マレフィセントのレビュー・感想・評価
全107件中、101~107件目を表示
個人的には…
アナ雪が面白かったので見に行きました☆
原作の眠れぬ森の美女はうろ覚えですが、マレフィセントってもっと悪役なイメージだったので覆されました。妖精だからか、とても純粋。ツンデレか!とツッコミをいれたくなるシーンも笑
個人的には、もっとドロドロした話を期待していたので序盤までは面白くみれたけど中盤からは、あらら?て感じでした。
ラストシーンは、アナ雪の二番煎じのような…。ステファンは、なんでこんなに心が荒んでくの?とあらすじ調でストーリーが進んでいくとこがあったので、感情移入できるエピソードがもうちょっと欲しかったかなぁと思ってしまいました。
マレフィセントに重きをおきすぎて、置いてけぼりなうちにあっさりラストで終わってしまった感じがしてしまいました。
映像はとても綺麗でした。
亀田大毅がカメオ出演。
「マレフィセント」見ました。
原作未見、てか原作を知りません。
アンジーがあまり好きではないので、鑑賞。
とりあえず、とても楽しく拝見しました。
アンジーもとてもハマっってるし、マードックは王としては地味だけど狂気沁みた感じがピッタリ。オーロラ姫は、ダコタ程ではないが可愛くて、自由奔放さが似合ってた。
話としては、とてもイイ話です。自分で魔法掛けといて、ストーカーのように付いて回るマレフィセントがとても微笑ましい。鑑賞前、マレフィセントはとんでもない悪女だと思い込んでいただけに、幼いオーロラ姫を抱っこする場面なんかは意表をつかれました。思わず笑みが。
マレフィセントが肝心な所で魔法を使わないでボコられるのは、かなり納得がいってませんが。
マレフィセントがオーロラ姫を救う展開も、それじゃヴィランとは程遠い設定ですよね。隣国かなんかのフィリップ王子が出てくるけど、彼が真実の愛を抱いているとは考えられないほど存在感も絡みも薄い。例えば、オーロラとフィリップに真実の愛を芽生えさせようとマレフィセントが奔走する、くらいのバランスにしないとヴィランじゃなくてただの良い人に見えてしまう。
フィリップじゃなくても、ディアヴァルでもイイよ。彼は糞程も役に立ってない。いなくてもなんの問題もない。せめてオーロラに片思いさせるとか、せっかく鳥から人間になったんだから人間らしさを見せてほしかった。もしかしたら、亀田大毅に似てるから日本へのサービス出演だったのかもしれませんね。イライジャ・ウッドにも似てるか。
面白いと言いつつ、揚げ足取りしてすいません。
話の欠陥は感じつつも、描きたい世界観は伝わりました。
大自然の映像もスゴくて、壮大で色彩もとても奇麗でした。
アナ雪よりは良い映画。
昨日友達と行ってきました 公開前からずっと楽しみに してたのでほんと見ることが 出来てよかったです
眠れる森の美女のイメージが大きかったけど
マレフィセントは全然違ってました
アナ雪より感動した感じあります
絶対に見た方がいいです
良い意味で期待が裏切られました
「マレフィセント」を鑑賞するにあたり、これまで観ていなかった「眠れる森の美女」から入ったんですが、これがまず酷い。
当たり前ですが、所謂「白馬に乗った王子様待ちのお姫様」な話でしたので、現在の作風に染まりきっていて、且つ男視点で西洋文化圏の生活に馴染みのない自分には不向きな映画でした。
付け加えると、やりたい放題の妖精トリオが凄くイライラしていました。
画はとても素晴らしかったんですが、ストーリーがこんな印象でしたので公開直前でかなり期待値が下がっていました。
それが良い意味で裏切られた状態でしたので、非常に良かったです。
「眠れる森の美女」の裏話が語られるのかと思いきや、タイトル通りマレフィセントが主軸で話が進んでいきます。
幼少期に出会ったマレフィセントとステファン王。
互いに恋に落ちて真実の愛を誓うも、欲に溺れたステファンが原因で疎遠になり、早々にこれまで続いてきた「真実の愛」を大否定。
時が経ち成長した二人は再会し絆を取り戻したかに見えましたが、欲に抗えなかったステファンは、マレフィセントを睡眠薬で眠らせた上に、彼女の背中にあった翼を切り落とし奪い去り、それを手見上げに王座にのし上がるという暴挙に。
彼女に残ったのは深い心の傷と歩くようになるための杖、そして自分の翼の代わりになる鴉。
純真無垢だったのはオーロラ姫ではなく、マレフィセントだったという罠。
そしてオーロラ姫の誕生。「眠れる森の美女」の冒頭に。
愛が憎しみに変わり、その愛が深ければその怒りと憎しみは絶大であり、復讐の為にオーロラに呪いをかけるマレフィセント。
裏返しとして、自分で呪いを解く方法に「真実の愛」の条件を加える。
呼ばれてないのに誕生パーティに列席していた妖精トリオ。彼女達が要らない子になった瞬間でもあります。
ここから更に新たな物語に。
ダメ妖精トリオが子供を育てられるはずもなく、マレフィセントが隠れてオーロラを見守り続ける事に。
オーロラが成長していく姿に、元々純粋だった彼女の心に愛情が戻り、傷が癒されていきます。
翌々思いましたが、この妖精トリオは育児放棄や大人になりきれない大人達を象徴している様にも見えますね。
復讐の後悔から呪いを解こうとするも叶わず、16歳の誕生日。
オーロラとフィリップが出会い恋に落ちますが、それだけ。
唯一の救いの道とマレフィセントは奮闘しますが、まだ愛を育んでいない彼らにはどうすることもできず、王子のキスでは目覚めない。王子なにも悪くないですが、要らない子に。
結局目覚めたのはマレフィセントによるキス。
今回語られた「真実の愛」とは男女のそれではなく、子を人を育て見守るという親子の愛。
未だ人の親ではない自分に推し量れる感情ではないですが、流石は6人の子供の親アンジェリーナ・ジョリーは見事に演じきっていた様に見えました。
この後狂気にまみれたステファンが出張るんですがそこはもはや蛇足。
「アナと雪の女王」では姉妹の愛を、「マレフィセント」では親子の愛を。
次の「美女と野獣」では何を語るんでしょうか。楽しみです。
個人的には受け入れがたい
まずそもそも、『眠れる森の美女』のあの状況で「一方マレフィセントはこの時〜」みたいな作品かと思っておりました。違いました。
ステファン王を悪役とし、フィリップは活躍する機会がないし、個人的には男性を卑下している様な感じがしました。
確かに女性側も、三妖精があれじゃDQNだわという感じでしたが、オーロラ姫は純粋無垢でマレフィセントも本当は悪くないと、良い印象ばかりの強調みたいでした。
確かにステファンは悪い。しかしだからって、その子供に呪いをかけるのも悪い。子供は何も悪くない。解こうと努力したのも理由は、結局は自分の感情からでしかありませんでした。自分が彼女に愛情を持ったから解く。身勝手だなあ…。
フィリップ王子のキスで解けないでマレフィセントのキスで解けるというのも、ホラ男は頼りにならない!と男卑的に言っている様に感じてしまいました。確かに、生まれた時のお祝いで会う事も夢で会う事もなく、そりゃあ愛は育まれないでしょうが、そこは制作さんが愛の育まれるシーンや展開を作れば良かっただけです。
『アナと雪の女王』では、凍てついたアナを溶かしたのはエルサの愛情でした。でも恋愛は否定しておらず、アナはクリストフとキャッキャウフフしてます。しかしこちらでは、とにかく(元々人間の)男は良い印象がない。『眠れる森の美女』でも有能に働いていたあの烏が頑張ってはいましたが、だって彼は部下だもん。
オーロラ姫の吹き替えが上戸彩という事を知った時点でアカンとは思っていました。やっぱり姫らしい気品などは感じられず、ただの女の子な感じの声や喋りになってました。だから、話題作りの芸能人はやめてってば。
ステファン王を悪役にするにしてもあまりにベタでパンチが弱く、やるならもっとやって下さい。貧しくて出世の為に悪くなるとはベタ過ぎます。
ムビチケ買ってまでの期待だったので、ショックです。西洋では女性がプリンセスの話を鵜呑みにして現実とのギャップから逆恨みしてるとか聞いた事ありますが、もしこれで満足ならただの男卑女尊です。男の尊厳を無くして是とは言えません。
男も女も関係なく活躍!というのも描けたりしている点等々、アナ雪は凄かったなあ…。
ディズニーもワンパターンではだめだと思ったのかな。
アンジェリーナ・ジョリーだからできた映画です。お姫様が王子様に助けられていつまでも幸せに暮らしました、という定番の御伽噺のラストに現代的な、新たな提案がされています。というかなーんかフェミニスト的なにおいがぷんぷんするんですが。
西洋文化圏に住んでみると、とにかくディズニーがすべての子供たちの教育のベーシックになっています。「女は女らしく、かわいくしてればそのうち王子様が永遠の愛を誓ってくれるわ、ふふふ。」と心から思っている女性が大半です。それゆえ大抵の女性は成人以降、現実と理想の男性とのギャップに苦しみます。王子様のような男性なんて基本的に存在しませんので。キリスト教圏では基本的に離婚は罰で、死後地獄に落ちることになるので、多くの主婦は結婚後に現実に直面しても、結局はそれを受け入れるしかなく、その代償行為として恋愛テレビドラマのなかで夢を見たり、反動でフェミニストになったり、一生現実を受け入れられないまま心を病んでしまったりと、実はかなり根の深いところで社会に影響を与えています。
御伽噺は人間がシンプルに生きていた過去の時代には役に立ったんでしょうけど、現代ではなんともリアリティがなさ過ぎます。近年マンネリ化していたディズニーも重々分かっていたこと出だとは思います。
で、この映画はそういう、「結局は御伽噺なんて現実にはないのよ!王子様なんていないのよ!」と卑屈になっている西洋文化圏の女性たちに、一段掘り下げた夢を与える、といった意図で作られたんじゃないかと勘ぐっています。ですのでこれは本当のフェミニスト映画じゃなくて、フェミニスト「的」視点を加えた、今までのディズニーの甘すぎる価値観にアレルギーのある人たちのために作られた映画じゃないかなとおもいます。あくまでそれは「的」であって本当のフェミニストとは違いますし、あくまで表向きのこと。だから母であり美しく、また自立した強い女性というイメージの強いアンジェリーナ・ジョリーが主役に選ばれたのもわかるし、むしろ彼女以外では考えられない。
でも最終的にはオーロラに対するジョリーの行動や与えるものはやはりディズニーの伝統的な価値観なんですよね。「女は強くなる必要ないのよ、女は女らしく、馬鹿でもいいから、男に愛されるようにかわいくありなさい、一生夢の中で生きなさい。」位の勢いでやっているので、結局はディズニーはディズニーなんですよね。
アイスマンというサイコパス殺し屋の映画がありました。彼は外では人を山ほど殺し、家では妻と娘を大事にして、王女様、お姫様的な世界を与えていました。家庭を現実世界から隔離して、自分の理想の楽園、もしくは箱庭としてみていたのかもしれません。そういうゆがんだ発想は実は西洋文化圏で起こりやすいことだと思います。この映画でジョーリーが最後に取った行動は、なんだかそのようにも見えなくもないですよね。とにかくお姫様がへらへら笑うだけで頭の中がお花畑状態でまったくの役立たずなのに、その辺をなんとも思わず楽園に住まわせるジョリーの今までの人生の出の学びは一体どこに生かされるんだ、と突っ込みを入れたくなります。
ちょっと拡大解釈かもしれませんが、そんなことを思いました。
全107件中、101~107件目を表示




