「日常と非日常の狭間の静かな怖さ」エクソシスト あんちゃんさんの映画レビュー(感想・評価)
日常と非日常の狭間の静かな怖さ
1974年の封切だから私は中学生だった。50年近い月日が経って再び観たが昔のように首が回ったり緑の液体を吐いたりする見せ場が特に怖いんじゃない。
極めて巧妙な脚本、演出である。因果関係は全てクリアにはならず含みを残して描かれる。メリン神父のイランにおける発掘とアメリカでの悪魔祓いに直接繋がりがあるとの説明はされていない。(一箇所だけ悪魔祓いの途中でイランの彫像が現れるがこれはメリンの脳内映像かもしれない)
リーガンに憑いたモノはカラス神父の母親を知ってはいるが母親の旧姓を答えられずまた偽の聖水に反応するなどその存在自体に怪しいところがある。
映画監督の転落死は実際のシーンが出ないのでリーガン=悪魔の仕業とは言い切れない。(酔った監督が執事のカールを頻りにナチ呼ばわりするシーンがあり殺したのは恨みをもったカールかもしれない)また教会のマリア像を黒魔術的に汚した犯人も最後まで明らかにならない。
凡百のホラー映画とは異なり、こいつがこんな悪いことをやりましたといった犯人明示的な導きはされていないのである。何も解決しておらず、心に弱みがある人にはいつ何かが取り憑くか分からないことが暗示される。
この映画は当時、悪魔祓いが現代にも生き続けていることを紹介し大きな話題になった。映画の中で精神科医が説明しているようにショック療法として悪魔祓いに頼らざるを得ない心の闇、悪魔の仕業としか思えない所業というものは存在し、日常に地続きになっている。そこが制作者の描きたかったところなのだと思う。だからこの映画の一番怖いところは全てが起きる前、女優がジョージタウンの街を歩いて家に帰るところなのである。秋のジョージタウンの街並みは美しい。でも既に災いの種子は蒔かれていて直ぐそこに迫っている。だからあの印象的なテーマ曲チューブラベルズは本編ではここだけ流れる。それが怖い。
いやー凄いレビューです。自分も何だかわからないけど凄い作品だと思いましたが、明晰に文章化されている事に驚きます。感謝です。^ ^
この複雑な現実を矛盾を孕んでいても並列して描く事で、自分の身近な現実にも起こりそうと想起させられるので恐怖を感じるという事でしょうか。f^_^;
本当にいろいろな視点で見れるので何度見ても新しい発見がありますよね。^ ^
いわれてみれば、たしかに一番怖いのは、あのテーマ曲が流れるシーンですね。
あんちゃんさんのレビューを読んで合点がいきました。
リーガンのシーンばかりに着目し、「なんだ全然怖くないじゃないか、この映画」と思った自分のものの見方の浅さを反省しました💦