「薄っぺらいゴシップ映画」危険なメソッド とみいじょんさんの映画レビュー(感想・評価)
薄っぺらいゴシップ映画
心理学の巨星・フロイトとユングを描く映画。
ユングは、フロイトと別れてから、自身も精神疾患を患ったと言われるほどの心の危機を乗り越えて、ユング心理学(臨床心理士・河合隼雄先生が学んだ心理学)を打ち立てた。
心理療法で、転移・逆転移の取り扱いはとても難しく、心理療法の成功・失敗を左右するものであり、倫理の一つの性的接触や二重関係にも関わる要件であり(それこそ身の破滅)、心理療法を学ぶ時にスーパーヴィジョンを受けながらの訓練が必要になっている要点でもある。
なんて知識から、フロイト、ユング、ザビーナの心理的ダイナミックを期待して鑑賞したのだが…。
なんだこりゃ。
出だしこそ、キーラさんの好演もあって、ワクワクドキドキの始まり。ザビーネと対照的なエマの描き方もあり、暮らし等での人間にとって大切な安らぎを与えてくれるエマと、知的好奇心を分かち合い、高め合うことができるザビーネの二人を必要とし、その間で葛藤するユングとなるのかと思ったら、あっさり。肩透かし。
フロイトとのやり取りも、映画の粗筋紹介だとザビーネを巡る三角関係みたいな書き方をしているけれど、理論支持とかの面では取り合いあったかもしれないけれど、フロイトがザビーネに”恋”するのかは疑問。だって、フロイトはその粘着気質もあってフロイト夫人への執着すごかったから。
お話療法は、フロイトの共同治療者であるヨーゼフ・ブロイアーの発案。ところが、ブロイアーの患者が「ブロイアーの子を妊娠した」という妄想にとりつかれ、ブロイラーは恐れをなして撤退。でもフロイトはそれ以後も改良・研究を続ける。元々、裕福な商人の息子として産まれたフロイトだけれど、神経心理学者として才能もあったけれどユダヤ人だったので大学に残れず、仕方なく開業医をしていた。そんなこともあって、業績を認められることへの執着が凄かった。
対してユングは、プロテスタント牧師の息子として産まれ、当時も今も著名な医師オイゲン・ブロイラーの元でチューリッヒ大学の助手を務め、将来を嘱望されていた人(フロイトが望んでも得られなかった職)。だから、そのユングが自分の研究に興味を示しているという事が、フロイトの業績を世に認めさせる近道としても、重要だった(ユングを息子とすることで、ユングの就いている憧れの職にフロイトは同一化できたという側面もあったのだろう)。
そんなふうに、フロイトはユングを大切にし、ザビーネからも影響を受け、自説をどんどん発展させていったけれど、フロイトの元には他にもたくさん集まっていた。
映画に出てくるオットー・グロス(=オットー・ラング)も、最後はとんでもない説を唱え世間からそっぽ向かれたけれど、一時は時代の寵児となり、今の研究につながる重要な論文を残している。
他には、映画には出てこないけれど、今のドライカースにつながるアドルフ・アドラーやフレンツィ、フロイトの末娘など。他にもサロンを訪れた著名人は枚挙にいとまなく、ナチスの侵攻に当たっては、著名人のつてでイギリスに亡命できている。
という風に、フロイト側にはたくさんの人がいるけれど、
ユングをとりまく人々もたくさんいたはずなのに、
(ユングの理論構築に関与した患者はザビーネだけじゃない)
なんで、ユングは、フロイトと決別した時に、心の危機に陥るほどとなったんだろう?
そこらへんの心の機微が描かれるのかと思っていた。
ふう。
それでも、役者の演技は”らしく”見せてくれたし、
フロイトの家、ユングの家や病院等、
文献を読んでいるだけではわからない空間の様式美が見られたのは収穫でした。