劇場公開日 2021年3月8日

「【始まりの物語】」シン・エヴァンゲリオン劇場版 ワンコさんの映画レビュー(感想・評価)

5.0【始まりの物語】

2021年3月10日
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「シン・エヴァンゲリオン劇場版:||」では、新劇場版の「序」「破」「Q」で生まれた様々な疑問や、テーゼに解が与えられていると思う。

「新劇場版:序」で感じたコントラストは、肯定されているのだ。

不安を助長するような対比ではない。

多様性や調和を内包しようとしているのだ。

狭い水槽のなかでも悠々と泳ぐ海洋生物たち。

実は、人も狭い世界でしか生きられないのだが、多様性を維持しながら争いを避け、生活していくことは可能ではないのか。

碇ゲンドウが、争いを止めるためには、補完された人類だけで構成された世界が必要だと言う。

ゲンドウの考え方は正しいのか。

選ばれた人と、旧約聖書のノアの箱舟の物語のように集められた多様な種の記録。

人は神の所有物ではないはずだ。

そして、

人は神の創造物でもない。

神は特定の人を選別して生かし、他を見捨てるのか。

そんな神は、もはや神ではありえないし、神は人の創り出したフィクションで、人も神になることなどないのだ。

宗教を背景にした世界中の紛争も思い出す。

ロンギヌスの槍は絶望を、カシウスの槍は希望を意味していた。

渚カヲルは、「やり直す」と言った。

しかし、絶望と希望などという二元論的な思想で、世界をリセットすることは出来ないはずだ。

世界は、そんなに簡単なものではない。

それに、人は生きる為に絶望を必要としているのか。

絶望を必要としているのは元来、人を傅かせようとする神の方ではないのか。

ありもしない絶望(例えば、地獄に落ちるとか)を示し、神に付き従うことを強制されることに、どんな意味があるのか。

クローンにも心は宿るが、オリジナルとも異なる。

もともといる綾波レイと、「新劇場版:Q」で登場した綾波レイは、姿かたちはそっくりで、仮に碇シンジに心を寄せるようにプログラムされていても、心の寄せ方は違っていたではないか。

プロセスで人は異なる存在になるのだ。

異なる個性を持つのだ。

カズオイシグロの「わたしを離さないで」でもテーマになった、クローンも感情を持つということを思い出す。

再び立ち上がるシンジと葛城ミサト。

「新劇場版:破」の終盤で葛城ミサトがシンジに向かって叫ぶ

「自分自身の願いのために行きなさい!」は、

実は、

「自分自身の願いのために生きなさい!」だったのではないかと改めて思う。

二人は戦う。

動機付けは最初、反発心などつたないものだったが、今は、愛するものや自分自身の願いのために戦っているのだ。

更に、希望は、あらかじめ与えられた希望(カシウスの槍)ではなく、自分達の希望の槍だ。

希望も自分自身で創り出すもののはずだ。

戦いのその先には、何か調和が待っている気がする。

それは、秩序とか、そんな窮屈なものではないはずだ。

多様で調和した世界があるはずだ。

そこには、絶望や過度な秩序を振りかざす神などいない。

運命を仕組まれた子供などあっていいはずはない。

運命は自分自身で切り開いていくものだ。

テレビシリーズで使われたテーマソング「残酷な天使のテーゼ」で歌われるフレーズ「少年よ、神話になれ」に対して、少年は大人になった。

僕は、そう思うのだ。

そして、音楽のリピート記号:||は、何度も繰り返すという意味ではない。一旦、同じ旋律を繰り返した、その先には。別の旋律が待っているのだ。

人は絶望を繰り返してはならないのだ。

そんな意味もあるのではないかと、僕は思うのだ。

※ この物語がテレビで始まった時は、まだ、東西対立の残り香があり、先進国と後進国と呼んだり、格差を南北問題と呼んだり、二元論的な考え方が支配的だったような気がする。
しかし、その後、僕達の世界の抱える問題は複雑化し、環境問題や、個人の重要性も重要視されるようになってきた。
この新劇場版の物語は、このような過程で、大きく進化したのではないかと思う。
長いヒストリーに感謝だ。

ワンコ
マキさんのコメント
2021年6月29日

こんばんは!コメント、予備知識教えて頂きありがとうございました。
農業のシーン妙にリアルでしたものね🤔

マキ
kazzさんのコメント
2021年4月21日

勉強になりました。

kazz
マキさんのコメント
2021年3月10日

レビュー、すごく参考になります!

マキ