劇場公開日 2012年1月28日

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「21世紀の「市民ケーン」」J・エドガー bashibaさんの映画レビュー(感想・評価)

5.021世紀の「市民ケーン」

2012年1月28日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

知的

似ている。余りに似ている。ディカプリオがオーソン・ウェルズに似ているのだ。今年は2012年である。イギリスの映画雑誌「sight & sound」が10年に一回、映画史上のベストテンを発表する年である。ウェルズの「市民ケーン」は、1962、1972、1982、1992、2002、と40年以上にも渡って、ベストワンを続けているもはや不動の映画である。しかし、私はこの映画を買わない。技巧や皮肉に満ち溢れているこの作品は、人間の感情の発露や人と人との交流の描写を厳しく拒否している映画なのだ。天才と称される人間にしばしば見られる傾向である(スタンリー・キューブリックもまた然り)。今回の「J・エドガー」はまさに21世紀の「市民ケーン」である。物語の骨法、主人公の立場、それに主人公の容貌、何から何まで「市民ケーン」を想起させる。しかし、大きく違うのは、ウェルズが青臭い天才であったのに対し、イーストウッドは手だれの職人であったということだ。弱冠26歳のときに「市民ケーン」を撮ったウェルズには、どうしても得ることなできない「人生経験」が絶対的に不足していた。イーストウッドの役者、監督、作曲家としての豊富な人生経験は、21世紀の「市民ケーン」をより豊かなものにしている。人間的味わいに満ちた映画にしている。「インビクタス」や「ヒア アフター」では力の衰えを感じさせるような場面が随所に見られ、イーストウッドもついにヤキが回ったか、と思っていたが、今回の作品は違う。イーストウッッドは再び黄金律を取り戻したのだ。必見です。

bashiba