ビル・カニンガム&ニューヨーク : 映画評論・批評
2013年5月8日更新
2013年5月18日より新宿バルト9ほかにてロードショー
にこやかな大隠と寛容な街の空気
「大隠は市中に棲む」と、かつて石川淳は書いた。正確にいうと、中国の詩を引用してそう書いた。「ビル・カニンガム&ニューヨーク」を見ていて、私はこの一行を思い出した。ここにもいるじゃないか、大いなる隠者が。
ビル・カニンガムは、ニューヨーク・タイムズのカメラマンだ。80歳をとっくに超えたいまも、マンハッタンの街に自転車を漕ぎ出し、全身を眼に変えて、おしゃれで楽しそうな人々の姿を撮っている。
その姿は、ファッション・フォトグラファーというよりも人物写真家や戦争カメラマンに近い。ただし、隠者といっても、ビルは笑みを絶やさない。自身をきびしく律しつつ、肩肘を張らず、面白いと思ったものを正直に撮りつづけている。そして、ここが肝心なところだが、ビルは自分の仕事が大好きだ。仕事をつづけるため、あるいは仕事を妨げられないために、彼は極力、私生活をシンプルに削ぎ落とす。そう、彼はマンハッタンの真ん中で、作家ソローが唱えた「森の生活」を営んでいるのだ。
暮らしの印象は、なんとも好ましい。家賃の統制された狭いアパート(カーネギー・ホールの上階)に住み、事務用のキャビネットにはさまれて眠り(バスとトイレは共用)、食事もきわめて簡素だ。仕事着は、パリの道路清掃係が制服にしている青い上っ張り。
無欲と呼ぶのがぴったりの生活だ。が、貧乏臭さはこれっぽっちも感じられない。ビルは楽しそうだし、見ているこちらも彼の幸福感を分かち合うことができる。理由のひとつは、ニューヨークという街の寛容で闊達な空気にあるのかもしれない。ビルも魅力的だが、画面から滲み出る街の空気と自転車の速度は、じわりと身体を温めてくれる。映画を見たあと、私はビルの真似をして、コバルトブルーの上っ張りを買ってしまった。
(芝山幹郎)