別離(2011)のレビュー・感想・評価
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【”或る中流夫婦の別離が惹き起こした数々の悲劇。”今作は、イランの社会事情を基に、イラン人の信仰心と身分が違う二組の夫婦の夫々の嘘により惹き起こされた悲劇を描いたヒューマン映画である。】
ー ご存じの通り、イランは自国製作の映画に対する規制がとても厳しい。国際的な評価が高いジャファル・パナヒ監督に至っては、度々政府に拘束され、映画製作も、海外渡航も禁止されていた。だが、彼はそれに屈せず、「これは映画ではない」を製作し反体制を貫いている。又、彼の師匠である私の好きな故、アッバス・キアロスタミ監督は、数々の名作を生み出している。
今作のアスガー・ファルハディ監督も、逸品である「セールスマン」「英雄の証明」を公開している。制約が多い中で今作も含め、逸品が多く生み出される土壌がある事が分かる。特徴は、多額の予算を掛けず、有名な俳優も起用せずとも、優れたる脚本とイランの社会情勢を背景にした映画の内容が、国際的に評価されているのだと思う。-
■イランの大都会で暮らすナデルとシミン。妻のシミンは中学一年になる娘・テルメーの将来のことを考え、イランを出る準備をするが、夫のナデルは、アルツハイマー病を抱える父を置き去りにはできないと言い出す。夫婦の意見は平行線をたどり、一時的に別居をする。それが、その後惹き起こされることにより、永遠の別居になるとも知らずに。
◆感想<Caution!内容に触れています。>
・ナデルとシミンの諍いが、ナデルが雇った家政婦ラジエーのナデルの父親に行った手を縛って何処かに出掛けるという行為や、それに怒ったナデルがラジエーを押した事からの彼女の流産に繋がって行く流れが、怒涛のように会話劇で展開される。
・だが、肝心な所は映されず、ナデルとシミン、そしてラジエーと無職の夫ホッジャトとのほぼ会話で表現される所が巧い。
観る側に、様々な想像をさせるように仕向けているからである。
・そして、彼らの口から徐々に明かされる幾つかの嘘。
ナデルはラジエーが妊娠していた事を知っており、流産させた事で捕まる事を恐れ”知らなかった”と嘘を付き、ラジエーもナデルのアルツハイマーの父が、交通量の多い通りをフラフラ歩いている所を助けようとして車に撥ねられていた事を隠している。
・この作品が、観ていてキツイのはナデルとシミンの娘、テルメーが両親の諍いに心を痛めている事と、低所得者のラジエーと無職の夫ホッジャトとの関係性であろう。
中流階級のシミンは、追い詰められ示談金で解決しようとするが、男のナデルやホッジャトは愚かしいほどに名誉に拘り、その狭間でラジエーは嘘を付いた事に対し、信仰心から心を痛めて行く様である。
<ラストの締め方も観る側に、色々と問いかける終わり方である。ナデルとシミンの離婚手続きが本格的に進む中、テルメ―は判事にどちらについて行くか聞かれるのだが、テルメーは決めてあるが、両親の前では言えないと言って涙を流し、沈痛な表情で廊下で待つナデルの表情が長廻しで映される中、エンドロールが続くのである。
今作は、イランの社会事情を基に、イラン人の信仰心と身分が違う二組の夫婦の夫々の嘘により惹き起こされた悲劇を描いた重くて見応えがあるヒューマン映画の逸品なのである。>
出来の良いドキュメンタリーを見ているような感じ。
宗教と社会の規律に翻弄される二つの家族が描かれる。イラン、というか中東は本当に女性にとって生きにくい場所なんだな、ということが改めて実感させられる。何よりも宗教が優先する社会の窮屈さがひしひしと伝わってくる。俳優陣の演技が実に自然で、よく出来た作品。ラストはこの後どうなるのだろうか?娘さんは誰と住むのだろうか?演者の演技が実に自然で、ドキュメンタリーを見ているような感じがした。
大事件ではないが素晴らしい人間ドラマ
この作品は何歳の時に観るかで感想が大きく異なりそうだ。
若いほどに、登場人物の誰が悪いとか
嫌いとか判断してしまうかもしれない。
実際は、これに出てくる人々は基本的には善人で
世界中のどこにでもいそうな普通の人々だ。
それが些細なこと(とはいえ家庭においては大きな問題)で
全員が、自分は間違ってるとわかっていながらも、
◯◯のため、と理由があり
偽らざるを得ない。
それは精神の弱い人の言い訳とも受け取れる。
自分勝手だと責めるのは簡単だ。
しかしその立場に自分がもし置かれたなら、と
想像すると、この中の誰かに自分も該当する気がして
ならないのだ。
一体どうするのが正解なのか。
正論に従っても誰かが傷つくのである。
正しいものを信じたい年頃の娘はどんな結論を出すのであろうか。
どこの家にでも起こりそうな、ちょっとした出来事で
ここまで人間というものを浮き彫りにしてしまうとは
なんとすごい監督、脚本なのだろうか。
タイトルなし(ネタバレ)
娘の将来を案じて海外移住を希望する妻とアルツハイマーの父を置いていくことを拒絶する夫。裁判では離婚が認められずやむなく妻は娘を置いて別居することとなり、夫は日中の看護のために家政婦を雇う。ある日夫が帰宅すると家政婦はおらず、父が床で昏睡状態となっていた。外出から戻った家政婦を夫は激しく問い詰め家から追い出すが、その後家政婦が流産したことを知って・・・。
どこへ転ぶか全く判らない話にイランの風習、信仰、道徳、さらには正義、虚栄、偽善、貧富差等々が絡み合った濃厚なドラマ。特に信仰に関する描写は興味深く、呪いや祟りや天罰だが日常に寄り添っている世界に生きる人々の心に現れる深い闇と沈黙が途方もなく重いです。
どこまでもこんがらがる事件と思惑
初イラン映画。京都シネマ名画リレーにて。
イランとイラクの差を全然理解してなかったけど今度こそ覚えられそう。この映画には関係ないですが。
イラン、シーア派、ペルシア人、ペルシア語、テヘラン。
イラク、スンニ派多数、アラブ人・クルド人、アラビア語、バクダット。
イランはとてもイスラム教的に保守で厳格と思っていたけれど、主人公夫婦は割とそうでもなさそう。奥さんスカーフ緩めだし、足まで覆う黒い服着てないし。娘の将来のために海外へ移住しようという位なんだから、英語習えとかゆってるし。信仰への熱量に個人差があるのだなと、当たり前なんですが、改めて思いました。
割と裕福な主人公一家と、夫に内緒で働かざるを得ない介護人として雇われる妻の一家。階級差に起因する(と私は思った)人生観の差が、ありがちな出来事を人生をひっくり返す大惨事に発展させてゆくその過程が、わー、ありそうありそう…と思ってとても身につまされました。
介護妻は妊娠中なのに、夫が失業中なので働かざるを得ない。
でも夫は妻が働くことをよく思わない。なので夫に隠れて働きに来ている。
介護妻の宗教観は、貧しいから狭い認識しか持てなくって、その中で正しくいたいという真面目さから、コーランに忠実に!というところにしがみついちゃうのかなーと思いました。この妻は何も悪くないんだけど、神様への忠誠をそこだけ曲げて、示談金受け取ったらよかったのにって思ってしまいました。
あと、おじいちゃんを追っていって車にはねられたならばなぜその日に雇い主に報告しなかったんでしょう。そこをやってたらよかったんでは?
まあ、一番選択肢の少ない介護妻をせめるのはやっちゃダメなんだけど、そう思ってしまったのが正直なところでした。
主人公夫妻の夫は良くないです。最初から嘘ついてるし。もちろん介護妻が勝手に外出したのは良くないけど、いきなり泥棒扱いしたり、やりようはあったはず。その上娘に嘘をつかせるなんてさ。ダメよ。
介護妻の夫はもっと嫌。カッとなりやすくて借金まみれで一年無職でさ、子供仕込む前に金稼げよ、妻を働かせたくないとか言ってないでさ。そんなイスラム世界の夫の典型主張をするにはまず稼いでからやん。
主人公夫妻は結局離婚し、娘はきっと両親に失望したと思います。どっちについていくのか、わかんない結末でしたが、消極的にお母さんを選ぶかなーて思いました。
主人公夫妻の妻は、、、
どうなんでしょ。私は最初からイスラム世界とは違う文化にいて、イスラム世界で暮らすのはやだなと思っているから、移住を強行したい妻の気持ちが一番自分に近いんですが、うーん。全編通して見ると、全面的に肩を持とうという気にはならなかったです。
前半、想定外の介護もの(苦笑)
タイトルからして男女の機微を描いた映画かと思ったけど、そういうのはほとんどなく、前半の介護モノから後半は法廷(笑)モノへ。
まっ、珍しいイランものってことで興味深く見ることはできた。イスラム教の絡み方が秀逸。
程よい曖昧さかな
このイラン映画素晴らしいです。
「別離」余韻に浸っています。映画全体に優しい感情が満ち溢れている!
ひとりひとり訳があり、頑固だったり、妥協したり、夢の実現、自分の信じる宗教、
献身、孤独、ジレンマ、老いる、子供に対する愛情、盛りだくさんなエピソード
だけど押しつけがましい所がない。これは最初から最後まで引き付けられて目が離せなかった。
不完全な人間だからこその嘘、危なげだけど自分だけではない、守らなければいけない存在の為もある。
それが良い事なのか過ちなのか解らないけれど、皆必死に生きていると感じました。
私にもこんなところあるなーとか、突き当たってしまった時のオロオロ度これも理解できる。
共感しながら、許しながら、子供たちの事考えながら観終わりました。
11歳の娘さてどちらを選んだのでしょう。
彼女は両親が又復縁してくれる事を願っていたけれど、叶わなかったわね。
でも、この映画の中で見えてきたものは、ふたりともが娘を愛し、
娘も親を思い、だからどちらに行っても幸せになれる気がしますよね。
どちらを選ぶか目の前で言わなかったでしょ。これは娘の思いやりなのよ。
今回の事で彼女は大きな成長を遂げたわね。
両親が調停の結果を待つエンドの場面の心情、その時始めて音楽が流れていた。
今まで音楽は?と考えたらそれを忘れてしまうほどだったんだーと・・・。
あのペルシャ文字も好きだなー。
妻子より親を優先させる亭主の姿勢
洞察を幾重にも塗り重ねたような脚本がもうあまりにも素晴らしい。他の要素にも文句の付け所見当たらず。ただ、妻子より親を優先させる亭主の姿勢にそもそも共感し難いし、切なすぎるのでちょっと苦手。しかし傑作であることに異論はない。
ある家族の、悲痛に満ちた崩壊劇
「別離」は映画史上最も悲しい映画だと言っても過言ではない。ある事件を境に2つの家族が争い、そしてその家族事態も崩壊の一途をたどる。徹底したリアリティがこの映画の要だろう。
ナデルとシミンは典型的な中流家庭である。大きいアパートメントに住み、車は外車だ。娘を女子中学校(それもおそらく私立だろう)にやり、一見すると幸せな家庭だ。だが夫婦の間には映画が始まった時点で決定的な亀裂が生まれていて、それは深くなるばかりだ。その間で引き裂かれる娘の悲しみは計り知れないものだろう。
それに対し、ラジエーとその夫ホッジャトは日々を生きるのに精一杯だ。無職のホッジャトに代わり、遠方からヘルパーの仕事をするラジエー。特にラジエーは信仰心が厚く、これが後々重要なポイントとなってくる。ただ普段から明確な信仰を持ち合わせていない私にはある意味で最も共感できない箇所であった。
彼らの間に共通するのは嘘をつく、ということだ。誰しもが家族のために嘘をつき、それがさらに亀裂を深める。彼らの娘達でさえも嘘をつく。あまりにも悲しくやるせない状況だ。ナデルの娘テルメーが嘘の証言をした後に涙を流すのはその最たるものだろう。
この映画では最終的な事件の結末は描かれていない。だがかすかにでもあった家族の絆は今やどこにもない。あまりにもリアルで無残なエンディングであった。
(2012年5月20日鑑賞)
今年NO1の名作!是非観て欲しい!
今年の上半期観た映画の中で1番面白い映画だった!
今年とは限定せずに、私の映画観賞歴の中でも、絶対にこの作品は上位にランキングする作品です!
私の下手なレビューは読まなくても、これこそ、素直に観て欲しい作品だ
その面白さの秘密とは、観て頂ければ誰でも納得される事だと思う。
本作は、今では一見して誰の家庭でも起こり得る、平凡な中年夫婦の離婚話しが事の始まりの映画だ。
離婚の申し立てを家裁へ申請する所から映画の物語は始まるのだ。しかしこの夫妻のケースでは、有り触れた離婚劇である筈の家族のドラマが、まるでミステリー小説を読んでいる様な感じでグイグイと物語の中へと、どんどん惹き込まれて行ってしまうのだ。
そして悪気が有る訳でも無い妻シミンは一人娘の将来を考えて海外移住計画を準備していたが、夫のナテルは父親が認知症を患ってしまう事から、国外へは行けないと主張し、父であるナテルの同意無くしては、母親と娘だけでは、国外移住は認められないと言うから、大変ややっこしい大問題へと発展して行ってしまうのだ。この家族の誰もそれ程悪人でも無く、極一般的な平凡な人達なのだ。そして私達の様な普通の人間が何の気無しに、嘘を言ってしまう、嘘と言うよりは、あえて言葉に出さないと言う事で、嘘では無いが真実を隠してしま事も有ったりするのだ。
この映画の登場人物のそれぞれみんなが、人を傷つける悪意は決して無いのだが、少しずつだけ真実を告げない事で、大きな結果の違いを産んで行ってしまうと言う、あの「バタフライ現象」が起きて、その結果は誰も予測出来ない結末へと向かって行く物語だ。
文句無くこの作品の脚本は絶品である!観客の目を惹きつける。
そしてこの夫妻の一人娘テルメー役を演じているのは、この作品の脚本と製作と監督を務めるアスガー・ファルハディーの実の娘のサリナ・ファルハディーだ。
この作品が彼女のスクリーンデビュー作を言う事だが、この難しい役処を巧く演じているのは、流石この監督の娘だけあって才能を受け継いでいるのだろう!
そして、この映画のラストの終わり方がまた素晴らしい!是非あなたの目で確かめて欲しい!
アカデミー賞を獲得した離婚劇の「クレイマー・クレイマー」や、「家族戦争」などの作品がハリウッドでは、かつてあったが、到底この「別離」には及ばない作品なのだ。
今年のアカデミー賞の外国映画賞を獲得したのも納得のいく作品だ!
私はまだ残念な事にこの監督が創られた作品は今回が初めてだが、今迄の作品も是非観て見たいと思う!アラブ圏の映画は日本では余り観る事が出来ないが、良い作品は事の他多いのだ!ハリウッド映画の様な特撮を駆使した様なハデな作品は少ないかも知れないが、しかし人間の心理に根差した、そして宗教の倫理も相まって見事な見せ場の有る堂々とした作品が一杯だ!あなたにも、是非観て欲しい映画だ!
全世界・全時代で共通の悲劇
『ああ、ここにあるのは悲劇だ。汝の名は役者か観客か。
運命の操り人形にも檻の外の傍観者にも、変えられるものは何一つない。』
……本作を観ながら思い出したのはそんな一節。
シェイクスピアの引用とでも言えれば聞こえが良いんだろうが、とあるゲームに登場した一節の引用。
映画を観ている間じゅう、歯痒くてしようがない想いだった。
きっかけはほんの些細な嘘や勘違いに過ぎないのに、
石ころが坂を転がるように、ゆっくり、しかし加速度的に事態が悪化してゆくのを
観客はただ固唾を呑んで見守るしかできないのだから。
結局、誰の嘘が一番罪が重かったのだろう?
誰にも落ち度はあったし、自己保身の為だけに吐かれた嘘もあった。
だが誰も悪いと思えないし、責める気にもなれない。
だって皆、罪人と呼ぶにはあまりに慎ましくいじらしい人々だ。
娘を自由に生きさせたかっただけなのに。
老いた父を見棄てたくなかっただけなのに。
好きで病気を患った訳じゃないのに。
好きで仕事を辞めた訳じゃないのに。
苦しい家計の手助けをしたかっただけなのに。
家族みんなで、仲良く一緒に暮らしたかっただけなのに。
夢のように大きな幸福を望んでた訳じゃない。
ただ平穏な生活を——幸福と呼ぶにはあまりにささやかな幸福を——望んだだけだった。
なのにどうして、どうしてこんなに壊れてしまったんだろう?
映画内で静かに、しかし常に見え隠れする貧困の影。
“その日暮らし”というほどの窮状ではないが、
何かのきっかけがあればあっさり崩れ去ってしまいそうな危うい経済状態。
『何が悪かったのか』と訊かれれば、全てはそこに行き着くのだろう。
それは最早、個人の力ではどうしようもない話になってしまうのだけれど。
少女が父と母どちらを選んだか明らかにされないまま映画は終わる。
観客としては気持ちが宙ぶらりんのまま劇場を追い出されたような心持ちだが、
あの無垢な少女が、嘘を吐かされ、憎しみの眼差しを浴びせられ、
挙げ句『親を選ぶ』という残酷な選択を迫られた時点で、
物語は既に救いようの無い結末を迎えていたのだという気もする。
ああ、ここにあるのは悲劇だ。
貧困ほどに人の心を追い詰めるものは無いし、
暗い眼をした子どもほどに悲しいものは無い。
それはきっと、どんな国に住もうと、どんな信仰を抱こうと変わりはしない悲しみだ。
全世界・全時代に共通する悲しみだ。
<2012/7/15鑑賞>
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