「今まで観てきた映画のキャッチコピーの中で一番むかつく!」SHAME シェイム さぽしゃさんの映画レビュー(感想・評価)
今まで観てきた映画のキャッチコピーの中で一番むかつく!
冒頭、青いシーツに横たわるブランドン(マイケル・ファスペンダー)は、瞬き一つしない。死んでる?その青い瞳には、全く精気がない。まるで、抜け殻のようです。このシーンだけで、このブランドンの深い悲しみと苦悩が窺える。
ブランドンはNYに暮らすヤリ手ビジネスマンで、お洒落なイケメン。しかしそんな表の顔とは違い、心に深い闇を抱えています。
ブランドンはセックス依存症です。職場のトイレで自慰に耽り、バーでナンパした女性と道端で行為に及ぶ。家に呼ぶのは、セフレと娼婦だけ。会社のPCはアダルト動画で一杯、3P、ゲイとのセックスと、まるで何かを紛らわせるようにセックスをし続けるその姿に、快楽と痛みが伴っているように見えます。勘違いしないで頂きたいのは、本作には官能的な要素はありません。勿論ブランドンは美しいですが、しかしその行為自体はまるで、決まった単純作業をこなすかのようです。
そんなブランドンの元に、妹シシー(キャリー・マリガン)が転がり込む。シシーは、恋愛依存症。常に誰かが、傍にいてくれないとダメな子です。恋人に捨てられたと、無邪気に兄を抱きしめる。兄の肩に頭を乗せ、眠る兄のベッドに滑り込む。痛々しい程の幼稚な愛情表現だけれど、触れていたいシシーの気持ちが痛いほど伝わって来ます。けれどブランドンは、その度に不快感を隠そうとしない。
そんなブランドンにも、出会いがある。普通に会話し、普通に心を通わせる女性が現れます。けれどそんな彼女とは、機能的にセックスができません。ブランドンは、愛する人とは「できない」のだと思われます。
シシーが、ブランドンの上司と関係したことが分かります。ブランドンは、妹を激しく拒否する。
「私たちは悪い人間じゃない。居た場所が悪かっただけ」
シシーはこの言葉の後、バスタブの中で手首を斬ります。
何故だかこのシーンで、ほっとしている私がいました。ブランドンが、初めてシシーをきつく抱きしめたからです。
病院のベッドで、シシーの腕がアップになります。新たに包帯が巻かれた傷の他に、沢山のリストカットの跡。そこを撫でるブランドン。もしかしたらシシーは、リストカットする度に、こうしてブランドンに抱きしめて貰っていたのかも知れないと思いました。
宣伝文にあった「男が本当に隠したいSHAMEとは?」は、詐欺なのではっきり言います。
実は最後まで、本当のSHAME (恥)は分かりません。二人の依存症、妹との関係(兄妹と言ってますが、本当は良く分かりません)、その関係に居心地の悪さを感じていることや、愛する人とはできないこと、ブランドンが行為の最中に見せる苦悩と悲しみの理由は、劇中では全く語られません。ブランドンが、その性生活を曝け出すだけです。解釈は全て、観客に委ねられます。
ただシシーの言葉や、「愛する人とはできない」ことから、少し推し量ることができると思います。何故か推し量ってはいけないような気がしたので、「少しだけ」にすることにしました。恐らく本作のSHAMEとは、兄と妹の純愛なのではないかと思います。しかし決して成就することのない愛を抱えるブランドンは、冒頭の抜け殻のような顔で、これから幾晩の夜を過ごすのでしょうか。
ブランドンがセックス以外で感情を露わにする雨のシーンでは、共感して泣きました。
さて、本作のキャッチコピーが「愛なら、毎晩テッシュにくるんで捨てている」ですが、恐らくこれを書いた人は、セックス依存症を理解していないのでしょうね。セックス依存症を、オナニー覚えたての中学生と混同しているように思えます。残念です。