アルバート氏の人生のレビュー・感想・評価
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女性の地位
生きるために女であることを隠し通さなければならなかったアルバート。
たまたま秘密を知られてしまうことで転機が訪れる。
ひっそりと息を殺すかのように静かに日々を送るつまらなそうな表情の前半に比べ、微かな希望を感じてからの後半のアルバートの表情に物悲しさを感じてしまった。
ペンキ職人ヒューバートとは違って身も心も女性なのになぜ若いヘレンとの結婚を考えたのか、ここがちょっと謎だった。
商売のため?夢のため?
女よりはずっとマシだけど男社会の底辺にいたジョー。(本物のボイラー技士は結局どこ??)
こっそりと字の練習をするシーンがまた切ない。
ヘレンを通してアルバートからお金をむしり取ろうとするクソだけど、心底憎むことが出来ない。
極端な格差社会だったアイルランドでは当時、赤ちゃんは父親がいないと孤児として手放さなければならなくなるらしかった。
ヒューバートの最後の一言は、そんな男社会による悲劇に、わずかな希望を与えてくれる。
赤ちゃんは、男の子。名前はアルバート・ジョー。
ドレスを着たアルバートがぎこちなく歩き始め、最後には浜辺を走り出すシーンもまた切なかった。
無知なる純朴さにせつなくなる映画。
生き抜くために14才で男に変装し、
以後老人となるまで女をみせることもなかったであろう、ミスターノッブス。
恐らく恋愛というものを知らないのでしょう、
結婚を単に孤独をさける手段としてしか思いつけない愚かさが
もう、悲しくて。
ベテラン執事ともなれば客に忖度し適切なサービスを提供する能力にたけると思うのですが、
ミスターペイジの妻が流行り病でなくなった直後、
孤独を埋め合わせるために代わりに一緒に暮らそうといったり、
ミスドゥズの意思を確かめることなしに
勝手に結婚計画を立てたりする空回りぶりが
やり切れなくて。
でも、
おそらく生まれて初めて大人の女の装いをして
恐る恐る歩いていたけれど、
浜辺を歩く内に次第に女らしい気持ちが芽生えたのか、
はしゃぐ様、その輝きがとても印象的でした。
愛する人
19世紀当時のアイルランドの女性が置かれていた環境の厳しさに絶句しました。男性社会の中では、女性は結婚するか修道女になるかしか、選択肢はなかった。もう一つの道は、男性になること。
アルバートは、男性的なものの全てが嫌だったのだと思います。だからこそ、男性を装い、男性を寄せ付けず、ひとりで生きてきたのではないかと思います。
孤独に生きてきたアルバートが、パートナーを持つという夢を見て、最期に勇ましい行動ができたことが、何よりも大きな変化なのではないでしょうか。誰にも心を開いていなかったアルバートが、愛する人の為に初めて本気になったのですから、私は良い人生だったのだと思いました。そんな経験もないまま、人生を終えるよりも。
本当の自分
「どうしてかくも哀れな人生を選んだのか」
これはアルバートの死後、ホロラン医師が思わず呟いた言葉だが、男として生きることを選んだ時点で彼(彼女)に他の選択肢はあっただろうか?
アルバートは自分と同じように男として働き結婚し家庭も持ったヒューバートに出会い、自分も孤独な人生から抜け出せると考え始める。
人生において、自分が自分自身でいられることは不可欠だが、アルバートにとって本当の自分とは女性としての自分なのか?それとも男として生きてきた自分が本当の自分なのか?
誰かと人生を分かち合うなら、それは女性なのか?男性なのか?
アルバート自身、それがわからないまま、生きてきてしまったのではないか?
自身のアイデンティティが確立されないままのアルバートはヘレンにアプローチしてもそれは男性のアプローチとは大分違う。男の格好でいても何処か中性的なアルバートの姿はヒューバートの姿と対照的だ。
アルバートの最大の不幸は男として生きることを選んだことではなく、本当の自分が分からないまま、男として生きることは選ばざるを得なかったことだと思う。
長い間この企画をあたため実現にこぎ着けたタイトルロールのグレン・クローズはもちろんオスカー級の演技だが、アルバートと対照的なヒューバートを演じたジャネット・マクティアの男前振りが素晴らしかった。
私は宝塚歌劇には全くきょうみがないのだが、“ヅカファン”の気持ちがちょっとだけ分かったような気がしました。
アルバート・ノッブス 数奇な人生
ホテルのウェイターとして長年真面目に働く初老の男性アルバート。人との関わり合いを避ける彼にはある秘密が。性別を男性と偽って生きてきた女性だった…。
主演グレン・クローズ、助演ジャネット・マクティアの演技は評価されたものの、作品自体の評価は芳しくなかったようだが、なかなか良作だと思った。
女性が独りで生きていくには厳しい時代。暗く辛い過去と断ち切る為、男性として生きていく事を決めたアルバート。
人となりも超が付くほど謙虚で真面目で、ホテルの同僚や宿泊客でなくとも一目置いてしまう。
ある日、ホテルにペンキ職人のペイジが働きに来る。
実は、ペイジもまた女性。
自分と同じでありながら、結婚もして全く違う生き方のペイジに、アルバートは大きく影響を受ける…。
アルバートに憧れて(?)、ホテルの若いメイド、ヘレンを伴侶に迎えようとアプローチし始めるのだが、それがまるで、初めて恋した内気な少年のよう。
また、アルバートはコツコツと金を貯め、煙草の店を出すという密かな夢も持っている。
アルバートが不器用で一途で純朴な分、周りの人物は醜い。
アルバートの金目当てで近付くヘレンと彼女の恋人でボイラー職人のジョー。金にがめついホテルの女主人、ベイカー夫人。
最も、ヘレンの場合、ジョーに遊ばれていただけなのだが。
ラストは賛否分かれる。
アルバートの人生は余りに哀しくもある。
しかし、自らの生き方に疑問を持ち、殻を破ろうとした、密やかながらの人生讃歌だと感じた。
主演・製作・脚本・主題歌作詞の4役を務めたグレン・クローズの入魂作。
最初は、いくら何でも名女優とは言え役柄には無理があるだろうと感じていたが、次第に違和感が無くなってくるのだから不思議。“アルバート氏”にしか見えない。
ペイジ役のジャネット・マクティアは秀逸。その男前振りも含め、正直、グレン・クローズを食っていた?
おっさんなのに可憐
グレン・クローズ、おっかないゴツい女優という印象だったんだが…。
男装してアルバート氏を演じるクローズは、何故か、かよわき幼子のようだった。
いや、見た目はちゃんとオッサン然として冴えない初老男なんだが、何ともいえない純真さだった。
孤児だったアルバート、職を得るため男装し女とバレぬよう働き生きてきた。
若い頃の悲惨な出来事がトラウマとなっており女には戻れなかった。
アルバートは孤独すぎて人の愛し方が判らない。
同僚の女性ヘレンを一生懸命口説くのだが、何かがチグハグで恋愛になっていない。性愛や欲望の影すらない。まるで恋に恋する少女のようだった。
(偶然知り合った、同じく男装のペイジ氏がきっちり恋愛もして女性と結婚までしているのになんという違いだろう。)
仕事も出来て苦労人のアルバート、見た目は立派なおっさんでも、心の奥底は大人の男でもなく女でもなく、子どものままだったような気がする。
アルバート氏が求めていたのは「恋人」ではない。
探していたのは、孤児の自分が知り得ない、温かい「家族」だったのかなあと思う。
口説いていた女性ヘレンや、憧れていたペイジに、求めていたのは恋や性愛ではなく、母性や父性だったのではないか。
そんなアルバート氏の願いは、ほろ苦いというにはあまりに切ない結末をむかえるのだが…。
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この映画、一番最後のシーンで少し救われる。
ヘレンは自分が産んだ子にアルバートと名付けた。
このアルバートには母ヘレンが居る。父代わりとなってくれそうな心優しきペイジ氏もそばにいる。
孤独の連鎖は断ち切れるのだなあと、希望を持てた瞬間だった。
ラストに納得出来ないがそれなりの作品だ
「彼女の真直ぐな生き方が、みんなの心に小さな明かりを灯す」と言うナレーションに被さるように、シニード・オコナーの主題歌が最高に美しい声で謳い上げられていく予告編を観てしまったら、思わず涙腺がウルウルとして、しかもあの名優のグレン・クローズが80年代に舞台で演じたその演目を30年以上温め、彼女が女優人生を懸けて、自分が死ぬまでに是非映画化したいと望んでいた作品だと聞き、遂に映画が完成出来たと聞けば、映画好きの人なら絶対に観落としてはならない、必見の作品と考えても不思議ではない!されど、映画には個人的な相性と言うものが存在するのも事実で、彼女が演じた、このアルバートと名乗る女性は、本来生れて来た女性と言う性を捨てて、男性と偽り、男性としての人生を生きなければ、生活が出来なかったと言う、この選択の余地など許されない、切羽詰まった、ギリギリのこの彼女の人生の物語にどれだけの人々が共感する事が出来るかどうかについては、好みが大きく分かれるところだと思うのだが?
そんなアルバートの人生を思えば、観客もせつない気持ちで胸が一杯になり、観ていられない!
この19世紀のアイルランドと言う環境と時代があまりにも彼女の人生を辛く哀しいものにしていて、こんな人生が有って良いものか?と今に生きる、私は我慢が出来無くなる。
そして、このラストの急展開には正直驚かされたが、しかし結局彼女は、死ぬ事で、この忌まわしき偽りの人生に幕を引く事がようやっと可能になるのだから、これで幸せに休息がやっと出来たのをみんなで祝福してあげるべきなのかも知れない。
しかし、観客である私の、個人的な思いで言えば、彼女には永遠の夢に終わる事無く、タバコ屋の経営をして欲しかったと願わずにはいられなかった。
無理にパートナーを見つけ出し、無理矢理な家庭生活を夢に描いても、結局は砂上の城、風に吹かれて跡形も無くなってしまう事が、更に淋しさを誘う。
話しは変わるが、ジョディー・フォスターが先頃、ゲイであることをカミングアウトしたけれども、アルバートの生きた時代とあの環境では絶対に彼女の生き方は許されない事だろう。決して100年の間に人々の意識が拡大して、世の中が大らかになり、どんな人々にも自由と平等に生きる道が開かれているとは思わないのだが、それでも今の欧米諸国ではこんな人権侵害をしていた時代の事の方が考えられない事だと言うだろう。
しかし、現実に性の問題に限らず、どんな人々にも自由と平等な機会が同等に与えられ、何の区別や、差別も無く総ての人の生き方が平等に認められ、人生の時間が与えられ、希望を持って生きていける人がこの世界にどれ位生きているのだろうか?と疑問を持ってみると、人々は肌の色や人種、性別、学歴、財産、容姿を含めて実に様々な制約を課せられた狭い世界の中で時に辛くても、我慢して生きて行かなくてはならないだろう。
それを思うとこれは、単なるアルバート個人の哀しき人生の物語としてばかりでなく、万人に共通する人生の物語ではあるまいか。私たちも心を無色透明にして、あらゆる偏見や差別意識を捨てて、どんな人々の生き様をも否定する事無く、受け入れ、肯定して生きる事が出来たなら、この地球と言う世界での生活ももっと輝くものになるだろう!
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