シン・エヴァンゲリオン劇場版のレビュー・感想・評価
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今の時代
冒頭の市街戦など、やはり戦闘シーンはド派手な迫力で、縦横無尽な動きやスピード感は見応えがありました。
心理ドラマの面では、人との触れ合いでシンジが心を開いてゆく、綾波が人間性を獲得してゆく、といった成長の流れは、「序」「破」の流れを繰り返しているかのように感じました。
しかし、今回は学校や組織といった枠組みの中でなく、自然の中で働く人々の中で、大人としてリアルに生きるということを意識させられます。
また、村で生活する人々の描写は、やはり今の時代、現実の災害からの復興を連想せざるを得ません。
政府からの支援はなく、反乱軍的な組織からの支援で生活を維持しているというのも、考えさせられます。
権力者的な人物が混乱を引き起こして、自分のエゴの為に邁進しているというのも、なんだか。
個人的には、良い人ばかりの村の描写は理想的過ぎるような気もしましたが。
14年の間に色々あったということのようではありますが。
理想や希望を描いているということでしょうか。
クライマックスは、予想通りというか期待通りというか、メタな演出で楽しめました。
アニメーションの作り物の空間から外に出るような、しかし、アニメーションの世界を消し去る訳ではなく、そのまま現実に繋げてゆくような。
エヴァが無くても良いような世界というのが、孤独に閉じこもる空間としてのアニメーションが無くても良いような現実世界、という意味合いにも感じました。
アニメーション世界に閉じこもるのではなく、現実にもきちんと目を向けるべきというような。
ストーリーとしては、基本皆いい人で理想的にまとまったという印象です。
最後のシンジの変わり様は違和感もあるような、テレビ版では学園ラブコメアニメの世界線だったのが、今風の爽やか青春アニメの世界線にシフトしたのかというようにも感じました。
とは言え、現実への希望を感じさせるラストは良かったと思います。
「セカイ系」の脱トートロジー化 セカイの終わりと世界のはじまり
TV版、旧劇場版、そして新劇場版前3作もほとんど断片的にしか観ていないので、ストーリーやキャラクターや伏線に関して語れることはほぼない。しかし、本作だけ観ても論じられることがあると思うので、少し書いてみる。『新世紀エヴァンゲリオン』は、元祖「セカイ系」とも呼ばれるアニメ作品だ。「セカイ系」とは、ミクロな関係性がマクロな世界の命運に短絡するような作品群の呼称である。たとえば、新海誠監督『ほしのこえ』は、地球と宇宙に引き裂かれた恋人の関係が、宇宙規模の異星人との戦闘に影響し、人類の存亡に関わる。
さて、セカイ系としての『エヴァ』は、本作でどうなったか。碇シンジと父親ゲンドウとの戦い、言わば「親子喧嘩」に、世界の存亡が賭けられる。セカイ系そのものだ。マイナス宇宙には人間の認知が及ばない、というプレテクスト(口実)で、シンジとゲンドウの記憶が空間に上書きされるが、エヴァに搭乗して戦っているのに、部屋や学校が背景になる。笑いを誘うギャグだが、ふたりの親子喧嘩ぶりを印象づけている。新海誠監督『天気の子』は、実は新海監督がセカイ系からの離脱を企図した作品だったと思っている。「天気の巫女」である陽菜をシステムの「外」へ連れ出すことで、予定調和の秩序回復を破綻させ、内部からのセカイ系破壊を試みたのだ、と。作品にいったんセカイ系のロジックを採用すると、もはやセカイ系から脱出できなくなることを「『セカイ系』のトートロジー化」と呼ぶとするなら、新海監督は『天気ー』で「セカイ系」の脱トートロジー化を試みたのだ。
さて、『シン・エヴァ』はセカイ系に内閉したまま終わったか。いや、そうではない。ストーリー的にはわりとシンプルなエディプス・コンプレックスの物語で、亡き母、ユイに似た少女レイをめぐって、シンジがゲンドウを象徴的に「殺す」わけだが、しかし、シンジ、レイ、アスカは「承認をめぐる闘争」の中にあるので、各々が互いに受容できない関係性だ。そこに、マリという外部からの来訪者が加わることで、受容の可能性が生じた。ところで、『シン・エヴァ』が取った「セカイ系」の脱トートロジー化の戦略とはどういうものだったか。
マリがシンジの救出に現れるシーンで、画面がラフ画に後退していく。また、マリがシンジの手を取って駅を出て行くラストシーンで映し出されるのは、現実の街並みだろう。そう、古典的ではあるが、「現実に帰れ」との「異化効果」が『シン・エヴァ』のセカイ系の脱トートロジー化だったのだ。
『天気ー』が「内破」なら、『シン・エヴァ』は「破裂」だ。他者に承認を与えられるマリのような存在が、承認不足で右往左往するシンジのような存在を救い、ライナスの毛布的なエヴァが不必要になり、「卑小な」現実が眼前に広がる。そして、観客も現実に帰るのだ。
ぶっちゃけ理解できなかったが……面白い!!
「理解できないけど面白い映画」ってありますよね。よく例に挙げられる作品としては「2001年宇宙の旅」とか。私にとって、この「エヴァンゲリオン」シリーズはまさにその「わかんねーけど面白い」作品の典型で、難解なストーリーが全く理解できなくてもド派手なアクションと圧倒的な映像美で観ているだけで面白い作品です。「新劇場版」に関しては、一作目の「序」以外の二作に対しては「わかんねーけど面白い」っていう評価をしています。もちろん昨今ではブログやYouTubeなどの媒体で、多くのエヴァファンが様々な考察を行って、難解なストーリーを分かりやすい解説を公開してくれていますので、鑑賞後にしっかり調べれば内容を(ある程度は)理解できるんですが、鑑賞後は本当にチンプンカンプンなんです。それでも「間違いなく面白かった」と思えるほど、このシリーズには言葉で表現できないような強いパワーがあります。
私はアニメ版や旧劇場版は未鑑賞です。漫画版を読んで新劇場版を観た程度ですので、そこまで熱心なエヴァファンというわけではありませんが、それでも前作「Q」から9年間待たされていたので、「待望の」って感じで鑑賞いたしました。
結論。やっぱりわかんねー。けどめちゃくちゃ面白い!!
やはり神話や哲学を織り込んだような難解な内容ではありましたが、四半世紀続いたシリーズの完結としてはこれ以上ないほどに良かったと思えます。主人公のシンジだけでなく、レイもアスカもカヲルもミサトもゲンドウも、全てのキャラにしっかりフォーカスした「終劇」になっていたように感じます。前作「Q」が残していった数々の謎もしっかり解決して完結していましたので、それも素晴らしかった。ラストシーンも素晴らしかったし、ラストにちょっとだけ出てくるゲスト声優も違和感なく素晴らしかったし、私の好きなマリは本作でも胸が大きくて良いオンナで最高です。本当は☆5評価したいくらい感動したんですけど、やはり難解な内容故に理解できない部分もあって、ちょっと不完全燃焼というか、物語は綺麗に終わったのに理解できない部分があるせいでイマイチ「終わった~!」って感じがしない。まだ解説動画や他の人のレビューを観ていない状態なので、色んな方の解説を読んだら評価が上がるかもしれませんね。
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前作「Q」の続きからストーリーは始まる。ネルフに反旗を翻した葛城ミサト(三石琴乃)率いる組織「ヴィレ」は、コア化により住民が死滅したパリの街にいた。パリの街を浄化してネルフパリ支部が残した資源を回収するための作戦行動中、その作戦を阻止しようと碇ゲンドウ(立木文彦)率いるネルフのEVAが大群で押し寄せてくる。エヴァンゲリオン改8号機を操るマリ(坂本真綾)がEVAの大群に立ち向かう。一方シンジ(緒方恵美)、アスカ(宮村優子)、レイ(林原めぐみ)の三人は、ニアサードインパクトを生き延びた人々が集う第三東京村へとたどり着く。そこには14年の月日が経ちすっかり成長した、かつてのシンジの同級生であるトウジ(関智一)とケンスケ(岩永哲哉)の姿があった。
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新劇場版は冒頭から戦闘シーンで始まることが非常に多いですよね。めちゃくちゃカッコいい戦闘シーンが冒頭に出てくることで、観客の興味は一気に惹きつけられます。
前作「Q」でシンジによってニアサードインパクトが発生していたことが明かされたため、第三新東京市にいた高校の同級生などは亡くなったのかと思っていましたが、本作の序盤で生きていたことが判明。これだけで私は普通に泣きそうになりました。トウジもケンスケも生きてるし大人になってるし立派になってて子供もいて、感動のシーンです。シンジはニアサードインパクトの責任を感じて人と接しないようにしているがトウジもケンスケもアスカもレイも結構グイグイ来る。彼らの優しさへの感謝と罪悪感の狭間で押しつぶされそうになっているシンジの気持ちは理解できます。
新劇場版から登場した新キャラクターであるマリがここまで活躍するとは思っていませんでしたね。私はアニメ版を観ていない、新劇場版からエヴァに入った新参者ですので、古くからのファンの方と比べれば新キャラのマリはすんなり受け入れられたと思います。しかしここまで積極的に戦闘に参加し、活躍し、最後はシンジとくっつく(?)ことになるとは完全に予想外でした。ラストでしっかり成長したキャラクターを描くことで「ループからの脱出」を表現し、実写とアニメが融合したような演出で「日常に戻った」という表現をしたかったように感じます。私個人としてはこれ以上ない綺麗で完璧なラストだったように感じます。
庵野監督もこれでようやくエヴァの呪縛から解放されて、ラストに登場した宇部市(監督の地元)にいったん帰ったりしてゆっくりするのかなーとか勝手に想像してしまいます。「平穏な日常に戻った」のはシンジたちだけじゃなく庵野監督自身もそうなんでしょうね。過去に庵野監督は「エヴァの主要キャラクターは自分の人格の一つ」とおっしゃっていたらしいので。
とにかくこの作品の素晴らしさを言語化するなんて絶対無理です。とにかく劇場で鑑賞してください。そしてエヴァについての解説を動画やブログであげている古参のファンや有識者がたくさんいらっしゃいますので、そちらをしっかりご確認ください。「よくわからなかったな」で終わらすにはあまりにも勿体ないストーリーがあるはずです。
オススメです!!!!!!!!!
最終回!25年かけて完結させたエヴァンゲリオン
先ず25年という歳月をかけても、ちゃんと完結した事がスゴいと思います。「25年」って書くと数字でしかないけど、オギャアと生まれた赤ちゃんが立派な成人になる年月。単純に長いですよねぇ。
んで、公開初日の8日から7日間の累計で動員219万人だったらしいです。比較を上げると日本の都市で4番目に人口の多い名古屋市が約229万人です。もちろん一人で複数回観た人もいるでしょうし、そのまんまの数字じゃないにせよ、それだけ多くの人達が楽しみに待ってて映画館まで足を運んだって事ですよね。単純にスゴいですよねぇ。
という訳で「シン・エヴァンゲリオン劇場版:||」です。
冒頭のパリでの戦いにアツくなって。
第三村の生活のシーン(特にアヤナミ)にほっこりして。
ラストのバトルでドーン!っと攻めるアスカに「オオ!」っとなりながらも、やっぱりダメだったのに「またかぁ」っとガックリして。
ミサトさんの大人としての落とし前の付け方に心意気を感じて。
そして色んな酷い目に合いながらも最後には立派に成長したシンジ君に「良かったね」っと思いました。
最終的に物語の意味がわかったかどうかは甚だ怪しい所ですが(マイナス世界って結局何?っとか、シンジ君がエヴァンゲリオンがいない世界を作ったのはいいけど、それまでエヴァンゲリオンのいた世界の人達はどうなったの?っとか)、もうその辺りは考えるな、感じろの世界でしょう。多分頭の良い人がアレコレ考察してくれるはずです。何はともあれ全部のキャラクターの物語をきちんと完結させてあって良かったです。
人の優しさに気が付いて立ち直ったシンジ君は鬱病になって回復した監督自身の投影ですよね。本作は庵野監督が今までより色濃く投影されてたと思います。第三村の昭和の風景といい、最後に出身地である宇部新川駅を出す所といい、きっとそれが庵野監督の元風景であり、監督の郷愁の念を感じずにはいられません。これまでのエヴァンゲリオン、というより庵野監督の人生の総決算と言った感じでした。
色んな事がありながら、色んな事をを言われながらも作り上げたちゃんとした最終回。庵野秀明監督、そして(詳しくなくて申し訳ないですが)スタッフの方を含め、ずっと支えて応援して、何十時間も人生を費やしたファンの皆さんもお疲れ様でした‼️
これからは文字通り「エヴァンゲリオンのいない世界」。また次の面白い世界を探す旅の始まりですね✨
再鑑賞
2021/6/12
入場者特典にひかれて。前日譚コミックが入場者特典だったのですが、破とQとの間の物語というよりQの直前のお話だったのでちょっと思ってたのと違いました。
でも2回目の方が戦闘シーンとかの状況を良く理解できて面白かったかも?
広げた大風呂敷を綺麗に畳む難しさ
初作からエヴァの評判は既知の事と思いますが、セカイ系の元祖でありアムロ・レイ以降のヘタレヒーロー、そして幼く寡黙で不思議な雰囲気を放つ血塗れヒロインの登場など、今に至っても振り返り遡り話題になる、間違いなくアニメ文化に名を残す作品だと思います。
『序』が2007年9月、そこから2・3年ペースで3章『Q』まで上映後、いきなり8年もの年月が経過後の本作、庵野監督のヤル気を疑ったりもしましたが(イロイロあった様ですが)、とにかく幕引きが叶って一安心です。
とは言え、内容は相変わらずよく解らないもので、展開と展開を結びつけるのに「超展開」と言う接着剤が使用されてる形跡は否めません。一例で『矢』に関する説明部分はポカーンでした。従って本作はストーリーの詳細を重要視せず、場面や展開のビジュアルや迫力を楽しむつもりで鑑賞しています。勿論数度再鑑賞する前提で。
序盤の長閑な展開も、後半の派手な戦闘アクションも何れもエヴァっぽいソレを感じながら鑑賞していましたが、凝った見せ方・シーンの表現が奇抜だったりと庵野監督らしさがシッカリ出されていたと感じました。また(必要かどうか別として)微エロもコソッと混ぜる等も監督の趣味なのかな?と勘ぐりつつ、ソレはソレで良いんじゃないでしょうか。
当然気になる点も。まずQの結末以降序盤よりイジケていたのに中盤以降徐々に復活し、ラストにはスッカリ大人に成長したシンジ、そのイジケ虫から立ち直るのに、彼の見てない所で周囲の心配や見守りがあったにせよ本人に直接の切っ掛けらしいものがあまりハッキリしなくて、そこら辺に何か違和感を感じました(後に要確認)。
また、デカ綾波のCGが異様にリアルだったり、同様にラストの街の俯瞰が徐々に実写になってく部分や、首ナシ人体の隊列などあまりアニメらしくない絵面に映る部分があり、個人的にはその辺りはマイナスとなりました。一方で〝親子喧嘩〟のシーンでビルをなぎ倒すアレは意図的?
ところでこのシリーズ、序・破・Qと「ヱヴァンゲリヲン」だったのが本作では「エヴァンゲリオン」表記だったのは疑問で、単にキャッチコピーの示すとおり『すべてのエヴァの結末』を意味するのでしょうか?
結局の所、この内容で幕を閉じざるを得なかったんだろうな、と個人的には感じました。そんな中でも比較的ベストに近いベターな仕上がりだったと思います。
という訳で、ここに一つの超大作が完結しました。庵野監督にはウルトラマンの次には、続・ナウシカあたりを制作して頂きたいかなと思ったりしています。
余談ですが『碇ゲンドウ・シンジ』親子と『真壁史彦・一騎』親子は類似した境遇・環境下にあると思われますが(ユイは初号機に取り込まれ、紅音はフェストゥムに同化、カーちゃんまで似た様なソレ)、父と息子を描く物語では自分は後者の方が好みです。
人生を癒す
最初の緊急事態宣言中、初めて「序」「破」「Q」だけを見る。
加えて宇多田ファンのためどうしても大きなスピーカーで主題歌を聞いてみたく劇場へ。
完結、総決算とか感慨深さはおいておいて、作画が「モノスゴイ」ことだけは確か。
凄まじい。
2Dで見ただけでも、あれもこれも、それもどれも、ごちゃ混ぜと分かるのに、違和感がない不思議がたまらない。
凝りに凝りまくった映像と、その力が存分に発揮される迫力満点の戦闘シーンは、他にない体験ができると感じる。
あれはすごすぎて、ちょっと狂気を感じる。
なかなかお目にかかれたものではない。(3.16.観劇後)
物語は監督の人生そのもののメタファと鑑賞する。
ゆえに登場人物それぞれも(おそらくマリ以外)、
葛藤も経て得た昇華も、
個々のようで全てがたった一人の膨大な苦悩と挑戦だ。
見せつける様は、己の傷口を開いて晒すかの如く残酷ショーのていがある。
だから目が離せず、大いに痛みへ共感するのだとして、
見終えたそのあと、決して「ブラボー」と称賛する気持ちにだけはなれなかった。
キリストは多くの人の罪と苦悩を背負って、刑に処された。
劇中にも登場する宗教のそれは、
普遍的苦悩を作品として世に出すことで人柱を体現した監督そのもののようで、
刮目し、共に過ごした者としてはただ
胸にしまって癒し続けるしかないと、
感じずにはおれないのである。(3.23.追記)
そういう意味では某サロンが宗教っぽいと噂の映画よりも、
こちらの方が本格的に宗教だとも考えるのである。
これ観てから、Qが高評価となる
前作Qのエグい程のムチャな急展開に、庵野氏また血迷ったかと。しかしながら、この後どう完結させるかが楽しみだった。しかし待つのが長かった.....。待ちに待った本作、見事な落とし所というか充分満足な結末だった。さらにそれまでのヤバい評価だったQが大好きになった。
で、結局、エヴァって.....庵野監督の自虐たっぷり作品である事と、『こんなアニメ観てる奴らって気持ち悪いんだよ、皆で再度自覚しようよ。でもそれでも良いじゃん、俺もキモいんだよ。エヴァ観ちゃうだろ?ヤメられないだろ?完結なんだけど、落とし前の付け方も、やっぱ裏切りと多少の放り投げ感で。だから鑑賞後は、毎度の如く皆で語り合ってくれ。批判しても残念がっても狙い通りだ。な、エヴァって、俺って、お前らって、やっぱりキモいだろ』っていう、庵野監督のメッセージ作品だと感じたw
うん、俺はキモい、認める。エヴァが好きだ。だから星4つw
真希波・マリ・イラストリアス
2021年3月16日
映画 #シン・エヴァンゲリオン劇場版:||
(2020年)鑑賞
テレビ版から約25年、劇場版の序からも10年以上経過している状況でこのシリーズを終わらせるのは難しったと想像できる
日常、自然、再生とかを散りばめ、親子愛や家族愛で締めくくるとは!
まさか大人になるとは思わなかった!
現実に負けたエヴァンゲリオン
アニメ映画としてはクォリティの高い作品です。求めていたエヴァというと。物語としては綺麗にまとめて文句が無いのでしょうが、だから評価も悪くない。でも、悪くないだけで、すごく良いわけでない。僕にとって。
主語が大きいとアレなので、小さな主語で。
僕が、当時感じたエヴァというのは、バブル不況にかっこよくない大人に世紀末に嫌な事件にオカルトブームの中の混沌とした現実の中で、子供だって生きづらさを感じ取っていました。それは人との摩擦のせいだよとも気付かせてくれ、共感できる主人公が、世界に翻弄されて行くのです。はてはこの世界はどうなってしまうんだ?(世紀末)を一緒に体験してくれる存在でした。
旧劇は、現実に帰れというメッセージ性ばかり言われますが、正直、良くわからんがみんなが一つになるよりは、辛くても割り切って生きてく方がマシじゃねえ。とシンプルに納得できるものでした。理解できないというよりは、まあそんなものだよね。という気持ちのほうが強かった。
そしてやっとシンのお話、サードインパクト後の世界では、人々はシンプルに達観してしまっています。世界が滅んだ世界なら、そりゃシンプルになりますよね。現実もはやく滅んでほしいものです。でも、現実は滅ぶことはないので、あの世界に生きる彼らは強く、今の僕らと一緒に悩み苦しんでくれる存在ではなくなってしまいました。
カオル君が言うようにシンジ君は立ち直ってしまいます。代わりに、僕らの共感者として名乗り出てくれたのがゲンドウ君。
気持ちは分かるけどさ、ぶっちゃけお前に共感できるメンタルの人いないって。愛しいの人のために世界を天秤にかけるってヒロイズムすぎる子供すぎるよ。シンジに大人になったとか言ってる場合じゃないよ。俺らの現実は、世界を壊す槍もないし、好きな人のために世界をまきこめるほどわがまま許されてないんだよ。日々フラストレーションためながら、マスクしてお行儀よく世界が終わらないこと祈って良い子してるんだよ、大人。
そして、子供もなんですよね。そう思ったとたんに、シンジ君は大人になってるように感じなくなります。周りの都合で大人を演じさせられてるだけです。涙を流せないなんて、子供しか言わないよ。大人は泣くんだよ。まるで、大人の都合でマスクをつけさせられ、満足に友達と遊ぶこともできず、不安や変わりゆく世界の中で、良い子を演じさせられてる子供にオーバーラッピングしちゃうのです。
いやいや、自分捨てて世界なんて救わんでくれ。世界なんてぶち壊しちゃえば良いんだよ!!シンジ君。こんな世界壊してほしかったよ!!子供たちが無理に大人になんてならなくて良い世界がはやく帰ってきてほしいものです。
少年から大人へ
それぞれが辿ってきた「序」からの14年という想いと感情を描き、碇シンジがその想いを受け止め、それをどの様に還すのかを描いた作品だと思います。
世界(社会)はそれほど悪いもんじゃないってことかな。
ただし「序」「破」「Q」を観ないと意味が分かりません。
一時代の終わり
ありがとう
新劇をきっかけにはまってから、たまたまですがはや、14年。
シンジくんじゃないけど、自分も大人になったな。と思いながら見た2時間半でした。
ここまでの映像美、ストーリー展開。伏線回収。
待たされたなという気持ちと、描ききるの大変だったろうなという思いと。
とにかく、最後に言えるのはやっぱり。
ありがとうすべてのエヴァンゲリオン。
エヴァの呪縛が終わり、そして救われた…
この物語は救われた…
というのが見終わった最初の感想
単体の作品としての細かいクオリティはこの際どうでもいいでしょう
今思えば エヴァンゲリオン というシリーズは、始まったその時からずっと 救われること を必要としていたような気がする。
それは シンジやミサト、ゲンドウ、レイ、アスカなどの、登場人物達の物語についてに止まらず、 エヴァンゲリオン という創作物そのものが 救われる ことを必要としていたんだ ということがこの映画を見るとよくわかる。
庵野秀明は恐らく エヴァ と言う物語を生み出してしまった事を後悔していた時期もあったんじゃなかろうか。この巨大な物語を制御できず、心を病み、それでも立ち向かい続け今日までやって来た。そして今作でようやく、エヴァが始まった事、そして終わることを受け入れて、ケリをつけることが出来たんだと思う。
(実際のところは知らんが自分は ようやく綺麗に折り合いをつけたんだな と感じた)
というか庵野秀明がエヴァンゲリオンという物語を通して抱えていたこの葛藤、これそのまんま 他者との関わりの中で傷つきながらそれでも全てを受け入れていく という シンジくんが歩む道そのまんまと言っても良いんじゃなかろうか。
だからこそシンジくん、つまり作り手が最後に下した結末はこう言う形だったんだと思うと納得がいく。
話の次元が急速にメタ領域に移行していくクライマックスは旧劇の作風の踏襲とも言えるが、最後は物語上の領域に話が戻ったのに対して今作は完全に こちら側 つまり エヴァンゲリオン という物語を外から見守る我々側の領域で着地する。
エヴァンゲリオンという物語もエヴァンゲリオンという物語を現実で見守って来た我々の物語も、ようやく今作で救われる。
というか、本当の意味で全てを救えるのはもはや観客だけなのかも…
とにかく、エヴァンゲリオン という巨大な物語そのものに お疲れ様でした… と声をかけたくなる一本なのは間違いない。
もしこれでもまだ またエヴァやりましょうよ! みたいな企画を立ち上げる奴がいたら俺が説教してやる笑
やれば儲かるかもしれないけど、もう勘弁してあげましょう
あとは、ニアサードインパクトを ニアサー って略すのはなんか面白かった。
お疲れ様でした!
おめでとう
ちゃんと完結してよかったし、完結を見届けられてよかったというおまけの+0.5を加点。
とは言え、新作知り合いだけでなく約四半世紀の完結なのだから良くまとまっていたと思う。
ストーリー全て理解!とは至らなかったが、かつての観客そっちのけの???状態よりかはだいぶ優しく解説付きの展開でありがたかった。
元はゲンドウから始まったわけだから、そこが丁寧に描かれてたのがスッキリの一番の要因かもしれない。
なによりシンジの成長が素直に嬉しかった。
他人の優しさをちゃんと受けられる自分を認めて、自分のしたことにちゃんと向き合えるようになったのね。
幸せになってね。
と、もう気分は母=ユイでありミサトである。
現実の世界もこの10年で変わって、今も生きづらさや閉塞感に覆われてるわけだが、人にも自分にも優しく、前向きに生きようね。
受け取り方は人それぞれだが自分はそんなメッセージを感じた。
TVシリーズ26話のラスト、あの「おめでとう」だが、
本作を見たファンからシンジに向けてだけでなく、庵野監督への贈る言葉に繋がった気がする。
そして同時に「ありがとう」。
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