きっと ここが帰る場所 : 映画評論・批評
2012年6月19日更新
2012年6月30日よりヒューマントラストシネマ有楽町、シネマライズほかにてロードショー
アンバランスな人間が抱える痛みと哀しみ
宣伝画像からは意図的に(?)排除されているようにも思えるのだけど、この映画はまず、ショーン・ペン扮する初老の元ミュージシャンの皺だらけの顔を見つめるところから始まる。過去の輝きを失った彼の現実を皆でじっと直視して、その皺とそこに刻まれた痛みと哀しみを皆で共有する。その決定的な何かを見ることの居心地の悪さと無力さを、そこにいる全員が全力で受け止める。それがこの映画を見ることである。
そんなことを思わざるを得ないほど、主人公の痛々しさが目に刺さる。しかし一方で彼は、しっかりと株で大儲けしている。落ちぶれて哀しみに溢れたミュージシャンでもあり、同時に株で大儲けする人間。馬鹿げてはいるが、そんなアンバランスな人間が抱える痛みと哀しみを、この映画は伝えるのだ。
哀しみはすべての人に平等である。だからこそ哀しみのどん底でも株で儲けることはできる。哀しみと経済的な成功とがまったくリンクしない哀しみが、そこにはある。まともに歩行も出来ず、よちよち歩きで買物をする主人公だが、しかし車の運転はうまい。頼りなさ過ぎる歩行とのあまりなギャップが抱える哀しみが、そこにはある。嫌悪感と親密さが同居する。帰る場所は果てしなく遠く、しかし気がつくとすぐそばにあるのだ。そんな遠近感の狂った愛おしさが、スクリーンからこぼれ落ちてくる。
(樋口泰人)