シン・エヴァンゲリオン劇場版のレビュー・感想・評価
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26年前なら画期的だったけど同じことやってて陳腐化しちゃったんだけど焦らし作戦が成功して多くの人たちに気に入ってもらえた作品
ようやく終わった、という感想の人が多い。エヴァの呪縛から開放された、という感想も多い。いろいろと賛同を得られているのはそれの一点が非常に高いのだと思われる。エヴァの呪縛からの開放により安堵と嬉しさがこみ上げてきて、それは作品が良かったからに違いない、という勘違いではないだろうか。いや勘違いじゃなくても開放されるというのはそれだけいいことなのかもしれないが。
私は高校生のときにアニメをリアルタイムで観ていた。当時としてはものすごく画期的だったのだ。1話目ではロボット動かず。主人公は情けない。謎が多い。謎多き言葉でかっこいい。など。その後エヴァのオマージュ的な作品があふれた。にも関わらず同じようなことをしているのでとくに新鮮さがない。造語でまくしたてたり意味深な独り言を言わせる手法は相変わらず。エヴァのこれが好きって人は満足するのだろう。しかし、画期的なアニメであったエヴァというものが好きだったものとしては、もはやそれは陳腐化してしまったのだ。コモディティ化。他のアニメでもすでにやっていること。あー、このパターンね。まぁそうだよね。というところである。
いくつか細かいところで意味不明な行動がある。
アスカが2号機で落下しながら銃を乱射してまわりの無数にいる敵をうつのはなぜ?
下に向かっているんだからまったく違うところで上に向かっていく無数にいる的に向かって絶叫しながら乱射する意味がわからない。数を減らす?いやむっちゃ無数にいるから意味ないでしょ。前方の邪魔なのを銃でうって破壊していけよ。と思った。誰か教えてほしい。素直に何の意味があったのか知りたい。
ゲンドウにすかさず銃を打つ。脳みそがはじける。でも生きてるってシーン。
人を捨てたのね!?って驚きながらも想定の範囲みたいな感じ。人を捨てることがありえない選択なら、むちゃくちゃ驚くし、どうやって??ってなるだろう。けど、ああ捨てちゃったかーって感じなのね。いやいや、想定の範囲なら人を捨てたゲンドウに対して処理できるようなものもってないと、何のためにここまで突っ込んできたの?っていう謎。葛城さんと赤木さんのあまりにも軽率な行動が信じられない。相手の思うつぼでしかないわけでしょ、それって。ネルフからしたらヴィラはカモがネギ背負ってやってきた状態じゃない?ヴィラとしてはネルフを阻止しようとしてやってきたのに阻止する手段がゲンドウを殺すことだけで、それが銃で殺せないんじゃ意味ないでしょ。人を捨ててた場合にどうするか策を練っておかないとダメでしょー。
んで、ヴィラがネルフに近づくのを阻止してたよね?待ち伏せとか。あれも意味がわからん。ヴィラがいくらやってきてもゲンドウとしてはすでに人を捨ててるわけでやってきても問題ないのでは?むしろシンジくんを連れてきてるんだから待ち伏せとかせずにウェルカムってやらなきゃいけないのでは。万が一、待ち伏せやらなにやらでヴィラが撃沈したらシンジくんもいっしょに死んじゃうよ?そしたらネルフの目的が達成できないのでは?何の茶番?って思えてしまう。
このあたりも実はこうこうこうでこういう話だったのよ、っていう納得できるものがあれば教えてほしい。
基本的には、エヴァのこれまでのことを新しいキャラをいれてやりなおしてるって感じ。うまくまとめた!っていう評価もあるけど、うまくまとめることを期待していてみたのならうまくまとまっているようにみえたのでしょう。すべてを解決したようにみえるけどだいぶ強引。だって最後、シンジくんがすべてをさとす役割をするんだから。なぜそれができるようになったかが謎。農村で受け入れられてシンジくんがそれで成長できたっていう説をみたけれど、それが納得できるほど農村で大したことをしたわけじゃないようにみえるのだけれど。
ひどかったのはアスカにレーションという食べ物を口に無理やりおしこめられるところ。虐待である。これを隠れた愛情って評価した人いたけれど、いやいや虐待でしかないよ。無気力の相手に食べさせるならあんな力づくでやっちゃダメ。あれでなんでシンジくんがその後復活できたのかほんと謎。あんなことされたらますます閉じこもるよ。不思議でしかたがない。ここだけじゃないけど、みんな感情爆発しすぎだし、精神論で対処する人たちが多い。ブラック企業かと思うくらいの。とくにヴィラの組織。そんな精神論じゃそりゃ負けるよって思ってしまう。悲しきかな。
んで、結局、繰り返される世界ってことでリセットされて別の世界になるって話なんだろうけど、これってドラゴンクエストユアストーリーのような感じで、あれ?あの農村での生活はなんだったの?ってならなかった?あのシンジくんを受けれいてくれてた農村の人たちは幻だったわけでいないにひとしくて、あれ?ってなっちゃう。もうなんでもありだな。何度でも世界を繰り返したらいいわけだからね。ってなる。解決したようで解決になってるのかなぁっていう疑問。だって他の人達がどうなっているかなんで最後は出てこないから。他の人達はあの農村のような状態になったらあのように立ち上がれたんだとしたら、あの農村のような状態になれなかったらそうでもない生活になっちゃうような。このあたりも誰か教えてほしいところ。
最終、繰り返す世界ってのがオチなわけだけど、この手法自体すでにありふれたものだよね。ああ、それねっていう。もう目新しさを出すことはできなかったわけで。もうネタ切れだしどうひねり出しても出てこなかったんだなぁって感じる。実際、テレビアニメ版のエヴァでは毎回でてくる使徒の画期的な新しさも魅力のひとつだったけれど、今回出てくる敵の使徒のデザインはなんだかダサい。うさぎのダンスよろしく、肩くんで一斉に足上げてすすんでくるのは正直ダサい。画期的さがない。ほかの敵のデザインもだいたい想像の範疇。テレビアニメのときの使徒が毎回画期的だったのがほんとすごかったなぁ、と。
何度も同じものを作るもんじゃないと思うんだ。次があるって言うふうに焦らしまくったら多くのファンの人達はその焦らし作戦にハマってしまったのが今回の作品ではないだろうか。エヴァの呪縛のある人には高評価で、エヴァの呪縛のない人には低評価ではないだろうか。私は後者だ。リアルタイムでエヴァをみていたがとくに呪縛はうけていない。
エヴァオタでもアニオタでもないが
監督が終わりにしたかっただけの物語
全ての点が全くしっくり来ず、納得できず、共感できず、だから理解できない。
モヤモヤ感と気持ち悪さだけ残った映画となった。
モヤついた箇所をいくつか書きます。
○マリ
マリを肯定するか否定するかで、この物語を受け入れられるか否か決まろと思う。
私はダメだ。
最後までミステリアスに描き過ぎだ。
アスカのように背景や内面、シンジとの絆的なものをもっと描くべきではなかったか。(最もアスカにしても、ラストに詰め込み過ぎで見にくい)
マリはミサトより歳上でユイに好意を持つユイの後輩でしょう。
アスカが先に大人になったからとシンジから別れるシーンがあるが、そこで最初から大人なマリが「再見」と言っても説得力がない。
マリもアスカ同様14年シンジとの時間が空いた。なおかつ最初から大人。
シンジを待っていた理由なりを正面切って描いてくれないと理解できない。だから、ラストの違和感はハンパないものになった。
あのラストにいくのなら、アスカを描き過ぎだ。
意外性だけインパクト狙いの演出は嫌いなんだよ。
○トウジやケンスケの登場
Qでは死んでるように描かれていたよなぁ。
確かにこのキャラクターを使えば話は早いが、唐突感と今更感で話に入っていけなかった。もう少しQで、その存在なりを描く事はできなかったのだろうか?
Qが実は未完だったと言われた事がある。
シンを見たら、やっぱりQは未完だと思った。トウシ達の存在や、アスカの苦しみなどQで描いていいと思う。
なんか描き忘れたもの、あのラストにたどり着かせるための後付的描写すべてシンで描こうと無理したように見え、詰め込み感ハンパなく感じ、理解できない一因となった。
○アスカとケンスケの組み合わせ
今更感強すぎ!で入れなかった箇所の一つ。
今更感強すぎて、ケンスケがアスカを受け入れてくれる男と印象づけるカットが二つ程あったが、後付けの言い訳にしか感じなかった。(ケンスケが悪いわけではないのだが)
もっと説得力を持たせる描き方はできなかったのか(過去シーンが足りない。回想ではない直接的な過去シーンとか過去に触れる会話など、もっと欲しかった)
それに最後の最後で、1カットとはいえアスカ一人で登場させるのだから、第3村からアスカは一人で良かったと思う。
今回のエバァでは、この「今更」と言うことが多い。
大胆に変えたのだから、収束させるためとは言え、旧作では途中退場させたキャラクターに今更頼るな、無難過ぎる。
どうせなら、ここで大人シンジを登場させるぐらいのぶっ飛んだ演出が欲しかった。
○アスカ
式波(クローン)にした意味あったのか?
ラストで怒涛のごとくアスカについて描くシーンがあるけど、惣流で語られたこととほぼ同じ。これなら母親から生まれた惣流の方が良かったと思う。
スカイ・クロラのような秀逸なクローン物を見てるから、クローンとして綾波以上にひねりをきかした描き方を期待したが残念だ。
「頭を撫でて欲しかった」という下りも、25年前からの進歩を感じさせない箇所で今更だ。
25年前のエバァは、女性の描き方が斬新だったと思う。そこからの進化は感じない。もっと尖った描き方ができたはずだ。(例えば、マリはしっかりレズビアンとして描けばよかったと思ってる)
別に強い女性として描け、と言ってるわけじゃない。14年の歳月を与えたのだから、もっと別の描き方はできなかったのか?
○終わり方
「この程度の終わり方なら旧劇場版でもTV版でもできたはずだ」と書いた大学教授の論評を読んだ。また「「よくわからないが、何かすごい物を見た感じ」が無い」と書いたライターの記事も読んだ。
この二つがよく表しているかなぁ。
この程度かよと思い、凄いものを見た感じは全くおきない。かと言って、大団円の優しい終わり方でも無い。
劇場版4部作の超大作にして、14年もひっぱって終わりがこれぇぇ!?
悲鳴しか上がらん。
キャラクター達それぞれに安息の居場所を与えて、主人公は成長し、助けてくれたヒロインと未来に歩んでいく(ように見える)ラストカット…「この程度」だよな。これだったら予定通り2013年に終えて欲しかった。もっと言えば4部作ではなく3部作にまとめて2010年くらいに終わって良い。そのぐらいに見たら、多分納得できた。
終わりの気に入らない点を列挙する。
□落とし前
なんか「責任を取ることが大人(になること)」と言いたいのかと思わせる箇所がいくつもあったが、正直ウザいだけ。と言うのも説得力があるように描いて無い。
例えばシンジが、アスカを助ける事も出来なかったことを「責任を取りたくなかっただけ」と発言するが、それ大人の話。責任を取りたく無いから何もしないのは大人で、子どもはそこまで考え回らん。
今回、とにかく大人になることが前面に出て、物語が矮小化したと思う。
多様性への希望とか、もっと神話的な部分とか必要でしょ。
□総員退艦、ミサトの死
ヤマトレベルだよ。
今回のエバァであった「誰かが犠牲に」と言うセリフは、大嫌いな言葉の一つ。
今回のストーリーラインでミサトが死ぬ必然性を感じない。むしろリツコが生き残るのに違和感を感じる。ここは全員で戦いミサトを助け、リツコが死ぬ方が自然だろう。
□ゲンドウ
ただ、ただ気持ち悪い存在になっただけ。
Q以降ゼーレの存在を消し、ゲンドウと冬月だけでネルフを描いたから、リアリティが欠如し、ゲンドウがただの悪役になった。化け物にしたから尚更。見に行った知人女性は、ゲンドウの独白に「ただイラついた」と言っていたが、そう言う人多いと思う。
ゲンドウの行動に説得力を感じ無いので、ラストの父と子の戦いも滑稽な喜劇にしか見えなかった。
Q以降、物語を成立させる最低限のリアリティを無視する箇所が多く、共感できない原因となっている。(例えば冒頭のパリのシーン。白人も黒人も誰一人出てこないのはとてもおかしい。「前任者」と言うセリフだけ。14年も戦争するには、国以上の組織が必要で、ここは海外で戦っている別部隊が登場しないと(そこにアスカのクローンが登場すれば面白かった))
□アスカとの別れ
「捨てた女の扱いに似ている」見た知人の感想。
成る程と思った。
この辺りのシーンを、ちょとした救いに見るレビューもあるけど、全然足んない。
キスシーンの一つぐらいあってもいい。
リツコのところに送りましたで終わり。
大人シンジと大人マリのシーンでは、パーカーかぶって一人でいる。
この対面にアスカ、レイ、カヲルがいるカットについて、いろんな考察ができるけど、ここにケンスケ、トウジ、委員長がいてもおかしく無いと思う。
ポスターでもアスカ一人だけなんだよね。しかも少し不機嫌。
ケンスケという居場所を与えましたよ、と言うのならこの辺も徹底すべきだと思う。
そもそも、適当な男あてがって安息を与えましたよ、と言う描き方は、今の時世的にどうよと思う。アスカというキャラクターを矮小化した感じしか受けない。
言うこと聞かない女を追い出し、好みの女に美味しいとこ与えたように見えた。
エバァに思入れは無いと公言している監督だけのことはある。
□レイとの最後の会話
正直覚えてない。理解できない部分が多かった事もあるが、絵がとにかくみにくい。レイに被せるように今までのタイトルを映すから、レイの表情が全くわからなくなった。だから話にも入っていけなかった。
レイの住んでいた無機質なアパートで、もっと落ち着いた演出の方が良かったのでは。
実写や線画など取り入れたアニメーション表現を讃める人もいる。
予定通りの2013年だったら斬新だったけど、もう他の作品でいろんな表現やっているので、二番煎じのただ見にくいアニメにしか見えなかった。特に終盤。
Q以降、マリを活かすためひたすら影が薄くなった、と言うが薄くさせられた感じしか受けない。三人目の消し方は、何の意味があるのかと理解不能だ。
□大人シンジと大人マリ
これさえ無ければ、評価は3をつけたかも。
このシーンを入れたことで、第3村とケンスケのところに送ったことにしたアスカが吹き飛んだ。いや、第3村は存在して、アスカは無事再生して安息を得ましたよ、と理解すればいいのだが、私は上書きされた感じしか受けない。
このシーンは、今までの物語と繋がりを感じ無い。
シリーズ通して、観客それぞれが意識的にまた無意識に読みとってきたものを、無理やりに一つにしようとしたように見えた。補完計画かよ。
最後のテロップのバックに、第3村と無事再生できたアスカを描いて欲しかった。せめてそのぐらいの描写が有れば、評価は2をつけた。
ラストカットまでマリが行くことにどうにも納得がいかない。マリの立ち位置はユイの代役。アスカが言った「必要なのは母親」がマリにかかっているわけで、マリも役目を終えた的にホームに残るのならまた納得した。
気持ち悪いのは大人シンジの服装。スーツにネクタイが大人の象徴的に描かれているのは、感心しない。(後「胸の大きいいい女」発言も問題だよな)
話の筋からすれば、最後の服装は農作業着じゃないのかな。
声をわざわざ昔の人気子役にしたのも感心しない。
ラストを長い間シンジを演じた緒方さんに飾らせてあげない演出は、作品への思入れのなさしか感じず腹しか立たない。
大人になるのは歳ではなく経験を重ねること。発狂して当然の状況下を経験したシンジは15で十分大人として描いていい。大人シンジを出す必要性が無い。
ここまできたら、むしろ第3村に戻ると言うストレートな演出が良かった。この世界で戻るべき場所は第3村しか無いのだから(監督の故郷なんてどうでもいい)
トウジ達のところに戻って、農作業やるなり、無事再生できたところまでアスカを描いて再会させるなりの演出をしたら評価は4をつけた。
大人シンジと大人マリのシーンは、奥さんにエバァの呪縛から解放された監督にしか見えず、それ以外理解できない、と言うより理解したくない。これがある限り評価は1。
序から14年、その間に300本以上の映画を見た。終わらせ方や物語自体に疑問や不満を持った作品はいくつかあったが、その中で最大級の拒絶感を覚えた作品となった。
これでエバァが終わりだと思うと、悲しいを通り越して腹が立つ。
誰か4年後の30周年企画で、動画配信用にTV版をリメイクしてくれないかなぁ。
14年時を進めるような奇策に頼らず、監督のメンタルや都合に振り回されないしっかりしたプロジェクトで正面から描き直してくれないかなぁ。
庵野の呪縛から解放されたシンジ・アスカ・レイの物語を後一回見たい!
Netflix頑張ってくれないかなぁ…まっ無理か。
言いたいことはまだあるが、疲れたのでこれで終わります。
さようなら全てのヱヴァンゲリヲン
ところどころ違うと言えど、
旧劇の簡易版ダイジェストみたいな
そんな感じがしました。
旧劇よりも、ストーリーや
映像が劣化していて
観ていて不快になりました。
特に巨大綾波レイのCG映像は
とても酷く旧劇の頃の綾波レイの方が
芸術的に見えるほど
今作の映画の巨大綾波レイはチープで
とてもがっかりしました。
こんなに不快になれる映画があるんだと
逆に感心しました。
こんな体験をさせて下さる映画は
なかなか無いと思います。
こんなものを好きだった
昔の自分が恥ずかしいです。
仮に、またヱヴァンゲリヲンの映画が
あっても見たいとは思いません
これで、ヱヴァンゲリヲンという
コンテンツとは未来永劫
お別れすることにしました。
今まで好きでいさせてくれて
ありがとうございました。
さようなら、全てのヱヴァンゲリヲン。
シリーズ最終のお祭り映画
最初のテレビはリアルタイムで見て最初の映画も徹夜で見に行きました。
うんちくなんかよりただエンターテイメントとして面白い作品でした。
しかし新劇場版は前作Qからすっかり違う方向へ行ってしまいただただ謎を考察するかキャラ萌えだけの内容で素直に見るだけでは全く面白く感じられない作品になってしまいました。
長年待たされてもうダメだろうとは思ってましたが見に行ってああやっぱり、というところです。
最初から説明的なセリフばかりなのに話は良くわからないという展開。
色々とネタの仕掛けはありますが個々の話としては前からの同じ繰り返しの内面話で新鮮味もなく薄っぺらさだけが目立ちました。
ただ成長したキャラを見て楽しめる人のための作品ですね。
前作がダメな人には全く時間の無駄です。
「たった一つの冴えたやり方」(短縮版)
※本レビューは文字数制限のため、原文(約一万字)から一部抜粋しています。他サイト・アプリにも各文字数制限まで投稿しています。
映画としては凡作以下、アニメとしては佳作以下、エヴァ作品としては史上最高傑作です。
何様と思われるかもしれませんが、私もお客様(=『全てのチルドレン』)の一人です。庵野秀明さんを始めスタッフの皆々様、26年間、誠にお疲れ様でした。そしてありがとうございました。
さて、エヴァを「終わらせた」ことを加味して、作品のレビューでその点について評価している方がちらほらといらっしゃいますが、終わらせたから偉い!凄い!高評価!……ではなく、本作単体、あるいは序〜シンの新劇場版を通してのストーリーや演出がどうであったのかで、本作は評価されるべきではないでしょうか?
いろいろと思うことがあって、感想を書こうか否か迷いましたが、やはりしっくりこないので、自分の整理のために書こうと、そう思い直しました。
では、感想に移ります。
【アニメーション】
アスカがシンジに無理矢理レーションを食わせるシーンだけは真に迫っていました。
元ネタはNHKスペシャル『私は家族を殺した “介護殺人” 当事者たちの告白』でしょうか?
過酷な介護現場ではああいう虐待が行われていることもあると聞きます。恐ろしいですね。人の所業ですか?アレが?と思いましたが、そもそもアスカは人間ではありませんでしたね。
あと随所に庵野モヨコ夫人(の作品)に関連したアレコレが小ネタみたいに散りばめられてるような気がしましたが、私の気のせいですかね?
もう一度きちんと見てみないと断言できないと思いますが、相当、奥様の影響があられるのかと。
正直、TV版や旧劇のように、上映終了後、パッと思い出せるような類の、印象的なシーンはありませんでした。(私はTV版も旧劇も嫌いなので、懐古厨というわけではありません)
とくにCGを含めた戦闘シーンはひどく見辛いし、カッコ悪い。作画枚数や作業工程はもしかすると新劇の方が上なのかもしれませんが、見せ方が下手なんでしょうか?クオリティは新劇の方が低いようにすら見受けられます……抜けたスタッフでもいるんですかね?
【構図】
漫画『ワンピース』のように見づらい。プロからしたらいいのかもしれないですけど、私たちパンピーはプロじゃないんで。情報量が多すぎて、何も印象に残らないんですよね。
製作スタッフの好きなものを詰め込んで作ったらしいですけど、雑多な玩具箱かあるいは幼児が乱雑に書き殴った画用紙みたいなカオス感がありました。見ていて疲れます。現代人はただでさえ生きているだけで疲れているのに、映画でも疲れるのは……まあ、つまり疲れます。
【音楽】
残念ながら印象に残るものは『One last kiss』だけ。皆さんはパッと思い浮かぶBGMが『シン』にはありますか?
ここからは私の嗜好の話になるので無視していただいて構いませんが……
例えば黒波の最期をシンジが看取り、決意を固めるシーンでオーケストラ版の『Thanatos』を流してお涙頂戴するとか、
巨大綾波が出てくるシーンであえて『甘き死よ来たれ』を流して古参ファンのトラウマを抉るとか、
ゲンドウとの戦いのシーンで『The Final Decision We All Must Take』を流すとか、
ネオンジェネシスするところでピアノバージョンの『残酷な天使のテーゼ』を流すとか、とか、とか……そういう総決算的なサービスがあったら嬉しかったなと。
【神の子、碇神児】
旧劇シンジ「他人との関わりは怖いけど、もう一度会いたい気持ちは本物。だから、やっぱり他者のいる世界で生きる……」
新劇シンジ「他者がどうなろうと関係ない。とりあえずシャッター下げて無かったことにしてやり直す。そんで、胸の大きい良い女と一緒に生きる!」
あのさぁ……26年もかけてシンジくんの選択が退化してるんだけど?何が起こってるんだ、これは!?
『魔法少女まどか☆マギカ』という作品がありました。主人公はシンジと同じ14歳で、最後は神に等しき存在になるのも全く同じなのですが……彼女が願ったのは、やり直しなどではなく、皆が積み上げてきたものを尊重しつつ、それに救いを与える、というものでした。
比べるのもアレですが、まどマギから10年くらい経った業界で出てきたアンサーが、よりによって「コレ」だと思うとなんとも憂鬱です。世相かな?終わりだよこの国。
【式波】
「殺すことも助けることもしなかった」とかキレてましたけど、過去の記録を調べもしないでシンジを糾弾してるのか?
シンジは破の時に「相手を傷つけるくらいだったら殺されてもいい」ということまで言ってましたよね?その後、シンジは、アスカを傷つけたネルフ本部や父親を攻撃しようとまでしていた。
どんだけシンジがアスカのことを大切な仲間と思っていたか、よく分かるじゃないですか。
シンジ言ったれ!私が許す!
アスカにハッキリと、こう言ったれ!
「死なせたくねェから “仲間” だろうが!!!」(ドン!!)
そんなシンジによく、イキリ倒せるなぁ……
ガキは君だよ、分かるかい?(真顔)
『礼節が人を作る』なんて言葉があります。
『死装束』なんて文化を勉強する前に、まずは礼節(マナー)を学べ!ガキアスカ!
……まぁ、脚本に問題があるんですけどね。
クローンだかなんだか知らんけど、こんな28おったらあかんわ、終わりだよこの世界。
「ツンツンもいいですけど、礼儀だけは弁えといてくださいよ!ホンマ勘弁してほしいわ」
【真希波・マリ(ア)・イラストリアス】
君の正体は何なんだい?どっから湧いてきたんだい君は?
ゲンドウやユイと同世代なのは分かるよ。京大の同窓かなんかだろう?でもそれは映画の中で描くべきなんじゃないのかい?
せめてQとかで回想シーン必要だったでしょ……と思うのは私だけでしょうか?冬月とシンジが将棋を指すところで、冬月の語りとともに、大学での教授職時代の回想(述懐)を挟んで、そこでユイ、ゲンドウ、マリを描けばよかったのに。
過去が無ェ 記録が無ェ
正体まったく分から無ェ
背景無ェ 深みが無ェ
自己 完結で ぐーるぐる
破で登場 唐突だ
感情移入の余地が無ェ
俺らこんなキャラいやだ 俺らこんなキャラいやだ
そんな彼女がラストでシンジの手をとっても、なんの深みもカタルシスもない。
……え、漫画などのメディアミックス作品を見ればマリの正体が分かる?いやだから、映画の中でそれを描かなきゃダメでしょ。てやんでぇべらぼうめ、おとといきやがれってんだ!
【育児放棄】
ネグレクトする奴には基本的に、「基本的人権」は無いと思ってるんですよね。誰のこと言ってるか分かります?ゲンドウとミサト、君たちだよ。何カッコつけてんだよ?ダサいぞ。どんな理屈を並べ立てたところで子どもから逃げている君たちは親失格で大人失格だよ。君たちの発言には何の重みも説得力も感じられないので、終始極めて滑稽なんだよ。「だっせぇ、だっせぇ、だっせぇわ」
【VII.l.AGE】
表面的に(暖かく)描かれる子育て描写や動物、植物の描写は、その実無機質で、血の通っていないホラーゲームみたいに感じられました。
農作業もしていましたが、アレだけの人数の食料を養うには量が足りませんし、もっと生きることに必死で、ピリピリとした雰囲気が漂うのが、通常のポストアポカリプス世界だと思うんですよね。
私には、あれが上辺だけ取り繕った、崩壊しつつある絶望の限界集落にしか見えませんでした。『バイオハザード8』みたいなもんだなあと思いました。あるいは『SIREN』で描かれる、屍人視点から見た世界のようなものです。
「放浪を続ける碇神児、たどり着いた場所が、彼に希望を与える」というのが予告の文言でしたが、村がシンジに与えたのは希望ではなく、死地に赴く「覚悟と決意」ですよね。「どう足掻いても、絶望」です。
【たった一つの冴えたやり方(ネオンジェネシス)】
「『ネオンジェネシス』?……なんですか?『ネオンジェネシス』って?」
多分、「バルス!」とか「ジェセル!」みたいな、おまじないの類だと思うんですけど……
シンジの選択、というか庵野監督の選択は、エヴァが存在しない世界にして、全てをやり直すということでした。
でも、本当にそれで良かったのでしょうか?
村の人達に限らずですが、サードインパクトから生き延びた人々は、一生懸命に生きていました。その生きた証すらも、庵野監督とそのスタッフの方達は脚本上、無かったことにして「終わらせて」しまったのです。
庵野監督は3.11の震災以降、精神を病んだそうです。震災からの復興に向けた戦いは今もなお続いていますが、あの赤く染まった地球で懸命に生きる全ての人々の希望を背負った(背負わされた)碇シンジが、最後の最後に選んだ道が、全てを無かったことにした挙句、「胸の大きい良い女」とのrendez-vousというのはどういう了見なのでしょうか?
世界改変エンドも良いですが、このシンにおいては、人々の思いや、希望や、生き残るための努力やその証の一切が全て無に帰したような、言いようのない後味の悪さが残ることは否めません。
(繰り返しになりますが『まどマギ』に於いての主人公の『選択』と、ハッキリ異なる点です。余談ですが私は、まどマギという作品はあまり好きじゃないです)
世界改変ではなく、28歳になったシンジが、崩壊した世界や、失われた命たちと、がっぷり四つと向き合い、悲惨な過去から目を背けず、不確定な未来に向けて、田畑を耕し、世界の復興のために汗水垂らして働いている描写があっても良かったのではないでしょうか?
そして、破の時に叶わなかった食事会をするエンドで良かったのではないですか?
あるいは青くなった海に繰り出していくエンドでもよかったかもしれません。
ラストは、『エヴァの全てにシャッターして、とにかくさようなら! そして、マリ=庵野モヨコ夫人、シンジ=庵野監督で、2人が手を繋ぎ、アニメの世界から逃げ出し、現実の世界(庵野監督の地元)で結婚報告をしにいく、あるいは特撮製作(ウルトラマン、仮面ライダー)へと逃げ出すメタファー』なんて揶揄されているようですが、そう取られても仕方がないと思います。
この映画を礼賛している方の中には、『「エヴァ」からの卒業(式)』なんて戯けたことを述べている方がいますが、大半の視聴者は、エヴァに入学なんてしていません。日常生活で一杯一杯です。
そんな中で、こんな逃走劇を描かれても、唖然とするばかりなんですよね。
「アニメから卒業しろ」「現実を見ろ」なんて言われても、「いやいやw もともと現実見て日々一生懸命に生きてますよ。エヴァから卒業できてないの、製作側のあなたたちの方じゃないですか?「26年かけて頑張って作ったもの、その集大成が出来た!今度こそ完結する!観に来てね!」っていうから、わざわざ見に来たのに、こんな無礼な態度と結末はなんなんですか?おそらく日本のアニメ史に於いて、26年もかけてこんな酷い行いをしたのは、貴方たちくらいのもんでしょうね」と、むしろこっちが言いたいくらいですよ。
また、現実を織り交ぜたメタ演出を挿入するのは、「逃げ」だと私は思います。現代アートのように煙に巻いて高尚ぶるのは、いかがなものでしょうか?
作品世界の中で作品を完結させなければ、物語を「終わらせた」とはいえないのではないでしょうか?
逃げて逃げて逃げて、逃げた果てが「これ」。そう考えると哀しいですね。
庵野さん、これは26年前に『あなたが始めた物語』でしょう?
とはいえ、もうなんか「終わらせられて」しまったので、もう今後『エヴァ』は無いでしょうし、私も見ることはないでしょう。故に最大限の皮肉を込めて、『最後の言葉は、切ない』ものとなります。
製作スタッフにありがとう
庵野監督におめでとう
そして、過去・現在・未来、全てのエヴァンゲリオンに、さようなら
中身がない長い映画
みんなが美味しいと言う料理を不味いと言う人がいてもいい
長い!
見る人を選ぶ映画 私には???
私は新劇場版しか見ていません。ので、この映画の言いたい事がよくわかりません。小学生、中学生の息子と見ましたが、qをつまらない映画だと思う方にはこの映画はお勧め出来ません。前半はqのつまらなさの回収、後半の戦闘シーンはそれなりに盛り上がりますが、落ちが•••。大の大人の私には難しい映画でした。最後に【ネタバレ注意】は意味不明??
何と言うか、雑
前作のQの出来から、あんまり期待せずに観に行ったが、何と言う雑な作品
良かった所は完結した事。悪かった所は前作の後処理と終わらせる為に、雑に風呂敷を畳んだ所
破までは楽しめたしQは面白く無かったけど、完結作だからと観に行ったら
面白くは無かったと言うのが率直な感想
まあ、良かったと言ってる人達も居るので合う人には良いのかな?
正直、何が面白いのか俺には理解出来ませんでした
映画としてはひどい。エヴァ卒業式会場
高評価が多いですが、エヴァへの思い入れがあるからこその高評価でしょう。私も思い入れはあるものの、映画としての純粋な評価は★1です。
専門用語を並べて早口での説明はあるものの、理解は追いつかない。
シンジやアスカの感情描写ももっと丁寧に描いてほしかった。レイは途中まで良かったけど結構早めにフェードアウトだし。。
そのわりに戦闘シーンやゲンドウの独白がやたら長い。庵野監督のやりたかったことを詰め込ることが優先されたんだろうなぁ。ファン向けのサービスシーンなのか、やたら人前で恥ずかしげもなく裸で歩き回るアスカとかも嫌だった。
庵野監督の思いや戦闘シーンを楽しみたい、自分のエヴァとの思い出に浸りたいファンにはいいのかな。これまでのエヴァはずっと追いかけてきましたが、アニメ中盤までと序や破が好きでQは良さがわからない単純思考の私には、理解不能でした。
有給を取って観に行くほどでもない。鬼滅に及ばない
TVシリーズは全話視聴し、リアルタイムで旧劇も観た人間の感想です。
Qがひどい出来だったので不安を覚えつつ、それでもエヴァの終わりを観ることができる興奮で昨夜は寝られませんでした。
3/8の初日、新宿ピカデリーの初回で観てきました。
結論から言うと落胆しました。初日に2回見るつもりでチケット予約してましたが、2回目を見る気になれず帰宅しました。もう二度と見ないでしょう。
別にアスカが誰とくっつこうと、シンジがマリとくっつこうと、そこはどうでもいい。
映画としてどうなの!?って出来でした。
シンジのクラスメートたちが生きてたところは嬉しさよりご都合主義を感じてしまいました。Qはシナリオの都合にキャラクターが振り回されてると感じたけど、それは本作も同じでした。
序盤、農業を始めたときは「エヴァを見に来たつもりがサクナヒメを観ていた」って気分になり、途中の戦闘も雑な説明と展開でいまいち乗り切れず、後半のゲンドウの語りや旧劇の焼き直しにはうんざりしました。しかも「すべてのエヴァを殺して世界を作り直す」って、まどマギかよ。メタ視点もチープ過ぎる。「現実に帰れ」って旧劇でもやったじゃん。ゲンドウがユイのために動いてるのもダメ親父なのもとっくに知ってるよ。
とにかく全体的に説明的台詞だらけ 、突然出てきた専門用語も多くて、正直言って退屈でした。エヴァじゃなかったら途中で席を立ってました。
文句を言い出したらキリがないのでやめます。
庵野監督はエヴァに落とし前をつけてシン・ウルトラマンを作りたかったんでしょうね。
この映画の作品価値はエヴァの「完結編」というその1点のみにあります。
エンタメ作品としてはQよりマシというところ。
間違っても家族や恋人同士で見に行かないように。ましてや有給なんて取らないように。これはエヴァファンのための内輪のパーティであり、葬式です。
鬼滅越えは到底無理でしょう。興行収入20〜30億あたりかな。
やってはいけない映画ドラクエEND
冒頭のこれまでのエヴァンゲリオンと、今作品のタイトル表示迄がこの作品の一番のクライマックスです。
後は結局ユイのストーカー達の身勝手な話で、広げた風呂敷を畳めず終了しました。
終劇後に拍手してた人が10人程居ましたが、最後までちゃんと見た自分に拍手したのでしょう。
宇多田さんの歌が良かったので星1です。
もしも願い一つだけ叶うならチケット代半分だけ返して欲しい
今更のレビュー
見なくてもよかった
リアルタイムに見てきた世代ですが、そこまでのファンではありません。今作はまあ…こんなもんだよな…という終わり方でした。エヴァの最後ということで見に行きましたが、期待しすぎた感はあります。
なんだろう。他の方も書いていますが、最後の最後に伝えるのがそれ?という感じ。綺麗に終わってはいますけどね。そこはすごい。
映像に関しても昔の作品でかっこいい!と思っていたところがことごとく改悪されていて悲しい。あとCGが…うん…。
まぁ、エヴァに熱狂していたおじさんたちへの別れの挨拶ってとこです。庵野さんお疲れ様でした。ファンじゃない自分としては見なくてもよかった。ご祝儀評価はしたくないので本心の評価をさせてもらいました。
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