「私がここにあるということ」光のノスタルジア ouosouさんの映画レビュー(感想・評価)
私がここにあるということ
その大きさと乾燥地であることから、大きな天文台が設置されているアタカマ砂漠。ここは、ピノチェトによる大量虐殺者が埋められた場所であり、先住民が死者を葬った場所でもあった。砂漠の死者は乾燥と塩分によってミイラとなり、砂へは帰らない。
天文学も歴史学も考古学も過去を分析する学問だが(天文学もそうだというのが面白い)、天文学は地球もその他の星も同じ成分でできていることを明らかにし、地球や〈私〉というものの優位性を消去する。アタカマ砂漠で虐殺された者たちの骨を探す作業は、他ならぬ〈私〉とその家族の存在が地球上に刻み込まれている痕跡を探す。 片方には傷つきを癒すというもう一つの大きな目的がある。両者に大きな違いはあるものの、どちらも〈私〉というものの存在の根拠を見つける作業として、〈私〉というものは遍在するという視点を得ることで、円環を描いて映画は終わる。
冒頭見ていて『三体』を思い出した。思えばあの小説(ドラマ)も、エンタメではあるが革命の傷をどう癒すかということではある。天文学・考古学・歴史学に文学が交わる。
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