シン・エヴァンゲリオン劇場版のレビュー・感想・評価
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庵野の独り善がり、漸く終了
小難しい設定と小難しい単語が織り成す、意味不明の庵野の独り善がり。
私、トンデモ設定とご都合主義は宮崎駿で卒業しましたので。
あー、苦痛だった。
アマプラで観たけど、何回か寝落ちしちゃいました。
この人の最高傑作は「トップをねらえ!」でした。以降、下降の一途。
シンゴジラも酷かったが、シンエバはさらにその下。
なんでこんなものが流行るの?意味分からん。名前だけで金儲けできて良いなぁ。
時間のムダでした。
…てことで、はい信者の方お待たせしました。
誹謗中傷はコメント欄に宜しくお願いいたしますにゃ。
ドシドシ書いてね!
↓
やっと終わってくれました
旧作からのファンです。新劇場版が始まって、死体に電気を流して無理やり動かしているような、ロックスターがせっかく自決したのに周りが救命してしまって生活のために懐メロ歌手に堕してしまったような、そういうファンとして見たくない姿をさんざん見せられてつらい思いをしてきましたが、やっと終わってくれました。二度と観たくありません。ありませんが、岡田斗司夫さんの解説によるとオタク文化的にはとても優れた作品であり映画手法としても新しいらしいです。岡田さんの解説を楽しむためにこの映画をまた観ないといけません。憂鬱です。
絶望的な終わり方
自分は2000年ごろエヴァをレンタルで見てハマりました。
エヴァのブームも去った頃で、エヴァについて語る人も周りにいなかったですがそれでも好きでした。
20年好きだったエヴァの一番最後の映画ということで、シンエヴァはとても楽しみにしていました。
ですが、結果は残念極まりなく、
自分はこれを機にオタクをやめようと思いました。
冒頭はエヴァらしい軽快な戦闘シーンで始まります。
ですが、その後の第3村のシーン。
とにかく長い。長すぎる。
黒レイが主役かと思うほど農業のシーンやら子どもをお世話するシーンやら図書館に行くシーンやら風呂に入るシーンやらが続きます。
そして、落ち込んで寝込むシンジ。
とにかく長い。長すぎる。
ずっと寝込んでる。
この時のシンジは失語症になっていたとどこかで見ましたが、映画内で失語症への言及はなかったと思います(2回見ただけなので見落としたかもしれませんが)。
そして、アスカは裸でシンジの前に現れ、それに対し大人になったケンスケがアスカにタオルをかけます。
アスカは何故かケンスケをケンケン呼びです。
男女の関係があることを、さりげなく匂わす演出です。しかし、結局アスカとケンスケが恋人同士であったかは最後まではっきりしませんでした。
何故監督がこのような、ケンスケとアスカがカップルであることを匂わせるような脚本を作ったのか全く理解できません。
加持リョウジという少年がでてきます。
ミサトと加持の息子です。
14歳です。
あれから14年経った世界でミサトの息子が14歳と言うのなら破のラストの時点でミサトのお腹が大きくなっていなければおかしいと思うのですが14歳です。
加持リョウジ少年は良い子そうでした。
しかし、加持リョウジ(親のほう)の去り方は尺の都合なのかあまりにもあっけなく、加持リョウジ(親のほう)の扱いがあまりに雑で可哀想になりました。最後の方でもまた扱いが雑で可哀想になります。
途中の諸々について。
アスカは昔、シンジのことが好きだったと告白に行きます。でも私の方が先に大人になっちゃった、とも告げます。
個人的な意見ですが、『シンジを好きなアスカ』を好きだった私にとってはこのシーンは悲しくも、良いシーンだったと思います。
そのぶん、序盤のケンケンとアスカは、こんなのアスカじゃないと目を覆いたくなりました。
ちなみにアスカの告白の前に、『だーれだ?』とマリがシンジに後ろから目隠しし、『ヒント、乳のでかい、いい女』と言います。
これがまさか最後のクソみたいなエンディングの伏線になるとはこの時思いもしませんでした。
シンジによる補完計画が始まります。
シンジが登場人物ひとりひとりに語りかけます。あなたは本当はこう思ってたんだよね。僕はこう思っていたよと。
この時、唐突に渚司令という存在が加持リョウジ(親のほう)と一緒に出てきます。
渚司令は碇シンジを幸せにすることで自分を幸せにしたかったと言い始めます。加持に対して『カヲルって呼んでよ、リョウちゃん』などと言います。この人は一体誰なんだろうと思いました。
渚カヲルは、使徒であり、
碇シンジのことを好きな少年であったはず。
しかしここに出てきたのは、謎の渚司令という人物でした。
クライマックス。
旧劇に続きまたしても巨大綾波。CG丸出しの巨大綾波。旧劇の巨大綾波の方が美人だったと思います。
首のないマネキンの行進。そして、天から降り注ぐ人々。猫を抱きしめて微笑んでる女性やらなんやら、色々な人間が空から降ってきます。誰なんだよ。
急に駅のホーム。これは庵野監督の地元の駅のホームだそうです。庵野がさっさとエヴァから解放されて実家に帰りてーよアピールなのでしょうか。理由はわかりません。
スーツを着た、社会人らしいシンジっぽい男が、後ろから『だーれだ?』と目隠しされます。
『胸の大きい、良い女』と答えます。
誰なんだよ、お前は。
碇シンジはそんな奴じゃなかっただろう。
そもそも、声、神木隆之介じゃねーか。
26年シンジを演じてきた緒方恵美さんに対して申し訳ないと思わないのか。監督ってきっと、人の心が無いんだね。
そしてもはや面影すらない、薬でもキメてんの?ってくらい目を見開いた大人シンジらしき神木隆之介が、マリの手を取って行こう!と階段を駆け上がります。
そして監督の地元の駅(何故か実写映像)から飛び出すマリとシンジ。
流れ出すエンディングテーマ。
いったいなんだったんだろう。この映画は。
黒レイは農作業を散々させられた挙句、シンジに名前もつけてもらえず、ネルフから離れたら生きられないとかなんとかいう理由で消滅させられ、
ケンスケとアスカはカップルにさせられて、
シンジはマリルートエンドみたいになってて、
いったい何を伝えたかったんでしょうか。
これが、90年代に社会現象を巻き起こしたアニメの最後なのか。
エヴァをずっと好きだった私の気持ちは何だったのか。
極め付けにとどめを刺してきたのは、入場者特典の公式の薄い本でした。
作画監督のとある人物がカヲレイ夫婦と子供のシンジのイラストを描いてネットで大炎上したあげく、
ラジオに出演した緒方恵美さんにこれはあくまで同人誌です、とフォローさせていました。
いや、同人誌って、そんなにポピュラーなものですか?
同人誌ってオタク界隈のみで楽しむ物ですよね?
エヴァって、大人から子供まで楽しめるエンタメみたいなツラしてのさばってるのに、同人誌を入場者特典にしちゃうんですか?
シンエヴァはどうしても100億行きたいのか、舞台挨拶だの入場者特典だの必死にやってますね。最後の悪あがきに。
どうして100億行かないのか、関係者さん、誰もわからないんですか?
この映画が、エヴァオタクにとって期待外れだったから。ただそれだけです。
私は現実に帰ります。もうアニメは一切見ないです。
監督の気分一つで、いくらでもキャラクターの性格が変わるなんて、もうこんな気分は味わいたく無い。
ありがとう。現実に帰してくれて。
一刻も早く、エヴァというクソアニメの存在が消えるくらいの大ヒットアニメが生まれてくれますように。
結局最後まで期待外れ
妻と観に行きましたがシリーズ通して結局何がどうだか伝わらないまま終わっちゃいましたね、終わったあとなに?結局使途は何しに来てたの?目的は?シンジのお父さんは何がしたかったの?アスカは何者?結局どうなったの?マリとはろくすっぽ会ってないのに最後何事?
じゃあ何?シンジは結局神様で転生して新しい世界作って終わり?等々、訳解らんのオンパレード、要するに作品から内容が全く伝わらなかった、人に何かを伝えるには解りやすく伝えないといけないのだが、私らには全く伝わらないまま終わっちゃいましたw
話を伝えるってことは、使途の目的は地球の支配だったとか、地下に眠る秘宝が目的だったとか、シンジのお父さんの目的は神の力を得て何々をしたかったとか、ハッキリと解りやすく伝えないとなーてのが感想でした、最後はちゃんと解りやすく作ってくれると期待したが最後まで謎のまま、名探偵コナンが犯人も謎で解決しないで終わった感じ
最高のスタッフから送り出された無
映像は素晴らしいし、劇中歌が流れる中での戦闘はほんとうに良かった!声優さんの演技も以前と変わりなく素晴らしかった!関わったスタッフの努力の結晶だと思います。
ただ、致命的に脚本が良くなかった。
私にとっては他すべての100点の要素を無に返すレベルでした。
今まで見てきた全ての創作物の中で1番悪かった。素人の書いた俺つえー系のハーレム物のなろうといい勝負です。
エヴァという伝説になった作品の最後が、神になったシンジくんは全員が自分の想像する幸せな状態にしました。この小学生が4秒で考えたような結末を書くのに12年かかったって信じられないです。
私はエヴァとは成長の物語だと思ってました。TV版で自分を認める事が出来るようになり、旧劇で他者を欲するが他者故に恐れ。ハリネズミのジレンマに苦しめられ、傷つけ合いながらもお互いが成長していくしかない。成長とは他者から与えられるものでは無く、自ら努力しなければならない。
そして新劇で神になって各々の意思など関係なく過去作品含めて魂をこの新劇の舞台に統合する。訳分からんわ(笑)
1番かわいそうなのはマリとケンスケでしょうね。この二人に何か言おうものなら、シンジorアスカがようやく幸せになったのにそれを邪魔するお前らおかしいと言えるバリアを張ったうえで舞台装置として完璧超人に描かれている。
感じ方は人各々でしょうが、エヴァファン歴が長い方やキャラに思い入れが強い方はオススメ出来ません。ハリウッド版ドラゴンボールみたいな物です。
自分がリアルタイム世代じゃなかったら楽しめた
TVアニメでリアリティを感じたのは庵野監督の宮村優子への失恋と他者との断絶。
シン・エヴァでリアリティを感じたのは庵野監督の鬱からの再生と安野モヨコとの惚気。
前者は失恋や他者との不理解に共感を感じられたが後者は全く共感要素がなくて困った。
他人の主観的な自己再生恋愛話ほど共感できないものはないが友人なら「良かったね」ですませられる。
しかしこれは作品でキャラクターがいてそれらは監督の生み出したものかもしれないが作品と作者は別物だ。
現実世界で一つの幸せを得た庵野監督が「俺が幸せになったのはこう」という台本をキャラクター達に渡し演じさせた。
そしてそれはキャラクター達の物語ではなかった。
わたしはエヴァンゲリオンの結末を見たのではなく、エヴァンゲリオンを作った庵野監督の区切りを見た。
それはキャラクター達の結末を見に行った私にはお金を払って見る価値のないものだった。
4DXの振動が気持ちよくて…
壮大な無駄遣い
最後までオタク専用
これでもエヴァファンは考察するのか
一応テレビシリーズから一通り見てきたが、
破の歓喜からQから失望、待たされまくってあまり興味も無くなったはずなのに、やっぱり見ちゃうエヴァンゲリオン最終章。
久しぶりの大画面と迫力の音響に、映画館で観るのっていいなぁと思うところまで。
本編が始まると過度な期待なせずに観賞したエヴァはその期待を裏切らず、袋小路のように広げすぎた大風呂敷を
見た目派手で且つ必要性の無い戦闘シーンと、
やたらセリフで補完される場面展開と、
絵コンテやキャプチャCG、実写などツギハギだらけの絵作り(これまた必要性なし)と、
新シリーズとは言え荒唐無稽なストーリーで、
無理矢理終わらせてしまいました。
庵野監督、お疲れ様でした。
もうエヴァは作らなくていいんです。
北上ミドリが吐き捨てていたセリフが全てではないかと。
コアなエヴァファンの為のアンチテーゼ、私にはそう思えました。
これでもコアファンは両手をあげて拍手喝采し、全てのシーンにあーだこーだと考察をして楽しむんでしょうが。
観客に黙ってゲテモノ食わせるのやめなさい、気持ち悪い。
旧劇、新劇通して最も駄作。
後半は私小説的なプライベートフィルムに成り果てる。
「air/まごころをきみに」でも使われた手法、表現がより稚拙で醜悪な形で
映像として展開される。
糞便をたっぷり食わせて育てた養殖輸入鰻を国産天然物と偽って
とびきり旨いタレにつけて客に食わせるような映像表現に辟易する。
エヴァンゲリオンシリーズは元々庵野秀明が↓以下引用
「自分の気分というものをフィルムに定着させてみたい」というきっかけで
作られることになった。「庵野ほかスタッフ自身がアニメほか映像作品を観て育った世代であり、無数のアニメや実写作品のパロディーによってしか作品を作ることができない」と「自らの人生だけはオリジナルである。そのオリジナルを作品に注入することで、作品をオリジナルたらしめる」という方法論に基づいて創作されている【引用】庵野秀明と終わらない90年代。『シン・ゴジラ』を経てたどり着いた『旧エヴァ』という爆心地 照沼健太 より
>「自らの人生だけはオリジナルである。そのオリジナルを作品に注入することで、作品をオリジナルたらしめる」
確かにその通りであるが、それさえも所詮「よくある話だな」で済むのである。
小便をするときに右手で持つのか左手で持つのか、両手なのか、はたまた
手放しなのかとかそんな事でオリジナリティーを主張されても失笑しかない。
劇中ある女性キャラクターは日常を半裸で過ごしている。
しかし乳首を見せることは絶対にない、カメラワークや
羽織っているジャケットで乳首部分だけギリギリ見えないようにされている。
これは作劇的にまったく意味は無く、ただただ視聴制限を下げる為にある。
もし視聴制限がないなら躊躇無く露出することだろう。
で、あるから乳首だけ見えなければいいというポイントを逆手に取った
露悪的な作画が恥ずかしげもなく続くのである。
物語は続くが最終決戦に出発する前にある男性キャラクターが
件の女性キャラクターにふいに撮影カメラを向ける。
ファインダー越しに女性は「捕らないでよ」と嫌がるが
男性は「今日という日は特別だから~」的な事を言い女性キャラクターは
渋々承知する。
私は目眩がした。
このシーンの意図することは
「これで世界が終わるかもしれないから・・せめて」という
撮影してる風を装った観客に対する犯行宣言なのである。
「これからお前の身に起こる出来事は決定的に不可逆的な物になる。
だから失われるこの瞬間のお前をファインダーに納めておこうニヤニヤ」
どうしてこの女性キャラクターがここまで加虐されるのか。
それは現実に起こった出来事に由来するからだ。
その事情を知らぬものは当たりさわりのない表現に見え、
事情を知るものにはとてもまともな人間とは思えない表現になる。
エヴァンゲリオンシリーズには常にこういった二重構造的な
演出意図が明確にある。「所謂分かる人には分かる」的なものだ。
表現者としてやりたい表現があるのは理解できる。
それが「ろくでなしこ」的なものならば社会も事前に認識して
回避しやすい。しかし確信犯的にこういった映像表現をステルスで
仕込むことを私はあまり歓迎しない。
そういった表現がやりたければ適切なアンダーグラウンドでやればいい。
社会的責任が付きまとうメジャーコンテンツでやるべきではない。
こういった不適切な映像演出も低評価の理由にあるが
もっとも大きい理由は単純に映像的に退屈で詰まらないからである。
劇伴もシーンも何一つ心に響かず空虚な芝居が転がるだけの作品。
文字通りエヴァンゲリオンはここに終わったのである。
気持ち悪い
なんかレビューの点数が高いですね。まぁ、公開直後、しかも直近発表月曜日からのスタートだから濃いファンが多いのもあるでしょうけども。
自分もテレビシリーズ、旧劇場版、新劇場版と見てきましたが・・・・この終わり方はどうなん?としか思えない。多分、当初の序・破、とQ、そして本作で作りながら監督は迷ったんだと思う。
序ラストで、旧から繰り返しの世界なのは分かっていた。綾波の扱いに関しては、まぁ分かる。旧からクローンだから。が、アスカは何故、この世界ではクローンにされたんだ?必要性も前振りも無い。どう考えても旧のアスカがクローンでは無いだろう。
そして、最後にマリとシンジがカップル?マリはコミック版ラストで出て来たキャラ。飛び級しているとは言え、シンジ両親の後輩ポジションなのに?
アスカもクローンであるのに、どうもこの世界では相田とくっつく?綾波はネルフから離れては生きて行けないのに?いや、そもそも、それなら、Q序盤でのアスカの苛立ちって不自然。
旧ラストよりシンジが大人になったから、アスカも綾波もクローンで切り捨て?
渚司令って何?
破でサードインパクトを起こしたが、加持の活躍で完全なサードインパクトとはならなかった様だけど、加持が何をしたのか分からないまま。ネルフと、ミサトたちが袂を分かつ前ってどうしてた?サードインパクト~加持の行動~ミサトたちの行動で凄い時間がおかれていないと無理だが、それが放置。
結局、テレビシリーズラスト2話と旧劇場版の焼き直しにかならなかった。むしろ、旧作の方が納得出来た位の内容。
ラストシーン、本当にアレで良いのか?
退化している
シンジに必要なのは母親なのだから、母親みたいな年齢の包容力のある巨乳女を見付けましょ~
アスカに必要なのも父親なのだから、加持やケンスケみたいな父性を持った男を見付けましょ~
くそくらえですね
なんですか?
この理想論は?
シンジとアスカが安っぽい理想ではなく、現実を見据えて傷つけ合いながらも生きていく選択をした旧劇の方が遥かに崇高でした
新劇はまとめて茶番でしたね
気持ち悪いです
全部人の気持ちを悪くするための作品です。
二十年前の古い劇場版もそうでした。
現在は庵野秀明も聖人となり、現在の若者を教育しています。
しかし、この監督は分かりません。
当時の若者はすでに成長し、社会から不満を受けていました。
架空の幸福を求めながらも、容赦なく取り除かれた。
なぜ明日香はシンジと一緒にいないですか?なぜですか?完璧な劇場版をください。
武器として使われるだけです。もう若者ではない中年の人の思想を壊しました。
自分が求めている男女の主人公と一緒にいるのは間違いですか?
この劇場版は最初から最後まで使われるギャグです。周辺のシンジと明日香をこの輪から退出してください。
キャラクターを利用しないでください。
あなたの庵野秀明は役の後ろに隠れて彼らを楽しんでいます幸福。
この野郎
壮大さで騙されたが
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