「ファンの四半世紀も巻き込んだ壮大な作品」シン・エヴァンゲリオン劇場版 callさんの映画レビュー(感想・評価)
ファンの四半世紀も巻き込んだ壮大な作品
エヴァンゲリオンは昔からこうでした。
小難しい言葉を並べ、中二病に浮かされて意味を探り、概念と真実、虚構と現実を織り交ぜて
通常人にはわけのわからないストーリーが展開されます。
エヴァはどういう人のための映画なのでしょうか。それはわかりきっています。
子供向けのわかりやすいストーリーに難解なセリフを織り交ぜられ、謎の結末を迎えた旧作に対し、
中二病に浮かされて聖書を読み、様々な考察を重ね、心理学に手を出し、はてなき議論を重ね、
余人にはわかるまいと自分やその周囲を選民思想のように持ち上げてきた。
そして、普通の人からは「キモヲタ」と見做されつつも、逆におまえらのような薄っぺらい事は考えていないと嘯いて、
やがて、そんな鬱屈した少年時代からそれぞれの成長をへて「大人」になった人たちのための映画です。
人によっては目をそらしたいような過去から、君は大人になったかい?と問いかけてくるような、
シンジやアスカ達はこういう風に大人になったよ、と、かつての友人の近況を知らせてくれるための映画です。
私とおなじように、キモヲタだったかつての14歳。今やアラフォーのための映画です。
非常にターゲットが狭いものではありますが、自分にエヴァという名の槍が突き刺さったことを幸運に思います。
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・カップリング
トウジとヒカリがくっついていた!・・・って、何が意外なのか。
いやシンジ視点なら意外だ。発言主のケンスケ視点ならもっと意外だっただろう。
・第三村の復興っぷりが素敵。
あれは田舎の共同体であり原始のコミュニティです。
身を寄せ合って、それぞれが最大級の社会貢献をしなければ維持できない共同体です。
それだけに弱者に手をさしのべる余裕など全くないはずです。働かざるもの食うべからず。
コミュニケーション能力がなければ簡単に爪弾きにされるという田舎の気風が増幅されているはずで、
それならば事情はどうあれぐったりしているシンジや、物事を知らない黒波には地獄なはず。
そこの住人が何故あれほどまでに優しいのか……、やはり有力者の後ろ盾の強さだと思うのです。
トウジは真似事といっていましたが、おそらく医師としてかなりの働きをしたのでしょう。
そしてケンケンも充分に共同体の中心部にいるのでしょう。この二人がしっかりと信頼を勝ち得ているからこそ、
うだうだ生ける屍と化していたシンジも、労働力になれない程度の黒波も放置されないのだと思います。よくやったね!
・ヴィレとネルフの人員事情
身を寄せ合って生きていかなければならないレベルの残存人類事情。
なぜそこであそこまで高度な技術力を維持することができているのか。消耗品や素材の調達ができているのか。
再生水が必要になるほど水資源が少ないのに、再生水生成装置を稼働させられるのか。
さらにいえばネルフです。冬月先生が単独突貫しているレベルなのに人手がほとんど見えません。
Qの時にも思いましたが、まさかあの二人だけで運営しているわけではないと思うのです。
すると一体どんな人員がそこにいるのでしょう。食料すら事欠く有様の世界で、政府機構が壊滅しているのに。
気にするのはヤボな点だと思いますが「エヴァを壊した時の修理費用で国がひとつ傾く」程の大量消費ができるシステムが気になりました。
・「後をお願い」
冒頭の書き残し。
ゲンドウからシンジへ。
ユイからシンジへ。
加持からミサトへ
ミサトからJrへ。
冬月からマリへ。
次の世代に託すという意思が感じられます。好き。
・なんてものを見せるのか。
この結末については賛否両論あるのだろうと思いました。
あれだけ押してきたレイかアスカかの話を、ひとつふたつ前にポッと出で出てきたマリが持っていく。
あれだけ分かり合えないと押してきたゲンドウとの関係は対話ひとつで修復していく。
あれだけ複雑だった人間関係を時間という薬で修復する。
時間。そう時間が必要だったのです。
この結末を迎えるために必要だったのは時間です。視聴者の成長です。
なんてものを見せるのか。
当時のターゲットが中二の少年であるならば、広げた風呂敷を畳もうとする今、彼らはすでにアラフォーです。
リョウジやミサトを超え、なんならゲンドウと同じ年齢に近い視聴者も多いのです。
視聴者は帰れるのでしょうか。
エヴァ開始当初、すでにバブルは崩壊していましたが長い不況は予想されていませんでした。
これほどの未婚化も少子化も予想されていませんでした。
往年、エヴァのファンは私同様「キモヲタ」だったわけです。
彼らは結婚できたのでしょうか、子供がいるのでしょうか。
もちろんかつてはキモヲタであっても、努力や幸運と共に人間本来の営みに戻れた人もいるでしょう。
ゲンドウやミサトさんのように次世代に希望を見出し、あるいはアスカやレイのようにこの先に希望を見出し、
なんならシンジのように未来に希望をもって旅立っている人もいるのでしょう。
しかし、あの頃のキモヲタのまま今を生きて、さらに若さまでなくした視聴者にはどのように響くのでしょうか。
エヴァは、レイやアスカと共に二次元に投影した自己の承認欲求を求め、それにこたえてくれる話ではありませんでした。
ほとんどの層はそれぞれの定義で「大人」になっており、このメッセージに対処する方法を得ているでしょう。
しかして「なんだこの結末は!」「こんなもの求めていない!」そう思った人も少なくないようです。
願わくば、荒廃した人類の中でも生きるしかないと第三村を開拓した人々のようなたくましさが備わりますように。
//ここからは本格的にネタバレです。ネタバレを気にしない未視聴の人は見てからどうぞ//
・シンジの話
シンジ君の不幸は周囲に導いてくれるまともな大人・話を聞いてくれるまともな大人がいなかったことにあります。
シンジ君は 実の父母を含めて大人から目をそらされ続けていました。
スパロボのシンジ君は「周囲の大人に話を聞いてもらえる、導いてもらえる」という状況にあれば普通に優秀です。
(だってシンジ君はユイとゲンドウの子供なのです。遺伝子的に超優秀なのでしょう)
精神状態最悪の状況とはいえ、一か月以上もの放置期間と、ただただ待っていてくれる拠り所を置いておけば回復します。
この作品において、たまたまとはいえ、自分の中で心の整理をつける時間と見守ってくれる大人・仲間がいたのは僥倖です。
情報を集め、時間があり、心に余裕があればシンジはとても優秀なのです。
・レイの話
Twitterでフォロワーさんのつぶやきが完全に突き刺さったので少し砕いて紹介します。
「ハートに巻いた包帯をゆっくりほどいたのはそこらへんのオバちゃんとネコ」
黒波もポカ波も大好きです。そしてタイトル回収のネオンジェネシス。
ポカ波が向かった先は新世紀の世界だったのでしょうか、それともパンを加えて走ってた方でしょうか。
エヴァに乗らなくていい世界、つまりはパンを加えて走っていた方かもしれません。
シンジに必要なのが時間と環境だったのならば、黒波に必要だったのは人間関係と学習だったのかと思います。
・アスカの話
ケンスケはアスカと同居しています。アスカの住み慣れっぷりとケンスケのアスカ全裸対応からしておそらく前から一緒に住んでいたのでしょう。
一緒に住んでいるどころか、もうかなりの仲です。
しかしアスカ、加持さんのときといいケンケンといい、
自分を子ども扱いしてくれてなんでもできる系の要領がよい。能力として器用でも、生き様な不器用な男が好きですね。
ってことで、家事万能で、エヴァに乗って戦えていて、コネも社会的後ろ盾もあるので生きていきやすい状況にありつつ、
でも自暴自棄で自責他責に囚われてうだうだ悩むシンジはわりと好みのタイプだったわけです。
なので、うだうだ悩みすぎて気力が尽きてしまい「なんにもできない」になるとその時点で好みの対象ではなくなるのです。
好きだった相手が嫌いなタイプになるというアスカ的には一番ムカつく状況だったんじゃないでしょうか。
ケンケン宅での無防備なアスカも、浜辺のむちむちアスカもいいです。今回はがっつりサービス要員。
アスカが無頓着な性格ということではなく、ケンケンとシンジにめっさ気を許しているから、だと解釈したいです。
・マリの話
「破」の冒頭でマリは「自分の目的のために大人を利用するのは気が引ける、と言っていました。
マリの目的は何だったのでしょう。イスカリオテのマリアという名前から聖書からマグダラのマリアだいや聖母だ、イスカリオテのユダだ、いや、マティアだ。
などという役割についての話がSNSにありますが、
ゲンドウの目的がユイに会いたいことであり、アスカの目的が自分を認めてほしいということであり、それらの個人的な目的はそれぞれの大義名分とは異なるエゴにあったのです。
では、マリの個人的な目的はなんだったのでしょうか。
漫画版ではマリはユイが好きだったそうです(漫画は未読なので、ここらへんは伝聞です)
ゲンドウは本作の中において、目をそらし続けていたシンジの中に探し求めていたユイの存在を検知して認めました。
マリはおそらく最初からシンジの中にユイを見出していました。「ユイのにおいがする」とかでしょうか。
で、あるならばマリの個人的な目的はユイ(の存在を引き継ぐ)シンジをゲットすることであり、
旧劇・新世紀にいなかったマリが外からやってきて個人的な目的を果たした結果、周囲を巻き込んで良いENDに向かったのでしょう。
・鈴原サクラの話
今回の話題をかっさらっていくのはサクラだと確信しています。
直接の接点はほぼ皆無なのだと思いますが、感情がぐちゃぐちゃになっている描写は多々見受けられます。
それまで寝たきりだったのに、目覚めて数時間でいなくなった患者とナースの関係ではないです。
おそらくサクラはニアサー前のシンジの日常の情報(ひいては写真や動画)の記録を見ています。
幼い頃に自分がケガをした要因、助けてもらった恩人、家族を巻き込んだぶっこわれた原因、それでも今、ヴンダーが動いておりネルフに反逆できる中核。
思い込みと行動力があわさっているサクラなので、おそらく(巻き添えはあったけど)自分の日常を助けてくれたヒーローと、
アーカイヴを基に自分の中で思い描いていた理想像、なんなら夢小説でも書いていそうな夢想と、目の前にいるシンジの行動。
そこらへんの感情がごちゃまぜになり煮詰まって腐った結果、どうしていいかわからない状況だったんじゃないでしょうか。
面白いのはレイとの対比です。
「碇くんがこれ以上エヴァに乗らなくていいようにする」という目的に対して、
だから私が使徒をぶっつぶす。と、いう結論にいたったのがレイなのですが、
「死なない程度に痛めつければシンジはエヴァに乗らなくてよくなる」という超最適解を見つけ出しています。
例えばテレビで、例えば序破で、シンジかその周囲がそれに気づいていればおそらく展開は全く違ったでしょう。
(それはそれで、ゼーレかゲンドウの計画が完遂してしまうのでしょうが……)
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今からいらんことを言います。
・使徒とは何だったのか。
・エヴァンゲリオンとは何だったのか。
・高次元生命体とは何だったのか。
・カヲル君は司令となって何をしていたのか
・マリの目的とは何だったのか。
疑問は残っているのです。
これ以上の作品は蛇足に過ぎないのはわかっています。
シンジはアスカはマリは、それぞれの道に踏み出しました。
少年少女の物語はこれで終わりでしょう。
そして、ちょうどよいところに神話になれそうな資質を持った少年がいます。
第三村で育っていた「ちょっと話しただけでいいやつとわかる」ようないい少年がいます。
シンジに促され、新世紀を目指して旅立つ少女がいます。
「さようなら」は、また会えるためのおまじない。
ならばこそ「さようなら、すべてのエヴァンゲリオン」です。