「風車(神の眼)から見る市民の生活」ブリューゲルの動く絵 Chemyさんの映画レビュー(感想・評価)
風車(神の眼)から見る市民の生活
映画は娯楽か、芸術か?個人的に映画は娯楽だと思っている。しかし一言で娯楽と言っても様々な娯楽があるわけで、観る人によって娯楽の差はある。思い切りハリウッド・メジャーを娯楽と思う人もいれば、哲学的テーマを掲げた小難しい作品を娯楽(エンターテインメント)と思う人もいる。もちろん私は後者なのだが、前者を否定するつもりは全く無い。
さて、そんな芸術性の高い娯楽映画(笑)である本作は、タイトルどおり、ブリューゲルの絵が動いている。現代のCG技術と古典的な技法を駆使して、16世紀のフランドル地方の市民生活を再現してみせるのは、『バスキア』の制作・脚本を担当したポーランドの鬼才マジュースキー。1枚の絵の中に膨大な人物を登場させ、聖書物語の中に、真の人々の生活を活写した天才画家ブリューゲルの「十字架を担うキリスト」に“恋”した監督が、劇中の1シーンで、その絵画を細部に至るまでを完全コピーした驚きの映像は圧巻だ。しかし、絵画の完コピが本作の目的なのではなく、そこに描かれた“人々の暮らし”を模写することが監督の狙いなのだ。
朝靄につつまれる中、小高い丘の上に立つ、風車が轟音と共に麦を挽きはじめると、村人たちは目覚め、1日が始まる。絵画の象徴とされる風車はまさに神の目線(キリスト教でパンはキリストの肉体を指しており、そのパンを作る小麦を挽く風車こそ神そのものという意味もある)であり、侵略者によって迫害される貧しい人々をクローズアップしていく。ブリューゲルが描く通りその目は、ゴルゴダの丘に向かうキリストだけが主役なのではなく、キリストの磔刑に関わる(野次馬を含め)すべての人々を余すことなく見つめる。涙する聖母や、裏切者ユダだけではなく、役人や子牛を売る若夫婦、パン売り、道化、子供たち、そして画家本人の“想い(=祈り)”を神に捧げる。
キリスト復活までの村の生活を、温かく時に残酷に描くことで、市井の人々の不屈の精神を表現したのだ。そう、まさしくブリューゲルの描いた絵画のように・・・。
ブリューゲルにエドガー・ハウアー、そのパトロンにマイケル・ヨーク、聖母マリアにシャーロット・ランプリングという、映画ファン垂涎の珠玉のキャスティングで、静かで力強い芸術的エンターテインメントに挑んだ監督のチャレンジ精神に、私自身も神に祈りを捧げたい。