救ってくれるのは自分だけ
追記.
一度目は衝撃を全身で受け止め
二度目は見落とした世界を回収
なか卯には三度足を運んだが
今度、
三度目はテロップのリアリティを
しっかりと味わいに行きたいと願う。
そんな、傑作品だと言える。
これこそ、
どっかの同調圧力なしに
素直に心から、終劇時に拍手。
(1回目)ちょっとガッカリ感はある。でも、これで良い。(2回目) 宇部新川に全員集合。ヤンキーでも良い。嬉しい。
宇部新川駅ですって。abホテルで宇部新川と確信ですって。映画帰りには、早速話題になってますもん。さすがローカル、あの画で分かるんかw
ネタバレ回避で、今日のところは詳細割愛。
エヴァの戦闘シーンは、物足りなさあり。壮大な物語りの「落とし前」、と言うか、広げ過ぎた感のある風呂敷の畳み方としてはですね。イヤ、劇場版としての幕の引き方としては、「これで良い」って思いました。「見たかったラストをやっと見れた」、と言っても、これまでのエヴァを全否定する訳じゃないと思いますし。
カラーヘアの2人をホームに残して、宇部新川駅から駆け出した2人。そう来るんかい?いや、年齢はどうなっとりますのん?えぇ?ま。良いかw
解釈大会の幕開け、って事で。
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3/10 2回目IMAX
初回の「物足りなさ」を全く感じる事が無く。満足度は無茶高くて自分でも驚いてるでござるw
初回は通常、2回目はIMAXってのもあるかと思いますが。
思えばですよ。期待、と言うより予測とのGAPに戸惑ってしまったのが初回。1時間ほど続いた「村」と「イジケ」が完全に予測外。ここでダレた、気分的に。テザー動画から、アクションに次ぐアクションや、マリ&アスカのダブルエントリーを予測なんか勝手にしてたもんだから。イメージ世界での親子対決も、ちょっぴり肩透かし感ありましたもん。
それがそれがそれが。
2回目は全くダレない不思議。GAPが埋まった挙句だからでしょうね。村も、イメージ世界での1vs13対決も、巨大過ぎる&うじゃうじゃなアレも気にならない。
いずれにしても。初日から売り切れのパンフ、早く入荷して欲しいよー。
宇部新川駅ホームにアスカも居てくれたのが嬉しかったけど、宇部であの髪型&色じゃ、ただのグレたヤンキーやないですか!
ちょっと、違う登場の仕方にして欲しかったよねw
良かった。とっても。
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3/13 追記
ヘーゲルのトリアーデ(Triade)からの考察で遊んでみたいと思いますw
「テーゼ」→「アンチテーゼ」→「ジンテーゼ」はヘーゲルの弁証法。「テーゼ」はアニメ版の主題歌タイトルにもなっていたんで、こっち方面から考察してみたいと思います。
「テーゼ→アンチテーゼ→ジンテーゼ」「肯定・否定・否定の否定」「正・反・合」などなどなど。トリアーデの第三項は、「対立や矛盾を包括しながら、高い段階の状態にとどまること」を指す「Aufheben」と言う言葉で表されたりします。
トリアーデとは、カントによると「対立的なふたつの範疇のつぎに、第三の範疇をあげる」と言う三分法です。概ねは、第三項に、先行の相関的な二範疇の「総合された統一的全体」をおいています。以下、ヘーゲル自身による三分法の「言葉遊び」と、その解釈をシンエヴァに当てはめてみる試みです。
①まずはラストの解釈から。
綾波を送り出す時のシンジと綾波のやり取り
「時間は元に戻さない。エヴァを必要としない世界を作る」
「Neongenesisね」
Neongenesis=Re-Generation=(組織レベルからの)再創成
つまりは、時系列上の不可逆性は維持したまま、世界(人類)を再創成すると言うのがシンジの意図であり、ラストシーンは、それが具現化した世界。
この工程を「有→無→成」を当てはめて解釈。ここで、成のモメントは、有と無からなり、この有と無からその全体としての第三のもの、成へとすすむという事であり、厳密には「直接的成→有と無→媒介された具体的な成」のトリアーデになると解釈されます。
よって。
「有」=「直接的成」とは、ファーストインパクト前の世界と人類
「無」=「有と無」とは、その後、リリン・使徒・エヴァなどが混在する世界
「成」=「媒介された具体的な成」とは、裏世界の神の力とシンジの意図によって再創成されたリリン(何と呼べば良いか不明)が生きる世界。
②シンジ
「肯定→否定→否定の否定」と言うシンプルなトリアーデ。
「肯定」=誰かのためにエヴェに乗る
「否定」=自己喪失・自己疎外・自己外化
「否定の否定」=自己内化・自己帰還。自己否定・自己疎外において、その「他在化」したものの中にや投影された姿に自己そのものを見出して自己に帰る、もしくは自己を獲得する
序破急シンの各作品の中で、シンジはこれを繰り返してる訳ですね。
③ゲンドウ
「直接性→反省と媒介→自己還帰存在」と言うトリアーデ。「抽象的悟性→弁証法的否定的理性→思弁的肯定的理性」とも。
劇場版とアニメ版しか知らないワタクシ的には、ゲンドウの内面変化が、全然わからないんです。なんで、このシンエヴァの終盤のみを取り出してみると、こうなるんだろうね、って事で。
「直接性≒抽象的悟性」=人類補完計画を淡々と実行するプロセスにおける冷徹
「反省と媒介≒弁証法的否定的理性」=シンジとの対話の中における気づきと変化
「自己還帰存在≒思弁的肯定的理性」=1号機の中にユイを見出しユイの選択を受け容れること
④エヴァンゲリオン
「制約→非制約→被制約とそれの制約との合」
「制約」=リリンの乗るエヴァ
「非制約」=使徒になったアスカ等、解放されたパイロットが乗るエヴェ
「被制約とそれの制約との合」=ユイが同化した1号機
取りあえず、今日はここまで。
ありがとうございました
評価は人それぞれだと思いましたが 、エバァを好きになって18年ぐらいたった自分にとっては最高な終かただと思いました。 グロテスクな部分もあって受け入れられない人もいると思いますので、エバァが本当に好きでないと時間がもったいなかったと感じる人がいてもおかしくない作品でした
エヴァンゲリオンの集大成でした!!
さようなら、全てのエヴァンゲリオン
平日の真昼間だというのに映画館には多くの人が集まっていて、しかも年齢層は同年代から中年まで多岐に渡り、改めて同作の歴史を痛感しました。エヴァンゲリオンを初めて観たのは10歳の頃で高々6年しかエヴァに触れてきませんでしたが、そんな自分でさえ上映後は胸にくるもの(?)があったので、25年間同作を追い続けた人々はきっと良い意味でも悪い意味でも文字では表現できないほど多くを感じることができたと思います。
Qでかなり物語を引っ掻き回しての今作だったわけですが、序盤では荒廃した世の中でも強かに生きる人々の暮らしの豊かさを、中盤では個々人の繋がりの中でシンジが見出したものを、成長を描き、終盤では主要な登場人物の物語を、そしてシンジのエヴァとの決別を旧劇のタッチで実にエヴァンゲリオンらしく上手くまとめ上げたなと感じます。それでいて、これまでのエヴァンゲリオンと比べて理解しやすくかなり前向きな作品となっていてシンジがやっと報われたような気がしましたw。また、エンディングには様々な意見があるとは思いますが、シンジとエヴァの決別、ひいては我々エヴァに魅せられた人々とエヴァンゲリオンというアニメ作品の決別であるようにも思います。ですから、最後の駅のシーンは別世界に飛んだとかそういうのではなく、シンジの旅立ちの暗喩ではないでしょうか。
ただ、どの解釈が正解だとか、エヴァンゲリオンはどういう作品であるかだとかは庵野監督から語られない限り結局のところ答えは藪の中ですから、さほど重要ではないでしょう。個人的には本作で25年に及ぶこれまでの物語は伏線も回収して終わったという認識ですが、自分の感想、自分の解釈が有ればそれで良い。視聴者が勝手に考察しまくる作品、それがエヴァンゲリオンだと思います(投げやりですが、、、)。
最後に、長くなりましたが庵野監督に、全てのチルドレンに、ありがとう。そして、さようなら
まあ、"さようなら"はまた会えるおまじないですからもう一度観に行きますがね(^ω^)
泣きました(ネタバレあります)
ネタバレあり
かつてリアルタイムで10代だった私達にシンジ達がようやく追いついてくれました。
まさかエヴァで泣く日が来るとは。
真っ赤に染まったパリから始まるシンエヴァ。いつもの通り空白の何年間から始まると思って居たのにきちんと続編として始まった事に驚き。この辺は普通にエヴァンゲリオンしてます。
そして3人が汚染された街を歩いていくシーンへと移ります。ここで珍しくOPとしてスタッフや監督の名前が出ます。これはエヴァンゲリオンシリーズとしてはかなり珍しい。が、いよいよラストなのだな、と思いました。
ただ歩いてる3人。特にセリフもありませんが仮称アヤナミレイの仕草がテレビシリーズとも序破ともやはり違い、そうだ。このアヤナミは綾波じゃないんだった、と思い出させてくれます。
そしてQで死んだと思わされていたトウジの登場。Qでは分かりづらかった空白の間をここできちんと視聴者側がついてこれるように間を取ってくれている。言葉で説明されるよりも分かりやすく、後の続くアスカのセリフやQでのアスカの態度も説明がつくようになっています。
これまではアスカは私、私、私!と自己主張が激しく表面上は自己中心的に見えるキャラですが、承認欲求が強いというキャラ。それが満たされたのが分かるのがアスカがここから相田ケンスケの家で過ごす数日間、自分の事ではなくケンケンはケンケンはと自分の事よりも彼を優先します。これはアスカの中での優先順位が異なったのでしょう。そして決定的なのが私は守るために居るのだというようなセリフ。
今までのアスカならば守るのではなく勝利もしくはエリートで居るため、つまり自己承認欲を満たすためでした。それが大事な人(存在)、自己を認めてくれる相手が出来た事で大きく成長したという事だと思いました。
そして物語は大きく完結へと進みます。アヤナミレイから綾波を超えて本当により人間に近づいた人造人間としての綾波レイ。そんなレイとユイが似ても似つかない存在になり孤独が増すゲンドウの心の内。
カヲルが何度も何度も同じ演者を繰り返しその内にシンジを自己のストーリーに加えたという事実。司令と呼ばれゲンドウと同じ服を着てあの机に座るカヲル。
親がしでかした事の後始末をしていったミサト。そして同じように後始末をしようとしたシンジ。
かつてミサトは自分とシンジを重ねて見ていたと吐露しますが、知らずの内に重ねていたのはむしろシンジだったのではないでしょうか。
セカンドインパクトではミサトは自身の父が代わりになり守られ、けれど守りきれずにその役目はかつて父の姿を見ていた加持へ。セカンドで父を失い、サードで加持、そしてフォースではミサトが。
劇中で大きく語られる事はありませんが、なぜミサトはミサトと加持の子供で加持リョウジとシンジがツーショット写る写真を見ていたのか。あれはケンスケが送った映像から切り抜いたかケンスケがミサトに送った物です。加持リョウジだけの写真ならばケンスケがシンジを加持リョウジに紹介する前に用意出来たはずです。
ミサトはシンジを自分の子供のように思っていたのでは無いか。かつての恋人であり子供も父である加持へ対する愛とは違う親に近い愛情であったのではないかと思いました。
そしてシンジはユイに守られ、海岸へ。ミサトというもう1人の親が用意した槍を使って世界を再構築するために。
そのシーン線画、絵コンテに変わる段階は文字通り槍で世界を描き直しているのを表しているのだと思います、シンジが。
それを破るように現れるマリ。あの屋上でぶつかって来た時と同じように空から。間に合ってよかったと、マリは言います。恐らくマリはアスカがしたように人を超えた存在なのでしょう。マリはかつて人を超えた使徒の力を見せると言ってビーストモードを使います。ですからマリの存在ならば置いてけぼりになる可能性もあったのかなと思いました。
一人一人が幸せになるその瞬間へ送られ、そして大人になったシンジ。今までの出来事がほんの数分のうたた寝の間に見た浅い夢の中のように感じますが、首にはまっているチョーカーとその後に現れるマリが夢ではなく、現実で、しかし使徒やエヴァの居ない世界を時間を巻き戻すことなく、むしろ、彼らが過ごすべきだった本来時間軸へシンジがきちんと作り直し描き直した事を示しています。
初日に2度観る機会を得ましたが2回目の方が号泣しました。今までのエヴァンゲリオンが遠回しにメッセージを送っていたのだとすれば、これはド直球です。ネタバレされたとしてもエヴァンゲリオンが好きならば観る価値があると思います。全ての謎が解明されるわけでも全てが説明されるわけでもありません。
けれどエヴァンゲリオンが好きならば嗚呼エヴァンゲリオンとしてきちんと終わってくれたと納得出来ると思います。
25年、待って本当によかった。
全てのエヴァンゲリオンに感謝を。
そしてさようなら。
庵野監督をはじめ関係者のみなさま、おめでとう。
ありがとう、、
綺麗に終わった
7月21日 11回目(最後)の観劇
ついにこの日を迎えてしまいました。
最後は豊洲のユナイテッドシネマで、
感無量の終演鑑賞。最後に拍手が起こり、
これまた胸が熱くなりました。有難う、
最後のエヴァンゲリオン。有難う、庵野監督。
ここまで夢中になれる芸術作品に出会えて
幸せでした。さようならは、また会うための
おまじない。さようなら。
=====
7月15日 10回目の観劇。
ついに7/21終演の知らせで、最終日にいつもの
劇場で観ようと思っていたら、なんとそこは
本日が最終上映との事。夕方の上映時間だったので
仕事を早めに切り上げ、ついに観劇回数10回目と
なりました。特典も今回はマリをゲットできて
前回のカヲルと両方揃いました。相変わらず
戦闘シーンの迫力とストーリーの奥深さに感動し
最後のOneLastKissのところで涙して、
本当の意味での終わりの近さを噛み締めました。
7/21、都内に出向いて最後を見届けます。
====
6月27日 9回目の観劇。
昨日から配布され始めた最後の特典と
薄い本も合わせてゲットできました。
これで上映特典は全てコンプリートしたはず。
結局エヴァの面白さを考察するに、私はやっぱり
戦闘シーンのカッコ良さと綾波レイ(黒波)や
マリ、ミサトさんらのキャラの生き様に共感する
ことなんかなぁと改めて思った。ストーリーの
奥深さももちろんあるんだけど、案外単純な理由
でここまでハマっているのかも。
ラストシーンはいつも、場面の切り替わり方が
2001年宇宙の旅のラストと重なる。少し哲学
っぽさがありますね。
さて目標の10回に、後1回となりました。
次は最終上映日に行こうと思います。
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6月13日 8回目の観劇。
昨日から始まったラストランに向けた、
エヴァ3.0+1.01を観ました。少しカットの編集が
あったという事ですが、過去7回観ていた割には
どこが変わったのか気付けませんでした。
黒波がつばめと居るシーンと、マリがアスカの
髪を切るシーンが少し新しくなった気もしますが
全く自信がありません。ドルビーやAtomos対応の
会場では1.0のままとの事ですが、あまり気にする
事は無いと思います。
それより、Eva Extra Magazine特典が
超サービス・サービスぅです!
Qの2時間前の漫画も良いし、アニメカットが
とても素晴らしい!!これをもらいに行くだけでも
めっちゃ価値があります!
特に私は3歳になったつばめが、レイのぬいぐるみ
を抱いて笑っているカットがとても感動しました。
つばめは実はモデルが実在していて、その子も
レイのぬいぐるみを気に入っているとか。
もっとつばめを抱っこしていたかった、と
黒波が言葉を遺しますが、何だかとても素敵な
カットだと感動しました。
本当に最後の上映日にはもう一度駆け付けますが
もしかすると次がその回になっちゃうかなぁ。
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6月6日 7回目の鑑賞。
ついに禁断の、妻を巻き込んでの鑑賞でした。
せっかくならこの映画を妻に観せたいと
急遽 序・破・QをAmazonPrimeVideoで私の
解説付きで学習させ、やや強引にシン・エヴァを
観に行きました。意外にも良かったようで、
ミサトさんやアスカ、マリのファンになってくれた
みたい。私が推してる綾波レイは、クローンなのに
なぜあなたは好きなの?と理解されず、まぁ仕方
ありません。でもエヴァファンを一人増やせて
シナリオ達成です
=======
5月3日 6回目の鑑賞。
4機のNHGで槍を完成させるゲンドウの目的のため
ヴンダーがマーク9Aに乗っ取られると理解出来た。
6回目の鑑賞でようやくパンフレットをゲット。
アフレコ時の声優さんの気持ちなども丁寧に
紹介されており、また次回鑑賞時に気持ちが入り
そうです。公開最終日まで、あと何回観られる
かなぁ。
=======
4月24日 5回目の鑑賞。
今回は若干小さめのスクリーンを結構前方から
鑑賞してみた。やはり前から観ると視野角全体に
映像が広がる、これはこれで迫力あり グー👌
鑑賞の仕方もストーリーを解釈すると言うよりも
映像の、特に真ん中より周囲の絵を楽しむ感じ。
だんだん芸術鑑賞の域になってきました。
=======
4月10日 4回目の鑑賞。
いよいよ本命のIMAXで鑑賞。もうオマケは無し。
やはり映像と音響の迫力が1割増しに感じました。
さすがに4回目となるとストーリーはかなり理解
できるようになり、やっぱりエンディングの
宇多田ヒカルで涙が出て来ます。噛めば噛むほど
ストーリーの奥深さが身に沁みます。
トトロも見つけました!
=======
3/29 3回目の鑑賞。
考察動画のおかげでだいぶ内容理解できるように
なって来た。星0.5追加します。
今回のスクリーンは大画面だが音響が物足りない。
次回4回目はIMAXで観ようと決意しました。
入り口で頂く特典が変更されていましたね。
今回のは劇中セリフでかなり嬉しいプレゼントでした。
=======
3/13 2回目の鑑賞。
ゲンドウが頭を打たれたところで
トイレが我慢できず数分間席を離れてしまって
ちょっとショック。
ビールを注文したのがいけなかったと反省。
印象は変わらず、戦闘シーンの意味付けが前回より
良くわかって楽しめました。
最後の駅のシーンでカヲルくんとレイがいたけど、
彼らは人間になって生活しているという事?
まだ後半の意味付けは充分理解できていないところ
あるので、もう一回、3回目にまたチャレンジ
したいと思います。
宇多田ヒカルのOne Last Kissは、自然と
涙が出ますね🥲
=====
初日にぜひ観たいと思い、娘と行きました。
壮大なサーガの、一つの綺麗な終わり方でした。
ただし、13号機に到着した以降の展開はパラレル
ワールド的な世界が出てきて解釈が難しかった。
シンジとゲンドーの父子対決も、言っている事が
難解で一回では充分な理解は無理でした。
でも様々な懐かしキャラが惜しげなく投入されて
(この辺はスターウォーズ最終作にも通じる)
ファンには堪らない演出でした。そう言えばエヴァ
を劇場で観たのは初めてですが、迫力がテレビと
全く違ってこれも嬉しかったですね。
これまで序、破、Qをそれぞれ3回ずつは観て来た
ので、この最終話もあと1、2回は劇場で再鑑賞
したいと思います。
入院前日
明日から入院する予定です。
・・・・ですが、ネタバレがどうしても嫌だったので初日に見に行きました。
今、もう2度と「庵野、早くエヴァやれよ!」と言えなくなってしまったことが、すごく寂しいです。
これまで、様々な作品に対して「早く公開して欲しい」といった感想を抱いたことがありましたが、(年数然り)エヴァが思っていたより僕の人生に食い込んでいたんだなと、気付きました。
映画は、監督の「エヴァを終わらせる」という想いが、すごく伝わってきます。
そして、素晴らしい作品だった事に改めて気付きました。
終わってしまった悲しみは当然あるのですが、作品を待っていた時の楽しみと、見る事ができた喜びに感謝です。
健康であれば、こうした素晴らしい作品に出会えることもある。生きているうちに見る事ができて、本当に良かったです。
面白かった
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