「ラストに納得出来ないがそれなりの作品だ」アルバート氏の人生 Ryuu topiann(リュウとぴあん)さんの映画レビュー(感想・評価)
ラストに納得出来ないがそれなりの作品だ
「彼女の真直ぐな生き方が、みんなの心に小さな明かりを灯す」と言うナレーションに被さるように、シニード・オコナーの主題歌が最高に美しい声で謳い上げられていく予告編を観てしまったら、思わず涙腺がウルウルとして、しかもあの名優のグレン・クローズが80年代に舞台で演じたその演目を30年以上温め、彼女が女優人生を懸けて、自分が死ぬまでに是非映画化したいと望んでいた作品だと聞き、遂に映画が完成出来たと聞けば、映画好きの人なら絶対に観落としてはならない、必見の作品と考えても不思議ではない!されど、映画には個人的な相性と言うものが存在するのも事実で、彼女が演じた、このアルバートと名乗る女性は、本来生れて来た女性と言う性を捨てて、男性と偽り、男性としての人生を生きなければ、生活が出来なかったと言う、この選択の余地など許されない、切羽詰まった、ギリギリのこの彼女の人生の物語にどれだけの人々が共感する事が出来るかどうかについては、好みが大きく分かれるところだと思うのだが?
そんなアルバートの人生を思えば、観客もせつない気持ちで胸が一杯になり、観ていられない!
この19世紀のアイルランドと言う環境と時代があまりにも彼女の人生を辛く哀しいものにしていて、こんな人生が有って良いものか?と今に生きる、私は我慢が出来無くなる。
そして、このラストの急展開には正直驚かされたが、しかし結局彼女は、死ぬ事で、この忌まわしき偽りの人生に幕を引く事がようやっと可能になるのだから、これで幸せに休息がやっと出来たのをみんなで祝福してあげるべきなのかも知れない。
しかし、観客である私の、個人的な思いで言えば、彼女には永遠の夢に終わる事無く、タバコ屋の経営をして欲しかったと願わずにはいられなかった。
無理にパートナーを見つけ出し、無理矢理な家庭生活を夢に描いても、結局は砂上の城、風に吹かれて跡形も無くなってしまう事が、更に淋しさを誘う。
話しは変わるが、ジョディー・フォスターが先頃、ゲイであることをカミングアウトしたけれども、アルバートの生きた時代とあの環境では絶対に彼女の生き方は許されない事だろう。決して100年の間に人々の意識が拡大して、世の中が大らかになり、どんな人々にも自由と平等に生きる道が開かれているとは思わないのだが、それでも今の欧米諸国ではこんな人権侵害をしていた時代の事の方が考えられない事だと言うだろう。
しかし、現実に性の問題に限らず、どんな人々にも自由と平等な機会が同等に与えられ、何の区別や、差別も無く総ての人の生き方が平等に認められ、人生の時間が与えられ、希望を持って生きていける人がこの世界にどれ位生きているのだろうか?と疑問を持ってみると、人々は肌の色や人種、性別、学歴、財産、容姿を含めて実に様々な制約を課せられた狭い世界の中で時に辛くても、我慢して生きて行かなくてはならないだろう。
それを思うとこれは、単なるアルバート個人の哀しき人生の物語としてばかりでなく、万人に共通する人生の物語ではあるまいか。私たちも心を無色透明にして、あらゆる偏見や差別意識を捨てて、どんな人々の生き様をも否定する事無く、受け入れ、肯定して生きる事が出来たなら、この地球と言う世界での生活ももっと輝くものになるだろう!