劇場公開日 2012年3月31日

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「それを温故知新とひとは言う。」ドライヴ 蒔島 継語さんの映画レビュー(感想・評価)

5.0それを温故知新とひとは言う。

2012年9月26日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

興奮

知的

襲う場所と逃げる先を教えろ

仕事は5分でやれ

何があろうと
5分間は外で待つ

その5分間を過ぎたら
待ってるとは思うな

銃は持たない
運転だけだ

全てが謎に包まれた男。数年前に街に流れ着いた、ある男。夜の危険な世界につながりを持つ男。感情を滅多に表に出さずに日陰を生きる。そんな寡黙な男が、ある日出会ってしまったひとりの女性。次第に近づいていく二人。その彼女の夫が服役を終え、獄中でトラブルを抱えたまま二人の前に現れる。

男が自らに課した「美学」。愛する隣人のためにその一線を踏み越えるとき、物語は下り坂を転がるように疾走(ドライヴ)をはじめ、寡黙な男の激情が走る(ドライヴ)。

ファッションの話をしよう。

世の中には流行がある。今年はこれがトレンド。こいつはもうダサい。そんな流れが季節に寄り添って移り変わって行く。でも何年かそんな流れの中にいると、定番といえるスタイルが見えてくる。流行も押さえながら自分のスタイルを身につけていくこと。それがオトナになることの楽しみのひとつだと思う。スタイルは生活や人生観、世界観とセットになったものだ。

映画にも流行がある。マトリックスが大成功した後には、スローモーションやバレットタイムが大流行したよね。それこそ、なんでここでスローになるの!?ってところまで。ジェイソンボーン三部作が成功を収めてからは、あの007までもがあのアクションのスタイルをカバーするようになった。

でも、いま流行っているものが全てじゃない。

かつてのスタイル、今は忘れられかけた、アーカイブの中にあって、しかし輝きを失わないモノ。

ドライヴはストイックなまでに、そんな「ありし日のスタイル」にこだわった、「スタイルのスタイルによるスタイルのための」映画でもある。

例えば主人公。七三にわけたブロンド。トレードマークは背中に黄金のサソリの刺繍を背負った、白いナイロンブルゾン。色落ちの少ないスリムなブルーデニム。口にはいつも楊枝をくわえ、クラシックな腕時計を嵌める。昼はカースタントのアルバイト、あるいは自動車整備工場の修理工。そして夜の顔は凄腕の「逃がし屋」。本稿冒頭のくだりは、劇中でクライアントに並べた彼の条件だ。職人的な妥協なきストイックさがそこにはある。

愛車は73年式シボレー マリブ。くたびれた旧いクルマという以外に特徴はないが、ボディはいつもクリーンで、コンソールには丁寧にインストールされた三連メーター、そしてステアリング前には外付けのタコメーター。4200回転のところにさりげなく赤いマークが施されている。こだわりがこれだけでも充分読み取れるだろう。

映画のルック、映像の「見た目」にも掟がある。徹底的にハイテクを排除した生活空間。現代を舞台にしながら、パソコンはスクリーンに映らない。ほんの僅かな例外を除いて、デジカメも、タブレットも、ハイテクを感じさせるガジェットは丁重に映像から遠ざけられ、ノスタルジックな世界が広がる。

主人公が暮らすアパートも、いたるところがくたびれて、いかにも安そうだ。壁紙は色が抜けているし、エレベーターなど今にも故障しそうな古さ。たやすく蹴破れそうな木製のドア。アパートから一歩外へ出れば、街並みも疲れていて、近代性やモダンな印象が注意深く排除されている。そこに広がるのは都会でありながら繁栄から置き去りにされたかのような、埃にまみれた郊外の風景。

そう。この映画は70年代、または80年代のあるジャンルのスタイルを、様式美として貪欲に取り込んだ、美学に関する映画でもあるんだ。

じゃあ、過去の遺産への単なるオマージュなんですか。コピーしておしまいですか。

そこで若きレフン監督が選んだのは、あるスタイルを踏まえながら、新たなスタイルを作り上げること。照明の使い方に関する思い切った演出をもって、その突破口を切り開いた。

普通、映画の照明というやつは、照明そのものが演出となることは少ない。キャメラの被写体をいかに写すかという補助的な役割を果たす存在であって、演出論から言ってみればデジタルカメラ、フィルムカメラに対するレフ板のありかたに近い。

しかし、この映画では、照明自体が語る場面がある。照明が役者の前に出てくるとんでもない場面があるのだ。それは決定的に舞台照明のやりかたで、演劇の照明家や演出家の得意とする手法だ。

同時に、光と陰そのものに意図と意味を与え、映画を読み解く手掛かりとしている点も見逃せない。例えば、アンバーレッドとブルー(あるいはブルーグリーン)の照明。その使われ方にはおおいに寓意性があり、暗喩としてのコードを含んでいる。

かつてロードオブザリングでピーター=ジャクソン監督が、その語り口において作家性を物語ったように(伊藤計劃氏の指摘)、本作ではニコラス=ウィンディング=レフン監督は、照明による演出という語り口を持って、かつて語られたスタイルに新しい彩りを添えた。

ファッションの世界では、定番的な「型」に新たな素材や縫製、ディテールを持ち込んで、再びブレイクさせる瞬間がある。カンヌに、そして世界に届いた新たなスタイルの出現に興味を持ってもらえたなら、ぜひ目撃してほしい。

あなたには本作の照明の「意図」が、全て読み解けるだろうか?

蒔島 継語