「エヴァファンではない一映画ファンとしての評価 (長文注意)」シン・エヴァンゲリオン劇場版 Ishさんの映画レビュー(感想・評価)
エヴァファンではない一映画ファンとしての評価 (長文注意)
タイトルにも書きましたが、以下の感想はエヴァンゲリオンのファンではなく、エヴァファンの友人に連れられて観に行った一映画ファンとしての評価になります。
そのため、作品に対する理解や考察が至らない点が多々あるかと思いますが、あくまで大衆向けに配給されているこの映画を見た一観客、一映画ファンの意見としてお読みいただければ幸いです。
前述のとおり今回は熱心なエヴァファンの友人に誘われ、公開初日に観に行くことになったのですが、デートムービーでもないアニメ作品に、大してそれに思い入れもない友人(私)を連れて行く時点で、友人としても鑑賞後に内容を一人で消化できるかどうか不安だったのかなぁと。
私自身はあまり舞台挨拶とかに興味が無いタイプなので、映画を公開日初日に観に行った経験がほとんどなく、少なからずテンションが上がってしまい、「納得できない内容だったらどーする!?」などと軽口を叩いてみたりしながら開演を待っていました。
今回観に行くあたってTVシリーズから旧劇場版、序・破・Qと何度か復習して臨みましたが、前作が「急」もといQuestionの「Q」かのような物議を醸す内容だったということで、友人も私も、そして恐らくほかの観客の方々も最終作である今作でアンサーが得られるのか、それに納得できるのか不安だったと思います。
と、ドキドキしたりワクワクしたり楽しかったというか、心が動いていたのは作品を鑑賞するまでの時間だったような気が今となってはします。
内容についてコメントすると、ファンとして納得できるとかできないとか、その部分は私には分かりませんが、単純にアニメーション作品としてつまらない、出来が悪いと感じてしまいました。
まず、一応書いておくと、ファンの間で喧々囂々の議論となっているカップリング問題(?)については、綾波も式波もしょせんはクローンですし、「レイかアスカか」と考えても新劇場版以前まで人気を二分していたキャラクターのため、そのどちらかを選ぶということはもう一方を選ばないということになるので、制作側としてもシンジくん個人の選択としてもマリになるのは個人的には現実的ですっと理解できる結果でした。
もともと実の母親の幻影としての綾波や、思春期の男の子のグロースファクターとしての異性であったアスカ(惣流・式波)は、成長し殻を破り自ら戦うことに決めたシンジくんにはもう必要がない存在ですし、
式波とケンスケのカップリング(というより関係を持っているだけの気がしますが)についても、戦争未亡人ではないですが、いくら好きな相手でも帰りを待つ年月は待つ者の心を変えてしまううえ、現実世界と同様に、働かざる者食うべからずの第三村で日々生きて行くためには有力者に取り入るという生存戦略を取るのも当然のことだと思います。
(勝手に推察すると、式波も最初はケンスケをたぶらかして上手いこと庇護の下に入ろう(で、畑仕事をせずに楽して暮らそう)というアスカらしい、可愛らしい計略でケンスケに近付いたら、ケンスケの心の広さや優しさにほだされて、次第に本気で惹かれてしまったのではないかなと・・・。言動を額面通りに受け取るとめっちゃ良い奴ですからね、ケンスケ。)
じゃあ序からQまでの式波との熱いやりとりや、命懸けで綾波を守ろうとしたシンジくんはなんだったんだー!とは思いますし、オリジナルの惣流も戦死したから新劇場版ではクローンの式波しか出てこないんでしょうが、その成仏というかシンジくんのなかの消化の場面を作ってあげても良かったのではないかなぁと(今作劇中の赤い海辺のアスカは呪いが解けて年齢相応の姿になった式波ですよね?)
そもそもあくまでエンタメ作品なので、旧来からのどちらかのファンの期待を裏切ったとしても、もう一方のファンの期待にはきっちり応えるような結果にして終わらせても良かったのでは?とも思います。(商業主義的には)
が、そこらへんは監督自身が作りたいものがあってこうなったんだろう。としかエヴァファンではない私は感じないので、正直言うとどうでもいいです。
誰と誰がくっつくかとか、そんなことより、一つの作品として、四半世紀以上にわたるエヴァンゲリオンというアニメコンテンツの最後として、これで良かったのか??と、シナリオそのものの出来に疑問しか感じないのが、一映画ファンとして☆2つしか付けられなかった理由です。
新劇場版から本シリーズがループ物であること、時間軸や世界線が前後して描かれていることが示唆されており、そうしたループ物やパラレルワールド物の作品って昔からありますが、何故か時期を同じくして同時多発的に出てくるものなので、巷で言われているように他の作品とオチが被ってしまうというのは避けられないことだと思います。
そもそも、ループやパラレルワールドに翻弄される世界から逃れるにはその輪廻を断ち切るという解決策しか方法が無いわけで、大事なのはオチではなく、ここまで続いてきた作品のゴールとして、そのオチも含めてファンが納得する描き方をしてエヴァンゲリオンという世界を完結させることではないでしょうか。
それにあたっては何度も世界をやり直し、作り変え、それを望まない人間まで"補完"していった人類補完計画の理由や意味、そしてそれを断ち切るシンジくんの成長こそ丁寧かつ重厚に紡いでいかなければいけないポイントだと個人的に思い、今回そのアンサーが得られるものと期待していました。
結果、それがどう果たされたのかとネタバレを恐れない他人に説明するとして「なんやかんやあって解決した」としか表現できない内容で、それは(この作品の世界観をよく理解しているであろう)熱心なエヴァファンの友人も同じであったということ、それがとてもとても残念でした。
物語として成立していないというか、普通に考えて、大量に(おそらく地球規模で)人々を勝手に"補完"し、世界を再構築するって、ものすごく壮大な話で、そうまでしなければいけない必然性、例えば観客も自分がその立場でも同じ行動を取るであろうというような説得力が無いと話がとても薄っぺらくなってしまうと思うのですが、
つまるところゲンドウは亡き妻である「ユイに会いたい」、という極めて個人的な一部の理由で世界全部を補完したい、そして妻に会いたいという理由以外の、「人間とは」みたいな講釈は枝葉末節の部分であるというのが明らかな感じで、ものの見事に薄っぺらい内容でした。
大量の人間を"補完"し、息子を依代として、ゲンドウ自身も人であることを辞めてまで実現させたかったことがそれって・・・。
結局この20数年全く物語に進歩も着色も無かったんだなぁと、ファンでもない私でも悲しくなりました。
しかもそこまでして実現させたかったことを阻止するのが息子との対話って・・・。
いや、ここに来るまで交わることが出来なかった親子をようやく向き合わせ、お互いに逃げることなく(父親であるゲンドウのほうは逃げていましたが)全てが氷解したあの場面は、長年の宿題をようやく終わらせたという意味でとても良いシーンでした。
しかし、TVシリーズ放映開始から26年、前作のQ上映から8年も経った集大成として肩透かしを食らった感は否めません。
スターウォーズシリーズでもアナキンは愛する妻であるパドメを失ったことをきっかけに、死すら超越する力を得るため(得られると皇帝に騙され)シスの暗黒卿ダース・ベイダーに成り下がってしまいますが、息子の命が潰えそうとする瞬間の「助けて、父さん」の一言でアナキン・スカイウォーカーに還り、悲しい運命から息子も自らも解き放つことが出来ました。
それをゲンドウに置き換えると、正気に戻るタイミングは今回ではなくニアサードインパクトのときで良かったのではないかとすごくモヤモヤします。(あれがあくまで準備段階だとしても)
シンジくんが本当にゲンドウの息子だとして、愛する妻が産んだ自分の息子を生贄に捧げるような状況になって(結果失敗したけど廃人同然になって)も辞められなかった、世界を犠牲にしても成し遂げたかったことを最後の最後でたった一度の対話で翻すというのは、駆け足で風呂敷を畳むためのご都合主義が過ぎる気がしました。
「終わらせよう」という意気込みを感じるのは良かったと思います。ただ、そこはかとなくそこに義務感ばかりチラつくと言うか、「気乗りしないけど次の仕事のために終わらせる」という印象を(個人的な思い込みかもしれませんが)すごく感じました。
自分の殻に閉じこもりがちなシンジくんの成長過程をもっと丁寧に描いてほしいとも思いましたし、それは今作だけでどうこうできる問題ではないとしても、だからこそ4作も作るお金と時間を貰ったそのありがたいチャンスをもっと活かして、今作でそれをさらに昇華させるべきだったと思います。
素敵なシナリオやプロットを温めながらもそれを発表する機会に恵まれない映画監督が大勢いるなかで、一映画ファンとして、庵野監督はこれで本当に良かったのかなぁ、と疑問です。
たぶん、カップリングについてのネタバレや議論ばかり目立つのは、それ以外の部分について消化不良ではないけれどエヴァとしての満腹感が足りないというファンが多いからではないかなと個人的には思います。
一緒に観た友人もカップリングや結末そのものに不満は無いようでしたが、「庵野(監督)はエヴァファンが嫌いだからね…」と悲しそうに呟いていて、一部の過激な"ヲタク"・"フリーク"とは違う、純粋に作品を愛して楽しみにしていた"ファン"としての悲哀が伝わってきて私も悲しかったです。
途中から、そういう場面ではないのに笑わせにきてるのかなと思うような表現があったり、CGのクオリティや編集技法に"逃げ"と思えるような作りがあったり、新劇場版第一作目から13年待った観客に見せるものなのかな?と疑問に感じるシーンもあって、
「とにかく庵野監督はもうエヴァなんて作りたくないんだな」という印象が嫌と言うほど伝わって来ました。
自分も卒業したい、だからファンも卒業してくれ。という感じでしょうか。
ファンならその意を汲んでお疲れ様となるのかもしれませんが、一つの作品を観に来た者としては自分からまた始めたことなのにすごく投げやりだなぁと思いましたし、
失礼を承知で言うと、深く踏み込まれると底が浅いことがバレるから、それを恐れてファンを拒絶しているだけで、旧劇場版からほとんど成長していない監督だなと感じました。
最後の唐突に出てくる宇部地方も庵野監督の出身地ということで、この作品は監督自身の人生や心情を一部投影したものなんだなというのは分かりましたが、
それはそれとして発表しているものでないのなら、最後まで隠して、作品やビジネスとは切り離して、エヴァンゲリオンというコンテンツをもう少ししっかり完成させてほしかったと思います。
公私混同も甚だしいですし、作品を愛してくれたファンやそれを評価してくれた社会に失礼でしょう。
字数制限でもう書けませんが、基本、映画は「楽しかった」と手放しで褒めるタイプの私が、正直「今までエヴァシリーズを追いかけてこなくて良かった」と思うような作品でした。
庵野監督は製作中に、エンディングを2つ用意していて、どちらのエンディングにするかをシンジの声優さんに決めてもらったそうです
もう一つのエンディングはいつもの鬱エンドで、ファンを卒業させないパターンだったのかも...なんて妄想しながら、私は中々楽しめましたよ( ˊᵕˋ )
>shさん
コメントありがとうございます。レビューは論文ではなく感想文ですし、私は評論家ではなく、議論のために書いたわけでもありませんのでそもそも「論点」はありません。それゆえ一映画ファンであること冗長であることはタイトルにも明示してありますが、気が付かない・違いが分からない方への配慮が足りず誠に申し訳ありません。よくわからんものによくわからんと書くのと同じ程度のただの落書きと捉えていただければ幸いです笑
>SICK_JOYさん
コメントありがとうございます。共感していただきとても光栄です。個人的には、その作品の評価は別として『シン・ゴジラ』や、公開を予定している『シン・ウルトラマン』など、庵野監督の挑戦は映画ファンとしてとても応援したいと思っていて、そのため『シン』を冠した今回のエヴァではその"温故知新"をどう見せてくれるのか楽しみにしていたぶん、焼き増し感を感じてしまったのが余計にそう(自分が卒業したいから~)思わせたのかもしれません。いっそ卒業させないパターンでも良かった気がします。
>imaichEGさん
コメントありがとうございます。こちらこそ書いた甲斐のある、身に余るお言葉をいただきとても嬉しいです。作品の良否も何を感じるかも観る者によって変わりますので、基本的に評価に正しいとか誤りだとかいうのはないと思いますが、レビューサイトで「あ!自分と同じことを考えているひとがいる!」と発見するという楽しみ方をするとより映画を深く楽しむことができると思います。私も共感していただける方を見付けられて良かったです。お礼が遅くなり申し訳ありませんでした。
>ザワさん
コメントありがとうございます。門外漢による厳し目の評価に対しても寛大な心で見ていただき、テレビ放送当時からのエヴァファンの方の見識を得ることができ非常にありがたい気持ちです。確かに、有耶無耶のまま避けたほうが良かったかもしれない部分をあえて描いて終わらせたということは、長い年月作品を掛けて追いかけてきたファンへの誠意を感じる部分でした。そこは必ずしもフィクションにリアリティを持たせたり深みを追求すれば良いというものではないでしょうね。とても参考になりました。
テレビからのエヴァファンです。
これだけ長くなったのは、監督がエヴァが原因でメンタルぶっ壊してしまったから(旧劇も壊れた状態で作ってた)なので、本来はこんなにこじれずに終わってた青春ストーリーだったはずの話なんですよね。
補完パートというか、ゲンドウとの対峙はテレビ版をやり直した感じなので、未熟でみっともなくとも当時やろうとしたことをあえてやったのだと思います。
なので普通の映画ファンが観たら、評価が低いのは至極納得してしまいました。
庵野監督はエヴァファンを恨んでいた時期もあるのは確実ですが、今回の内容を見るに確かな感謝を感じました。
エヴァ及び庵野秀明ファンとしては、素っ裸で当時からのファンに向き合い、つまらない現実を叩きつけてくれたことを感謝したいですね。
まったく、本当に、完全に同意見です。
視聴後の自分の感想と、ネット上の評価との間のあまりのギャップに自分の感性がとうとう壊れたのかと心配になり、思わず普段見ることのないレビューサイトまでチェックしに来たのですが、その甲斐がありました。
あなたのレビューを読めて良かったです。