ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Qのレビュー・感想・評価
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旧作好きとしてはたまらない。
旧作アニメから劇場まで、ほぼリアルタイムに追っていた身としては、たまらないと思った。
破までにあったエヴァらしからぬハツラツとした世界観が、旧作にあったあの陰鬱として更には「その伏線どこいったのよ」とか「だからそれ、どういう意味」というある意味置いていかれた感じ。
ああこれぞエヴァでありヱヴァだ。
なんて思いながら上映後、もう一度見ようと思った。
結局のところ、破までなぞっていた旧作でしたが、今回もある程度なぞってるな、と。
それこそ「ユニゾン」は消えたのか。と思っていましたがある意味ではカヲルとシンジが今回はユニゾンしてるんだなーとか。
イロイロ投げられっぱなしだったり破から矛盾してる点は「あれ?」とおもいますが。
それは様々な考察読みながらこれもまた「新劇場版の世界の中でのループ」というのが納得してみたり。
それこそ「Q」というタイトルの音に「旧」も当てはまるというあたり、旧作からのループも含んでるのかしらなんて考えたり、カヲルの「自分がこれでいいと思うまで」という台詞はもうそのままループなのか。と思わされたり。
しかし。
やはりカヲルの最後は首なのかーと思いながらも、アニメより、漫画より、何より一番人間らしいカヲルの最期だった気がしなくもありません。
予想外の状況に今までならサクサク対応してきそうなカヲルでしたが、今回は言葉が紡げなかったり、シンジを諭せなかったり(最もシンジがめちゃノリノリでやりを抜こうとしてたのもありますが)
そして最後の死を受け入れる覚悟を持ってシンジと話をするところとか。
ああ。
シンジを幸せにしたいというカヲルですが、こちちらとしては是非カヲルにも幸せを得て貰いたいと少し思ってみたり。
ラスト、アスカが「助けてくれないんだ」という台詞といいあの世界。
それこそ「あれ、これ旧劇じゃね?」と思いながらちょっと「気持ち悪い」を期待したり。
でもそれが無いからこそ、綾波(黒)という存在がいるからこそ「それじゃない」というのが分かってまたこれ、次が楽しみ。
それにしてもミサトさんの冷たさが「酷い」の一言である。
破のラストを考えると、本当に。でも、仕方ないんだろうなと思ったりしつつ。
破もQも、シンジが自発的に他人のために何かしようとする姿は、新劇場版だなーと思いました。
一応ラストの次回作。
2015年セカンドインパクトが起こった時に、終わるんでしょうか。
楽しみです。
そしてそのとき、ミサトさんたちと同い年なんだと思うと、リアルタイム世代として……感慨深いです。
ジャイアントインパクトの大安売り
昨日、レイトショーでエヴァンゲリオン見てきました。
なんかもう、過去作見てる人からしたら、とんでもないエヴァですね〜^^;。前の映画はサードインパクトで終了だったけど、今作はサードもフォースも途中半分で、次作じゃファイナルインパクトって…ジャイアントインパクトの大安売りになっちゃったな〜。
なんかもうこうなっちゃうと、なんでシンジ父がそこまで死んだ嫁に執着するのかもわからんし、なんでそこまで必死にみんなで発動を止めなくちゃいけないのかもわかんない(笑)。とっとと死ねばいいのに、とか思っちゃった(汗)。
いまさら母親の設定聞いて、錯乱するシンジ見てもね〜。こちとら、10年前から知ってるしって思っちゃう。
まあでも、それじゃ前作と一緒だから、キャラが生き延びるためには無駄に戦わないといけないわけですしね。カオルくんがいっぱい見れてよかったし。新メカも、戦闘シーンもおなかいっぱいになるくらいカッコ良かったです。
ラストシーンが同窓会みたいで、良かったな。それより、短編の巨神兵東京襲来のほうがインパクトあったかも。新怪獣映画ってかんじで、東京が壊滅していくものすごいカタストロフィーが不思議に爽快で気持ちよかったデス。館内がシーンとしてた(笑)。
ふ、不覚にも上映中寝てた…
わからん・・・
衝撃と爽快感、そして絶望と希望
素晴らしい映画です。
やっぱり、庵野監督はアニメーションがイイ。
CGなどは若干薄っぺら感があるけどそこは動きと演出でフォロー。まあ、アニメは画のリアリティよりも動きなのでその辺は作画時間なんかを考慮するとCGで時間短縮するのはベストな、と言うか苦渋の選択。戦艦の画なんかは本当は手書きでやりたかったんじゃないかな。なのでああいうデザインにしてCGでしか描けない映像にしてると思う。
エヴァのアクションも相当かっこいい。
冒頭の宇宙戦は燃える‼もう、最高‼
最近はなんかを棄てるときはいつも○○をジェットソン!って言いながら捨ててる(笑)
シンジ君は今回は辛い役回り。お弁当男子でモテモテだったことは夢のよう。まあ、破で調子に乗り過ぎたよね(笑)
アスカが今回は萌えた。超可愛かった。最後シンジ君を置いて行かなかったのは惚れた女の弱みって感じでえ~、連れてっちゃうの⁉って思っちゃった。甘いなぁ~って。
カヲル君は石田彰さんの演技が冴えてた。まあ、石田さんだけじゃなく皆さんも冴えまくりでしたが。
とにかく、批判も多いですがそれはまあエヴァなんで(笑)
自分としては一般のお客さんにこのヲタアニメを観せた庵野監督に敬意を表します。約30年前、ダイコン4を観て燃えまくっていた若き日の自分を思い出すと庵野さんも出世したなぁ~と感慨にふけってしまいます。まさかエヴァの映像に宇多田ヒカルの曲が流れる日が来ようとは…。しかも新曲。スゲーな庵野さん。
まあ、これで一般のお客さんが離れてもイイんじゃない?わからない人にはわからないから。自分は庵野監督がやりたい事をやってくれるのが一番嬉しい。今回はそれがヒシヒシと伝わってきた。やっぱり庵野監督はヲタクだった。素晴らしい‼ブラボー‼
次回は「本当にエヴァンゲリオン:オワリ」ってことだと思う。早く終わらせたいでしょう、監督も。最後一つ、頑張って欲しいです‼
何も知らずでごめんなさい…
こういう解釈はどうでしょうか?
今回上映されたものが「シン・エヴァンゲリオン劇場版」だったんです。
それがわかるのが次回予告の時点です。つまり、次回予告が流れて、はじめて私たちはシン・エヴァンゲリオンを見ていたことがわかる仕掛けです。
「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q」の枠の中で「シン・エヴァンゲリオン劇場版(予告付き)」が上映された形です。
時系列は、多くの方々の解釈と同じく、旧TV・劇場版とヱヴァンゲリヲンの間のループのひとつです。内容やタイトルから推測できるようにヱヴァンゲリヲン寄りのループです。
上映動機は、旧TV・劇場版とヱヴァンゲリヲンの補間です。私はこれが言いたかっただけかもしれません。
上記解釈が正しければ、次回作は「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q」の続きです。
以上、Qの続きが見たい私の希望的解釈でした。
ちなみに評価点数は、単純に一本の映画として面白くなかったためです。
心に響いた
今までの映画ではアニメの頃と同じ路線で、シンジくんやアスカやレイの心の闇が中心に描かれていた気がする。
この前金曜ロードショーで2回目の映画作品が流れたが、
私個人としては何かがっかりしてしまった。
1年くらい前なら、レイのシンジをぽかぽかにしてあげたいや、
ぼくなんか。。と落ち込んだり、父との関係に悩む主人公にも共感
できていた気がするが、
去年大震災を経験した日本人には共感にかける映画になって
しまったのではないかと思うのだ。
まず主人公が自分の心の闇にいつまでもとらわれていて外界を
見ようとしないこと、これがすこしいらっとしてしまうのである。
世の中には主人公のように悩んでいる人はいくらでもいる、
そして震災のように身動きできないほどの
苦しみを外から与えられてしまう人もいる。
私自身もいろいろなことに悩みながら生きてきたが、震災があったときは
こんなちっぽけな悩みに苦しいと言い、ぬくぬくと生活している
自分がいやになってしまった。
そして今回の映画。
今回は気晴らしに見に行ったのだが、見に行って本当によかったと思えた。
主人公以外のキャラクター、一人一人から感じられる”人間”としての個性。
そしてそれと対比されるような”綾波”という存在。
より人間らしくなったエヴァの世界で、
主人公が心の悩みよりももっと大きな課題にぶつかり
乗り越えようともがく姿に再び共感が生まれた気がする。
とにかく”生き抜く”ということがテーマの人間らしい映画だった。
転
遂に公開!
『シン・エヴァ』前に、『序』『破』『Q』を一気見再鑑賞。
(レビューはそのままです)
映画の内容に対してではなく、映画への意見に対してのレビュー。
賛否両論真っ二つである。
どちらかと言うと、否が多い。
「訳が分からない」「裏切られた」が大多数を占める。
私は特別裏切られたとは思わなかった。
そもそも『エヴァ』とはこういうものではなかろうか?
良い意味でも悪い意味でも見る者の予想を覆していく。
もしそれが裏切りと言うのなら、『エヴァ』に何を求めていたのか?どんな『エヴァ』を見たかったのか?
シンジ君がエヴァに乗って使徒を倒して世界を救いました?
これまでの謎があれよあれよと解明されていく話?
そんな明解な話が見たいなら、『エヴァ』に期待するのは野暮である。
確かに『Q』は、『序』『破』と比べると物語のメリハリや躍動に欠ける。
でも、それは致し方ない。
『序』と『破』はTVシリーズがベース。しかも、最も躍動感あったTVシリーズの前半をさらにバージョンアップしたのだから面白くない訳がない。
『Q』はそんなTVシリーズから離れた。
TVシリーズの『エヴァ』しか知らない我々は全く新しい『エヴァ』を見た。
戸惑うのは勿論だが、それを単に「つまらない」「裏切られた」と評するのは酷である。
起承転結の言葉を借りるなら、『Q』は大きくひっくり返った。
どんな物語にも見る者を驚かす展開は必要。
そういう意味でなら、『Q』はその役割を充分に果たし、裏切ってはいないと思う。
2021年3月7日追記
『Q』から9年、色々あった。
庵野監督はその間、『風立ちぬ』で声優を務め、重い鬱になり、克服して傑作『シン・ゴジラ』を撮り、
そしていよいよ、その時を迎える…!
ただ、疲れる。それだけ。
エヴァQはもはやエヴァンゲリオンじゃない。
まったく違うアニメになってしまった。
僕はその事実に愕然とし、また、このアニメとは決別するだろう。
主人公の碇シンジはもはやただの脇役に成り下がり、
ヒロインの綾波レイはただのロボットになってしまった。
アスカとミサトというフェミニスティックな主人公がただ、やりたいように暴れまわる。
そして、ゲンドウはレイとシンジから遠ざかってしまった。。
この映画に魅力的な主人公は存在しない。
魅力的なヒロインも存在しない。
魅力的な脇役も存在しない。
エヴァオタのための、次作を予想させるだけのための、くだらない預言書だ。
そして感動的な映像美があるわけでもない。
まったく見る価値がない。
僕はただ疲れた。
もうそれ以外に感想はない。
こんなものなら見なければよかった。
評価が別れるとか言ってる奴はただのミーハーなバカか、
もしくは真性のエヴァンゲリヲンマニアだろう。
評価が分かれるのもエヴァならでは。
見終わってから徐々に湧いてくる感じ
のっけから????の連続でした。
「序」と「破」を経ての今回のQ。想像していたものとは違ってそう来たかという印象。 正直受け入れるまでに時間がかかった。。
ただ、これまでのTV版と旧劇場版、庵野さんが裏切らなかった事がありますか?
謎が全て解決された事はありますか?
この裏切りの連続であったエヴァ、「序」と「破」がTVシリーズに沿っていて見易かっただけに久しくこの感覚を忘れていた。。
そこにきてのQ、確かにショックは相当なものだったけどやっぱりこれがエヴァであり庵野さんなんだなと思った。
色々な批判レビューがあるけど、正直ゴチャゴチャうるせー!といった感じ。
説明不足や謎が解かれないまま上等です。
最終回の次回作に超期待します。
ただ、もう3年後は勘弁です。
気になるのは次回が「ヱヴァンゲリヲン」が「エヴァンゲリオン」に変わっていた事。
何か意味はあるのか????
評価するに値しない
内容に山もなく
オチもなく
意味もない
まさにヤオイ映画でした
前作劇場版から新たな展開と作られた今作品ですが
新たな展開にするにあたってその説明を全くしないという
奇想天外な手法を容易ています
結果、視聴者が内容を理解できない作品になっています
前作やTVシリーズを見ていてもわからないキーワードが盛りだくさんで
それを想像しつつ映画の内容を理解することも不可能
あくまで旧劇場版やTVシリーズ見ていて理解出来る内容なのに
それすらできなくなってしまった今回の劇場版
視聴者がどこに視点をおいて良いかも解らず
コレを見て面白いといえる方の脳みそを疑います
そして、監督の人にものを見せるという
姿勢にかなりの違和感を感じます
これだけ風呂敷を広げて次回作で収束させることはまずムリでしょう
収束できたとしても、ちゃぶ台をひっくり返すことになると予想します
もう見るに値しないと判断しましたので次回作を見るのは
DVDが100円になってからでしょう
再投稿(修正)-新生ヱウ゛ァを見守っていこう!
これまでのエウ゛ァは、「人類補完計画が実行され、古い世界の破壊→新しい世界の創造が始まった(?)…」で話が終わってました。
で、新劇場版ですが、私は「もう一つの歴史」・「もう一つのエウ゛ァ」に期待しています。すなわち人間が思い描く形での「古い世界の破壊→新しい世界の創造」が進行していかない・実現していかない「時間軸」です。
人間ごときが世界を壊したり作り替えたり「創造」したりできるとするのは危険な考えだと思います(ゲンドウの発想はまさにこれ?)。一方ゼーレは「神との契約を忠実に実行しよう」としているわけですが、神(存在するとして)が人間ごときとそんな契約を結ぶなんていうことはありません。宇宙論的スケールで言えば、人間はただの「生きもの」である点において他の生命体と平等です。
物語の枠組みが「新世紀」で始まっていますから終末論的な話になるのは仕方ないとは思いますが、この時間軸の設定がそもそも「人間中心主義」なのです。
「人間中心主義」から脱却しつつ、我々「人間」の真の「希望」をどう語っていくのかが、あれから15年余り経過した現在の庵野さんが考えていることなのかな?と思います。となれば、Q(急)のあの転換は、ある意味必然でしょう。
これまでの話の進行で散りばめられた材料の全てが「回収」「解明」されなくてもいいじゃない!と、私は思います。エウ゛ァのファンならば、いまの庵野さんが考えていること・伝えたいことを最後まで受け止めていきましょうよ。そのうえで、旧エウ゛ァを振り返り・懐かしみつつ、庵野さんの現在のメッセージに耳を傾けましょう!
というわけで、庵野さん、ガンバレ!
※以下は前回の投稿です。
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「人間は世界の主人公ではない」
一応「エウ゛ァ・ファン」のつもりなので、この作品をダメ!とか言うつもりはないです(それなりに面白かったので)。その上で、エウ゛ァは「卒業するもの・懐かしむもの」だと感じました。
まず、世界が終わる…という終末観は、人間の勝手な思い込みです。神(存在するとして)は人間の善悪・歴史の善悪など判断しませんし、地球上の生命体のなかで人間が特別なわけでもありません。すなわち、人間は「世界」の主人公ではないし、「世界」は人間の所有物でもないわけです。また、宇宙というスケールで考えれば、人間(そしてその他多くの生命)が暮らす地球も、小さな小さな「一つの惑星」にしかすぎません。
人間の思いなぞお構いなしに、自然(神?)は気まぐれに災いをもたらしますし、その訪れは善人・悪人平等です。更に言えば、そもそも自然は、人間と人間以外の生き物を差別・区別したりしません。
ゲンドウ(またはゼーレ)が何を企もうが、それを誰かが阻止しようが、人間の力が所詮矮小ななか、本来ならばそれは「人間同士の勝手な猿芝居」にしかならないハズなのです。1995年3月の地下鉄サリン事件(因みにエウ゛ァのTVシリーズは同年10月から放映開始)は、その茶番劇(とは言え、と言うよりそれゆえに、悲劇でもあります)の一つでしょう。
ただし、今後人間が「生命のからくり」に迫っていくなか、「神が(今度こそ)殺される」という事態に陥る可能性は、現状でゼロとは言えないかもしれません。
もし「世界をリセットする」というゲンドウ(そしてゼーレ)のセンチメンタリズムが生命を巡るテクノロジーによって現実化し得るという設定ならば、それに異を唱える人達たちの行動に合理性を見出だすことは出来るでしょう。
自意識過剰な少年(少女も?)は、時として「こんな世界、1回無くなってリセットされちゃえばいいのに…」とカタルシスを求めたりしますが、人間には本来「世界を終わらせる」力なぞありません(そのハズです)。逆に、人間が「壊したくない」と思っても、例えば巨大隕石がたくさん落ちてきて「世界がリセット」されてしまうことはあるでしょう。
だからこそ人間は、自然と向き合いつつ、知恵と工夫と連帯をもって、(時に互いに争ったりもしますが)共に生きていこうとするのです。
テレビ編から始まって、どエラく風呂敷が広がってしまった感がありますが、「父と息子、そして母」という関係性だけで「世界全体を飲み込む」ことは出来ないハズ。一方、アスカの描かれ方がテレビ版(後の映画2本含む)から大きく変化しているところから、庵野さんのスタンスも、この15年余りで大きく変化していることでしょう。
揚げ足取りなんかするつもりはないので、庵野さんには「本当に表現したいこと」を存分にやってもらいたいです。で、欲を言えば、あとで見返したとき「俺にもこんな頃があったっけ…」だけでは終わらない、新たな発見が出来るような、「歴史の重みに耐えられる」良い作品を作ってもらいたいです(ちなみに1stガンダムは、いま見ても「再発見」があります)。
次回作、期待しています。
11/20に見ました
意外に面白かったよ。
酷評をじっくり読んで鑑賞したので以外におもしろかったよ。
はじめの戦艦の発進シーンは宇宙戦艦ヤマトのパクリかなと思って笑った。
それと誰かも書いてたけど戦艦ちゃちいし、カッチョわりー。
アスカとマリの掛け合いはいいね!!面白いよ。
シンジ君14年間眠っていたんだからあの訳の分からない行動もうなずけるし、自分が起こしたサードインパクトで人類のほとんどが死んじゃったんだから普通じゃいられなかったんじゃないのかな。
ミサトさんも破で『いきなさい!シンジくん』と言ってた割りには『もうヱヴァに乗るな!』はないだろうし笑ってしまった。まあそれだけサードインパクトって人類にとってダメージっだったんだろうし、『綾波をたすける!!!!』で済まなかったんだろうね。フォースインパクト起きなくてよかったよね。シンジ君のやっちゃったよ おれ という顔 あれよかったなーーーー。
勝手な想像なんだけど
アスカが大人になっていないのは2号機でのビーストと関連あるんじゃないかね?マリも大人になってなかったよね?
予告は あれはジョーダンですよね??
しかし4作目がまた3年後だったら皆さんどうします?あーおもしろかった。
急展開のキュウ、クエスチョンのQ
「希望は残っているよ、どんな時にもね」
完全新作になることはわかっていたものの、予想の斜め上をいく展開に置いてきぼりにならないようにしながら見る感じ。2回目の鑑賞は、落ち着いて見られましたが。
1回目みたときから、これは拒絶反応起こす人がいても不思議ではないな…とは思いました。なんだかんだで「序」「破」はTVシリーズのリメイクでしたから、新要素が入っていてもある程度は先が読めたし、現代最高峰の作画で好きなメカやキャラが動いているところを見られるだけで快楽でした。
でも、今回からはそうじゃない。もちろん作画は素晴らしいし、アクション演出もあいかわらずのケレン味たっぷりで見応えあるけど、これまでの世界観は半ばぶち壊し。ここからが本当のリビルド(再構築)になっていくのかなあ…と思いました。破壊がなければ創造はない…なんて言い方は陳腐ですが。壊したものの上に、新たなものを再構築していく。
そして、またもや鬱展開気味ですが(笑)。シンジはどこまでつらい思いをさせられるのやら? 別に14年たったらたったでしょうがないですし、立場的に突き放されるのもしょうがないにしても、もう少しやんわりできないものか(笑)。ああいう精神的にこたえる感じは旧シリーズから変わりませんね…と苦笑い。むしろこれこそが庵野秀明の真骨頂?
設定的な部分での疑問や、キャラクターの心情変化もちょっと性急(絶望的な状況のシンジが、唯一信じたいと思うカヲルの言う希望にすがりたかったのはわかりますが、それだけを根拠に槍にこだわりすぎな気が)な印象もありますが、全体としては、これから先(…といってもあと1作)で、どう終わるのかを見届けてからが、「Q」の真価がわかるときなのかなという気がします。
全4部作ですが、最初2作「序」「破」と、後半の2作「Q」「シン(真?)」で大きくわかれる感じですね。ポジティブに突き抜けた「破」のラストが盛り上がりすぎて、これでどう続けるのだとは思いましたが、あそこが前半のクライマックス。また後半が始まって、きっと次のラストは「破」並の盛り上がりがあるのではと期待します。
前作までの流れからの突然の変貌に、半ば戸惑いもあるといえばありますが、でも、ラストシーン…シンジとアスカとレイの3人が歩いていく後ろ姿をみて、「ああ、やっぱりこれはエヴァだなあ」と感じたのでした。マリでもカヲルでもない、まして今回出てきた新キャラでもなく、シンジとレイとアスカ。
あの3人が、あの絶望的状況のなかでまだこれから先へと歩みを進める姿をみて、「希望は残っているよ、どんな時にもね」という、本作のキーワードとなるセリフが重なってみえたのでした。
うーん、信じすぎかな? これで次でまたさらに突き落とされたら、それこそ旧劇場版の悪夢再びになってしまいますが(笑) きっとこの先には違う何かが待っていると思わせる終わり方でした。
報われないね…
シンジに全責任を押し付けている周りのキャラが不気味でした。
序・破と懸命に戦ってきた主人公に対するあまりに酷い仕打ち…。序・破はなかったことになっているのでしょうか?
シンジが周りから理不尽に追い詰められるのはいつものことだけれど、Qはその追い詰め方が強引すぎる上に、ストーリー自体も面白くないため尚更酷く感じました。
あんな扱い方されたら壊れない方がおかしいですよね…。
Qを経験したシンジが、ミサトたちを再び信じられるのでしょうか?記憶喪失にでもするのですか?
主人公に選ばれてしまった彼が不憫で…あまりにも可哀想で…今回ばかりは制作者の方々に引いてしまいました…。
Qのストーリーが暗くなるのは仕方ありません。しかし、破綻したストーリーに合わせて都合よく動き、思考をやめたキャラクターたち、何でもアリの新設定、世界観に合わない空飛ぶ戦艦…これがエヴァらしさですか?
奇をてらいすぎなのか、予想を裏切るためなのか、皮肉っているのか、全体的にダサすぎて、コレが本当にヱヴァなのか疑いたくなりました…。腹が立つというよりも、悲しかったです。
ヱヴァに何を求めると思われるかもしれませんが、総監督さんがあのような所信表明をしたからこそ、長い間待っていたファンの方も多くいらっしゃるのではないでしょうか?
完結編を経て4部通して見たとき、このQさえも素晴らしい作品だったと思えることを期待します。
全200件中、161~180件目を表示








