「作り直して欲しい」ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q 吉泉知彦さんの映画レビュー(感想・評価)
作り直して欲しい
この映画シリーズはこれまでテレビで顰蹙を買って、映画版で作り直してやっぱり上手くいかなかった、シリーズの結末を頭から作り直してきっちり型をつけるという意図で始められたものだと解釈していた。庵野監督がんばれ、オレはその才能を信じているよ!と本当に応援していたのだ。
『序』はテレビと一緒じゃないか、そのまま丸々作り直すつもりかと腹が立った。『破』は展開が変わって登場人物も新しく魅力的な人が出て非常にワクワクし、またクライマックスでは少年少女が命がけで行動するところに感動した。
ところが今回の『Q』はいきなり台無しにする設定が展開され、意図や背景がさっぱり不明でいくらなんでもリアリティが欠如しすぎで、真面目に見るのがバカらしくなるような作りであった。
これまで、物語では碇ゲンドウが暗躍し人類補完計画という謎めいた計画を遂行し、それは一体何なのかという疑問が解明されずウヤムヤにされてきた。この映画シリーズでいよいよきっちり腑に落ちる答えが提示されるものと思っていたのだが、ここまで滅茶苦茶な展開ではそれは期待できそうにない。使途もエヴァも人類補完計画のために仕組まれたものであることは匂わされていたが実態は全く示されなかった。人類補完計画は今回も空手形、実態は何もないまま適当に誤魔化そうとしているとしか思えない。
庵野監督は意図的にこのようにしているとは考えがたい。作家の生理として、このような大規模な期待作をわざとおかしくするとは考えられない。作家なら傑作を作りたいに決まっているのだ。一生懸命、精一杯頑張った結果がこれなのだとしたら、人類補完計画は何も思いつかなかったのだろう。
渚カヲルがいざという場面で膝を抱えて丸まってしまうという期待外れっぷり、雰囲気野郎が大事な場面で役立たずというのは本当によくあるが、それがこの映画シリーズだとしたら非常に残念だ。
『Q』はなかったことにして、新たに『破』の続編を作るとしたら、異論は一切ない。
(追記)
『シン・エヴァンゲリオン』を見るに当たって、見返す。2回目。この作品があまりに不評で庵野監督が自殺を考えるほどであったとインタビューを読み、非常に申し訳ない気持ちになり、優しい気持ちで見ることを心掛けてみた。
1回見ているせいか、飲み込みづらい14年後であることなど、それほど気にならない。
それよりミサトやアスカなど、みんながみんなシンジに辛辣なところが気になる。シンジだって悪気があってニアサードインパクトを発動させたわけではなく、ミサトも同意していたはずなので、上官であるミサトの方がよほど悪いのではないだろうか。そもそも子どもに責任などない。シンジに責任を負わせて責めるなど、あまりに大人気ない。
渚カオルだけがシンジに優しくてそれは、ホモっぽくなっても仕方がないだろう。クライマックスでシンジのチョーカーを外したのはいいのだけど、自分に着けることはないのではないか。
宇多田ヒカルの歌はやっぱりぼんやりした印象。