「孤軍奮闘する、母へ」おおかみこどもの雨と雪 ダックス奮闘{ふんとう}さんの映画レビュー(感想・評価)
孤軍奮闘する、母へ
「時をかける少女」などの作品で知られる細田守監督が、次回作「天地明察」が注目を集める宮崎あおい、「ミッドナイト・イーグル」などの作品で主演を務めた大沢たかおを声優に迎えて描く、繊細な親子の物語。
知人の子供を観察していると、驚かされることばかりである。この場で、そんな事を言うのか!そんな事をするのか!全く予想のつかない言動が容易く撒き散らされ、「・・・う~む、分からない」と首をかしげてしまう。
そんな時、知人は上から叱るでもなく、下から甘やかすでもなく、同じ目線で自分の子供を静かに見守っている。「子供=自分の所有物」の方程式はそこには無く、「子供=敬意を示す、異質なもの」という心地よい意識だけがある。
その意味では、本作は徹底して子供への敬意、謙虚な視線に満ちた物語である。何せ、二人の子供たちは「人間」というカテゴリーすら逸脱した「異質な存在」として世界に息づいているのだから。
主人公的な立ち位置をとる女性、花が愛した男性は、一人のおおかみ男。この一種、奇抜な設定に本作の大きなポイントがあるように思えるが、実のところ「オオカミ=異質な存在、理解を超えた存在」という視点で物語を考えれば、ごくごくシンプルな家族の物語として考える事ができないだろうか。
だからこそ、物語の流れをリードする声が娘の「雪」である事も納得である。母である「花」が「家族の長」としてストーリーを引っ張っていく事だって可能だったはず。その中で「雪」にその役割を任せたのは、作り手の「子供」に対する敬意に由来する。
おおかみこどもという「不可解」な存在に主導権を与え、親=監督はただ、その語り手の回想、追憶を静かに見守る。ありきたりな「人間と、獣人の共存」というサスペンス的構図を裏切る仕掛けが、豊かに動き出す。
オオカミに変化した子供が人間に見つかり、偏見に満ちた差別を受けるという定番の逆境を持ち込まなかったのも納得である。あくまでも作り手は「オオカミ=野蛮、危険」ではなく「=興味、敬愛」として考えており、一組の家族が辿る日常をありふれた形で描こうとする意識に基づいている世界である事を実感させてくれる。
そう、この物語は「オオカミ男」という奇妙なテーマにスポットを当てるべきではない。「理解できない子供と、向き合え。分からなくても、信じろ」この簡潔なメッセージを2時間強の物語に落とし込んだ「素直な家族の物語」として鑑賞するのが正しい。
思い通りに動いてくれない子供に、悩む大人。自分勝手に突っ走る子供に、戸惑う大人。そんな現代に潜む「親子のあり方」が表面化しているからこそ生まれた物語。今こそ、子育てに奮闘する、いや、孤軍奮闘する母親こそが寄り添うべき一本だと思う。