「リアルタイム世代にとっては大きなカタルシス。成長と回復の物語」シン・エヴァンゲリオン劇場版 S.Nさんの映画レビュー(感想・評価)
リアルタイム世代にとっては大きなカタルシス。成長と回復の物語
テレビ放送をリアルタイムで見て(私も14歳だった)、新旧劇場版も全て見ていますが、見終わって幸せな気持ちになるのは、シリーズで初めてじゃないだろうか!?
全体を一言で言えば、
「成長と回復の物語」
『やっと。。。やっと、ここまでこれた。。。(涙)』という感じ。
新劇場版シリーズ(序・破・Q)は、正直な感想としては、あまり面白いとは思っていなかった。
【序】
テレビ版とほぼ同じ構成。
絵が綺麗になったり、演出が良くなったりしてはいるが、テレビ版と旧劇場版をリアルタイムで見て、ドップリはまった者としてはモノ足りない。
【破】
「普通」の秀作アニメ。
世の中ではとても面白いと絶賛する意見も多かった。
でもリアルタイムでどっぷりはまった人間からすると、「なんか違う感」、「心に刺さらない感」が非常に大きい。
ロボットと怪獣を舞台装置とした、ほぼ普通の秀作青春ドラマ。
「登場人物の心の深い部分に沈んでいく」ような、「自分の心を凝視する」ような、そういう成分が少なかった。
テレビ版が、【破】のようなストーリー展開だったら、おそらく出来の良い普通のアニメ止まりで、社会現象にはならなかっただろう。
【Q】
「難解さ」は戻ってきた(笑)。観客おいてけぼり感が大きい。
ストーリー上の細かい設定や難解かつ意味深な独自用語は、物語世界に重厚さを与えていた。また物語世界の全体を見渡すことを難しくし、ミステリアスさが生まれ、観る者の好奇心を煽った。
これらはすごく重要な要素だった。
が、それが本質かというと、違うと思う。
それほど優れた作品とは言えなかったと思う。
【シン】
とても良かった・・・。
おそらく、私のようなリアルタイム世代にとって、大きなカタルシスとなるものだと思う。
当時14歳だった主人公とその周辺人物の(そして、当時これに深くはまった人たちの約25年間の)「成長と回復の物語」と言っていい。
だって例えば、旧劇場版のクライマックスで挿入される曲「Komm, süsser Tod ~甘き死よ、来たれ~」の歌詞と、シンの終盤を比べてみてよ。。。(感涙)
拒絶から受容へ、対立から共感へ、依存から自立へ
ラストシーン
マリ『さぁ、行こう!シンジ君』
シンジ『うん、行こう!』
とシンジが「自発的に」マリの手をとり、マリがそれに驚くシーンに、
そして二人が階段を登って、実写の街に溶け込んでいくシーンに、深い感慨を覚えた古いファンは多いと思う。
25年かかって、やっとここまでこれた。。。
そして、これでエヴァンゲリオンの物語がすべて終わりなのだなと感じた。
見終わった後の気持ちは、劇中のこの台詞がぴったりだと思う。
『さようなら、すべてのエヴァンゲリオン』