「サヨナラだけが、人生じゃない!」幕末太陽傳 moemumuさんの映画レビュー(感想・評価)
サヨナラだけが、人生じゃない!
川島雄三という映画監督は、時代を超えて評価が高まる監督だ。
「洲崎パラダイス・赤信号」という映画が、黒澤明の「生きる」に相当する映画である。「幕末太陽傳」は、「七人の侍」に相当する映画だと言い切ってよい。
「おそめ/金造の品川心中」を映像化し、ここでチャップリンでも出来ない「落語の映像化」をやってのける。心中志願者は、実は心中を望んでおらず、現実から”逃げているだけ”という揶揄を表現して見せた。
心中する、自殺することを、とことん批判した川島雄三。
彼は、女の度厚釜しい生理を批判し、男は”草食系”の頼りない生き物だと、この時代から見抜いていた。
居残り左平次は、川島雄三のブンシンである。女の度厚釜しいのを”笑い”にし、高杉晋作の偽善性を批判する。
「(お侍さん;旦那方は)(百姓町人からしぼり上げたおかみの金で、やれ尊王の攘夷のと騒ぎ回っていりゃ済むだろうが、こちとらと町人はそうはいかねえ」「手前一人の才覚で世渡りするからにゃ、へへ首が飛んでも、動いて見せまさア」…助監督今村昌平曰く、「(このバネの効いた町人左平次は、川島雄三そのもののイメージだ」。
黒澤でも、七人の侍でも、こんなセリフはない。
”進行性筋萎縮症”をひたすら隠して、それを言い訳にしないで、映画をダイナミックに製作し続けた監督だ。普通の人間、いや権威を媚びてこの病気を罹病したら、必ず良いわけ材料にするが、絶対死ぬまで、他人に良いわけしなかった。
今村昌平が、川島の死後、これに気がついて「サヨナラだけが人生だ。映画監督川島雄三の生涯(ノーベル書房)」を編集した。また川島雄三の生きざま「生き急ぎの記」を表わした藤本義一は、これ1本で、直木賞候補になった。
マンガでも「栄光なき天才たち:川島雄三 No 10」など、彼を文学にすえると、これまでの日本文学者作品が面白くなくなってしまう、それだけ魅力的な映画監督だ。
川島雄三の生き様で、人生が変わってしまった今村昌平、藤本義一、彼を師匠と崇拝する山田洋次、岡本喜八、ヱバンゲリオンの庵野監督など、川島のフリークに憑依された人間は後をたたない。
だから、川島雄三が早く死んでしまったのは、とても残念、いや、死んで欲しくなかった。
「サヨナラだけが人生じゃない」なんで早く死んでしまったのか。「人間、死ぬときまで、生きなきゃならないんですからね」(洲崎パラダイス・赤信号)。地震がなんだ、不況がなんだ。ボロボロになっても、人間生きなきゃならない。川島雄三の、とてつもない生命力に、気づいた人間は、おそらく川島カルトになってしまう。それだけの破壊力ある人間の代表作品だ。