「娯楽性充分な法廷ドラマ」別離(2011) つとみさんの映画レビュー(感想・評価)
娯楽性充分な法廷ドラマ
アスガー・ファルハディ監督は、普通の範疇にいる人々が偶然によって特殊な状況に置かれ、複雑な選択を迫られる物語を描く人だ。
本作もまたそういった物語であったと言える。
もちろん、イランの国民性や信仰からくる抑圧された女性も他の作品同様に重要な役割をはたす。
ファルハディ監督は偶然によって生まれた特殊な状況を生み出すのが上手く、ストーリーテリングの巧妙さには驚かずにはいられない。
ほんの少し、何か少し違っただけでこんなことにはならなかったのにという絶妙に残念な状況が連続する。
問題をややこしくしているものはそれぞれ些細なことであるけれど、その積み重ねによって大きな問題へと発展していく。
本物のイラン人がどうか判断できないが、ファルハディ監督の作品に登場するイラン人はよくささやかな嘘をつく。
それは誇張と言える範囲かもしれないが、少なくとも真実をそのままに話さないことが多い。
そういった誇張グセもまた問題である。
そして、信仰からくる「言えないこと」まで存在する。
つまりは、主要人物の幾人かが、真実を真実のまま話しているわけではないのだ。
観ている私たちには真実と言えるところまで目撃することが叶うけれど、作中のキャラクターたちがそれを知ることはおそらくないだろう。
そこにこの作品が訴えようとしている真の問題が隠れているように思える。
特に好きというわけではないけれど何作か観ているアスガー・ファルハディ監督だが、彼の代表作と言えるであろう本作をやっと観た。
あらすじだけだとどんな物語が紡がれるのか想像出来なくて、観るのが後回しになっていた。
これはネタバレではないだろうから書くが、主人公夫婦の離婚の話はほとんど関係なく、それとは別問題の法廷劇だったかと思う。
事前に多少なりとも想像したものとは全然違う物語が紡がれるので、ある意味で注意が必要だ。
予想外の物語ではあったけれど、これまた予想外と言っていい面白さを備えている。
難しそうな社会派ドラマではあるけれど、細部まで分からなくともしっかりついていけるだけの説明はあり、共感がなくても理解は出来る。
「セールスマン」はなんだか少々難しく感じたけれど、「セールスマン」のときには足りなかった娯楽性があり、エンターテインメントとして充分だ。
「英雄の証明」も面白かったけれど、本作のほうが問題がややこしくて更に面白かったように感じた。
