「26年前なら画期的だったけど同じことやってて陳腐化しちゃったんだけど焦らし作戦が成功して多くの人たちに気に入ってもらえた作品」シン・エヴァンゲリオン劇場版 さとよんさんの映画レビュー(感想・評価)
26年前なら画期的だったけど同じことやってて陳腐化しちゃったんだけど焦らし作戦が成功して多くの人たちに気に入ってもらえた作品
ようやく終わった、という感想の人が多い。エヴァの呪縛から開放された、という感想も多い。いろいろと賛同を得られているのはそれの一点が非常に高いのだと思われる。エヴァの呪縛からの開放により安堵と嬉しさがこみ上げてきて、それは作品が良かったからに違いない、という勘違いではないだろうか。いや勘違いじゃなくても開放されるというのはそれだけいいことなのかもしれないが。
私は高校生のときにアニメをリアルタイムで観ていた。当時としてはものすごく画期的だったのだ。1話目ではロボット動かず。主人公は情けない。謎が多い。謎多き言葉でかっこいい。など。その後エヴァのオマージュ的な作品があふれた。にも関わらず同じようなことをしているのでとくに新鮮さがない。造語でまくしたてたり意味深な独り言を言わせる手法は相変わらず。エヴァのこれが好きって人は満足するのだろう。しかし、画期的なアニメであったエヴァというものが好きだったものとしては、もはやそれは陳腐化してしまったのだ。コモディティ化。他のアニメでもすでにやっていること。あー、このパターンね。まぁそうだよね。というところである。
いくつか細かいところで意味不明な行動がある。
アスカが2号機で落下しながら銃を乱射してまわりの無数にいる敵をうつのはなぜ?
下に向かっているんだからまったく違うところで上に向かっていく無数にいる的に向かって絶叫しながら乱射する意味がわからない。数を減らす?いやむっちゃ無数にいるから意味ないでしょ。前方の邪魔なのを銃でうって破壊していけよ。と思った。誰か教えてほしい。素直に何の意味があったのか知りたい。
ゲンドウにすかさず銃を打つ。脳みそがはじける。でも生きてるってシーン。
人を捨てたのね!?って驚きながらも想定の範囲みたいな感じ。人を捨てることがありえない選択なら、むちゃくちゃ驚くし、どうやって??ってなるだろう。けど、ああ捨てちゃったかーって感じなのね。いやいや、想定の範囲なら人を捨てたゲンドウに対して処理できるようなものもってないと、何のためにここまで突っ込んできたの?っていう謎。葛城さんと赤木さんのあまりにも軽率な行動が信じられない。相手の思うつぼでしかないわけでしょ、それって。ネルフからしたらヴィラはカモがネギ背負ってやってきた状態じゃない?ヴィラとしてはネルフを阻止しようとしてやってきたのに阻止する手段がゲンドウを殺すことだけで、それが銃で殺せないんじゃ意味ないでしょ。人を捨ててた場合にどうするか策を練っておかないとダメでしょー。
んで、ヴィラがネルフに近づくのを阻止してたよね?待ち伏せとか。あれも意味がわからん。ヴィラがいくらやってきてもゲンドウとしてはすでに人を捨ててるわけでやってきても問題ないのでは?むしろシンジくんを連れてきてるんだから待ち伏せとかせずにウェルカムってやらなきゃいけないのでは。万が一、待ち伏せやらなにやらでヴィラが撃沈したらシンジくんもいっしょに死んじゃうよ?そしたらネルフの目的が達成できないのでは?何の茶番?って思えてしまう。
このあたりも実はこうこうこうでこういう話だったのよ、っていう納得できるものがあれば教えてほしい。
基本的には、エヴァのこれまでのことを新しいキャラをいれてやりなおしてるって感じ。うまくまとめた!っていう評価もあるけど、うまくまとめることを期待していてみたのならうまくまとまっているようにみえたのでしょう。すべてを解決したようにみえるけどだいぶ強引。だって最後、シンジくんがすべてをさとす役割をするんだから。なぜそれができるようになったかが謎。農村で受け入れられてシンジくんがそれで成長できたっていう説をみたけれど、それが納得できるほど農村で大したことをしたわけじゃないようにみえるのだけれど。
ひどかったのはアスカにレーションという食べ物を口に無理やりおしこめられるところ。虐待である。これを隠れた愛情って評価した人いたけれど、いやいや虐待でしかないよ。無気力の相手に食べさせるならあんな力づくでやっちゃダメ。あれでなんでシンジくんがその後復活できたのかほんと謎。あんなことされたらますます閉じこもるよ。不思議でしかたがない。ここだけじゃないけど、みんな感情爆発しすぎだし、精神論で対処する人たちが多い。ブラック企業かと思うくらいの。とくにヴィラの組織。そんな精神論じゃそりゃ負けるよって思ってしまう。悲しきかな。
んで、結局、繰り返される世界ってことでリセットされて別の世界になるって話なんだろうけど、これってドラゴンクエストユアストーリーのような感じで、あれ?あの農村での生活はなんだったの?ってならなかった?あのシンジくんを受けれいてくれてた農村の人たちは幻だったわけでいないにひとしくて、あれ?ってなっちゃう。もうなんでもありだな。何度でも世界を繰り返したらいいわけだからね。ってなる。解決したようで解決になってるのかなぁっていう疑問。だって他の人達がどうなっているかなんで最後は出てこないから。他の人達はあの農村のような状態になったらあのように立ち上がれたんだとしたら、あの農村のような状態になれなかったらそうでもない生活になっちゃうような。このあたりも誰か教えてほしいところ。
最終、繰り返す世界ってのがオチなわけだけど、この手法自体すでにありふれたものだよね。ああ、それねっていう。もう目新しさを出すことはできなかったわけで。もうネタ切れだしどうひねり出しても出てこなかったんだなぁって感じる。実際、テレビアニメ版のエヴァでは毎回でてくる使徒の画期的な新しさも魅力のひとつだったけれど、今回出てくる敵の使徒のデザインはなんだかダサい。うさぎのダンスよろしく、肩くんで一斉に足上げてすすんでくるのは正直ダサい。画期的さがない。ほかの敵のデザインもだいたい想像の範疇。テレビアニメのときの使徒が毎回画期的だったのがほんとすごかったなぁ、と。
何度も同じものを作るもんじゃないと思うんだ。次があるって言うふうに焦らしまくったら多くのファンの人達はその焦らし作戦にハマってしまったのが今回の作品ではないだろうか。エヴァの呪縛のある人には高評価で、エヴァの呪縛のない人には低評価ではないだろうか。私は後者だ。リアルタイムでエヴァをみていたがとくに呪縛はうけていない。