「二重思考を理解し、それを判断する力をつけるのは読書をすること」デタッチメント 優しい無関心 Socialjusticeさんの映画レビュー(感想・評価)
二重思考を理解し、それを判断する力をつけるのは読書をすること
米国の学校の描写だが、ちょっと誇張しすぎたきらいがあると思った。『親が学校訪問できる夜』のどのクラスにもに誰も来ないというのはあまりにも非現実的すぎる。それに、教育コメディーにはならないが、なにかニューヨークの都市部の公立の教育を滑稽に扱っているところもある。個人的に、ちょっと不自然すぎると思う。 いつの時代背景の映画か、よく知らないが『No Child Behind 落ちこぼれをなくせ!』、ブッシュ(George W. Bush)の政策
を公立学校がとっている時代で、2001年以降の話だろう。
ところで、教育界の問題より、ヘンリー(エイドリアン・ブロディ)ののデタッチメントの生活がどう変わっていくかが焦点だと思える。
人間、誰一人、心休まる生活をしているものはいないんんだなあ。みんな多かれ少なかれ、内面で悩みを抱えているんだなあ。それをどうしているのか?解消できているのか?心の中で消化できて、一歩進めていってるのか?心の中のものを吐き出せる場所があるのか?
ヘンリーは社会とのデタッチメントの生活をしている。例えば、3週間、高校で、臨時教師をしている。これこそ、その学校の生徒や教師や組織との深い関わり合いを持ちたくないと言う気持ちなのだ。自分のことを話さないし、静観していいて、かかわりあいを持ちたくないのだ。臨時教員だからこそ、学校組織のことには一切発言をしないが、3週間の間で生徒に『怪我させなきゃいい』と考えるが、3週間後は、また、他の学校に移ると言うデタッチメントの生活。
売春をしているエリカに最初バスであったけど、そのあと、『もっと問題を抱えているようなのはあなただ』と罵倒されたが、その通り、ヘンリーの幼期の問題が影を引いていて、彼から離れない。自分の父親が家出し、祖父(老人ホーム)が母親と関係を持って、その後、睡眠薬自殺をしたことが心の傷となっている。痴呆になっている祖父も死期間際まで、ヘンリーの母親に何か悪いことをしたことが、気になっている。多分、こころの中を曝け出すように、日記をつけるためのノート(作文帳)をあげたが、なにも書き込んでいない。
ヘンリーは十五歳の家族がいないにエリカに初めて、自分の心のなかの暗い面を打ち明ける。それをエリカが静かに聞いてあげるシーンが最高にいい。かれの気持ちを心から理解してあげられるんだから。 ヘンリーは自分の心のうちを吐き出す場所として、日記を書き留めていて、エリカ(サミゲイル)にもノートをプレゼントしたが、未成年のエリカだけが日記をつける。
システムの中で生きていて、ヘンリーは『みんなが落ちこぼれている』と最後に言っていたが、少なくても、ヘンリーは心のある人間で祖父、エリカを助け、成績や素行の悪い学校の生徒を引きつける授業をしたことで、落ちこぼれたと思わなかったし、一言にみなが落ちこぼれと片付けられない。ただ、毒のカップケーキを食べ自殺したメレデス(Betty Kaye-監督の娘)のことは詳細がわからないからなんとも言えないが。 彼女の気持ちに寄り添おうとしたことは確かだが。。。 女性教師に自分は『助けようとしただけだ、自分を若い女性に性的被害を与えるようだと思っているのか』といって机を投げるジーンだが、これが自分が幼少のころの祖父と母が被って現れてくる。デタッチメントの生き方でもここで本音で信条を出して戦えた。
好きなシーンは、ヘンリーが『勉強しろ』と言わないで、二重思考(Doublethink)について教壇ではなしたのち、『私たちは自分の想像を刺激して自分の意識や信念を育むために読むことを学ぶ必要がある。私たちは皆、自分の心を守るために防御するためにこれらのスキルを必要とする』高校生はこの話をよく聞いていた。